2018/01/01

元旦礼拝「みわざを宣べ伝えます」

元旦礼拝メッセージ「みわざを宣べ伝えます」詩篇9篇1~6節


(長谷川和雄師)


2018年度の目標を宣教に定めました。 宣教や伝道は数量的教会成長を考えがちですが、それは結果論です。聖書は、私たちが神の愛と罪の贖いの十字架を知って心から罪を悔い改め、永遠の命を得て神との交わりが回復され、み言葉の真実や信仰のすばらしさを知り、神の子として神の豊かな祝福の中を歩むと、豊かな信仰生活のために聖化を求め、神への献身的な奉仕に導かれ、恵みを誰にでも知らせたくなる事を教えています。しかし、日本のクリスチャンの多くは、神の恵みを証ししていません。日本の村社会特有の協調性や同調性の強さから、正しい事を言うと、はみ出し者になるのが恐く、また、主の救いを恥、上手く語れないからでしょうか。主とみ言葉を恥じる者を、主は恥じます(マル8:38)。主の命令は「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マコ16:15)であり、命令には神の力添えや守りの約束がります(Ⅰペテ3:15—16)。今年度は、その神の命令と約束を覚え、神の御業を見させていただきたく願っています。


Ⅰ.「くすしきみわざ」…


「くすしきみわざ」は、詩篇に29回、「みわざ」は66回用いられています。別訳では、「驚くべき御業」(新共同訳)、「目を見張るばかりのお働き」(リビングB)となっています。詩9篇では、神のさばきの不思議という点で用いられていまです。ダビデは正義と公正で世をさばく主に感謝し(4)、喜び、賛美し(1、2)、神に拠り頼んでいます。テレビ番組の「水戸黄門、大岡越前、座頭市」が人気を失いません。不正と不義と不条理な出来事の多い中で、明確に白黒をつけてさばくこの番組は、私たちの心の中にあるモヤモヤ感を吹き飛ばすのでしょう。詩9篇では、主に信頼する者を決して見捨てないこと。また、神に敵対する者は自滅し(聖書の例。①ダビデの息子アブサロム。②エステル記のハマンなど)必ず滅ぼされ、跡形なく消し去られ終結するとの原則こそ、神のさばきの「くすしきみわざ」ですと教えます。

Ⅱ.「心をつくして主に感謝し」…


「心をつくし」とは、第一にすべき義務ではなく、自発性を意味する言葉であり、神は正しい方で、全てを最善になさる、最終的な審判者との信仰に基づき感謝と賛美が生まれます。すばらしい事を体験して感謝することは誰でもできますが、理不尽な現実の中で感謝できるのは信仰的です。ですから「心をつくし」とは、心情的に精一杯という事ではなく、常に神のなされる最終的な視点から物事を見、判断する冷静沈着な姿勢です。主は毒麦の譬えで教えています(マタ13章)。

Ⅲ.「ことごとく宣べ伝えます」…


「余すところなく語り告げます」(新改訳)。「すべて語り伝えよう」(新共同訳)。原語の意味は「数える、数を調べる、記す」「言い表す、語り伝える、告白する、告げる、伝える、宣べ伝える」「学者、書記官」を意味し、学者が事実を調べて正確に把握し、整理して伝えるとの意味の言葉です。ルカも確かな神の事実を、余すところなく、きちんと整理し、順序立てて福音書を書きました(ルカ1:1—4)。神の祝福に与った者の責任は、「宣べ伝え」ることです。なぜなら、神は私たちを通してご自身を証しするために選ばれています。ルカのように、自分史において誠実に語る必要があります。クリスチャンはみんな伝道者、説教者ではありませんが(エペ4:11—13)、みんな主の福音の証人です。単なる知識の受け売り、偽善、聖徒の物まねでは、証に力がありません。日々、自分の弱さ、罪深さを深く知り、十字架を仰ぎ、み言葉を信じ、生ける神に依り頼む信仰によって救われ、聖霊を受け、新創造され、整えられ、力ある証人になれるのです(使徒1:8)。