先週、東海聖化大会が名古屋インマヌエル教会で行われました。現在能登地方で牧会をしておられる羽咋聖書教会の永井仁志先生が、自身も被災者でありながら能登で災害援助に当たっているクリスチャン達の現状を聞かせて下さいました。「何故、神は災害が起こるのを許されるのか」という問いは、クリスチャンだけに限らず、人間全体にとっての大きな疑問であるように思われます。しかし、その解答は明確に出るものではありません。そして解答が得られずとも、現実の対応には追われます。そのように悩みながら苦闘するクリスチャン達の体験の中にこそ、私たちが見過ごしてはならない大切な真理があるのではないでしょうか。
今日の箇所で自身について独白するパウロも、元々は教会の迫害者でした。彼はステパノへの迫害に加担し、多くの教会を破壊し、聖徒達を捕らえ、ついにはダマスコの教会までも遠征して打ち壊そうとした元反キリストの急先鋒でした。「何故このような男の存在が許されているのか」「何故、ステパノを殺し、多くの兄姉を捕らえる前に神はパウロを殺してくださらなかったのか」「何故このような男をこの世に生まれさせたのか」当時の教会に生きていた兄姉達は、そう考えずにいられなかったと思われます。しかし、それはパウロ本人にすら判らないことで、神様以外の誰にも解き明かすことが出来ない神秘なのでした。後の重要人物だから神様は生かすしかなかったのでしょうか。それはパウロ本人が、あくまで神の恵みに過ぎず必然性は何もないと否定しています(10節)。もしかすれば、神学や聖句を駆使すれば、解答の予測ぐらいは立てることが可能かもしれませんが、それを出したところで、結局は仮説の域を出ることはありません。神様側の事情など、私たちの知恵で解き明かせるものではないからです。しかし、私たちの心の内には罪があるので、苦難の中のヨブのように、どうしても答えの出ない疑問に固執し、それを自身の知恵で解決できかのように思い込んでしまいます。そして最終的には神様に対し、したり顔で評価を下そうとするのです。ここに人間の罪があります。
では、答えの出ない問題に対して、私たちはどのように向き合うべきなのでしょうか。能登地方のクリスチャン達は、地震が起こり、故もなく突然被害を受け、自身も被災者であるのに他の人々の救援に向かい、ようやく希望が見えてきたところで集中豪雨の被害を受けて希望が打ち砕かれ、常に絶望と隣り合わせの中で今も戦い続けています。しかし、その中でも他の地方のクリスチャン達が救援に駆け付けてくれたり、地道な努力が能登地方の人々に受け入れられて、今までにないぐらいに教会の存在が認められたりと、絶望の中でも、一つ一つ神様の恵みの御業が積みあがる様子を目撃できていると永井先生は言われました。先生はその中で、「私たちがくずおれた時にこそ、主は立ち上がってくださる」と言う確信が与えられ、「何故災害が起こったのか」という答えの出ない疑問について考えるのは止めて、今困難の中で寄り添って下さる神様の愛と恵みの御業のみに目を向けて行こうと思われたのだそうです。
パウロも、結局何故自分が生かされたのかという問いの答えを見いだせなかったようです。しかし、せめて自身に与えられた恵みを無駄にはすまいと懸命に働きました。答えの出ない疑問にしがみつくよりも、自分を形作る神様の恵みにのみ目を向け、それに応答することに集中したからです。私たちの人生は常に理不尽だらけで、答えの出ない疑問もたくさんあります。しかし、その中でこそ、答えの出ない疑問にしがみ付くのではなく、今の私たちを形作っている神様の恵みの御業にのみ、目を向けるべきなのではないでしょうか。今、確実に存在する恵みに目を向けて感謝し、応答することが出来る。そのような信仰をいつも持ち続けましょう。