2018年1月28日日曜日

主日礼拝「光の子らしき歩み」

主日礼拝メッセージ「光の子らしき歩み」エペソ人への手紙5章8~14節


(長谷川和雄師)

『十字架の福音に生きる教会』を目指す教会として、神の愛を日々深く覚え、互いの間に十字架を立て、十字架の福音によって一つとされ、神の栄光を拝する教会を目指します。前回は、親に愛されている子どもが親を真似るように、神との交わりを回復するために御子をこの世に送るほどの愛を受け、罪を赦しきよめられた神の子どもとして、御父を深く心に留めて真似ます。また、神のものとして聖別された者らしく、他人と自分の品性を傷つける言葉を言わず、神と互いの存在を感謝し、大切に思う事です。そして、神の国を継ぐ者として不品行、汚れ、貪欲などの偶像礼拝を避け、み言葉に立って歩もうと学びました。

今日の中心聖句(8)から、「光の子らしき歩み」について学びます。神は真の光であり(Ⅰヨハ1:5、ヨハ1:9)、命の源であり、真理の基準です。クリスチャンは闇の子から光の子とされました(8)。光りの子の歩みはどのようなものなのでしょうか。

Ⅰ、光は良い実を結ぶ (8—9)…

  1. 救われる前は闇の子(8)。真の光である神を拒絶し、背を向けると闇が生じます。人が神に背き従わない人生は闇であり、あらゆる不正、不義、汚れ、争いが生じます(ロマ1:28—31)。
  2. 真の神を信じ救われ光の子どもとされます。主にあって変えられ新生し、キリストが輝きます。新生は、罪の赦し、罪が忘れられ、きよめられることとは違います。赦しのない新生、新生のない赦しはありません。救いは実質的な聖霊による変革が伴います。罪の性質が取り扱われ、神との関係が健全で自由になります。物まねではなく、臨在し内住される主の新しい命に生かされ、主に出会い、心の闇の恐ろしさに気付き、主を罪・闇の生活からの救い主として受け入れたのです(ヨハ8:12)。「世の光」と言われた主の光を受け、その光を反射する者として、私たちは「世の光」(マタ5:14)とされたのです。世の人々は、神の光を直接見られませんが、神の光を反射するクリスチャンを通して神の光を見られるようになります。
  3. 光の子の歩み。光の中で植物は良い実を結ぶように、真の光の子は、神と人の良きことを願う「善意」と、神の目に正しい「正義」と、純粋で誠実な心からの「真実」などの、聖霊の実を結びます(9、マタ12:33、ガラ5:22—23)。しかし、不誠実な友の影響を受けて、知らないうちに不誠実になります。けれども、光である神に結びついていると品性の実を結びます(ヨハ15:7—8)。

Ⅱ、光は闇の業を暴露する(10—12)…

  1. 自分を喜ばせず、神に喜ばれ、受け入れられる神のみこころ(みこころを知る5つの法則)に生きます(10、ロマ15:1—3)。光の中を歩む(聖化の道)とは、それぞれが与えられた「光」良心に示された神の導きに、素直に従うことです(1ヨハ1:7)。
  2. 闇を告発する(11—12)。真の光の子は、闇の仲間入りをせず、闇に行動と態度でノーといえます(バプテスマのヨハネ、安利淑)。闇の業に加わる者は、光が一番怖いのです。クリスチャンは光です。光としての使命を全うさせていただきましょう。

Ⅲ、光は闇を照らす (13—14)…

  1. 光は譴責する。隠れた罪の言動は、やがて全て明らかにされます(マタ10:26)。
  2. 罪人は、光を受け入れ光となる。神の光が心を照らし、罪を示す時、照らされた人が素直に罪を認めて、悔い改める時、光の子と変えられるのです(Ⅰヨハ1:7—9)。
  3. 教会の使命は、神の光を照らすこと。霊的に眠っている人に、混迷状態から抜け出て、罪を自覚し、神の光を受け入れるよう勧めています(14)。神の光を受け入れ、良心の光に鋭敏に応答し、豊かに神の光を受け、福音の証人となりましょう。


教会の各活動


臨時教会役員会(総会準備)が行われました。


今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(1月30日)10:30~12:00


聖書:ルカによる福音書19章10節
題:かけがえのないいのち
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:195、202

○聖書研究祈祷会 水曜日(1月31日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝21章27~40節
題:パウロの逮捕と弁明準備
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:257、390、429

○主日礼拝 来週日曜日(2月4日)10:30~12:00


招詞:ヨハネの福音書15章9~10節
交読文:57 1コリント書13章
聖書:エペソ書5章21~33節
題:「互いに愛し敬おう」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、143、145

2018年1月21日日曜日

主日歓迎礼拝「新しい出発」

主日歓迎礼拝メッセージ「新しい出発」エペソ人への手紙5章1~7節


(長谷川ひさい師)


「1年の計は元旦にあり」と誰もが心に思い、2018年、新しいカレンダー、新しい日記、新しい服装と、新年は新しい心で始めます。しかし、正月も3日4日と過ぎますと、新しい決意も吹き飛び、2月には少しも変わってない自分に気付き弱さを認識します。「新しい」との言葉には時間の新しさと、性質の新しさの意味があります。新年はカレンダーによる時間の新しさを感じますが、心の新しさや精神の新しさを与えないことがあります。多くの人たちは年頭に、神社やお寺に参拝し、一年の祝福と心の新しい決意を祈願しています。それが、どの程度に人の心を新しくするかは問題です。

今朝のみ言葉「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」とありますが、主を信じる者は、誰でも新しくなることを体験します。主は、天地を創造した真の神のひとり子です。人類を救うために人となり、私たちの罪の身代わりとして十字架で死なれ、3日目に復活し、救いの道を開きました。この主を救い主と信じ心に受け入れる時、私たちの罪は赦され、罪の性質はきよめられ、新しい命、永遠の命を持つことが出来るのです。これは全人格の変革であり、新しい生まれ変わりなのです。それはどのような事が起こるのでしょうか。

Ⅰ. 知性の変革…


人間は神によって造られたと聖書は記しますが、人間が神を忘れ、神を離れた時に、人間の知性や理性は暗くなってしまったのです。医学や経済の事は理解することはできるのですが、真の神について、主のことについて、永遠の命について、人生の目的や意義について、全くといってよいほど知りません。ですが、主を救い主と信じる時、主は私たちの知性を明らかにし、神が天の父であることを示し、人生の目的を示し、永遠の命が本当にある事を心に知らせてくださるのです。

Ⅱ. 愛情の変革…


私たちが、神から離れた時愛情は乱れてしまいました。神や人を愛する事を忘れ、愛してはならない者を愛して、自己中心になり、エゴの塊のようになってしまったのです。罪の意味の一つに、愛すべきものを愛さない事があります。自己中心が原因で親子がうまくゆかなくなり、夫婦間の争いが起こり、離婚に至るのです。また兄弟同士においても同じです。しかし、救い主を信じる時、主の十字架によって罪赦された者として、互いに赦し合う事が分かり、愛することが出来るようにしていただけるのです。何と感謝な事でしょうか。

Ⅲ. 意思の更生…


更生の意味は、生き返る事、すっかり変わる事、生活を新たにするという事です。人が神を忘れ、神から離れた時に、幹から離れた枝の様に、意思は本当に弱くなります。善い事と知ってもできない。また、悪い事と気付いていても止められない。「わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている…善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないから」(ロマ7:18)とある通りです。神から離れた時、様々な欲望や悪い習慣の奴隷になってしまいます。しかし、主は十字架の愛とよみがえりの力によって、意志を強くし、新しい命と勇気を与え、人生を輝きで満たし、喜びと希望を与えてくださいます。主を信じ、今までの犯した罪を認めると、きよく新しくしてくださいます。「自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」(Ⅰヨハ1:9)との約束があります。悔い改め、口と心を一つにして主を救い主と信じ頼るなら、その時から新しい出発が始まります。



教会の各活動


壮年会とハンナ会の各総会が行われました。


今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(1月23日)10:30~12:00


聖書:Ⅰコリント書1章18節
題:十字架のことば
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:9、182

○聖書研究祈祷会 水曜日(1月24日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝21章27~40節
題:パウロの逮捕と弁明準備
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:257、390、429

○主日礼拝 来週日曜日(1月28日)10:30~12:00


招詞:エペソ書5章13~14節
交読文:14 詩篇37篇
聖書:エペソ書5章8~14節
題:「光の子らしき歩み」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌: 264、425、393

2018年1月14日日曜日

主日礼拝「神に愛されている者として」

主日礼拝メッセージ「神に愛されている者として」エペソ人への手紙5章1~7節


(長谷川和雄師)


『十字架の福音に生きる教会』を目指し、神の愛を日々深く覚え、互いに十字架を立、十字架の福音によって一つとされ、神の栄光を拝する教会を目指しましょう。5章の冒頭は、4章最後の言葉に続き、私たちが苦みを捨て、互いに赦し合い、心の優しい人となれる基準は、神の赦しです(32)。だから人ではなく神に倣うように勧めます(1)。「ならう」(1)は「模倣、真似」の意味です。これは、自分が神のようになろうとすることではありません。また、「愛されている子どもらしく」(1)とあり、両親に愛されている子どもは親を真似て生きるように、神に愛され、全ての罪を赦された神の子どもとして、御父を仰ぎ、幼子のように神を真似ます。具体的にはどのようなことを倣うのでしょうか。

Ⅰ. 神に愛されている者 (1—2)…

  1. 「愛のうちを歩きなさい」(1)とあるように、真の神の愛の内を歩むことは大切ですが(ヨハ15:9)、気負い重荷となり疲れてはいけません。クリスチャン生活に順序があります。先ず、神の愛を知って初めて神の愛の内を歩めます。それは、私たちが罪深く神に背く者であった時(ロマ5:8)、神の愛と主の十字架の贖いの御業を充分に知り味わうことです(2)。
  2. 「愛のうちを歩」くとは、主の犠牲的な愛を知って、兄弟のために命を賭けるほどの犠牲を払う者に変えられる歩みです(Ⅰヨハ3:16)。神の愛は、人を人として生かす働きです。それは、多大の時間や犠牲が伴っても、他の人を生かすために祈り、相手を理解し、戒め、本当に必要なことを神の導きを得て、神の最善をすることです。また、「互に愛し合いなさい」(ヨハ15:12)との主の最も大切な戒めを実践することです。

Ⅱ. 聖徒にふさわしい歩み (3—4)…

  1. 「聖徒」とは、「神の専用品として聖別され、神のものとされた人々」であり、私たちは神の専用品にふさわしく、日常生活の中に神の栄光を現す歩みが大切です(Ⅰコリ10:31)。
  2. 3—4節に、口にしてはいけない言葉は、相手の人格を傷つけ、破壊し、自らの品性も損ねます。今は、「セクハラ・パワハラ・モラハラ」など、聖書は言葉による暴力や人格無視や蔑みに注意しています。そのような言葉は、神の聖徒にはふさわしくありません。
  3. 感謝すること(4b)。「感謝」の言葉は、「好意を示す、愛顧を与える」との意味から生まれました。人を蔑み破壊する言葉でなく、主にある者は人の徳を養い、親切でな言葉を語るべきです(4:29、コロ4:6)。人間関係で大切な基は感謝です。感謝は「ありがとう」で、漢字では「有ることが難しい」と書き、無くて当たり前なのに有るから「ありがとう」なのです。神に感謝し(マタ5:45)、互いの存在を感謝し大切に思う時、人の徳を養い生かす言葉を語れます。

Ⅲ. 神の国を継ぐ歩み (5—7)…

  1. 不品行や汚れを行う貪欲な者は、偶像礼拝者です(5)。偶像を拝むことだけでなく、己の欲望に生きる者は偶像礼拝者です。人は礼拝するものに支配され、結果的に自らを滅ぼします。様々な偶像を礼拝する生き方は、神の国から遠く離れます(6—7)。
  2. 「不誠実な言葉」は、「内容のない教え、偽り事、空しい言葉、罪に対する空しい言い訳〈根拠のない議論〉」と訳せますが、人生を台無しにする不誠実な言葉に騙され、主の恵みから離されるなと警告します。言葉巧みに肉の欲望に従うことを正当化し、自らを破壊してしまいます。今日も、色々な教えの風が吹き、人を騙す働きは後を絶ちません。だから、そんな人と交わり仲間にならないように警告します(7)。ですから主は悪しき者からの守りを祈りました(ヨハ17:15)。孤独で寂しいでしょうが、人ではなく愛なる神に目を止めて歩みましょう。



教会の各活動


CS教師会と青年会の各総会が行われました。


今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(1月16日)10:30~12:00


聖書:伝道の書7章16節
題:過ぎてはならない
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:19、258

○聖書研究祈祷会 水曜日(1月17日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝21章17~26節
題:信仰の自由と愛
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、224、361

○主日歓迎礼拝 来週日曜日(1月21日)10:30~12:00


招詞:詩篇95篇1~3節
交読文:29  詩篇95篇
聖書:Ⅱコリント書5章17節
題:「新しい出発」
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、251、188

2018年1月7日日曜日

新年礼拝「新しい人の歩み」

新年礼拝メッセージ「新しい人の歩み」エペソ人への手紙4章25~32節


(長谷川和雄師)


2017年度は「健全な教会を目指して」、エペソ書を学んでいますが、前を振り返ります。十字架の血潮によって罪が赦され救われ、神と和解し、神の家族とされ、教会に加えられ、神の住まいの聖なる宮ですから(2:11—22)、教会の目標を明確にし、主と共に歩もうと勧め、教会のために祈ります(3:14—21)。4章には、具体的な聖い生活を記し、「新しき人を着なさい」と勧めます(4:22—24)。「新しき人」とは、贖い主です。「着る」とは主を受け入れ信じ、主の身体なる教会に連なることです。自分の清さや正しさの小細工を誇るのではなく、主がなされた御業を忠実に信じることです。問題は脱がないで着続ける事です。今日の箇所は、教会の倫理的成長、霊において新しくされた人の具体的な聖い生活が記されています。

Ⅰ. 真実な言葉と歩み(25—29)…


  1. 「嘘をついてはならない」との、単なる道徳訓ではなく、主への真実な信仰、十字架の主の恵みを喜び感謝して応え、真の礼拝者として歩む事を求め、真実な信仰は隣人に真実を語る者とします。自分は真実だと隣人に言えても、神には言えません(箴言20:6)。神の前に「忠実な信仰」を持ち得るでしょうか。私たちは、教会の頭なる主に堅く結ばれ、み言葉に生かされ支えられ導かれた生活をすることによって、主の真実(真実と同義語の真理・21)が生命の幸いに生きる者とし、勇気と平安を与え、「互いに肢体」(25)である隣人に真実を語る力を与えられます。
  2. この確かな祝福の上に26節以下が続きます。「怒る」ことと「罪を犯す」ことを区別します。怒りは罪ではなく、悪には怒りなさいと命じています。神である主も怒ります。しかし、人の怒りは自分の義に頼み、神の正しく公平な義を全うしません(ヤコ1章)。だから怒りを神に任せるのです。続いて憤ったまま翌日を迎えてはいけないと記しますが、それは「悪魔に機会を与えてはいけない」からです(ヘブ12:15、Ⅱコリ2:11、Ⅰペテ5章)。私たちは謙って祈りましょう。
  3. 神のものや教会のものを、盗むようなことをしないで、「正当な働き」(28)をして、骨折って働き人に施すのです。4)人の悪を語らないで(詩篇5:9)、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与え、励まし慰めの言葉を語りましょう(ヤコ3:2—6、詩篇141:3)。

Ⅱ. 聖霊による優しさ(30—32)…

  1. 「神の聖霊を悲しませてはいけない」(30)。聖霊は力でなく、人格の感情があり、神の霊の導きに反することを行なうと、聖霊は悲しみます。私たちは「あがないの日のために、聖霊の証印を受けた」のですが、私たちの体は主の再臨時に完全に贖われ栄光の体に変えられる保証として、聖霊が私たちの証印となり、確かに神の所有の民であることを示し、聖霊の実である愛を結びます。
  2. 聖霊を悲しませるもの。「無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり…いっさいの悪意」(31)、これらは神が主にあって私たちのためになされた事と相容れません。
  3. クリスチャンは、これらの悪と無縁の存在となるために、新しい人を着て、「互に情深く、あわれみ深い者」(32)、「互いに親切にし、心の優しい人」(新改訳)、とされます。忍耐した結果愛が与えられ忍耐強い親切心、相手が主張しても、やり返さない優しく柔和な心が与えられます。
  4.  私たちは互いに罪を犯しますが、その生活の土台は、「互にゆるし合」う(32)ことです。真実な神の赦しの中に生かされ、神との恵みの交わりこそ、私たちを献身に導き、他者に大らかになれる源です。神は返しきれない負債を全て返済されました(マタ18:23~)。このゆえに謙り、憐れむ心を持ち、神の義と聖に形づくられた新しい人の歩みが出来るのです。



教会の各活動


教会役員会が行われました。


今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(1月9日)10:30~12:00


聖書:ヤコブ書1章4節
題:その忍耐
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:2、191

○聖書研究祈祷会 水曜日(1月10日)19:30~21:00


聖書:詩篇65篇4節
題:大庭に住む人
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:4、156、201

○主日礼拝 来週日曜日(1月14日)10:30~12:00


招詞:ヨハネの福音書15章9~10節
交読文:57  Ⅰコリント書13章
聖書:エペソ書5章1~7節
題:「神に愛されている者として」説教者:長谷川和雄師
新聖歌:7、216、372

2018年1月1日月曜日

元旦礼拝「みわざを宣べ伝えます」

元旦礼拝メッセージ「みわざを宣べ伝えます」詩篇9篇1~6節


(長谷川和雄師)


2018年度の目標を宣教に定めました。 宣教や伝道は数量的教会成長を考えがちですが、それは結果論です。聖書は、私たちが神の愛と罪の贖いの十字架を知って心から罪を悔い改め、永遠の命を得て神との交わりが回復され、み言葉の真実や信仰のすばらしさを知り、神の子として神の豊かな祝福の中を歩むと、豊かな信仰生活のために聖化を求め、神への献身的な奉仕に導かれ、恵みを誰にでも知らせたくなる事を教えています。しかし、日本のクリスチャンの多くは、神の恵みを証ししていません。日本の村社会特有の協調性や同調性の強さから、正しい事を言うと、はみ出し者になるのが恐く、また、主の救いを恥、上手く語れないからでしょうか。主とみ言葉を恥じる者を、主は恥じます(マル8:38)。主の命令は「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マコ16:15)であり、命令には神の力添えや守りの約束がります(Ⅰペテ3:15—16)。今年度は、その神の命令と約束を覚え、神の御業を見させていただきたく願っています。


Ⅰ.「くすしきみわざ」…


「くすしきみわざ」は、詩篇に29回、「みわざ」は66回用いられています。別訳では、「驚くべき御業」(新共同訳)、「目を見張るばかりのお働き」(リビングB)となっています。詩9篇では、神のさばきの不思議という点で用いられていまです。ダビデは正義と公正で世をさばく主に感謝し(4)、喜び、賛美し(1、2)、神に拠り頼んでいます。テレビ番組の「水戸黄門、大岡越前、座頭市」が人気を失いません。不正と不義と不条理な出来事の多い中で、明確に白黒をつけてさばくこの番組は、私たちの心の中にあるモヤモヤ感を吹き飛ばすのでしょう。詩9篇では、主に信頼する者を決して見捨てないこと。また、神に敵対する者は自滅し(聖書の例。①ダビデの息子アブサロム。②エステル記のハマンなど)必ず滅ぼされ、跡形なく消し去られ終結するとの原則こそ、神のさばきの「くすしきみわざ」ですと教えます。

Ⅱ.「心をつくして主に感謝し」…


「心をつくし」とは、第一にすべき義務ではなく、自発性を意味する言葉であり、神は正しい方で、全てを最善になさる、最終的な審判者との信仰に基づき感謝と賛美が生まれます。すばらしい事を体験して感謝することは誰でもできますが、理不尽な現実の中で感謝できるのは信仰的です。ですから「心をつくし」とは、心情的に精一杯という事ではなく、常に神のなされる最終的な視点から物事を見、判断する冷静沈着な姿勢です。主は毒麦の譬えで教えています(マタ13章)。

Ⅲ.「ことごとく宣べ伝えます」…


「余すところなく語り告げます」(新改訳)。「すべて語り伝えよう」(新共同訳)。原語の意味は「数える、数を調べる、記す」「言い表す、語り伝える、告白する、告げる、伝える、宣べ伝える」「学者、書記官」を意味し、学者が事実を調べて正確に把握し、整理して伝えるとの意味の言葉です。ルカも確かな神の事実を、余すところなく、きちんと整理し、順序立てて福音書を書きました(ルカ1:1—4)。神の祝福に与った者の責任は、「宣べ伝え」ることです。なぜなら、神は私たちを通してご自身を証しするために選ばれています。ルカのように、自分史において誠実に語る必要があります。クリスチャンはみんな伝道者、説教者ではありませんが(エペ4:11—13)、みんな主の福音の証人です。単なる知識の受け売り、偽善、聖徒の物まねでは、証に力がありません。日々、自分の弱さ、罪深さを深く知り、十字架を仰ぎ、み言葉を信じ、生ける神に依り頼む信仰によって救われ、聖霊を受け、新創造され、整えられ、力ある証人になれるのです(使徒1:8)。