2016/03/13

主日礼拝「神から生まれた者と世」

礼拝メッセージ「神から生まれた者と世」ヨハネの第一の手紙5章18~21節


長谷川和雄師


Ⅰ. クリスチャンは神から生まれた者(18)…

神から生まれた者とは、クリスチャンのことであり、主を信じた時から永遠のいのちに生かされ続けています。各家の子どもに特権と義務があるように、クリスチャンにも特権と義務があります。クリスチャンの義務は罪を犯し続けないことです。罪の中に生き続けることは、神の子としてふさわしくありません。しかし、神から生まれた主が私たちを守ってくださるので、悪い者は私たちに触れることさえできません。罪を犯していることに気付かされた時、神の助けを求め、拠り頼みつつ、罪の中に生き続けないことです。

私たちがすべきことは、神のみこころを行い、命令を守ることです(5:3)。神の命令とは、主の御名を信じ、互いに愛し合うことです(3:23-24)。悪魔は神によって生まれた者を誘惑してきます。しかし、御子が私たちを守ってくださいます(ヨハネ10:28、17:12、15)。神によって生まれた者は、このような恵みと祝福の中を生きることができるのです。なんと感謝なことでしょう。

Ⅱ. クリスチャンはこの世から聖別された者(19)…

主を信じる者は神のものとされ、神に属する者なのです。注意すべきことは、世は悪い者の支配下にあるので、教会の中に世を取り入れてはいけないということです。この世では人をたてて利用するために主を排除したり、恵みや愛を強調して、真の悔い改めを無くしたりしてしまいます。神への縦軸と人への横軸のバランスが大切です。ただ赦すだけでなく、然りは然り、否は否とし、戒めることも必要です。

この世は学力重視で、知識豊富な人が優れているかのようにもてはやされます。しかし、教会では聖書知識の多少ではなく、イエスを自らの救い主として仰いでいるか、主により頼む生活、祈りの生活の有無が問われます。私たちは何が一番になっていますか。地位や名誉、財力や学力など、世のものですか。私たちを救うために、十字架の上で血を流してくださった主を一番に愛する者とならせていただきましょう。主を信じる者の国籍は、この世ではなく天です。この世で見出され、召し出され、聖別された者として生きることが主の臨在を持ち運ぶクリスチャンの生き方です。

Ⅲ. クリスチャンはまことの神を知る者(20)…

クリスチャンは神と交わる永遠のいのちを持っている者です。主はこの世に来られただけでなく、一人びとりの内にも来てくださり、共に歩み、真実な父なる神を知る理解力を与えてくださいます。私たちは永遠のいのちが与えられたことにより、真実な神を生活の中で知ることができるのです。

神の光の内にある時、自分の本当の姿が見えてきます(1:5)。神は愛そのものであり、神の愛を知る時、真実な愛が分かるようになります(4:8)。主を第一として生きることは、永遠のいのち、つまり、唯一のまことの神と、主ご自身を知ること(ヨハネ5:26、17:3)に生きているといえるのです。

Ⅳ. 最後の奨励(21)…

ヨハネが偶像に警戒するように勧めるのは、当時も偽教師や偶像があったからです。偶像にはいのちがなく、世に満ちており、罪を好んで行う生活や、間違った知識があり、きよい光も、愛もありません。

私たちは神から生まれ、世から聖別された者として生活し、主の臨在を持ち運ぶ者となっているでしょうか。クリスチャンとされた私たちは、筋の通った歩みをする者と、主にあってならせていただきましょう。


教会の各活動


午後は、婦人会(愛餐会)、教区青年親睦会(天授ヶ岡教会)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(3月15日)10:30~12:00


聖書:創世記16章9節
題:回復
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:357、414



○聖書研究祈祷会 水曜日(3月16日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝6章8-15節
題:恵みと力に満ちた人
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:260、7、252



○主日歓迎礼拝 来週日曜日(3月20日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書4章14~16節
交読文:11  詩篇32篇
聖書:ローマ書3章10~18節(10)
題:義人はいない、ひとりもいない
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:19,112,264

2016/03/06

主日礼拝「祈りにおける確信」

礼拝メッセージ「祈りにおける確信」ヨハネの第一の手紙5章5章13~17節


長谷川和雄師


受験生のために手を繋いで祈る
Ⅰ. 永遠のいのち。

ヨハネの福音書の目的は、主を救い主と信じ、主の名によって命を得ることです(ヨハネ20:31)。ヨハネの手紙は、人が御父と御子との交わりに与り(1:3-4)、主の名を信じ、頼り、主につながり、いのちに与り、主に委ね、神の最善を待ち望む者に「永遠のいのち」があることを悟らせるためです(13)。そのいのちは、とこしえからとこしえまで存在される神のいのちであり、生ける主に満ち溢れたいのちです。もし、罪深い者の命が滅びないとしたら忌まわしく、重荷であり不幸です。永遠のいのちは、死後や、いつか与えられるものではなく、生かされている今与えられ、祈りを通して神と交わり、神の恵みと祝福を受け、肉体が滅びても永遠に神と交われるいのちです。ですから、日々神と交わる時、神の確実な知識を、体験的に知り、悟るのです(3:2)。

Ⅱ. 祈りに於けるクリスチャンの確信。

  1. 主を信じて神の子とされた者は、神に全てを打ち明け、大胆に祈ります。その祈りを神は聞かれると確信をもちます(14、3:21-22)。もし、心に責められる罪があるなら、神に告白し、十字架の血潮を仰ぎ、赦しの確信を頂いて、神に近付き祈りましょう(エペソ3:12)。
  2. 神の最善を知ると、祈りが、信仰的、倫理的、人格的で習慣的な生活となり行動となります(ローマ8:28)。神を愛する者の祈りは、空しくなりません(マタイ7:9-11)。
  3. しかし、自分中心、身勝手、近視眼的、愚かで感情的、非道徳的、本能的、衝動的、非理性的な祈りは聞かれません(ヤコブ4:3)。聞かれる祈りをするためには、私たちには何が最善で、何が益なのか分かりません。ですから、自分の思いや願いに固執し、こだわり続けることなく、神に全てを委ねて祈りをしましょう(5:14、ローマ8:26-27)。神に委ねた祈りのうちに、私たちの願いを祈るうちに、神のみこころを知り、神の喜ばれるみこころに沿った祈りに変えられ、祈りが聞かれるのです。そして、神は、世とは異なる祈りに導き、神を讃える祈り、御名を賛美する祈りに導かれるのです。主も父なる神に委ねたように(マタイ26:39-44)、神に全てを委ねることが、神のみこころを知る秘訣です。

Ⅲ. 執り成しの祈り。

  1. 祈りの確信は、互いに愛し合う者として、執り成しの祈りに導かれます。しかし、その祈りは「死に至ることのない罪」(16)を犯している者のために祈るなら、永遠のいのちを賜ります。「死に至る罪」(16)とは、永遠の滅びに至る罪です(ローマ6:23)。肉体の死のことではありません。神との交わりが永遠に絶たれることです。聖霊を汚す罪と、主の血潮によってきよめられ(1ヨハネ1:7)、神と交わりをした者が、神を拒み、逆らい続ける者のために、「願い求めよ、とは言わない」(17)のです。この罪は神に対する罪ですから、神が裁きます。私たちは勝手に裁かないで、日々十字架の血潮を仰ぎ、魂のために執り成し続けましょう。
  2. 私たちは誰にでも、福音を伝えましょう。伝えても信じないなら、神の憐れみにすがり、祈ることしかできません。執り成しの祈りをしないことは、兄弟姉妹の噂話や陰口よりも、大きな罪ではないでしょうか。パウロは執り成しの祈りを求めました(1テサロニケ5:25、エペソ6:19、ヘブル13:18)。また、モーセの執り成しは民に勝利をもたらしました(出エジプト17:8-13)。
  3. 私たちが心を合わせて祈るとき、神は勝利を与えてくださいます。主の十字架の血潮を大胆に示し、愛し赦せるように祈りましょう。主は執り成しの祈りに導いてくださいます。


教会の各活動


午後は、教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(3月8日)10:30~12:00


聖書:使徒行伝3章26節
題:祝福にあずからせる
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:175、206



○聖書研究祈祷会 水曜日(3月9日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝6章1-7節
題:教会の組織化
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、414、435



○主日礼拝 来週日曜日(3月13日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書45章22節
交読文:4  詩篇18篇
聖書:Ⅰヨハネ5章18-21節
題:神から生まれた者と世
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:20、448、354