2016/12/12

12/23「クリスマスキャンドルライトサービス」のお知らせ

※この記事は、12/23の「クリスマスキャンドルライトサービス」のお知らせです。

京都信愛教会では今年も、「クリスマスキャンドルライトサービス」を行います。

ろうそく(安全のため LEDでの模擬的なものです)の灯りの下で、クリスマスの賛美を歌い、聖書の言葉を聞き、クリスマスメッセージを聞きます。


どなたでも入場無料です(信徒かどうかを問いません)。

詳しくは、下のチラシをご覧ください。




■日時


2016年12月23日(金) 19:00~20:30


■内容

  • クリスマスの賛美
  • 聖書の言葉
  • クリスマスメッセージ
  • 献金(自由です) 

 ■会場・お問い合わせ


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい

※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2016/10/08

ファミリーコンサート(10/30)のご案内

※この記事は、10/30の「ファミリーコンサート」のお知らせです。

昨年好評いただいたファミリーコンサートが帰ってきました!

京都信愛教会の教会員や家族が、それぞれ楽器や声楽で、いろいろな音楽を奏でます。

賛美歌を始め、クラシックや童謡、「花は咲く」まで、いろんな音楽を楽しみましょう♪

ご家族、ご友人の方々もぜひ、お越しください!
詳しくは、下のチラシをご覧ください。




■日時


2016年10月30日(日) 13:30~15:00

■演奏者:京都信愛教会の教会員、家族、友情出演の計9組


賛美歌を始め、クラシックや童謡、「花は咲く」まで、
それぞれの演奏者がどんな思いを持って演奏するのかの紹介を兼ねて、奏でます。

■当日 午前(10:30~12:00) は  【特別歓迎礼拝】  です


メッセージ: 三村百合子師 (西舞鶴教会牧師夫人)

関西聖書神学校卒業後、当教会で伝道師を務められていました



■会場・お問い合わせ


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい
※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2016/07/03

主日礼拝「神のみこころは聖くなること」

礼拝メッセージ「神のみこころは聖くなること」テサロニケへの第一の手紙4章1~8節


長谷川和雄師



患難の中、恵みの内に成長し、まだ若く欠けがあるテサロニケ教会の群を頭ごなしに叱責しないで、彼らの信仰生活を全面的に容認し、ますます信仰にあふれ、神の臨在を覚え、現状に満足することなく、神を喜ばす生活を勧めます(1、ガラテヤ1:10)。相手を認めない叱責は、落胆と反発を招きますが、受け入れてからする忠告は、人を励まし矯正に導きます。この意味でも使徒は、伝道者であると共に最良の牧会者、教育者でした。

Ⅰ. きよい生活


神は、私たちを「聖徒として召」(1コリ1:2)し、召した聖徒を、「御子のかたちに似たもの」(ロマ8:29)にするために、クリスチャン生活の全てに聖化を勧めました。アテネ市民は、常に目新しい話題を渇望していましたが(使徒17:20)、使徒の勧めは新しい戒めではなく、すでに主の命令として彼らに教えられたものでした(2)。新しい教えは進歩的だと考えられ、色々な神学が次々と登場し、道徳においても状況倫理的発想が教会内にも浸透しています。しかし、クリスチャンが立つべき土台は、変らない主の教えと命令です。

Ⅱ. 聖潔への道


テサロニケ教会は異教社会にあり、クリスチャンになる前の古い性質、融通性や曖昧さ、形にこだわる習慣的な罪に、自覚的に取り組む必要がありました。一度覚えた罪の感覚は、信仰的に低迷すると再びよみがえります。ギリシヤ世界では、性的乱れを避ける罪として捉えない道徳感覚あり、「不品行」(3・性的なあらゆる形の罪)を教会内に持ち込む危険がありました。不品行を避けるだけでなく、「清く尊く保」(4)つ、積極的な勧めに従うことが大切です(1コリ6:18)。私たちの体は禁欲や放縦の対象ではなく、聖潔の対象とすべきです。神を畏れない人は、人間の欲望を全面肯定することこそ(5)、自然で人間本来のあるべき姿であり、活力と魅力に溢れていますと言います。

Ⅲ. 聖く生きる3つの理由



  1. 神のさばきがある(6)。不品行の罪が満足や充実感を与えても、その人は神の正しいさばきの前に最終的に必ず引き出されることを覚えるべきです。不品行の罪は相手あってのことなので、相手や家族、社会に連鎖的に多大な不幸をもたらします。聖く、責められない実生活は、神の前での究極的評価を考えることなしにはあり得ません。
  2. 聖潔への召し。神の民として召されたのは、清い生活をする目的のために召されたのです(7)。罪深い人間の親でも、子どもが清く歩めるようにと願うように、完全に聖い神は、神の子どもとされた者の歩みが聖さに歩むことを望んでいます(2ペテ3:11)。
  3. 聖霊の聖めのわざの約束。神は、罪に汚れた人間をむち打ち、聖く歩めと強要する方ではありません。聖い歩みを命令すると共に、実現を可能にする力を私たちに与えられます(8)。不品行、汚れ、好色などの肉の行いを生み出す者が、聖霊に満たされて歩む時、豊かな御霊の実を結ぶ者へと聖められ(ガラ5:22-23)、変えられていくのです。神を喜ばせる良い行いがないにもかかわらず、主の十字架上の贖いのゆえに無条件で罪が赦されるように、何一つ聖い思いや行いができない無力な私たちに、神は聖霊によって聖めの力を常に与え続けます。でも、自分の弱さに甘えて罪を犯し、聖い歩みを軽視することは神に対する最大の侮りであり、聖霊なる神を拒絶することです(8、エペ4:30、マタ12:32)。み言葉を軽んじ、聖霊を拒んで、内外に光を失うことのないように、いつも十字架の福音に生かされ、神の臨在を覚えて歩みましょう。





教会の各活動


午後は、教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(7月5日)10:30~12:00


※教区婦人部修養会のため休会します

○聖書研究祈祷会 水曜日(7月6日)19:30~21:00


聖書:ヤコブ書5章15節
題:神様の約束に立って
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:195、251、282

○主日礼拝 来週日曜日(7月10日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:36  詩篇116篇
聖書:第1テサロニケ書4章9-12節
題:落ち着いた生活
説教者:長谷川和雄師

新聖歌:27、104、385

2016/06/26

主日礼拝「主にあって堅く立つ者」

礼拝メッセージ「主にあって堅く立つ者」テサロニケへの第一の手紙3章6~13節


長谷川和雄師



有志の特別賛美の様子
悪い知らせは心に痛みと悲しみを与えますが、良い知らせは喜びと感謝と励ましを与えます。迫害下のテサロニケの信者の信仰や相互愛が冷え、サタンの誘惑に敗北していないか不安でした。しかし、帰ってきたテモテの知らせは吉報でした(6)。その吉報の内容、効果、更なる祈りを学びましょう。

Ⅰ. テモテの吉報


パウロは吉報をコリントで聞きましたが(使徒18:1,5)、実に喜ばしい内容でした。


  1. 信仰。テサロニケの信者は主にあって固く信仰に立っていました。信仰とは、神に対する当然の態度で、神を知り、神を愛し、信頼し、従うことを含む言葉です。彼らの信仰は、次々と襲う艱難の中でも揺るぐことなく、試みる者から守られ(5)、信仰を勝ち取り、信仰の火は燃えており、感謝で喜ばしい吉報でした。
  2. 愛。その愛は、兄弟のために重荷を負い、犠牲を払い、労苦をいとわず、自分を与える愛です(1:3)。また、迫害する同国人の救いのために熱心に祈り、諸教会への兄弟愛を持ち続け(2コリ8:1-5)、神を愛し、隣人愛であふれていました。
  3. 再会を熱望。パウロは再会を熱望していましたが、テサロニケの信者は、周りの人々がパウロへの中傷や非難を聞いても、信仰と愛の指導者への好意、親切、尊敬と信頼は揺るぎなく、いつもパウロのことを覚え、彼に会いたがっていたというのです。


Ⅱ. テモテの吉報の効果


吉報との言葉は、主の救いだけに使う福音との原語を用いて表現しました。テサロニケの教会の人々が困難に囲まれ、艱難に耐え、神への信仰、兄弟愛、み言葉への尊敬と従順を堅く堅持していたのは、選びの民への約束を果たし、神が守り、支え、導き、養い、神の恵みの真実ゆえでしたから吉報だったのです。


  1. 慰め。コリントにいたパウロは苦難と艱難の中にあり(使徒18:8-11)、神の励ましが必要でした。しかし、苦難と艱難の中にあるテサロニケの信者の神に対する信仰、兄弟愛、み言葉への尊敬と従順を堅く堅持しているとの事実は、み言葉を伝えるパウロにとって福音であり、慰めであり、純粋な励ましを与えられ、生きがいを覚え、伝道への力と勇気と希望をもてたのです(8、ピリピ1:21-22、1コリ15:31-32)。
  2. 神への感謝。テサロニケの信者の信仰の堅持は、人間的な見方ではパウロの働きの結果です。しかし、パウロの見方はまったく異なります。彼らの信仰の堅持は、御子の贖いのみ業によって、神の国を成就するという、救いのご計画の遂行以外の何ものでもないので、神に感謝するのです(9)。神のみ業の器である人間を褒め、神の栄光を奪ってはいけません。


Ⅲ. 吉報からさらなる祈り


パウロはこの吉報で有頂天にならず、彼らのために執り成しました。


  1. 神による再会。パウロは再会を切望しましたが、自分の願いや努力、考えや計画ではなく、神の導きと支配に全く委ねて祈った(2:17、3:6、10-11)。「道を開く」のは人間業ですが、神が開く道は最善の道です。
  2. 愛の増加。神の愛にますます満たされ、自己愛の除去を祈りました(11-12)。兄弟相互の愛は一致を生み出し、信仰が堅持され、教会外の人への愛が生まれます(ルカ6:27-28)。
  3. 再臨の備え。再臨に備えて、世の試みや惑わしに動じず、堅く立ち続ける様に祈りました(13)。終末の前兆として、多くの人たちの愛が冷え(マタイ24:12)、道徳的荒廃が予告されています(2テモテ3:2-5)。愛と聖さが急速に喪失されていく中で、主の再臨の希望に満たされ、追い求めていく者であらせていただきましょう。





ボウリング大会の様子

教会の各活動


午後は、CS初夏のレクリエーション(ボウリング大会)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(6月28日)10:30~12:00


聖書:ピリピ書1章20節
説教者:長谷川ひさい師
題:キリストがあがめられること
新聖歌:190、428

○聖書研究祈祷会 水曜日(6月29日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝9章1-9節
題:ダマスコ途上のサウロ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:258、428、429

○主日礼拝 来週日曜日(7月3日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書10章19-22節
交読文:19  詩篇51篇
聖書:第1テサロニケ書4章1-8節
題:神のみこころは聖くなること 説教者:長谷川和雄師

新聖歌:264、372、379

2016/06/19

主日礼拝「神の訓練と父の訓練」

礼拝メッセージ「神の訓練と父の訓練」ヘブル人への手紙12章1~13節


長谷川和雄師



父の日(父に感謝する日)は、1909年に米国ワシントン州のJ.B.ドット夫人が、男手で自分を育てた父に感謝し、牧師に願い、父の誕生月の6月に行った記念礼拝がきっかけで、1916年米国28代大統領ウィルソンの時に父の日が認知され、1972年米国で国民の祝日に制定されました。日本では1950年代頃から知られるようになりました。父と子の関係が悪いと非道徳的で、反抗的な子どもになると言われますが、父として、どうあるべきかを聖書から学びましょう。

Ⅰ.神の勧めの言(1-6)


  1. 私たちは罪と取り組み闘う時、血を流す程に抵抗せずに負けています。しかし、私はできないが、主の十字架は自分の罪の贖いと認め、信じる時、罪から救われます。主が十字架の辱め、苦しみに絶えたことを思う時、また、多くの聖徒たちの証が、私たちも絶えられるようにしてくれます。このことから、父と子のことを考えましょう。
  2. 神のみ手は喜ばしい時だけでなく、困難な時、苦しい時も働いておられます。しかし、私たちはそのことを忘れ、本気で受け止めないで、苦難が襲うと神に見捨てられたと考え、意気消沈し、主の訓練を無視し、自己憐憫、不平不満、怒り、反抗、諦め、神との関係が崩れます。主はみ言葉と聖霊により罪を示し、訓練し、主の下に帰るように導きます。私たちは主の愛の懲らしめ(訓練、鍛錬、教え)を受ける時、弱り力を落とさず、深く心に留め、主の喜ばれる正しい道に導いていただきましょう。

Ⅱ.肉の父と霊の父の訓練(7-10)


  1. 肉の父としての訓練は難しく、厳しく叱り過ぎれば虐待となりますが、祭司エリのように、子どもたちを甘やかしてはいけません(サムエル上2章)。悪は悪と教え諭し訓練するなら、子どもたちはすぐ切れたり、何でも拒んだり、飽きやすくはならないでしょう(巨人の星の話)。また、親になった時に、子どもを怖がったり、何もできないと怒り狂う人にならないでしょう。
  2. 父は、愛する我が子を罪の道に行かないように訓練します。神は、父が子どもを育て、教育し、訓練する義務を与えています。しかし、訓練(懲らしめ)の後が重要で、子どもが謝ったら赦し、共に涙し、スキンシップが大切です。主は神を父と慕い訓練を受け、従順を学ばれました(ヘブル5:7-10)。ソロモンは、その子レハベアムを箴言で教えましたが、自らの晩年は不敬虔であり、レハベアムは父を無視しました。私たちは死に至るまで、主の臨在を覚え、神を畏れる者であらせていただきましょう。
  3. 私たちは、主にあって神の相続人なのですから(ガラテヤ4:6-7)、神の前から逃げたり、自己憐憫しないで、愛の神の訓練と罰と受けとめ、「神よ、憐れんでください」と、常に主により頼みましょう。患難は錬られた品性を生み出します(ローマ5:3-4)。父として主の薫陶(主の徳で人を感化し教育する)と、訓戒(み言葉から善悪を説き教える)によって、子どもを育てましょう(エペソ6:4)。

Ⅲ.訓練の実(10-13)


神は愛する魂の霊的形成に時をかけて、3つの実を結ばせてくださいます。

  1. 主の訓練を通して、最善をなし、主の聖さに与らせてくださいます。
  2. 「…する方法」でテクニックを学ぶのではなく、み言葉と深く対座し、祈りによって十字架を仰ぎ、魂が砕かれ、心に平安を得、神のみこころを知って、みこころに従い平安な義の実を結び、神の臨在の前に正しい道を歩ませてくださいます。
  3. 訓練は苦しいが、その実は甘いものです。愛するがゆえの主の訓練と受けとめ、誠実・忠実に主に従い、キリストのかおりを放つ者とならせていただきましょう。



父の日 中高科特別賛美の様子

教会の各活動


午後は、会場係/受付/誘導/音響奉仕者の合同の打ち合わせ、CS教師会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(6月21日)10:30~12:00


※教団牧師夫人研修会のため休会します



○聖書研究祈祷会 水曜日(6月22日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝8章26-40節
題:聖霊の導きに従う
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:361、357、416



○主日礼拝 来週日曜日(6月26日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書10章19-22節
交読文:58  第1コリント書15章
聖書:第1テサロニケ書3章6-13節
(中心聖句:3章8節)
題:主にあって堅く立つ者
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、196、390

2016/06/12

主日歓迎礼拝「キリストのかおり」

礼拝メッセージ「キリストのかおり」コリント人への第二の手紙2章14~15節


長谷川ひさい師



今日は花の日です。160年前、米国の牧師が少年少女を信仰に導くための宗教教育を強調するために、6月第2日曜日に特別礼拝を行った事が起源です。教会に花を飾り、神を賛美し感謝することを教える花の日としました。1866年メソジストの年会で子どもの日として教会行事として制定し、病院や警察や社会施設を慰問するようになり、私たちもCSの子どもたちと、今朝、介護施設を慰問しました。今朝のテキストから神のみこころを教えていただきましょう。

Ⅰ. 主の勝利



  1. 勝利の凱旋。パウロは当時、ローマの凱旋将軍が戦利品とともに帰還行進する時、民衆は月桂樹や花の枝をかざして出迎え、祭司たちは行列に加わり香炉で香を焚きました。
  2. かおり。かおりの語源は「ユーオディア」で、「最高・最上のかおり」という意味です。「キリストの香ばしいかおり」とは、主の十字架の死、十字架上で流された血潮を示しています(エペソ5:2)。


Ⅱ. 人間の創造



  1. 神による創造。創世記1章に、全てのものが神によって創造され、最終の目的である人間が創造されたことが記されています。同志社大学創設者である新島襄は、この神による人間の創造のみ業を知ってから人生が変えられました。私という存在は、神によって創造されたとのみ言葉に立つ時、人間の神の創造の意図や目的を知りますが、自然発生的で偶然の産物と考えると人生は目的も意味もなくなり、全く違う人生観になります。
  2. 神に愛されている人間。私たちを創造した神は、他人や私たちがどのように言い、感じ、思っても、常に私たちを守り導き(詩篇22:9-10)、憐れみ(詩篇103:13)、私たちを高価で尊い存在として、大切にし、愛してくださる(イザヤ43:4)と、神のラブレターである聖書は記しています。
  3. 神に背いた人間。神に創造された人間が、サタンの誘惑に負けて神の命令に背き罪を犯し、神との愛の関係を壊し、神を捨て、神から離れてしまい、神は嘆き悲しみ、人間の心を捜し求めました(創世記3:9)。神は人間を愛されますが、罪は嫌いなので罪を見過ごしにされません。罪を裁きますが、人間を救う道を予告しました(創世記3:15)。


Ⅲ. 人間の救い



  1. 人間を救う道。神は人間の罪を裁くために、神のひとり子の主イエスをこの世に送り、人間の罪の身代わりに裁き、辱め、苦しめ、殴り、鞭打ち、釘で十字架に打ち付け、野ざらしにし、槍で刺し、神に見捨てられました。神は、私たちが当然受けなければならない刑罰を、尊い神のひとり子のイエス様のいのちによって完全に贖われました。私たちの代価は主の命でした。何と大きな愛であり、これ以上の代価は他にありません。主は3日目に死からよみがえり、主の贖いのみ業を信じる者を死の呪いから解放し、永遠のいのちを与えてくださるのです(ヨハネ3:16)。
  2. キリストのかおり。主の贖いのみ業によって、主の最上の愛の香ばしいかおりが立ち上りました。このことをパウロは「キリストのかおり」と表現し、このかおりは主を救い主と信じ受け入れた人々の内にかおりとなり、救われる者や滅びる者が起こされるのです(15)。何と光栄なことで、責任が問われることでしょうか。私も宣教師や多くのクリスチャンの「キリストのかおり」が、み言葉の証拠となりました。私たちも日々の生活を通して、いつでも「キリストのかおり」とされ、主の愛と希望を満たせるように、主にしっかり繋がり、日々十字架を仰ぎつつ、日々のデボーションを保ち、主に頼りつつ、み言葉に生かされて歩みましょう。




教会の各活動


午後は、会堂大掃除(壮年会、婦人会、青年会合同)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(6月14日)10:30~12:00


※会堂外壁塗装工事のため休会します

○聖書研究祈祷会 水曜日(6月15日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝8章14-25節
題:神のみ前に正しい心
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:450、369、104

○主日礼拝 [父の日] 来週日曜日(19日)10:30~12:00


招詞:申命記6章4-5節
交読文:32  詩篇103篇
聖書:ヘブル書12章1-13節
(中心聖句:12章11節)
題:神の訓練と父の訓練
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、303、102

2016/04/23

チャペルコンサート(アンサンブルグレース)のご案内

※この記事は、5/22の「チャペルコンサート」のお知らせです。

京都信愛教会ではこの5月、恒例のチャペルコンサートを行います。

今回は京都福音自由教会のメンバーを中心に結成された音楽グループ「アンサンブルグレース」をお招きして、ヘルマンハープの演奏をしていただきます。

どなたでも入場無料です。「教会に一度は足を運びたかった」という方も、ぜひお越しください。

詳しくは、下のチラシをご覧ください。




■日時


2016年5月22日(日) 13:30~15:00

■音楽ゲスト:アンサンブルグレース


京都福音自由教会の教会員を中心に2007年に結成。
2012年2月の「東日本大震災復興祈念コンサートin京都」などに出演。
「老いてもなお気品溢れ、置かれたところで美しく咲く」をモットーに、病院・介護施設などでボランティア演奏を積極的に実施。
ヘルマンハープを用いての心温まる演奏が高く評価されている。

■「ヘルマンハープ」とは?


ドイツ・バイエルン州の農場主、ヘルマン・フェー氏によって1987年にダウン症の息子のために開発されたドイツ製ハンドメイドの弦楽器。
音色の美しいヘルマンハープの噂は、口コミで、オースリアやスイスへも広がっていきました。
障がい者も健常者も、また、音楽経験の有無を越えて、誰もが共に素晴らしい音色で演奏を楽しめる世界が誕生しました。


■曲目(予定)

モルダウ、アメイジング・グレイス、海の見える街、愛の挨拶、など


■会場・お問い合わせ


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい
※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2016/04/17

主日礼拝「信仰と愛と希望に生きる」

礼拝メッセージ「信仰と愛と希望に生きる」テサロニケへの第一の手紙1章1~3節


長谷川和雄師


Ⅰ. テサロニケの概要


パウロたちの第2次伝道旅行の時、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」との幻を見て(使徒16:9)、ピリピ、テサロニケ、ベレヤ、アテネ、コリントを伝道した時の実です。この書簡の簡潔な挨拶の言葉は、パウロの言葉を神の言葉として受け入れ(2:13)、神とキリストとしっかり結ばれたテサロニケ教会は、彼からも信頼され親しい関係にあることを示し、私たちの望みの中心である主の再臨を待望し、困難な中でも永遠に勝利するのです。

Ⅱ. 絶えない感謝と祈り


  1. パウロは父なる神と主が与える「恵みと平安」を祈ります。受けるに値しない者に示される神の一方的な愛である主の十字架の救いにおいて、罪人に示されたものが「恵み」です。贖いのみ業により罪を赦され、神との敵対関係が解消され、神との平和が与えられ、魂に「平安」が与えられるのです。
  2. パウロの祈りと感謝の表現は、「いつも」「すべて」(新改訳)「絶えず」です(参照5:16-18)。主もパウロも、祈りに十分な時を持っていたのです。

Ⅲ. 感謝の内容


パウロがテサロニケ教会のことで感謝する時、思い起したことは、彼らの「信仰・愛・望み」(3)であり、クリスチャンの最も優れた徳性です。パウロは、3つの徳性に具体的な内容を付け加え、信仰には「働き」、愛には「労苦」、望みには「忍耐」と、彼らの信仰が上辺だけではないことを示します。

  1. 信仰。テサロニケの教会の信仰は生きて働く信仰であり、行動に至る信仰でした。空しい口先の観念だけにとどまる信仰ではなく、み言葉に生きました(ヤコブ2:26、テトス1:16)。神に全く拠り頼む心から神のみこころを求め、示されたなら無理なく従って働きが伴い、祈りを積み主にあって一致の心が生まれます。私たちは日々のデボーションよって、働きの伴った信仰を養いましょう。
  2. 愛。テサロニケの人々の愛は、労苦を伴う愛であり、喜んで他人の重荷を取り除き、助ける苦労をいといませんでした。笹尾鉄三郎師は、「あなたの動機は愛か欲か」と言いました。主の十字架こそ愛の労苦の結晶です。教会の十字架は単なるシンボルではなく、主の愛を覚え、その愛に生きることを勧めています。自分の楽しみや自分の勢力拡大、目の保養のためにお金や時を用いるのではなく、主に喜んでいただける奉仕や献金は、何と麗しいことでしょうか。
  3. 希望。彼らの希望には忍耐が伴いました。その忍耐は「主イエス・キリストに対する望み」であり、私たちの内面に練られた品性を生み出し(ローマ5:4)、どんな情況下でも望みを失わずに歩み続ける勇気が与えられます。しかし、私たちの最終的希望は主の再臨です。その時、栄化され、神の怒りから救われ、神のみこころがなされることに目を留めるので、この世に希望を抱かず、主の来臨と未来の栄光の望みに向かって忍耐するのです。よく思われること、偉くなること、得をすることなどは糞土のように思います。しかし、この望みに生きると妨害が起こりやすいのですが、賢い乙女を思い起こしましょう(マタイ25:1-13)。この忍耐の希望は、どんな時代でも有能なクリスチャンのしるしです。テサロニケの教会は、迫害や困難の中にありながら、信仰、愛、望みの実を豊かに結びました。そして、パウロたちはそのことを絶えず思い起し、祈りの度に神への感謝で満たされていたのです。

私たちはしっかりと望みの基である主を仰ぎつつ信仰の歩みを続け、主の十字架を仰ぎつつ、愛の労苦を惜しまずにささげる者とされたいものです。



京都聖会祈祷会の様子

教会の各活動


午後は、京都聖会祈祷会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(4月19日)10:30~12:00


聖書:詩篇30篇5節
題:待つ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:218、177



○聖書研究祈祷会 水曜日(4月20日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝7章17-43節①
題:モーセとイエスの共通点
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:263、371、316



○主日礼拝 来週日曜日(4月24日)10:30~12:00


招詞:ローマ書12章1-2節
交読文:3 詩篇16篇
聖書:第1テサロニケ書1章4-10節
題:模範的な教会
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、464、102

2016/04/10

主日歓迎礼拝「新しく造られた者」

礼拝メッセージ「新しく造られた者」コリント人への第二の手紙5章15~21節


長谷川ひさい師


今朝のみ言葉から新しく造られた者とは、どういうことなのかを学びましょう。今日の中心聖句は、誰でも主を信じるならば、マンネリの人生でなく新しい人生が始まる事が記されています。新しくなるとはどのような事でしょうか。

Ⅰ.生きる目的が新しくなる


  1. 主のために生きる。「生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きる」(15)。自分のために生きる自己中心の生活から、主のために生きるイエス様中心の生活に変えられます。
  2. ある方が、主を信じるまでは自分のことしか考えない生活をしていました。自分の得するための生活は、幸せそうに見えても心の中はわびしいものでした。しかし、今は違います。主のために生きることが喜びとなり、他の人の救いのために祈り労することが喜びとなりましたと証ししています。
  3. パウロは主の復活を信じられませんでしたが、復活の主に声をかけられ、主に出会い、今まで自分がしてきたことはどんなにひどいことであり、自己満足のためでしかないことを知らされ、主のために生きる生活に変えられたのです。

Ⅱ. 価値観が新しくなる


主を知ることが最高です。「世間の評判や、外見の良し悪しで、クリスチャンを評価するのはやめなさい。以前、私は、その誤った考え方で、キリスト様のことを、単に自分と同じ人間とみなしていました。しかし今では、その考えは一変しました」(16・リビングB)。主を知るまでのパウロは、この世の知識や学歴、血筋や地位などに最大の価値を認めていました。ところが、主のすばらしさを知ってからは、今まで価値があると思い込んでいたものが、何もかもみなつまらないものへと価値観が変えられました。「主であるキリスト・イエスを知っているという、途方もなくすばらしい特権と比べれば、ほかのものはみな、色あせて見えるのです。私は、キリスト様以外のものは、がらくた同然にみなし、全部捨ててしまいました。それは、キリスト様を自分のものとするためであり、また、もはや、良い人間になろうとか、おきてに従って救われようとか考えるのはやめて、ただキリスト様を信じることによって救われ、キリスト様と結ばれるためです。神様が、私たちを正しい者と認めてくださるのは、信仰―ただキリスト様だけに頼ること―を持っているかどうかで、決まるからです」(ピリピ3:8-9・リビングB)。

Ⅲ.神との関係が新しくなる


  1. 神との和解が成立した(18)。救われる以前の私たちは、神に対して不敬虔な罪人であり、神に敵対する者でした(ローマ8:7)。そんな者のために主は十字架の上で「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)と執り成し、いのちを投げ出し贖い、その贖いのみ業を信じる者は神との和解が成立するのです(ローマ5:1)。また、罪の代償は主ご自身の血潮によって全て解決され、神との交わりが回復し、何でも自由に祈れるのです。
  2. 神の子とされました。「受け入れた人はみな、この方から、神の子供となる特権をいただきました」(ヨハネ1:12・リビングB)。

Ⅳ.主とつながることによる新生


人は生まれ変わりたいと願っても変われません。渋柿が甘い実を実らせるには甘柿に渋柿の木を接木するほかないように、私たち人間も渋く苦い、罪の実しか結べない者が、主につながることによって喜びと賛美の甘い実を結ぶように成れるのです。主の十字架の傷口に、私たちの悔い改める心で結ばれる時、主の復活の力が内側から働き、全く新しい実を結ぶ者に変えられるのです。主にしっかりつながれましょう。




教会の各活動


午後は、教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(4月12日)10:30~12:00


聖書:マタイによる福音書18章33節
題:あわれみ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:190、356



○聖書研究祈祷会 水曜日(4月13日)19:30~21:00


聖書:エゼキエル書37章7-10節
題:リバイバル
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:195,276,419



○主日礼拝 来週日曜日(4月17日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:21 詩篇62篇
聖書:1テサロニケ書1章1-3節
題:信仰と愛と希望に生きる
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:9、358、465

2016/03/13

主日礼拝「神から生まれた者と世」

礼拝メッセージ「神から生まれた者と世」ヨハネの第一の手紙5章18~21節


長谷川和雄師


Ⅰ. クリスチャンは神から生まれた者(18)…

神から生まれた者とは、クリスチャンのことであり、主を信じた時から永遠のいのちに生かされ続けています。各家の子どもに特権と義務があるように、クリスチャンにも特権と義務があります。クリスチャンの義務は罪を犯し続けないことです。罪の中に生き続けることは、神の子としてふさわしくありません。しかし、神から生まれた主が私たちを守ってくださるので、悪い者は私たちに触れることさえできません。罪を犯していることに気付かされた時、神の助けを求め、拠り頼みつつ、罪の中に生き続けないことです。

私たちがすべきことは、神のみこころを行い、命令を守ることです(5:3)。神の命令とは、主の御名を信じ、互いに愛し合うことです(3:23-24)。悪魔は神によって生まれた者を誘惑してきます。しかし、御子が私たちを守ってくださいます(ヨハネ10:28、17:12、15)。神によって生まれた者は、このような恵みと祝福の中を生きることができるのです。なんと感謝なことでしょう。

Ⅱ. クリスチャンはこの世から聖別された者(19)…

主を信じる者は神のものとされ、神に属する者なのです。注意すべきことは、世は悪い者の支配下にあるので、教会の中に世を取り入れてはいけないということです。この世では人をたてて利用するために主を排除したり、恵みや愛を強調して、真の悔い改めを無くしたりしてしまいます。神への縦軸と人への横軸のバランスが大切です。ただ赦すだけでなく、然りは然り、否は否とし、戒めることも必要です。

この世は学力重視で、知識豊富な人が優れているかのようにもてはやされます。しかし、教会では聖書知識の多少ではなく、イエスを自らの救い主として仰いでいるか、主により頼む生活、祈りの生活の有無が問われます。私たちは何が一番になっていますか。地位や名誉、財力や学力など、世のものですか。私たちを救うために、十字架の上で血を流してくださった主を一番に愛する者とならせていただきましょう。主を信じる者の国籍は、この世ではなく天です。この世で見出され、召し出され、聖別された者として生きることが主の臨在を持ち運ぶクリスチャンの生き方です。

Ⅲ. クリスチャンはまことの神を知る者(20)…

クリスチャンは神と交わる永遠のいのちを持っている者です。主はこの世に来られただけでなく、一人びとりの内にも来てくださり、共に歩み、真実な父なる神を知る理解力を与えてくださいます。私たちは永遠のいのちが与えられたことにより、真実な神を生活の中で知ることができるのです。

神の光の内にある時、自分の本当の姿が見えてきます(1:5)。神は愛そのものであり、神の愛を知る時、真実な愛が分かるようになります(4:8)。主を第一として生きることは、永遠のいのち、つまり、唯一のまことの神と、主ご自身を知ること(ヨハネ5:26、17:3)に生きているといえるのです。

Ⅳ. 最後の奨励(21)…

ヨハネが偶像に警戒するように勧めるのは、当時も偽教師や偶像があったからです。偶像にはいのちがなく、世に満ちており、罪を好んで行う生活や、間違った知識があり、きよい光も、愛もありません。

私たちは神から生まれ、世から聖別された者として生活し、主の臨在を持ち運ぶ者となっているでしょうか。クリスチャンとされた私たちは、筋の通った歩みをする者と、主にあってならせていただきましょう。


教会の各活動


午後は、婦人会(愛餐会)、教区青年親睦会(天授ヶ岡教会)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(3月15日)10:30~12:00


聖書:創世記16章9節
題:回復
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:357、414



○聖書研究祈祷会 水曜日(3月16日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝6章8-15節
題:恵みと力に満ちた人
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:260、7、252



○主日歓迎礼拝 来週日曜日(3月20日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書4章14~16節
交読文:11  詩篇32篇
聖書:ローマ書3章10~18節(10)
題:義人はいない、ひとりもいない
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:19,112,264

2016/03/06

主日礼拝「祈りにおける確信」

礼拝メッセージ「祈りにおける確信」ヨハネの第一の手紙5章5章13~17節


長谷川和雄師


受験生のために手を繋いで祈る
Ⅰ. 永遠のいのち。

ヨハネの福音書の目的は、主を救い主と信じ、主の名によって命を得ることです(ヨハネ20:31)。ヨハネの手紙は、人が御父と御子との交わりに与り(1:3-4)、主の名を信じ、頼り、主につながり、いのちに与り、主に委ね、神の最善を待ち望む者に「永遠のいのち」があることを悟らせるためです(13)。そのいのちは、とこしえからとこしえまで存在される神のいのちであり、生ける主に満ち溢れたいのちです。もし、罪深い者の命が滅びないとしたら忌まわしく、重荷であり不幸です。永遠のいのちは、死後や、いつか与えられるものではなく、生かされている今与えられ、祈りを通して神と交わり、神の恵みと祝福を受け、肉体が滅びても永遠に神と交われるいのちです。ですから、日々神と交わる時、神の確実な知識を、体験的に知り、悟るのです(3:2)。

Ⅱ. 祈りに於けるクリスチャンの確信。

  1. 主を信じて神の子とされた者は、神に全てを打ち明け、大胆に祈ります。その祈りを神は聞かれると確信をもちます(14、3:21-22)。もし、心に責められる罪があるなら、神に告白し、十字架の血潮を仰ぎ、赦しの確信を頂いて、神に近付き祈りましょう(エペソ3:12)。
  2. 神の最善を知ると、祈りが、信仰的、倫理的、人格的で習慣的な生活となり行動となります(ローマ8:28)。神を愛する者の祈りは、空しくなりません(マタイ7:9-11)。
  3. しかし、自分中心、身勝手、近視眼的、愚かで感情的、非道徳的、本能的、衝動的、非理性的な祈りは聞かれません(ヤコブ4:3)。聞かれる祈りをするためには、私たちには何が最善で、何が益なのか分かりません。ですから、自分の思いや願いに固執し、こだわり続けることなく、神に全てを委ねて祈りをしましょう(5:14、ローマ8:26-27)。神に委ねた祈りのうちに、私たちの願いを祈るうちに、神のみこころを知り、神の喜ばれるみこころに沿った祈りに変えられ、祈りが聞かれるのです。そして、神は、世とは異なる祈りに導き、神を讃える祈り、御名を賛美する祈りに導かれるのです。主も父なる神に委ねたように(マタイ26:39-44)、神に全てを委ねることが、神のみこころを知る秘訣です。

Ⅲ. 執り成しの祈り。

  1. 祈りの確信は、互いに愛し合う者として、執り成しの祈りに導かれます。しかし、その祈りは「死に至ることのない罪」(16)を犯している者のために祈るなら、永遠のいのちを賜ります。「死に至る罪」(16)とは、永遠の滅びに至る罪です(ローマ6:23)。肉体の死のことではありません。神との交わりが永遠に絶たれることです。聖霊を汚す罪と、主の血潮によってきよめられ(1ヨハネ1:7)、神と交わりをした者が、神を拒み、逆らい続ける者のために、「願い求めよ、とは言わない」(17)のです。この罪は神に対する罪ですから、神が裁きます。私たちは勝手に裁かないで、日々十字架の血潮を仰ぎ、魂のために執り成し続けましょう。
  2. 私たちは誰にでも、福音を伝えましょう。伝えても信じないなら、神の憐れみにすがり、祈ることしかできません。執り成しの祈りをしないことは、兄弟姉妹の噂話や陰口よりも、大きな罪ではないでしょうか。パウロは執り成しの祈りを求めました(1テサロニケ5:25、エペソ6:19、ヘブル13:18)。また、モーセの執り成しは民に勝利をもたらしました(出エジプト17:8-13)。
  3. 私たちが心を合わせて祈るとき、神は勝利を与えてくださいます。主の十字架の血潮を大胆に示し、愛し赦せるように祈りましょう。主は執り成しの祈りに導いてくださいます。


教会の各活動


午後は、教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(3月8日)10:30~12:00


聖書:使徒行伝3章26節
題:祝福にあずからせる
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:175、206



○聖書研究祈祷会 水曜日(3月9日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝6章1-7節
題:教会の組織化
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、414、435



○主日礼拝 来週日曜日(3月13日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書45章22節
交読文:4  詩篇18篇
聖書:Ⅰヨハネ5章18-21節
題:神から生まれた者と世
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:20、448、354

2016/01/10

主日礼拝「神人相互の内住」

礼拝メッセージ「神人相互の内住」ヨハネの第一の手紙4章13~16節


長谷川和雄師


成人祝福祈祷(代理)の様子
「互に愛し合う」(12)時、神は臨在されます。神の愛を信じ受け入れる時、神の愛が「全うされ」ます。「全うされる」は「目的を成就する、達成する」意味ですので、互いに兄弟愛に生きる時、「神の愛がわたしたちのうちに」成就し、神の愛に達成するのです。今日の聖書箇所に信仰と愛の関係を見ます。本当に神を愛するなら、まず「イエスを神の子」(15)との動かない信仰が必要です。この信仰によって、神が命がけで愛してくださる愛を悟ります。そして、「神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます」(16)すなわち、神人相互に内住する感謝な歩みができるのです。「神の愛」が宝の持ち腐れにならないように、活用し互いに愛し合う教会とされましょう。

Ⅰ. 神の臨在に生きる…
  1. 「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)。主の名によって集まる所が、キリストの体なる教会であり、そこに主が共に居られるのです。そうでなければ信仰は頭の問題で、抽象的になります。また、主の臨在が異なった霊ならば、人間的な愛が尊ばれ、好き嫌いによる交わりが支配してしまいます。
  2. 聖霊はみ言葉が語られ、証しされるところにあり、主を信じる者の中に働きます。しかしその集まりに人間的なものが支配的になると、主の臨在や、み言葉に生きること、信仰告白や賛美や祈りが、人を意識し神への心が弱くなります。だから、主の贖いの恵みにしっかりと生き、聖霊に支配されていないと、人間的なことが教会内部に入り、人間的な愛や好き嫌いや善悪が支配します。
  3. 神の愛による兄弟愛は、主を救い主として信じる者が頂く愛から生まれます。主を救い主と信じた者の中に、神の命である聖霊による愛が与えられるのです。「天にまし」、人間を超えた偉大なお方が、私たちの内に住むのです。
  4. 主の内住、主の臨在の条件は、主を救い主として受け入れ、罪を赦され、聖化されることです。罪が完全に赦され、聖化されているので、聖い神が内住できるのです。

Ⅱ. 神の愛に生きる…

  1. 暗い事件が続き、対策、解説が繁盛していますが、悲しいことに対し涙する感性を失っています。それを回復するために、罪を強く自覚し、罪の問題を解決し、神と親しく交わり、聖霊に満たされましょう。
  2. 罪赦された者の使命は、隣人愛をもって神による罪の赦しを告げることです。罪の赦しによって互いは結び合わされ、神の愛に生かされます。罪の赦しなくして、神の愛をもって愛せません。
  3. 教会は罪人の集まりですが、聖書によって人間の罪が最もあらわになる所です。しかし、罪を赦し合うことによって教会の交わりが成立します。これが教会の交わりです。神の愛があるところに罪の赦しがあります。赦しがあるので心を開いて愛し合えるのです。
  4. 神の愛を信じることは、下から上に向かう人間的な愛ではなく、人格によって神の愛を知ります。そして、神への愛、隣人愛に生きる者とされ、神に留まり、神もその人に居られるのです。神の愛は上から下に下る赦しの愛です。罪の赦しは、主との個人的で、人格的な関係によって信仰が与えられます。互いに愛し合うために、神の愛を神に頼り祈り求めましょう。赦し合うために、神によって赦す心を祈り求めましょう。頭で理解し、自分の力や、人に頼らず、神を信じ、頼り、賭けて、自己主張せず、一生懸命に神への信仰と愛を求め続ける者に、神は信仰と愛を与え、教会が信仰と愛に溢れ、赦しに満ちた所とされるのです。



教会の各活動


午後は、、教会会計監査(4~12月分)、CS教師会(総会)、青年会(総会)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(1月12日)10:30~12:00


聖書:詩篇5篇8節
題:あなたの義をもって
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:191、390



○聖書研究祈祷会 水曜日(1月13日)19:30~21:00


聖書:2ペテロ書3章9節
題:魂を救いに導くために
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:265、190、272



○主日歓迎礼拝 来週日曜日(1月17日)10:30~12:00


招詞:申命記6章4-5節
交読文:1  詩篇1篇
聖書:マタイによる福音書6章31-33節
題:まず神の国と神の義
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、166、291

2016/01/03

新年礼拝「将来と希望を与える神」

礼拝メッセージ「将来と希望を与える神」エレミヤ書29章1~14節


長谷川和雄師


Ⅰ. 預言者エレミヤ…

エレミヤはヨシヤ王からゼデキヤ王の時、預言者として活躍。エルサレムが陥落し捕囚後まで44年間預言。活動時期は南ユダ王国の末期であり、最暗黒で悲劇的な時でした。バビロンがアッスリヤを滅した時、王と従者、長老、祭司、預言者、工匠、鍛冶、ダニエルたちが捕囚され、「主はバビロンを砕く」と言う反バビロンの偽預言者ハナヌヤとの対決で、彼は「バビロンに降伏し、神の裁きに従え」と預言、敵の回し者とされ投獄。ハナヌヤは死にましたが、エルサレム陥落時バビロン王の好意を受け釈放され、総督暗殺後、エジプトに亡命の仲間に強制的に連れて行かれ、そこでも預言しました。

Ⅱ. 「希望」とは…

  1. 11節は神が、エレミヤを通して、ユダヤの民に語られた希望の言葉です。その背景は喜びの出来事ではなく、1回目のバビロン捕囚の民は、神殿から遠く引き離され、全く将来の見通しが立たず、絶望から無気力になっていました。その同胞への希望の言葉です。バビロン捕囚は70年後、神は民を捕囚から解放されます。70年は試練の時ですが、神の民として回復に必要な時です。神は、災いではなく平安の計画を持っています。しかし、バビロンにいる偽預言者シマヤは、神はすぐに我々を解放しますと預言しました。
  2. 私たちは様々な理由が分からない困難や試練に遭い、先行きが見えない苦しみに遭うと、絶望的な気持ちに陥ることがあります。理由が分かり、先が見える時には耐えられますが、苦難の意味が分からない時。またいつまでこの苦難が続くのか全く分からない時には、本当に辛くなります。耐えることが難しくなります。V・フランクル(オーストリアの精神科医、心理学者)の「夜と霧」は、希望を失うと人は生きる力を失うので、「人生の意味を見出す事」が必要と記します。人は生きる意味を見出した時、生きる希望が湧きます。エレミヤが、捕囚の民に伝えたのは生きる意味でした。

Ⅲ. 民が希望をもって生きることができる3条件…

  1. バビロンの繁栄を祈り、腰を据えて生活すること。エレミヤは希望を持って、異教の地で落ち着いた生活をし、神の民として証しし、その地の平安を祈り、家を建て、畑を作り作物を収穫し、同胞同士の結婚を勧め、バビロンの平安、繁栄のために祈る事を勧めました(5-7)。前途は絶望的ではないとしても、70年の辛抱が必要でした。神は、神を信じて70年辛抱強く、期待して待つならば、必ず国に導き帰ると「幸いな約束」(新改訳)をしました(10)。試練の日は恵みの日であり、危機は転機であり、失敗は新しい段階へのスタートです。
  2. 偽預言者に聞き従わないこと(8-9)。教会内に異教信仰や世俗的な人生観と融合させようとする誤りや、律法主義、禁欲主義、神秘主義、新神学、積極思考、成果主義などの霊的な戦いに勝利するために、クリスチャンには主に信頼する者に全ての必要を備えてくださることを覚え、主の臨在を常に覚え、み言葉の約束に生きましょう。3)心を尽くして主を尋ね求めること。「呼ばわり、慕い求め」、「尋ね求め、捜し求め、探り出す、慕う、調べる、問い尋ねる」ことを「心を尽くして、一心に」、頭だけでなく神に全人格をぶつけていく信仰で、ただ神だけを期待する時、繁栄を回復しますと約束しています(12-14)。彼らは実際にその神の約束に従い、み言葉に生きる生活を築き、神が良しとした段階に達した時、民はエルサレムに帰還できたのです。現代も、この約束のみ言葉を信じて生きている人は大勢います。


教会の各活動


午後は、クリスマスの片付けが行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会は1月12日より再開します



○聖書研究祈祷会 水曜日(1月6日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝4章1-12節
題:この方以外に救いはない
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:178、229、429



○主日礼拝 来週日曜日(1月10日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:36  詩篇116篇
聖書:Ⅰヨハネ書4章13-16節
題:神人相互の内住
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、414、342

2016/01/01

元旦礼拝「栄光の望みである主」

礼拝メッセージ「栄光の望みである主」コロサイ人への手紙1章24~29節


長谷川和雄師


中心聖句
「この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである」
コロサイ人への手紙1章27節


皆様は新年を、希望もって迎えたことでしょう。2014年度は「信仰」、昨年度は「愛」。今年度は「希望」「奥義は、あたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである」、標語は「まことの希望に生きる教会」です。望み・希望とは、願う事が実現することを待ち望む事であり、夢よりもすぐに実現可能な事に用いられます。聖書は、この世の希望は基礎も、実体も、現実もなく、熱心であっても、究極的には役に立たないと判断しています。

Ⅰ. 聖書の希望


  1. 希望はギリシャ語でエルビスです。神や救いに関し信仰を持って期待し、待望することです。神の約束の全てが間もなく実現するとの期待です。また、エルビスは信仰とも訳され、信仰は神の真実により力を見ます。
  2. アブラハムは、神の約束は成就すると信じ(ロマ4:20-21)、エレミヤは主の救を待ち望みました(哀歌3:24-26)。旧約時代は、メシヤの来臨、御国、罪の赦しと聖化の実現、異邦人の回心があり、新約時代は主の来臨、救いの完成・神の国の待望と密接に結び付いています(使徒24:15)。希望は信仰の未来につながり(ヘブ11:1)、忍耐と深い関係があり(ロマ8:24-25)、信仰と希望と愛とは聖霊の賜物で、切り離されて存在しません(1コリ13:8、13)。
  3. ①私たちの希望とは、復活、神の栄光に預かる、義とされる、救い、永遠の命、天に蓄え、生活の安定であり、待ち望むことは再臨です(1ペテ1:13)。②希望の源泉は、真実な神の約束、主ご自身、聖書、福音、召されている思いから与えられます。③希望は喜び、救い、忍耐、練られた品性を与えクリスチャンの歩みを堅くします。

Ⅱ. コロサイ書

  1. 目的:教会内に異教信仰や世俗的な人生観と融合させようとする律法主義、禁欲主義、神秘主義などの誤りと戦いがありますが、クリスチャンは主にあって全ての必要を与えられます。神の方から近付き救い主を与え、罪から贖い出し、聖霊を与え信仰を与えられた主が全てです。
  2. 中心聖句は2章3、9-10です。内容は、主は罪の代価を払って神と和解させ、霊的成長の模範と力を与えます。主には神の性質が満ち、神を知ろうとする時、どのような者になるべきかが分かります。また、主は私たちの命を支配し、教会の頭なので、主と深くつながるとき祝福があります。ですから、この主の内住はなんと栄光に富んだものであり、主の内住こそ再臨への備えなのです。

Ⅲ. 栄光に富んだ奥義

  1. 神の望む主のみ名が崇められることを、願っていますか。また、神が全て必要なものを与えた主に救われ、その内住の主の恵みに生きていますか。
  2. なすべきことは、古き人を脱ぎ捨て、新しい人を着ることです(エペ4:21-24)。人心を自分に引こうとする古き人の巧みな言葉、柔らかな顔付きに惑わされず、主ご自身に目を向けましょう(使徒3:6)。
  3. 異言や聖霊の特別な力を強調し、感情の高まりを求める群れに注意し、私たちは出て行って主を証ししましょう(使徒1:8、2:4)。外面を飾らず、主の内住が大切です。
  4. 私たちが弱い時こそ、力強く神が働きます。自分の強さ、賢さ、正しさに生きる人は、神の働きを拒否しています(2コリ12:9)。5)主の内住が全てであり、満ち足りた恵みです(ガラ2:19-21)。自分の力で行うことをやめ、古き人を十字架につけ、自分の考えは正しさにたたないで、み言葉に生き、主のもので満たされると信じる時、神が働かれます。内住の主こそ栄光の望みです。今年、主の再臨の時かもしれません。あなたは主に会う備えができていますか。