2013/04/28

主日礼拝「二つの道の選択」

礼拝メッセージ 「二つの道の選択」 創世記14章1~24節

長谷川和雄師



信仰の父と言われたアブラムは、神に祝福された道を選ぶために、さまざまな訓練を受け、神の最高傑作と言われます。彼は、神の示された道を選び、歩み始めましたが、その途中、自分の思い願う道を歩み、誘惑に負け、嘘をつきました。しかし忍耐の神はアブラムを見捨てず神の祝福の道へと戻して下さいました。神の憐れみはなんと深いことでしょう(詩篇10310-11)。欲望を満たすために、偽りや不正や悪を行うことによって得た富や地位は、自分や家族、周りの人々をもトラブルに巻き込みやすいものです。目に見えるかたちで祝福を得た時は、「より豊かに、より高く」などの誘惑には気をつけましょう。
Ⅰ、ロトの選択の基準・・・アブラムの弟ハランの息子ロトは、父の財産を受け継ぎ、それを守ろうと尽力しました。ロトがアブラムに同行したのは、神を畏れ約束のみ言葉をいただいたからでなく、ただ同行しただけでした。利益を得そうな人と親しくするのは世の常で、ロトもそうでした。彼の心には、神を愛する心でなく、世の利益、物質や地位、世的成功でした(Ⅰヨハネ2:15-17)。ロトは、神の祭壇を捨て、人情を捨て、アブラムと別れて、自分の目に得と思われる道を選び取りました。
Ⅱ、ロトとの別れ・・・アブラムは妻よりも富を愛して失敗しましたが、試みを受けて悔い改め、主のもとに帰り、妻を愛するように変えられました。アブラムは天の都を目指して生きましたが(ヘブル11:8-16)、ロトは世に魅力を感じ、地上に目を注ぎました。しかし、ロトはそれなりの成功を得ましたが、世に感化を与える力は消ました。神を愛する者と、世を愛する者には、争いが生じます。豊かになったなら、譲り合えばよかったのですが、アブラムの牧者とロトの牧者の間に争いが生じ、彼らは別々の道を歩まざるを得なくなりました。アブラムは、自分が先に道を選んで、ロトに不利益な道を押し付けたのでなく、最善をなしたもう神に信頼し、ロトに選択権を譲りました(Ⅱコリント6:17)
Ⅲ、神に頼る者の幸い・・・アブラムは親族のロト家族と別れる寂しさを覚え、また、牧者や家畜のことを思い、不毛の地を見ては不安を覚えたことでしょう。しかし、「主は・・・直く歩む者に良い物を拒まれることはありません(詩篇84:11)とのみ言葉の如く、神はアブラムを憐れみ、近づいて下さいました。神はうな垂れていたアブラムに、「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい(14)と語りかけられました。神を見上げて、神に従うなら、見渡す東西南北すべての地を、アブラムと、生まれてくる子孫に与えると約束されました。神のみ言葉に従うならば、神はそのような素晴らしいことを私たちにも成して下さいます。その後、アブラムはヘブロン(交わりの意)に行き、主に祭壇を築き、日々、神と交わり、神を称え、主を礼拝し、与えられるみ言葉に生きました。神を愛する者の道は何と幸いでしょう(エレミヤ29:11)ヨシュアは、「あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」(ヨシュア24:15)と選択を民に迫り、自らは神に仕えました。私たちが選択を迫られた時、自分の思いや願いに合うみ言葉や道を選ばないで、まず神に自分の思いや願いを委ね、神がみこころを示して下さるように祈り、与えられたみ言葉に従い、神の祝福を得る道を選んで歩みましょう。



教会の各活動


午後は、翌日に行われる教区信徒大会(喫茶店)のリハーサルを行いました。


今週~来週の予定

■聖書研究祈祷会 火曜日(30日)10:30~


聖書:箴言16章24節
題:魂に甘い
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:316、339

■聖書研究祈祷会 水曜日( 1日)19:30~


聖書:創世記
題:人間の罪
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:359、446、260


■主日礼拝  来週日曜日( 5日)10:30~


招詞:イザヤ45:22
交読文:2 詩篇8
聖書:創世記14:1~24
説教者:長谷川和雄師
題:神による勝利
新聖歌:4、206、102

2013/04/21

主日礼拝「不信仰がもたらす危機」

礼拝メッセージ 「不信仰がもたらす危機」 創世記12章10節~13章4節

長谷川和雄師




教会学校の特別賛美
クリスチャンとは、この世的に祝福され、問題が何もない者ではありません。主のみ言葉と主の最善に期待し、信仰によって歩む者です。しかし、信仰が弱ると、信仰の道から外れ、世の人と同じ歩みをしがちです。憐れみ深い主は、その様な者をも気にかけて、信仰の道に立ち返らせて下さいます。
Ⅰ、不信仰な思い・・・アブラムは主のみ言葉に従って旅を続けましたが、多くの家畜を飼っている彼にとって、旅先での飢饉は大変なものでした。約束のみ言葉7を信じていたアブラムも、主は何故このようのことをされるのかという不信仰な思いが出てきたのではないでしょうか。私たちもみ言葉を信じて従う時、神から多くの祝福を目に見えるかたちで受けることがあります。しかし、神は私たちを恵みと信仰の高嶺に引き上げようと、さらなる試練を与えられます。
Ⅱ、物質的繁栄のわな・・・飢饉の時、アブラムはエジプトの繁栄に頼りました。それは主でなく、世に頼る行動でした(イザヤ31:1)。ヤコブは神の約束の地で飢饉が起こった時、約束のみ言葉をいただいて下りました(創世記46:3-4)。しかし、アブラムは、自分の考えや方法で困難を乗り越えようとし、妻サライに妹だと言うように頼みました。確かに異母兄妹ですので、嘘ではありません。その後、アブラムの思惑通りに事が進み、短期間でパロの好意を受け、地位や多くの富を手にしました。しかし、主への信仰は弱りました。サライが妻であることを隠すことは、神の前に重大な罪でした。妻が姦淫の罪を犯して貞操を失い、アブラムは子孫を与えるという神の約束を失うところでした。
Ⅲ、主の憐れみ・・・全てをご存知であり、支配しておられる主は、災いをアブラムではなく、パロとその家に下されました17。もし、そうでなかったら、パロは主を畏れず、サライはアブラムの下に帰れなかったでしょう。不信仰に陥ったアブラムはこの災いを通して、主を畏れない民の前にも恥をさらしました。しかし、主は彼を憐れみ、アブラムは命や所有物を奪われずにエジプトを出ることができました。私たちは不真実であっても、主は真実です。主は約束のみ言葉のゆえに私たちを憐れみ、主の前に真実に罪を認め、悔い改める者を、十字架の血潮のゆえに赦して下さいます。また、主に信頼して誠実に生き、主を喜びとする者の願いをかなえて下さいます(詩篇37:3-4)
Ⅳ、信仰の原点に戻る・・・アブラムは自分の罪深さや計画の愚かさを示され、主の御旨・憐れみ・最善を体験しました。その時、アブラムはエジプトから離れることを惜しまず、真剣な悔い改めをし、最初に祭壇を築いて祈った場所に戻り、襟を正して神の御前に出ました。祈りの前に祭壇が必要です(サムエル上:9列王上18:30-37)。私たちにとって「祭壇のいけにえ」とは、主の十字架です。日々の祈りや礼拝に於いて、祭壇の前に出る意識が無いことは、十字架の意識不足であり、罪の意識が無いことは最大の罪です。み言葉などを通して罪が示されたときに、その罪を認め、イエス様の十字架を仰ぐことを主は導いて下さり、赦しのみ言葉を与えて下さいます。ですから、日々、臨在の主を覚えて、「罪深い私を憐れんで下さい」と、主の十字架を覚えて祈り、主を仰ぎ、最善をなして下さる主に寄り頼み(ローマ8:28、み言葉に聴きましょう。そして、主の十字架を心から感謝し、主を賛美しましょう(ヘブル4:15-16)


教会の各活動

礼拝の中で、教会学校が「十字架なきゃ生きてけない」を特別賛美しました。


午後は、長谷川師ご夫妻の歓迎会を行いました。


今週~来週の予定

■聖書研究祈祷会(今週火曜日)


聖書:創世記21章1節
題:神の約束
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:424、394

■聖書研究祈祷会(今週水曜日)


聖書:詩篇4篇
題:平安を求める祈り
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:1、248、325

■主日礼拝(次週日曜日)


招詞:詩篇103:1~2
交読文:37 詩篇119
聖書:創世記13:1~18
説教者:長谷川和雄師
題:二つの道の選択
新聖歌:2、316、275

2013/04/14

召天者合同記念礼拝「あなたの祭壇を築こう」

召天者合同記念礼拝メッセージ 「あなたの祭壇を築こう」 創世記12章5~9節

長谷川和雄師




アブラムの生涯からも分かるように、神はみ言葉に従って歩む者を祝福して下さいます。それは律法的(:~しなければならない)でなく、神の恵みに生きることです。
Ⅰ、旅人のように・・・アブラムは特定の住まいに定住したのではなく、移動しながら、天幕生活をしていました。これは、この世に定住せず、天の故郷(天国)を目指す歩みと置き換えることができます。私たちの体は仮の幕屋です(Ⅱコリント5:1)。この世の流行に流されて、名誉欲、金銭欲、快楽などに魅力を感じ、求めてはいないでしょうか。それは天国を目指して歩んでいるとはいえません。肉体は滅び、いつまでもそこに居座れません。私たちは天国を目指した生活をし、主に会う備えをしましょう。この世では放浪の生活であるかもしれません。しかし、私たちは天国に国籍を持つ民として、いつも主を見上げて歩む生涯を全うさせていただきましょう。主はいつでも共にいて守って下さり、祝福して下さいます。
Ⅱ、主のために祭壇を築いて・・・移住していたアブラムですが、留まる先々で主のために祭壇を築き、主の名を呼びました。1)家庭礼拝の大切さ。あなたは家庭で、どのようなかたちで主のための祭壇を築いていますか。神は、聖霊の宮とされた私たちが、教会だけでなく、日々、家庭においても礼拝をささげることを喜んで下さいます。家族や友人と共に礼拝をささげられることはなんという幸いでしょう。個人ディボーションや家庭礼拝は、神との親しい交わりの時、神に喜んでいただける時、神から恵みと祝福をいただける時です。そのような時を持つ人は、神から恵みを受けて輝くことができます。また、周囲の人々は神によって変えられたあなたに興味をもち、「どうしてそのように輝けるのか」と、質問してくるでしょう。その時は、気負わずに、自然なかたちで、福音を伝えましょう。2)主のための礼拝。アブラムは「主のために」祭壇を築きました。私たちはどのように礼拝をささげているでしょう。礼拝しなければならないからとか、礼拝に出ないと良く思われないから、牧師の話が良いから、教会で交わると和むから、讃美に慰められるから、など。これらは主のためではなく、「自分のための礼拝」です。礼拝は主のための礼拝です。主は、主のために時間をささげ、主のために賛美をし、主の御声(み言葉)を聴き、聴いたみ言葉に従うことをとても喜んで下さいます。ですから、自分の好むものを献げるのではなく、神に喜んでいただける最高のものを、犠牲を払って献げましょう。これは「己に死にキリストに生きる」ことにつながります。神を第1とし、礼拝をささげる者は決してはずかしめられることはなく、豊かな祝福が与えられます。
Ⅲ、神の約束を信じて・・・アブラムは神から約束のみ言葉をいただきましたが、その内容は、この世の常識では考えられないことでした。しかし、アブラムは主を信じ、真実な神がそのみ言葉どおりのことを成して下さいました。この年、あなたは神からどのような約束のみ言葉をいただき、何を命じられましたか。私たちは、真実な神がそのみ言葉を成就して下さると信じて一歩踏み出し(詩篇33:11、エレミヤ29:11-14)、その約束に伴って命じられたこと(例:~するなら、~になる)を実行しましょう。天地は滅びますが、主の言葉は決して滅びません(マルコ13:31)。私たちはいつも主を見上げ、主のために祭壇を築き、主の約束を信じて、与えられたみ言葉に生きる者とならせていただきましょう。

教会の各活動

午後、教会墓地にて墓前祈祷を行いました。召天者の方々のご家族とも一緒に賛美をし、奨励を聞き、献花をしました。

その後、CS教師会が行われました。

2013/04/07

会衆賛美「神の国と神の義」「イースターの朝には」

京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による会衆賛美リード。

    • 「神の国と神の義」作詞・作曲:Karen Lafferty (新聖歌291番)
      「イースターの朝には」作詞:Alice J. Cleator, 作曲:Joseph L. Hall (新聖歌128番)






    京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

    また、毎月第3日曜日の礼拝では青年会や婦人会なども含め月替わりで特別賛美が行われます。

    どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

    主日礼拝「み言葉に従う歩み」

    礼拝メッセージ 「み言葉に従う歩み」 創世記11章26節~12章4節

    長谷川和雄師




    教会役員任命式
    アブラムは神のみ言葉に従い、神の祝福を豊かに受けました。あなたは神から与えられたみ言葉に従って、主の豊かな祝福を受けているでしょうか。自我のために、神からの祝福を受け損なってはいませんか。信仰の父と呼ばれたアブラムの生涯から信仰者の歩みを学びましょう

    Ⅰ.弱さがスタート・・・1)ことの始まり。アブラムは父テラと共にカナンを目指し、ウルを出発しました(使徒7:2-5)。しかし、テラは偶像礼拝が盛んなハランに定住してしまいました。アブラムも父が亡くなるまでそこに留まり、カナンへ行きませんでした。2)アブラムの弱さ。年老いたアブラムと妻サライには子どもがおらず、それが彼らの弱さであり、当時は恥と考えられていました。しかし、もし、アブラムにこの弱さがなかったら、神を信じることも、祝福を受けることもなかったでしょう。人は自分の弱さを意識するほど、強さ、権力、知識などを隠れみのにし、勝気になったり、他人を蹴落としても上に這い上がりたいと思ったり、嘘をついたり、裏切ったりします。しかし、アブラムは弱さを認めて祝福を得ました。私たちにも、様々な弱さがあります。愛のなさ。赦せない頑固さ。献げきれない弱さ。奉仕を喜ばず、み言葉に親しまず、祈らない弱さ。決断力のなさ。そそっかしさ。忘れやすさ。口下手など。しかし、弱さをもったまま神の前に出て、主の十字架の血潮を仰ぎ、復活の主により頼むとき、主はその弱さに勝利を与え、お互いの弱さも受け入れ合い、助け合い、神の栄光を現す者へと変えて下さるのです。自分の弱さを神の前に素直にさらけ出し、弱さに働いて下さる主に期待しましょう(Ⅱコリント12:7-10)

    Ⅱ、約束のみ言葉・・・1)「行きなさい」。テラが亡くなった時、アブラムは主から、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を

    離れ、わたしが示す地に行きなさい(12:1)と命じられました。それは、偶像礼拝の町、肉的つながり、相続の権利、古い人間関係を捨て去ることでしたが、アブラムは主に従いました。「行きなさい」と命じられた主は、決して見放さず、中途半端になさいません。私たちも神のみこころを求めて祈り、み言葉が与えられたら、その召された道が困難でも従いましょう。主は従う者に一切の必要を満たし、慰め、励まし、力づけて下さいます。2)祝福の基となる。行けと命じられた主は、子どものないアブラム夫妻に繁栄と祝福の約束を与えて下さいました。「祝福の基となる(12:2)とは、例えば、愛が与えられたなら愛を分け与える者とされ、争いの絶えない家庭が愛の溢れる家庭に変えられることです。この約束は私たちにも与えられています。ですから、私たちは主を畏れつつ、人をのろうのではなく、人を祝福する者とならせていただきましょう。

    Ⅲ、神の約束を信じた決断・・・75歳のアブラムにとって、与えられた約束は常識では実現不可能なことでした。しかし、アブラムは自分の弱さを認め、神の約束と主の最善を信じて出発しました。ここから、アブラムの祝福の道がはじまりました。霊的にも、物質的にも富み、保護され、幸福になり、喜びで満ち、神の大いなる祝福が表されました。アブラムの末であるクリスチャンは、「大いなる国民とし…名を大きく(12:2)されます。多くの民に一時的でない感化を与え、信仰の祝福を伝え、信仰が継承されます。条件は、そのために必要な決断は、与えられた神のみ言葉、行きなさい」との命に従うことです。みこころを求めて神に従う生涯は、自分の弱さを認め、神にお頼りし、互いに励ましあって神に従うことです。十字架の苦しみがなければ、復活はありません。苦痛の道を避けて、安易な道を選ぶのではなく、アブラムに倣い、み言葉に従う信仰の生涯を全うさせていただき、主にあって、祝福の基としていただきましょう。


    教会の各活動



    礼拝にて教会役員とCS教師の任命式が行われました。

    また礼拝後、教団委員の船田献一師(京都聖徒教会)を迎えて、長谷川和雄牧師・ひさい副牧師の任職式が行われました。


    今週~来週の予定


    ■婦人祈祷会 火曜日(9日)10:30~


    ■聖書研究祈祷会 水曜日(10日)19:30~


    聖書:詩篇2篇

    説教者:長谷川和雄師


    ■主日礼拝 来週日曜日(14日)10:30~


    招詞:ヘブル10章19~22節
    交読文:23 詩篇66篇
    聖書:創世記18章16-33節、19章23-29節
    題:アブラハムの執り成し
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:2、206、196