2017/09/24

主日礼拝「主の無尽蔵の富」

主日礼拝メッセージ「主の無尽蔵の富」エペソ人への手紙3章7~13節


長谷川和雄師



私たちは誰もが豊かになりたい、裕福になりたい、単に必要が満たされるだけでなく、溢れるほどに満たされ続けたいと願っています。神が人をそのように造ったのですから、神ご自身がそのような性質を持っています。キリストには計り知れない無尽蔵の富があり、貧しい者と自覚し、渇いて主の下に行く者には、その富を出し惜しみされません(黙示22:17)。

パウロは、ローマ政府に捕らえられ身体的に束縛されても、人生を支配されていません。パウロは主に捕らわれ、主の恵みと真の支配の中で生かされている主の囚人です。私たちも、「キリスト・イエスの囚人」です。人は何に、また誰に捕らえられているかによって、人生が大きく変わります。恵みと真に満ちた主に捕らえられ、主の愛の支配の中で生かされ、人生に喜びと希望と平安を味わいましょう。今日の箇所で、パウロは自分自身を、二つ表現しています。

Ⅰ、パウロの召命(7—8)…


  1. 福音の僕。「福音に仕える者」(7.新改訳)の「僕・仕える」は、「食卓の給仕をする」との意味がある言葉です。パウロは、主の福音は栄養価満点で永遠に朽ちない食事と見て、福音の給仕が自分の務めであり、無理に食べさせ、押しつけず、威圧的ではありません。パウロは、最高の食事を是非全ての人に味わってほしい、との思いから福音を給仕する給仕役です、と記します。
  2. 聖徒たで一番小さな者。パウロは、「聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたし」(8)、「最も小さな者よりもさらに小さな者」と表現しました。謙遜さを装い卑下する言葉を使っても、本心は違うことが多いのですが、パウロは本心でした。彼は復活の主に会う前の若い時、クリスチャンを迫害しました。最高の教育、律法を厳格に守り、評判も高く、自信を持っていました。しかし、復活の主に出会って人生は全く変わり、人は神の恵みにより、主を信じて救われると語る者になりました。それは、神による救いを思う時、救われるに相応しくない無価値な罪人を深く意識し、最も小さな者と言ったのです(1コリ15:8—10、1テモ1:15)。今日も健全な福音から外れ、律法的な信仰があるので注意しましょう。

Ⅱ、私たちの使命と神の計画(8-11)…


パウロに神の恵みが与えられたことは、神の計画であり、新しい使命を与えられたのです。それは、私たちも同様です。

  1. 無尽蔵の富の宣教(8)。パウロは福音の僕で、主の無尽蔵な富を世界の人々への宣教が使命です。主の富は無尽蔵にあり感謝です(ヨハ6:1—15、4:14、哀歌3:22—23)。私たちは、この無尽蔵の富に生かされ、人々に証しする使命があります。
  2. 神の奥義の証し(9)。選民だけでなく、福音を受け入れ神の子とされた時、神の奥義が実現し、明らかにされるのです。3)神の知恵の啓示(10—11)。十字架の福音が伝えられ、救われた者が教会を通し、神の偉大な力によって、天にある罪の中に縛る支配と権威である迷信や社会的、宗教的束縛から解放され自由を得(コロ2:15)、神の豊かな知恵が示されます。

Ⅲ、神に近づく生涯(12—13)…


  1. クリスチャンは誰でも、神の方から私たちに近づく約束に対する真実によって、大胆に確信をもって神と親しく交わり、自由に礼拝し祈り、神に近づき神の愛と祝福を受けることが出来るのです(12、使徒17:27-28)。
  2. 私たちの光栄(13)。指導者パウロが獄中にいることは、恥ではありません。彼によって十字架の福音が伝えられ、栄光の無尽蔵の主の富に与り、心からの感謝と喜びと平安の道に歩むために、小さきパウロが用いられ、そのために苦しみ犠牲となっていることこそ、私たちの光栄ではないでしょうか。




教会の各活動


CS秋のレクリエーション(京都市動物園)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月19日)10:30~12:00


聖書:コロサイ書3章2節
題:上にある者を思う
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:111、38

○聖書研究祈祷会 水曜日(9月20日)19:30~21:00


聖書:ルカによる福音書7章23節
題:つまづかない人
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:2、264、22

○主日礼拝 来週日曜日(9月24日)10:30~12:00


招詞:詩篇27篇8節
交読文:9  詩篇27篇
聖書:エペソ書3章14-21節
題:内なる人を強く
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:263、聖歌556、342