2017/12/31

年末感謝礼拝「神の恵みを忘れるな」

年末感謝礼拝メッセージ「神の恵みを忘れるな」詩篇103篇1~5節


(長谷川和雄師)


詩篇103篇は、1~5節までは個人的感謝を、6節以降は民全体への主の恵みと憐みが記されています。感謝は礼拝の重要な要素です。感謝の心は神の恵みを理解し、体験している表れです。この一年、今日に至るまでの守りや、神の祝福を心から感謝しましょう。

Ⅰ. 自分への呼びかけの大切さ…


  1. なぜ、自分の魂(自分自身)に向かって呼びかける必要があるのでしょうか(1)。あるがままの私たちは、神を褒め称えないで自分の功績を褒め称えようとします(ルカ10:25—28)。これが罪の根です。私たちは十字架の血潮のゆえに、主を称えることができるのですから、全存在をかけて主を信じ、十字架の愛を受け入れましょう。
  2. 「聖なるみ名をほめよ」(1)。「聖」とは、罪深く汚れた者が、主の十字架の血潮のゆえに主の所有とされ、主のために用いられ者です。
  3. 「すべてのめぐみを心にとめよ」(2)。ダビデは、主の恵みを忘れやすく、恨み、悪意などは忘れず覚えていて、主の恵みに慣れる事は信仰の危機と感じたのです。だから、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(2、新改訳)と、自分や民に言う必要がありました。

Ⅱ. 主の恵みへの感謝の心…


私たちは、主の恵みや神の祝福はすぐに忘れてしまう者です(ルカ17:11—19)。神の恵みや祝福を具体的に記します。

  1. 「すべての不義をゆるし」(3)。強情、ひねくれた心、ゆがんだ心は、自分に与えられたものを感謝せず、いつも他人を比べ、ないものねだりをする心です。罪人で、的外れな事を言ったりやったりし、神に背を向け、永遠のさばきに定められ、神から見捨てられて当然な者を、神は十字架を通して見て全部赦してくださいました。主の忍耐を覚えて感謝します。
  2. 「すべての病をいやし」(3)。各種の痛み、痛烈な痛みを伴う末期ガン。しかし、痛みを伴わない病はそれ以上に怖いです。現代の医療の恩恵にも感謝し、その背後におられる癒しの神に感謝します。
  3. 「いのちを墓からあがないいだし」(4)。「地獄行きの身を身受けし」(リビングB)。愛せず、赦せず、自分を飾り、嘘、偽善、弁解、虚栄に生き、罪によって死んでいた者を、神は愛し、主を信じる者を主と共に生かし救い出し(エペ2:1—8)、絶望に変え、生きる希望を与えてくださったことを感謝します。
  4. 「いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ」(4)。「恵みとあわれみとの冠をかぶらせ」(新改訳)。「冠」は、王や勝利者に与えられるものです。神は、私たちを王か罪の勝利者として見てくださるのです。これは、母親にとって我子は、王子が扱われるように大切に扱います。そんな特権に与っていることに感謝しましょう。
  5. 「生きながらえるかぎり、良き物をもって…飽き足らせられる」(5)。主が男5千人の給食をされたように(マタ14:14—21)、神はいつでも、どこでも、誰に対しても、良きものをもって満たします。あらゆる恵みを、溢れるばかりに与える神に心から感謝しましょう(Ⅱコリ9:6—11)。神は良いものしか与えられない方です。その事のゆえに、神に感謝するのです。
  6. 「若返って、わしのように新たになる」(5)。鷲の羽は一年ごとに生え変わり、新しい力を受けるように、主を待ち望む者は新しい力を受けます(イザ40:28—31)。み言葉に生きる者を、神は豊かに祝福し、豊かな実を結ばせ、栄えさせてくださると約束しています(詩篇1:2—3)。そのような人は「年老いても、なお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂り」、感謝な生活ができるのです。主にあって、いつも生き生きとした姿、若返りが約束されているのです。十字架の恵みによって罪の赦しが与えられる約束のゆえに、主に心から感謝する年末でありましょう。


教会の各活動


クリスマスの片付けが行われました。


今週~来週の予定

○元旦礼拝 今週月曜日(1月1日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書43章19節
交読文:30  詩篇96篇
聖書:詩篇9篇1~6節
題:みわざを宣べ伝えます
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、435,429

○聖書研究祈祷会 水曜日(1月3日)19:30~21:00


※休会します(1月10日から再開)

○新年礼拝 来週日曜日(1月7日)10:30~12:00


招詞:Ⅱコリント書5章17節
交読文:1  詩篇1篇
聖書:エペソ書4章25~32節
題:「新しい人の歩み」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:27、374、382

2017/12/24

クリスマス礼拝「さあ、ベツレヘムへ」

クリスマス礼拝メッセージ「さあ、ベツレヘムへ」ルカによる福音書2章8~20節


(長谷川和雄師)


神の御子はベツレヘムに生まれ、その様子を燭火礼拝で学びました。生れた所は暗く、汚く、惨めな家畜小屋でしたが、それは、そんな所しか提供できなかった人間の惨めさです。神は、人に見せられない、醜い所を御子の宿り場とされました。人間の暗く、醜くい罪と恥と弱さこそ、最も救い主を必要なところで、救い主に出会える場所です。その暗くて恥じる部分をもって、主の前に立てる事を知らされるのが、本当のクリスマスです。今日はその続きです。この神の御子イエスの誕生を、最初に聞いた人々は羊飼いでした。その羊飼いは、御子の誕生を知り、どのようにしたのか見ましょう。

Ⅰ. 羊飼い…


神が、御子の誕生を最初に知らせたのは、祭司やレビ人、聖書学者や宗教家、エルサレムの議員ではなく、羊飼いでした。
  1. 貧しい羊飼い。神は、羊飼いが動物相手の仕事で、当時は身分が低く、学問も無く、宗教行事に余り参加できず汚れており、罪に満ちた、そんな羊飼いを顧みました。救い主誕生の知らせには、貧しさとの主題があります(イザ61:1、ルカ1:48)。
  2. 他の羊飼いの姿。①ダビデ王は羊飼いであり、主なる神を自分の牧者、羊飼いとして賛美しました (詩篇23:1)。②主は、「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる」(ヨハ10:11)と語りました。これらから、羊を養い導く羊飼いを御子に当てはめ、私たちの魂の牧者の誕生を示しています。

Ⅱ. 羊飼いの反応…


羊飼いは、天の力によってクリスマスの出来事に導かれました。
  1. 生活の場に現れる主。羊飼いは野宿し羊の群れを守る仕事場に、突然主の使いが現れ、救い主誕生の知らせを知らされ、天の軍勢と御使いたちが共に神を賛美する姿を見て驚き恐れました。
  2. 素直な羊飼い。彼らは御使いが離れた時、疑わず素直な心で受け入れました。これこそ信仰の出来事です。彼らは、小さい時から救い主の預言を聞いていたので(教会学校の大切さ)、特別な形で知った救い主誕生の知らせを素直に受け入れ、「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこよう」(15)と、励まし合い、しかも、後でなく直ぐ、「急いで行っ」たので、「マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあて」(16)ました。
  3. み言葉通りを喜ぶ。羊飼いが見聞きしたことは、御使いの言った通りだったので、御子を素直に救い主と受け入れ、人々に救い主誕生を知らせ、神を賛美しつつ、自分の持ち場に帰りました。4)与えられたしるし。地上の事を通し、天的な事を知らせるのがしるしです。洗礼式の水や、聖餐式のパンと葡萄酒はしるしです。羊飼いへのしるしは、救い主と受け入れにくい弱い赤子で、しかも家畜小屋の飼い葉桶に寝ていました。私たちは外見的に判断しやすいですが、救い主に出会うのは、その人の弱く醜く隠したい所で、救い主の印を見るのです。

Ⅲ. 私たちのベツレヘムとは…


神の御子が居られる所です。
  1. ベツレヘムなる教会。ベツレヘムに御子が居られ、教会には見えず隠れた形で主が臨在し、働き続けています。
  2. 神に出会う教会。神のみ前で、人ではなく神を礼拝しているのです。教会で神を知り、信仰を告白し、賛美し、祈り、み言葉を聞き、神に献げものをし、神の守りと導きを信じ、教会から持ち場に遣わされます。
  3. 助け合う教会。ベツレヘムに助けと保護が必要な、幼子イエスがいるように、教会に助けを必要とする人の内に主がおり、助けを待っています。互いに助け合うために教会に集められるのです。「さあ、教会に行こう」と礼拝に出席し、互いに執り成し、互いに助け合う所とさせていただきましょう。

クリスマス祝会の様子
教会の各活動


クリスマス祝会とキャロリングが行われました。


今週~来週の予定

○聖書研究祈祷会 水曜日(12月27日)19:30~21:00


聖書:マタイによる福音書5章9節
題:平和をつくる人
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:190、199、448

○年末感謝礼拝 来週日曜日(12月31日)10:30~12:00


招詞:詩篇95篇1~2節
交読文:31  詩篇100篇
聖書:詩篇103篇1~5節
題:「神の恵みを忘れるな」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:18、172、171

○元旦礼拝 来週月曜日(1月1日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書43章19節
交読文:30  詩篇96篇
聖書:詩篇9篇1~6節
題:みわざを宣べ伝えます
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、435,429

2017/12/18

12/23「クリスマスキャンドルライトサービス」のご案内

※この記事は、12/23の「クリスマスキャンドルライトサービス」のお知らせです。

京都信愛教会では今年も、「クリスマスキャンドルライトサービス」を行います。

ろうそく(安全のため LEDでの模擬的なものです)の灯りの下で、クリスマスの賛美をし、聖書の言葉を聞き、クリスマスメッセージを聞きます。


どなたでも入場無料です(信徒かどうかを問いません)。

詳しくは、下のチラシをご覧ください。




■日時


2017年12月23日(土) 19:00~20:30


■内容

  • クリスマスの賛美
  • 聖書の言葉
  • クリスマスメッセージ
  • 献金(自由です) 

 ■会場・お問い合わせ


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい

※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2017/12/17

アドベント歓迎礼拝「クリスマスの光」

アドベント歓迎礼拝メッセージ「クリスマスの光」ヨハネによる福音書1章9節


長谷川ひさい師


教会では、クリスマスにキャンドル・サービス(燭火礼拝)をします。電気を消しロウソクを点け、静かに賛美し、聖書を読み、祈り、クリスマスの意義をしのびます。信愛教会では、毎年12月23日の夜に行いますが、主が人類の光として世に来てくださったことを、静かに心静め主の誕生の事を思いめぐらし、感謝する時です。

主は約2千年前、私たちの世界に神様の大いなる光を照らすために、ユダヤのベツレヘムに生まれました。今日まで、私たちの世界には多くの立派な宗教家や哲学者が生まれました。インドに釈迦が、中国に孔子、ギリシヤにソクラテス、日本に空海・日蓮・親鸞など素晴しい僧侶が生まれました。主は、人類の光と言われましたが、なぜでしょうか。

Ⅰ. 愛の光…


人間は真の神を知らないので、主は真の神の愛を、私たち人間に示しました。格別に日本人は、神といえば神社に祭られている神々を神と思っています。しかし、聖書に「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」(ヨハ3:16)とあり、また、「神は天と地とを創造された」(創1:1)とあるように、真の神は天地の創造者、保持者であり、全世界の歴史を支配し導いています。また、「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない」(イザ44:6)とあるように、真の神は全能で霊なる方であり、唯一の神です。そして、「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって…御子をおつかわしになった。ここに愛がある」(Ⅰヨハ4:10)とあるように、神が私たち一人びとりを愛する愛を表し、主をこの世におくり、人類に対する「愛の光」となりました。いつも主は、神の愛を人々に示し、何よりも私たちが互いに愛し合う事の大切さを教えてくださいました。

Ⅱ. 真の光です…


主は真の神の愛だけでなく、私たちに「真理の光」を表しました。神を離れた時、私たちの心は暗くなり、何が真実であり、何が真理であるか分からなくなりました。今日の世界の国々の間に争いがあり、社会に混乱があるのは、この何が真理であるかを見失ったことから起きているのです。私たちの毎日の生活の中でも、色々と意見が違ったり、争い、事件が起きていますが、この真の光が分からないからです。暗い心、暗い生活、それはわびしいものです。しかし、そのような私たちの世界に主は、きよく生きる事、正しく生きる事の幸いを示されました。主は、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつ」(ヨハ8:12)とあるように、私たちは主を救い主と信じる時、罪に汚れた生活から離れて、きよい光の中を歩む生活に変えられるのです。

Ⅲ. 救いの光…


主がこの世に来られたのは、「神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである」(ヨハ3:17)とあるように、罪と汚れから私たちを救うためでした。主は、十字架にかかり私たちの罪のために死なれ、三日目に復活し、救いの道を開かれました。主の十字架は私たちの罪の贖い、罪の身代わりとなり、罪の償いをされたのであり、復活は永遠の命の源泉となったのです。「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった』という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである」(Ⅰテモ1:15)とありますが、私たちは主を救い主と信じるなら罪が赦され、神の子とされ、永遠の命をいただき、インマヌエルの主が日々共に歩んでくださるのです。今年も皆さんと共に、愛・光・救いである主を心に迎え、主の誕生を心からお祝いするクリスマスとさせていただきましょう。

教会の各活動


CSクリスマス会の様子
CSクリスマス会が行われました。


今週~来週の予定

○婦人祈祷会 火曜日(12月19日)10:30~12:00


※年末は休会し、1月9日から再開します

○聖書研究祈祷会 水曜日(12月20日)19:30~21:00


※休会します(12月27日は実施、1月3日は休会)

○燭火礼拝(キャンドルライトサービス) 土曜日(23日)19:00~20:00


聖書:ルカの福音書2章1~7節
題:救い主を迎え入れるところ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:78、75、他

○クリスマス礼拝 来週日曜日(24日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書3章16節
交読文:29  詩篇95篇
聖書:ルカの福音書2章8~20節
題:「さあ、ベツレヘムへ」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:76、78、75

2017/12/10

第2アドベント礼拝「初めに言があった」

第2アドベント礼拝メッセージ「初めに言があった」ヨハネによる福音書1章1~5節


長谷川和雄師


主イエスの誕生を祝うのはなぜでしょうか。言は初めからある神であり、言である主は神であり、命は人々の光であり、この世の暗闇の中に輝く光として、来てくださった救い主であるからです。クリスマスを迎えるにあたり、この救い主を信じ受け入れ、神に会う備えをしましょう。

Ⅰ.言葉は神です(1)…


1) 主は永遠。
  1. 「初め」とは、全ての時よりも前、宇宙が始まる前を指し、主は天地創造時に創造されていません(17:5)。父なる神と共に栄光をもって存在していました(コロ1:16—17)。
  2. 「言があった」。普通「ことば」は「言葉」と書きますが、漢字一文字の「言」を「ことば」と読むのは、主を指す語として用いたからです(1:14)。なぜなら、神は御自身を示す「ことば」として御子を遣わしました。

2)神と共にある方。

「言は神と共にあった」。このことは、
  1. 主イエスは被造物ではなく、創造者であり、神と共におられる方です。
  2. 主は神と共にあり、永遠にある方です。
  3. 主は全ての時間よりも前からある方です。

3)神である主。

「言は神であった」と記し、主は神ご自身だと宣言します(1:14新改訳)。主は被造物の天使や神より劣るものだから、罪を贖うため神から権能を受けた方でなく、主は御父と同質の神で、世の存在前に居た方です。私たちを、神ご自身の血で買い取った神の教会(使徒20:28)に加えてくださり、主が天の窓を開き、真の神を見せてくださるのです。

Ⅱ.創造者の主イエス(2—3)…


この個所は、父なる神と御子は一つであり、万物を主が創造したことを告げ、神は御子を通して、天地創造の働きに係わったのです。ある異端者は、イエスは神の被造物であると主張していますが偽りです。主は万物の創造者です(詩篇148:4—5)。

Ⅲ.いのちと光の源(4—5)…

  1. いのち(4)。主こそが「全ての霊的生命と霊的光の源泉」であり、永遠のいのちです。人は、主から常にいのちを頂いて来ました(詩篇104:29)。主は、創造された全てのものの命の源であり、全ての命は主によって維持されています。御父である神は、御子を通し私たちに永遠の命をくださり、この命によって神と交われます。この与えられた命は光、知性の光を宿しています。この知性の光は、主がくださったもので、この知性の光によって神を知り、神の愛を知って、主の栄光を表すことができます。
  2. 光(5)。光の反対は闇です。闇は悪魔の力、悪、愛の無さ、罪を象徴します。神から見た私たちの世界は闇の世界です。世界の始まりの時、神が創造した世界は完全で、素晴らしいものでしたが、人間が罪を犯し、堕落し、神から離れ、呪いの中に生きるものとなりました。「やみはこれに勝たなかった」。他の訳は、「暗闇は光を理解しなかった」(新共同訳)、「光を受け入れなかった」(詳訳)。相手の考えを理解出来たら勝ったも同然です。「理解する」は「捕える、支配する」ことを意味します。聖書は光と暗闇の関係を示し、人間の知性が閉ざされたことを明確にします。神に背を向けた人間は、与えられた知性の光を暗くし、暗闇の中に閉ざされました。こうして人間は、神を知ることもできなくなり、知性の光によって主の栄光を表せなくなりました。神は、暗闇に閉ざされた人間を救うために、命と光の源である御子を、最も高いところから、最も低い死と暗闇のどん底の、この世に遣わし、命と光をもたらしました。このことを喜ぶのが、クリスマスを祝う意味です。私たちはこの命と光の中にあって、真の霊的生命と光を持ち続けることができるように、命の光である主を信じ、主に依り頼み、真の光の内を歩み輝かせていただきましょう。



教会の各活動


青年学生クリスマス会とCS教師会が行われました。


今週~来週の予定

○婦人祈祷会 火曜日(12月12日)10:30~12:00


聖書:詩篇69篇26節
題:傷と痛み
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:67、38

○聖書研究祈祷会 水曜日(12月13日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝21章1~16節
題:エルサレムを目指して
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:88、207、428

○主日歓迎礼拝 来週日曜日(12月17日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書60章1-2節
交読文:46  詩篇148篇
聖書:ヨハネの福音書1章9節
題:「クリスマスの光」
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:8、68、73

2017/12/03

第1アドベント礼拝「真実な神の言葉」

第1アドベント礼拝メッセージ「真実な神の言葉」イザヤ書55章8~13節


長谷川和雄師


神の約束のことばは真実で、長期的で時には瞬時的です。神を愛する者に最善をなされます。今日の個所で神が人と対比され、超越的で絶対的な事が記されています。真実な神に信頼を置く者には、今たとえ苦難の中にあっても、最終的に神による喜びを手にすることが出来る、との神の約束が、神ご自身のことばとして、美しく詩的に表現されています。

Ⅰ、神と人間(8—9)…

  1. 思いと道。神と人間の思いと道が比較されています。「わが」は神ご自身であり、「思い」は考え、計画、構想です。「道」は思いを実行する時の手段、方法です。その思いと道が、神と人では全く異なります。「あなた」とは、神を畏れ敬う人ですが、それでも神の思いと道は全く異なります。
  2. 違いは、神と人には天地の差があり、神の思いと道を人には理解できません。人が知っていると言う人は、み前で知るべきことも知らない人です。だから、人が神の思いと道の違いを理解し、納得出来ないことを受け入れることは重要です。神の悪人の赦しは人の理に反し、人は悔い改めをためらいます。神は全知全能であり(ルカ1:37)、神を畏れ敬い、信頼し、全てを任せて従う者に神の平安が与えられます。

Ⅱ、神と人の思いと道の相違(10)…

  1. 人の言葉は、人の思想、意思、計画等を明らかにし、人を動かし、出来事を起こし、時には人や事態を混乱させ、破壊し、虚しさを残しやすいです。
  2. 神のことばは、神の思想、意思、計画などを明らかにし、「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(創1:3)様に、ことばが現実になります。また主が、死んだ者に「起きなさい」(マコ5:41)と言うと生き返りました。ことばのヘブル語の原語の意味は、「ことば・出来事」で、語られた神のことばは必ず現実になります。イスラエルの民が神のことばに聞き従うと神の栄光を拝し、聞き従わないと民は敗北し困難をもたらしました。地に雨を降らせ良きものが生じるように(10)、神のことばには力があり、救いと命を与えます。神のことばは生きており、活動し、力を持っています。これが人の言葉との大きな相違点です。「草は枯れ、花はしぼむ。しかし…神の言葉はとこしえに変ることはない」(イザ40:8)。だから、預言者は神のことばを絶対的に信頼し、聞き従うように、民に常に力強く訴えたのです。

Ⅲ、神のことばの確かさの保証(11)…

  1. 神の保証。神のことばの成就が、人の期待する形、時期、方法、場所等で違う事が多く、直ぐ受け入れられませんが、神ご自身が保証します。
  2. メシヤの現れ。ユダヤ人のメシヤ観は、ローマの属国から解放する強い王であり、主の説く救い、神が人となったこと、誕生の預言の成就、方法、主の御業、十字架、復活等を理解し、信じることが困難でした。神の道は何にも妨げられず、主は十字架の道を自ら進んで歩み、民は主を十字架で処刑しました。
  3. 人の思いと道。人は神から遠く離れ、深く広く高い神の思いと道、神の存在や、神の業が分からず、神を人の道具にして祈りますが、不信仰で神は死んだとさえ言います。しかし、真の預言者も主も、神のことばに堅く立って歩むことが、人の生きる道ですと訴え続けます。

Ⅳ、神のことばに生きる者への約束(12—13)…


神のことばに堅く立って歩み続ける者に与えられるもの。記された喜びは、バビロン捕囚から解放の出来事です。その解放の喜びを、自然の擬人的表現で、役に立たず作物の害になる植物が、有用で薬用になる木が生えると記します。解放の喜びは、平安を永久に満たし続けます。主の再臨の約束を覚え、アドベントの今、み言葉の約束に堅く立って歩み、いつでも神の前に立つ備えをしましょう。



教会の各活動


教会役員会が行われました。


今週~来週の予定

○婦人祈祷会 火曜日(12月5日)10:30~12:00


聖書:創世記1章27節
題:神のかたち
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:1、448

○聖書研究祈祷会 水曜日(12月6日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝20章17~38節
題:ミレトでの決別説教
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、143、385

○第2アドベント礼拝 来週日曜日(10日)10:30~12:00


招詞:マルコによる福音書1章15節
交読文:37  詩篇119篇
聖書:ヨハネの福音書1章1~5節
題:「初めに言があった」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:68、75、361

2017/11/26

主日歓迎礼拝「主に感謝せよ」

主日歓迎礼拝メッセージ「主に感謝せよ」詩篇136篇1節


長谷川ひさい師


400年程前、英国からアメリカ大陸に信仰の自由を求めて、約120名の人々がメイ・フラワー号(船)でやって来ました。人々は慣れない土地で、森の木を切り丸太で家を建て、生活を始めますが、多くの人は都会育ちで農業に慣れておらず、約半分の人々が飢えと寒さで死にました。春に親しくなったインディアンから、トウモロコシやえんどう豆、小麦、大麦などの種まきを教えてもらい、2度目の秋には沢山の収穫が与えられ、教会で感謝の礼拝をしました。また、インディアンの友を家庭に招き、パンやケーキを作り、野生の七面鳥やカモの焼き肉を作り感謝しました。これが収穫感謝の始まりですが、米国では毎年11月第4日曜日を収穫感謝の日(祭日)にしました。

日本では11月23日を勤労感謝の日とし、年に一度、収穫や元気で働けたこと、他の方々の苦労を覚えて感謝することは素晴らしい事ですが、年に1度の感謝で終わらず、普段の生活でも感謝することは大切であり必要な事です。自然の恵みを感謝し、親の恩を感謝し、先生や先輩の愛を感謝することも大切であり、これを導き祝福して下さる神に感謝することを忘れてはいけません。

  1. 今日の聖句をリビングバイブルでは「絶え間なく恵みを注いでくださる主に感謝しなさい」とありますが、この感謝の心は美しい人格の要素です、とある方が言いましたが、案外私たちは当たり前と思い感謝の心を失っていないでしょうか。朝、目覚めた時から、夜床に就くまでどうでしょうか。いやな出来事や、面白くないことに遭遇したことを思い出し、「今日はついていない」「つまらない」「馬鹿々々しい」と、文句ばかり出て来ていないでしょうか。思いがけない交通事故、商売が失敗したりするとなお感謝できません。農家の方々も、今年のように風水害で作物がダメになると感謝できません。
  2. では私たちは、なぜ日ごろ感謝できないのでしょうか。それは、私たちにわがままな心、自我があるからです。いつも自分が中心で、「私が」「俺が」という自己中心な心があるからです。この自己中心は、感謝な心を失わせ、やがて妬み、恨み、不平不満を言わせます。これが罪です。罪とは、法律に触れることだけではなく、自我を突っ張り、我ままいっぱいに生活する事も罪です。その罪は、自分自身や周りの人々の心を痛め、そして、そのために人々と仲良くできなくなり、争いごとになり、ついには傷害事件や殺人にまでなりかねないのです。
  3. 主は「茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない」(マタ7:16—18)と言われました。わがままで悪い心では、悪い行いや悪い結果しか生まれてきません。しかし主は、こんな私たちを新しく造り変えるために来られました。主は私たちに、新しい心と新しい思いを持つ人に変えてくださいます。主は、その罪を取り除くために十字架にかかり死んでくださり、永遠の命を与えてくださるために3日目によみがえられたのです。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(Ⅱコリ5:17)とあるように、主を信じる時、私たちの心に感謝の心が与えられ、罪の赦しを心から感謝し、喜びに満たされます。そして周りの人々に思いやりのある暖かい愛が生まれてくるのです。私たちも主にあって罪を赦された感謝を新たにしましょう。そして、いつも主を見上げ、感謝の生活を送りましょう。


教会の各活動


会衆賛美の様子
ハンナ会(クリスマス会)、青年会(クリスマス準備)が行われました。


今週~来週の予定

○婦人祈祷会 火曜日(11月28日)10:30~12:00


聖書:マタイの福音書14章18節
題:ここに持って来なさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:19、232

○聖書研究祈祷会 水曜日(11月29日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝20章1~16節
題:励ましと慰め
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:201、445、317

○第1アドベント礼拝 来週日曜日(3日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書40章4~5節
交読文:49  イザヤ書40章
聖書:イザヤ書55章8~13節
題:「真実な神の言葉」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:9、67、361

2017/11/19

主日礼拝「心の深みまで新たに」

主日礼拝メッセージ「心の深みまで新たに」エペソ人への手紙4章17~24節


長谷川和雄師



誰でも孤独と不安と虚しさを感じますが、億万長者でも同じです。主は一人のいのちの尊さ、存在の重さを教えました(マタ16:26)。孤独や不安を解消するために、欲望を満たそうと貪る人生は結局、虚しいままで終わってしまいます。

Ⅰ、神から離れた歩み(17—19)…


真の神を知らず、神から離れて歩む者の心をこの個所に見ます。
  1. むなしい心(17)。その心は、「実を結ばない・無駄・いくら求めても到達できない」心の状態です。もし、人が神の被造物でないなら、偶然の存在で、意味も目的もなく、人生が空しいです。しかし聖書は、神が人間を意味と目的をもって創造したと教えています。その意味や目的は、神は愛そのものの方で愛の対象として人を創造しました(1ヨハ4:8)。ですから、私たちの存在が神の目的であり、神に造られたことを感謝し、神の愛を喜んで生きることが、神の喜びです。愛の神のみこころに生きることが人生の目的であり、神に用いられるとき、私たちの存在の価値が最大限に引き出されます(ロマ12:2)。
  2. 頑なな心(18)。「頑なな心」(新改訳)の原語は「特別に固い石」の意味の派生語で、創造主に背を向け続け、神との関係がズレた状態のままで歩むことです。動脈硬化によって命の危険が迫るように、どんどん頑なとなって神の命から遠く離れる心です。イスラエルの民は、モーセに率いられエジプトを脱出し荒野を旅しますが、神は愛をもって必要を満たしましたが、神の言葉に耳を傾けず、従わず、少しの困難でも、つぶやき、文句を言い、神に背く「強情・頑固・うなじのこわい」民で、「かたくなな民」(出32:9他)と言われました。その頑なな心ゆえ、40年荒野をさ迷い、民の多くは約束の地に入れず、途中で命を失いました。頑なな心にならないために心を点検し、神への信頼や感謝の心を失ってないか、不満・愚痴・妬む心がないか、など不信仰を確認したら、主の十字架の血潮を仰ぎ、み言葉の約束に立ち、神のみこころに従い、主への信仰を告白しましょう。そして、神の愛や恵みや真実や祝福を思い起こし、神との交わりを回復しましょう(ヘブ3:8)。
  3. むさぼりの心(19)。その心は「道徳的に無感覚」(新改訳)となり、自分の欲望が満足されるなら、人の非難を気にかけないという態度で、獣のような心です(詩篇73:22)。「人の心には、神以外には埋め尽くすことの出来ない空洞がある」(パスカル)ともあります。

Ⅱ、新しい人生(20—24)…


この個所で、真理の主が教えた生き方は、主とくびきを共にし、主から学ぶ事です(マタ11:29)。
  1. 古い人を脱ぎ捨てる(20-22)。「空しく、頑なで、貪る心」のままに生きていた古い人を脱ぎ捨てることは、自分の努力や頑張りではできません。古い人を十字架につけるのです(ガラ5:24)。それは磔殺信仰、神を信じ(2コリ5:17)、明け渡す信仰によってです。信じる時、私たちの内に聖霊が宿り、新しい命に生きる者として新創造されたのです。
  2. 新しい人を着る(23-24)。十字架の恵みによって罪を赦され、きよめられ、「義」とされ、神と正しく、親しい真っ直ぐな関係を持てるのです。主の十字架の贖いは完全です。また、「聖」なる者とされ、神は私たちの本来の価値を引き出し、私たちは「神にかたどって造られた新しい人」を着る者とされます(ロマ13:14)。聖霊は神の御性質である愛、真理、誠実、寛容、忍耐などに与る者とされます。カルバリーとペンテコステ、十字架と聖霊と言われてきた通りです。弱い私たちですが、信仰の創始者・完成者である主を仰ぎましょう(ヘブ12:2)。

今週も、この主に教えられ、支えられ、豊かな恵みと真実の中を歩みましょう。



教会の各活動


本日は転会式も行われました
CS教師会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(11月21日)10:30~12:00


聖書:イザヤ書65章16節
題:神による祝福
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:190、427

○聖書研究祈祷会 水曜日(11月22日)19:30~21:00


聖書:箴言28章13~14節
題:罪を言い表す
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:41、262、266

○主日歓迎礼拝 来週日曜日(11月26日)10:30~12:00


招詞:詩篇100篇1~2節
交読文:43 詩篇136篇
聖書:詩篇136篇1節
題:「主に感謝せよ」
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:7、171、427

2017/11/12

主日礼拝「幼児を抱かれる主」

主日礼拝メッセージ「幼児を抱かれる主」マルコによる福音書9章30~37節


長谷川和雄師



児童祝福式の様子
今日、児童祝福式を行いました。この個所からイエスの子どもへの思いを見ます。マルコ8章は大転換点で、ピリポ・カイサリア地方で、主は初めて弟子に自分の受難の死と復活を預言しましたが、弟子や民のメシア理解に大きな相違があり、ご自分がメシアであることを言い広めてはならないと命じました(8:30)。メシアが正しく理解されるためには、主の十字架の死と復活が必要でした。9章に入り変貌の主を弟子が見た後、一行はひたすらエルサレムに向かいます。

Ⅰ、メシア理解の混乱…

  1. 主の一行は、かつて主が洗礼者ヨハネから洗礼を受け活動を開始し、12弟子を選んだカペナウムに到着する前、主は再び受難と復活を預言しました。最初の預言の時に驚いたペテロのメシア理解が、民族解放の英雄なので主の預言を否定し、主から悪魔同然だと叱責されました。ですから、この時も弟子に預言の意味を理解されておらず、怖くて何も聞けなかったのです。
  2. また、弟子の間に主に従うことは一体何か、との疑問がありました。この方はエルサレムに入城した後、天の軍勢の力で占領者と政権を打ち倒し、ユダヤ民族を解放し、真の王として君臨し、諸国に命令する方と信じて従って来たが、主が死んだら民の解放や、弟子の立場はどうなるのか。また、復活後、民族解放運動が新局面に入るのか、とメシアのイメージが混乱していました。メシアに対する正しい意味を理解するためには、十字架と復活の出来事が起きないと無理でした。こんな状況なので、人々に知られないために、前に入った家に入りました(30—33)。

Ⅱ.仕える者になる事…


カペルナウムで家に入った主は、弟子に道中で何を話していたのか聞きますが、「だれが一ばん偉いか」(34)との話しを誰も言えません。主は全てをお見通しです。人でなく神の目で見て最も偉く、神のみこころに適う偉大な者は、「一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」(35)と教えます。これは、主が行ったことでした。主は神の栄光に包まれていましたが、神への不従順と罪ゆえに神との親しい交わりを失った人間の回復ために、人類の全ての刑罰の身代わりに十字架で死んだ主を救い主と信じるなら神は赦しを与え、永遠の命を与え永遠に神と親しい交わりができるようになったのです。正に、全ての人の後になって全ての人に仕え、一番先の者になったのです(ピリ2:6—11)。ここで、主は心を低くし、僕のように皆に仕える人が、実は一番偉いということでした。また、本当に偉い人は人の評価を気にしませんが、中身のない人は自信がないので、人目や世の評価を気にするのです。

Ⅲ.幼な子を受け入れる…


「一ばんあとになり、みんなに仕える者」(35)ということについて、主は言葉と行為をもって教えました。主と弟子が車座に座り、子どもの立場が全く弱い時代に、幼な子の手を取り真ん中に立たせ、「抱き上げて」 (36.新共同訳)、主は「わたしの名のゆえに」(37)、世話を焼かせ、手がかかり、時間をとられる子どもを、あたかも主ご自身であるかのように幼な子受け入れることが、主を受け入れられない「みんなに仕える」(35)ことです。幼な子には、大人同様に救いと永遠の命の道が開かれていることを認めて、幼な子を受け入れることは、主と父なる神を受け入れることです。この十字架の福音を受け取っていない大人や幼な子は、世に大勢います。今日、信仰継承を考える時、幼い魂の祝福と守りを毎日祈り、幼な子の素直な心に信仰を継承し、幼な子を通して大人への信仰継承がなされ、いよいよ神のみ名が崇められる事をお祈りしましょう。



教会の各活動


会堂大掃除(壮年会、ハンナ会、青年会合同)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(11月14日)10:30~12:00


聖書:2コリント書7章5~6節
題:慰める神
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:41、251


○聖書研究祈祷会 水曜日(11月15日)19:30~21:00


聖書:詩篇32篇1~8節
題:罪が赦される
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:191、264、266


○主日礼拝 来週日曜日(11月12日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書57章15節
交読文:19 詩篇51篇
聖書:エペソ書4章17~24節
題:「心の深みまで新たに」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:224、369、428

2017/11/05

主日礼拝「愛のうちに育つ」

主日礼拝メッセージ「愛のうちに育つ」エペソ人への手紙4章14~16節


長谷川和雄師



最高の賜物、主イエスさえ惜しまず私たちに与えた神は、無条件に無限の恵みを下さいます。主は、神の栄光を捨てて人となり最も低いところまで降り、人の弱さや痛み、苦しみを理解し、身をもって生き方を示し、罪を負い十字架で死なれて罪を赦し神との和解の道を開き、復活し死に勝利しました。主は全てに打ち勝つ力と権威を持ち、主に信頼する者を様々な束縛から解放し、豊かな恵みを与える勝利の王で、天に上りました。主を、聖書を通して知り、私たちを整え互いに仕える心を与え、主のからだなる教会を建て上げます。だから、健全な信仰生活とは健全な教会生活です。続きを学びます。

Ⅰ、波風に翻弄されず(14)…


この世には、色々な教えの風が吹き、人生を台無にする宗教的な悪巧みや策略が多くあります。当時も色々な間違った教えの風が吹き、今も吹いています。

  1. 「救いには努力が必要」という条件付きの教え。主の十字架と復活によって永遠の命が与えられました。神の賜物であり恵みの救いを受け取り、主を救い主として信じ受け入れる信仰だけで救われます(2:8、ヨハ1:12—13)。しかし、信じるだけでは不十分で、戒めと儀式を守り、善行が必要、という教えは説得力があります。なぜなら、私たちは努力して何かを得る生き方に慣れていて、疲れる修行努力を好みます。異端やカルトは、救われるためにもっと伝道と献金をすべきです、と教え人々を縛り操ります。赤子は自分の努力で生まれてきません。
  2. 「特定の人間に権威がある」という教え。聖職者を階級に分け、階級が上ほど大きな権威と権力を持ち、聖書の権威を越え、神になってしまい、信徒は神に親しく祈れません。聖書は、神と私たちの仲保者は主だけです(1テモテ2:5)。
  3. 「自由だから何をしてもかまわない」という節度がなく気ままな教え。主は自由を与えてくださったのだから(ガラテヤ5:1)、欲望の赴くまま罪と快楽を経験しつつ、魂を清く保つのが鍛錬だ、などと考えます。しかし、聖書は、私たちには、全てのことを「する自由としない自由」があり、無益で徳を高めず人を支配し縛ってはいけないと教えます(1コリ10:23)。次に健全な歩みを学びます。

Ⅱ、愛を持って真理を語る(15)…


主ご自身が真理です(ヨハ14:6)。真理を語るとは、主が愛と恵みと祝福を豊かに与える方だと語ることです。愛のない者に神は分かりません(1ヨハ4:7—9)。神は愛そのもので、主は神の愛を具体的に表した方です。主を語るとき愛がなければ、本当に真理を語っていません。エペソ教会は「初めの愛から離れ…た」(2:4)とあり、彼らは正当性を守ろうとするあまり、大切な愛を失ったのです。私たちに弱さや欠点、間違いや失敗があっても、主は愛し、赦し、導き、成長させ、キリストご自身に似た者へと変えてくださいます。愛と真実に満ちた主をいつも見上げ、主の愛をもって真理を語りましょう。

Ⅲ、愛のうちに育つ(16)…


教会は主のからだであり、私たちはからだではなく器官です。自分の正しさを捨て、「キリストを基とし」、主のみこころのみ言葉と、同じ信仰に立つ時、教会は健全に成長します。主が私たちを愛の絆で組み合わせ、結び合わせ、成長させ、建て上げてくださいます。その愛は、神・キリスト・聖霊が与えてくださる愛、神の愛に支配され、愛を豊かに受けて、その愛に応える者とされ、主にある者同士、互いに愛し合って結ばれるのです。今週も、キリストの豊かな愛の中に育てられ、恵みと真の中に必要が満たされ、日々主にある平安に生かされ、主に似た者とされていることを覚えつつ歩みましょう。




教会の各活動


教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(11月7日)10:30~12:00


聖書:エレミヤ31章16節
題:わざに報いがある
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:285、183

○聖書研究祈祷会 水曜日(11月8日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝19章21-41節
題:異教文化の反応
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:267、458、460

○主日礼拝 来週日曜日(11月12日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:41 詩篇127篇
聖書:マルコによる福音書9章30—37節
題:「幼児を抱かれる主」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、483、聖歌490

2017/10/29

創立70周年記念礼拝「生きている教会」

創立70周年記念礼拝メッセージ「生きている教会」ヨハネの黙示録1章9~20節


北尾欣三師(当教会出身、教団引退牧師)



教会創立70周年記念礼拝に招かれ感謝している。1947年に京都信愛教会として発足、日本キリスト教団の教会となり、1952年に日本イエス・キリスト教団に加入した。私は、北野に会堂があった頃導かれた。1960年に献身し、皆さんの祈りによって今日あることを感謝している。教会が、今日まで守られ導かれたことを感謝したい。キリストが主として治めておられることを信じて歩んでいただきたい。教会が最初からきびしい状況にさらされてきたことを忘れてはならない。しかし、天地の主、教会の主に信頼して,信仰の火を燃やし続け、前進したい。

  1. 黙示録は、紀元80年頃、ローマ帝国に迫害されたヨハネが福音のためにパトモスに流された時に見たキリストとメッセージが記されている。帝国は彼を捕らえたが、神の言葉を島流しにできなかった。主は黙示を与え、教会の隠された栄光を教会に示した。彼と信徒たちは、石切の強制労働前に早朝礼拝をし、彼がアジアの諸教会を想いつつ礼拝していた時、彼は「大きな声」(10)で、「あなたが見ていることを書きものにして…七つの教会に送りなさい」(11)と力ある明確な声を聞き振り向くと、「七つの金の燭台」(12)の間に「人の子のような者」(13)が見えた。私たちは礼拝堂で礼拝しているが、信仰の目は誰に向けられ、誰の声を聞いているか。「七つの金の燭台」は、火皿のある一つの燭台(神殿のメノーラ)で教会を表し、燭台には灯がともり赤々と暗闇を照らしていた。当時の教会は洞窟の教会でしたが、激しい迫害の嵐が吹いても燭台の火は消えなかった。教会に「人の子のような者」が無限の供給者としておられる。私たちは教会の頭として、無限の供給者の臨在を見失わず、生き生きとした信仰を持っている限り、灯は決して消えない。
  2. 「人の子はどんな方か」。ヨハネは大祭司(13)により神に近付き、聖なる神を知った(14a)。私たちは主から聖なる者とされた。燃えるような熱い目を持って見つめ(14b)、全てを知り守り導く方である。私たちは弱く疲れ果てることがあるが、彼は決して弱り疲れない方である(15a)。狭い会堂で、少数の人に語っているようであるが世界に届く(15b)。「聖書人生相談」(you tube)は、日本各地で聞かれている。私たちは小さく弱いが、御使を遣わし教会を守り、導くことを信じよう。
  3. 「右手を置かれた方」。栄光に圧倒され倒れ平伏しているヨハネに右手を置き、「恐れるな」(17)と言われた。命の主、恵みの主が右の手を置かれ、恐れは確信と平安に変わる。今朝、私たちは主が右の手を置いて「恐れるな」と言われたことを信じて帰ろう。主は、私たちに手を置いて言われる。

  • 「わたしは初めであり、終り」(17)。永遠におられ、天地の創造者で完成者、教会の初めで完成者、信仰生活の初めで完成者が、自分の修行や努力で信仰生活を全うできない者に手を置き救いの完成を宣言された(ヘブ12:1)。主の御手を信じて信仰生活に励みたい。
  • 「世々限りなく生きている」(18a)。主は死んだ者の神でなく生ける神であり、歴史を支配し、私たちを聖霊により生かし、支え、守り、必要を満たす方である。全ての人は死に勝てないが、主は、復活により永遠の勝利者となった。世々の教会は.この勝利を信じ続け、困難を乗り越えてきた。
  • 「死と黄泉とのかぎを持っている」(18b)。主は、死と陰府を支配する権威を持つ方である。私たちは、「あなたの命はわたしにある」と主に言われ恐れはない。主を見上げて、できる奉仕をしていきたい(2:10)。ポリカープ(150年頃スミルナの監督)に倣い、静まって、主の御手があることを受け取ろうではないか。




教会の各活動


ファミリーコンサートが行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(10月31日)10:30~12:00


聖書:詩篇27篇3節
題:頼むところ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:260、280

○聖書研究祈祷会 水曜日(11月1日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝19章8-20節
題:主のみ言葉の力
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:42、183、361

○主日礼拝 来週日曜日(11月5日)10:30~12:00


招詞:ヨハネの福音書15章9-10節
交読文:57  1コリント書13章
聖書:エペソ書4章14~16節
題:愛のうちに育つ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、341、349

2017/10/23

ファミリーコンサート(10/29)のお知らせ

※この記事は、10/29の「ファミリーコンサート」のお知らせです。

2年連続で好評いただいたファミリーコンサートがまたまた帰ってきました!

京都信愛教会の教会員や家族が、それぞれ楽器や声楽で、いろいろな音楽を奏でます。

賛美歌を始め、クラシックやヘルマンハープまで、いろんな音楽を楽しみましょう♪

ご家族、ご友人の方々もぜひ、お越しください!

詳しくは、下のチラシをご覧ください。




■日時


2017年10月29日(日) 13:30~15:00

■演奏者:京都信愛教会の教会員、家族など


美歌を始め、クラシックやヘルマンハープまで、
それぞれの演奏者がどんな思いを持って演奏するのかの紹介を兼ねて、奏でます。

■当日 午前(10:30~12:00) は  【創立70周年記念礼拝】  です


メッセージ: 北尾欣三師 (日本イエス・キリスト教団引退牧師)

当教会出身。著書に「聖書人生相談」など。



■会場・お問い合わせ


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい
※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2017/10/22

主日礼拝「教会を建て上げる」

主日礼拝メッセージ「教会を建て上げる」エペソ人への手紙4章7~13節


長谷川和雄師



お互いは主のからだの一部で器官です。各器官は形や機能は皆違い、互いに連携し体を保ちます。同様に教会に集うお互いの役割を担うことにより一致が与えられます。聖書の一致とは皆同じになることではなく、教会に異なった者が集い聖霊によって与えられる一致を保つために、「謙虚・柔和・寛容・愛をもって互に忍び」(2)、互いの共通点(体・御霊・望・主・信仰・バプテスマ・父なる神が一つ)を確認します。お互いの違いを認め、同じイエスを主とする時、調和が生まれます。続きを学びましょう。

ミリアム・デービス師に PBAの証をいただきました

Ⅰ、主の賜物の量り(7)…


「賜物のはかり」を、価値に応じて恵みが与えられる、と読んだら恵みは不公平です。
  1. 賜物。この言葉に定冠詞があり、「かのひとつの賜物」で「主という賜物」と訳され、キリストという最高の賜物を賜った神の恵みは無制限に与えられます(ロマ8:32)。主の恵みから漏れる人はいません。
  2. 恵み。この言葉にも定冠詞が付いており、「かのひとつの恵み」と訳され、求める者は無制限に罪が赦され、永遠の命が与えられ、神の子とされる「救いの恵み」が与えられます(2:4—5。3:18—19)。キリストの賜物の量りに従って与えられる恵みも人知をはるかに越えたものです。

Ⅱ、賜物を分け与える方(8—10)…


無限の恵みを与える方は、
  1. 勝利の王。引用されている詩篇68篇は凱旋行進の歌です。困難な状況でも神が勝利を与え、奪い返し人々に分け与える勝利の王こそ主ご自身です(1:22—23。ヨハ16:33)。勝利の主が教会に満ち、無限の恵みを与えられるのです。
  2. 降った方。「降り」とは、主が神の栄光を捨て人となり、人と同じ立場まで下り「謙卑」を現しました(ピリ2:6—11)。私たちに神の愛と恵みの素晴しさ、人としての生き方を身をもって示し、私たちの罪を全て負い十字架上で死なれ、罪の赦しと神との和解の道を開きました。
  3. 上った方。主は3日目に復活し、天に昇り弱い者のために執り成す大祭司となりました(ヘブ4:15)。しかも、「もろもろの天の上にまで上られたかた」⑽です。主は人々が迷信的に恐れた空中や天空の霊より力ある方で、圧倒的な勝利者となられ、それらの霊は皆武装解除され、もはや私たちを攻撃できません。この方を王とし主と迎えたので、私たちに無限の恵みを与えることがお出来になるのです。

Ⅲ、主が立てた者(11—13)…


1) 働き。「キリストご自身」(新改訳)が、恵みを伝えるために教会に「使徒、預言者、伝道者、牧師、教師」を立てました。
  1. 「使徒」。主と行動を共にし、復活の主の目撃証言者です。
  2. 「預言者」。神の啓示を受け、神の言葉を伝えた人。今は完成した聖書が使徒と預言者の役割を果たします。
  3. 「伝道者」。主に教会外で巡回し、未信者に福音を宣べ伝える人。
  4. 「牧師」形成された神の群を養う人。
  5. 「教師」聖書を正しく教える人で、聖書の約束と神の恵みを味わえるように導き、み言葉に仕えることに専従する人です。

2) 働きの目的(12—13)。「聖徒たちをととのえ」の「整える」に3つの意味があります。
  1. 「回復・修正」。聖書の約束で破れを回復し、み言葉によって誤りを修正する。
  2. 「補う。訓練する」。み言葉によって欠けを補い訓練する働き。
  3. 「結び合わせる」働きです。主にあって互いが大切な存在であることを、聖書から教えられ、分かち合う働きです。

整えられた人は奉仕に導かれ、互いに仕え、助け合い、支え合い、祈り合う、仕える心をもって(1ペテ4:10)、共に主のからだなる教会を建て上げ、主の満ち満ちた身たけに成長し、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達する姿が生まれます。「互に受けいれて、神の栄光をあらわす」(ロマ15:7)教会とさせていただきましょう。




教会の各活動


青年会主催の工作教室(クリスマスリース作り)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(10月24日)10:30~12:00


聖書:ヨブ記4章4節
題:心を見られる
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、38

○聖書研究祈祷会 水曜日(10月25日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝19章1-7節
題:エペソのペンテコステ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:261、446、408

○創立70周年記念礼拝 来週日曜日(29日)10:30~12:00


招詞:ヨハネの福音書4章23-24節
交読文:31  詩篇100篇
聖書:黙示録1章9~20節
題:生きている教会
説教者:北尾欣三師
新聖歌:18、145、389

2017/10/15

特別伝道礼拝「真の心の拠り所」

特別伝道礼拝メッセージ「真の心の拠り所」伝道の書1章1~11節


水川武志師(峰山協会)



昨今戦争のうわさが行き交う時、神は戦争の痛みを知る者たちに「平和をつくり出す使命」を託されていると思います。ダビデの子ソロモンが、神から豊かな知恵を授かり、当代一の知恵者の記録を学びましょう。

Ⅰ.一切は皆空である(2—4)…


  1. 世界有数の知恵者である生身の人間が、人生経験を重ねて正直実感することが、「空の空、空の空、いっさいは空である」と記します。彼は「日の下」(伝道の書に28回出てくる)社会生活において、父ダビデの後継者で王となり、知恵に満ち、世界の人々から尊敬され、国は平和に守られ、世界一の富を手に入れ、知恵を尽くし、学者を集めて教えを請い、時には遊び戯れたが全てが空(同37回)だというのです。
  2. 人は、自分の命について不安があります。ダビデも、「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。まことに、すべての人はその盛んな時でも息にすぎません」(詩編39:4-5)と言いました。ダビデは王として40年も国を治め、70歳を超えても活躍でき、大往生した人なのに迷ったのです。

Ⅱ.皆その時にかなって美しい(3:10—11)・・・


  1. ここまで主語は「わたし」ですが、この個所から主語が「神」となっています。「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(11)とありますが、この「美しい」との言葉は、美しいとの意味を持つとともに、「絶望の理由となるどころか、喜びの源に変えられる」との意味があります。何が、この大逆転を与えるのでしょうか。「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」(11)とあり、神が永遠の保持者です。神以外に永遠をもっていません。どんな悪事をして金儲けした人も、清貧に甘んじ、人に尽くし、善人として生きても皆同じく人は死ぬ。そこには差別が無く平等です。ところが神は、人の心に永遠を思う思いを授けました。そして、神の存在を認め、神の前に全ての人は立たされ、その生きざまを全て白日の下にさらされます。神を畏れて生きた者は祝福され、そうでない者は裁かれる。このことに人が目覚める時、尊徳、利害を超えて、自分が生きてきたことについて答えを得るのです。ダビデは、「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」(詩編119:71)と信仰の告白をし、パウロは、「患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである」(ロマ5:3—4)と告白しています。
  2. 私たちは、自分の人生の中心が神であると気が付く時、人生観が全く変わります。私の初任給は現在の平均月給の1割以下でしたが、当時では高給取りでした。営業で入社3ヶ月目から、2万人余りの社員の中で、前年比売上率で全国1位になり、それから5年間トップクラスを続け、退社時数百万円の貯金がありました。これだけあれば神学校の授業料を払い、自分で教会堂を建て独立伝道が出来ると思いました。しかし、神は、「お前は命がけの信仰と言うが、お金があるから献身するのか」と示され、神の前に、「神様間違っていました、神様あなただけを信じて出発します」と告白し、預金の全てを母教会の会堂献金として献げました。入学後の一切の必要は、祈る事で満たして頂いたのです。資金集めに命がけだった者が、遣わされた教会の会堂建築が実現し、会堂献金を献げる事が出来、今日まで楽しく歩めました。儲かるとか、成功するとかでなく、神のなさることは皆その時にかなって美しいのです。



教会の各活動


(午後の壮年会は休会しました)


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(10月17日)10:30~12:00


聖書:ヨブ記4章4節
題:心を見られる
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、38

○聖書研究祈祷会 水曜日(10月18日)19:30~21:00


聖書:マタイの福音書5章4節
題:慰められる
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:9、191、202

○主日礼拝 来週日曜日(10月22日)10:30~12:00


招詞:ローマ書5章5節
交読文:39  詩篇122篇
聖書:エペソ書4章~13節
題:教会を建て上げる
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、145、146

2017/10/09

工作教室 (クリスマスリース作り) のお知らせ

※この記事は、10/22の「クリスマスリース作り」のお知らせです。

京都信愛教会の青年会が主催となって「工作教室: クリスマスリース作り」が行われることになりました。今回が初めてのイベントです。

みなさんで一緒に、家に飾ることの出来るクリスマスリースを作ります。

材料と道具は教会で用意いたします。教会員以外の方は参加費は無料です。
どなたも参加いただけます(信徒かどうかを問いません)。

詳しくは、下のビデオとチラシをご覧ください。



工作教室の案内です(クリックして拡大できます)

■日時


2017年10月22日(日) 13:00~15:00


■工作教室


クリスマスリース作りを行います。材料と道具は教会で用意いたします。

■会場


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい

※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2017/10/08

主日礼拝「聖霊による一致」

礼拝メッセージ「聖霊による一致」エペソ人への手紙4章1~6節


長谷川和雄師



1-3章に、私たちは業績や努力でなく(2:8)、神の恵みと信仰によって祝福を受け取り、主の十字架と復活によって、罪赦され、神の前で聖い者とされ、神の子として御国を受け継ぎ、無尽蔵の富と主の愛に満たし、保証を聖霊がします。
後半は、そんな私たちの生きる実践編です。
4章は、信仰に生かされた者の姿や歩みはどのようなものかを記しています。

Ⅰ.召された者の歩み


  1. 「召し」は、「呼び出し何かの働きに就かせる」意味であり、「歩き」は、「振る舞い、生活しなさい」の意味で、召された状態や身分に合った振る舞いと生活をせよとあります(1)。
  2. 召された状態と身分。神に呼び出され、王である祭司、聖なる国民、神の所有の民で、神の光の中を歩み、神の憐みを受け、平安と希望に満ち、永遠のみ国を受け継ぐ者にふさわしい歩みをしなさいと勧めます(1ペテ2:9-10)。
  3. 召された者にふさわしい歩み(2-3)。
  • 謙遜。「低い者の思い」の意味で、当時「低い者」は軽蔑された卑しい身分を表し、「卑しいことを考える。奴隷根性」の意味でした。主は山上の説教で(マタ5:3)、物乞いをするほど心が貧しく、無力な己を知り(2:1)、神に助けや救いを呼び求める以外に生きる術がないとの謙遜な心こそ幸いです。真の謙遜とは、自己卑下や必要以上に低く見積もらず、偽善をせず、己に正直になり神を仰ぎます(2コリ12:9)。
  • 柔和。「すぐ切れず。途中で投げ出さない」の意味で、良い見本は主です(マタ11:29)。ある聖書学者は、「共同の益のために価値高い目標を追求することに深く没頭しているために、個人的に向けられる軽蔑、中傷、侮辱やその他のどんな思惑によっても、逸することのない心」と記します(1ペテ2:21-24)。
  • 寛容。怒りを抑えること。聖書は怒りを警告します(4:26、箴言14:29、詩篇37:1-4)。「心と唇を制御し、今日も感情を適切に制御してください」と祈り歩みます。
  • 愛をもって互いに忍ぶ。教会は、背景、年齢、性別も違う罪人の集まりなので、時には人間関係で躓きます。主の愛と忍耐を深く知り(2-3)、互いに受け入れ神の栄光を現します(ロマ15:7)。
  • 聖霊の一致を保つ。すでに主にあって一致しています。だから主にある一致を保ちなさいと勧めます。この一致は、皆同じようになることでなく、一人の指揮者のオーケストラの様に調和することです。聖霊が一致させてくださいます(ヘブ12:2)。

Ⅱ.教会の一致


一致とは、欲する違いを無視し、同じ利害に向かい、意志や考え方や行動を統一し、合わせることではありません。教会の一致とは、

  1. 体は一つ。夫々形、特徴、機能の異なる器官が集まり一つの体であるように、主の体なる教会は一つ(エペ1:23、ロマ12:5)です。
  2. 御霊は一つ。御霊とは主の体に宿る霊、一つの聖霊であり(1コリ3:16)、クリスチャンの内に住んでいます。
  3. 望みは一つ。神に召され、主に似た姿に変えられ、主の満ち満ちた姿になる望みです。
  4. 主は一つ。主イエスは神であり、人となり模範を示し、命の道に導き、守り、助け、養われます。
  5. 信仰は一つ。一つの主を救い主として信じる信仰も一つです(ロマ10:9)。
  6. バプテスマは一つ。洗礼は主と共に死に、復活し、新しい命に生きる者は、主にあって一つです(ガラ3:27-28)。
  7. 父なる神は一つ。天地万物を創造し、全てを支配し、全てのものの内におられる父なる神が、主の体なる教会の上にあり、教会を貫き、内にいてくださいます。一致を守るとは何かをすることでなく、夫々に与えられた神の恵みを思い起こし、お互いが主の愛と恵みの中で生かされていることを覚え、違いがあっても一つとされて歩むことを確認していくことです。



教会の各活動


午後は、CS教師会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(10月10日)10:30~12:00


聖書:箴言17章27節
題:軽率な発言
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:324、325

○聖書研究祈祷会 水曜日(10月11日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝18章24-28節
題:雄弁なアポロ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:178、38、429

○特別伝道礼拝 来週日曜日(10月15日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書57章15節
交読文:12  詩篇33篇
聖書:伝道の書1章1~11節
題:真の心の寄り所
説教者:水川武志師
新聖歌:2、175、260

2017/10/01

主日礼拝「内なる人を強く」

主日礼拝メッセージ「内なる人を強く」エペソ人への手紙3章14~21節


長谷川和雄師



理解している事と、体験した事の間にギャップを感じることがあります。クリスチャン生活は聖書の約束を知っているだけでは不十分です。聖書の約束に賭け、み言葉の約束に従って生きる事によって体験的に味わうことができます。み言葉を信じて祈った祈りが聞かれると、み言葉を確信できます。クリスチャン生活の醍醐味は、聖書の約束に生きることができるということです(ヨハ14:13)。

大塚信行神学生に証いただきました

Ⅰ、心からの祈り…

  1. 大胆な祈り。パウロは、主の十字架の血潮のゆえに罪が赦され、救われ、神と和解し、神の子とされ、神の家族とされ、神の御住まいとされたのだから(2:11—22)、大胆に神に近づき、神の恵みを知った者のために、一番大切なことを祈ります。
  2. 祈りの姿勢。両手を組む方が多いですが、その祈りの姿勢は束縛を表し、「弱さの故に祈らざるを得ない心を示す」。ユダヤ人は普通立って祈りましたが、心から感動し切なる祈りや強い願いを熱心に、謙って祈る時、跪いて祈りました(ルカ22:41、使徒7:60・9:40)。
  3. 天の父に祈る(15)。天でも地でも家族の源の天の父に祈りました。栄光の富(無限、豊か、最善、最長、最良)を持ちたもう父なる神に祈れるのです。神の家族の愛があるので祈れるのです。

Ⅱ、祈りの内容…


神が与えてくださる栄光の富は必要な時に必要な分だけでなく、分け与えるほどに満たしてくださいます。

1) 内なる人を強く(16)。
  1. 人格が新創造され、新生すること。生きるために体も大切ですが、内なる人の新創造が大切です(1テモ4:18、2コリ5:17、ガラ6:15)。
  2. 神を信頼し歩む者を、聖霊の力によって内なる人が強くされ、理性、良心、意思が強くされます。外見の見栄や、偽善ではなく、心と魂の奥深くが強められ、この世の不正、汚れ、悪、罪に負けない意志、罪に陥らない神の知識、神のみこころを知ることのできる理性が、神のみわざにより、聖霊の力によって強められ、きよめられ、立てあげられ、成長し、目標である主と同じような者にされるのです。
  3. 素晴らしいコーチの主が常に共に居られ、弱い私たちを助け励まし導かれます。

2) 主の内住。主の愛、希望、信仰に満たされると、内住の主の栄光を願います。そのためには、主に心の戸を開き、自我を捨て、日々自分の十字架を負い、主に従い、心の王座に主をお迎えし、全てを主に委ね、任せ、明け渡すことです。

3) 主の愛を知る(17)。
  1. 主の愛に根ざし、主の愛を基礎とした生活は、世に根を張り、人の称賛や、見返りを求める生活ではありません。その愛は、人の不確かな愛ではなく、決して変わらない主の愛に根ざし(ヨハ15:9.主の愛の中に深く入り込み、必要な栄養を充分に受け取る)、主の愛に基礎を置くことです。
  2. 主は、私の怒りや呪い、罰や宗教的律法の中ではなく、主の愛の中にとどまりなさいと言われました。神がまず私たちを愛し(1ヨハ4:19)、神の愛の中に安息し、憩い、愛に生きる者とされました。
  3. 主の愛の長さ(永遠に変わらない忍びつくす寛容で、犠牲の愛、赦し、いたみが伴う)、高さ(崇高さ、聖さ、敵の手も届かない、天に執成す)、深さ(罪を深く掘り下げても主の十字架の愛はさらに深く引き上げる愛)を、全ての聖徒と共に理解し、体験して証し合えることが喜びです。

4) 神に似る(19)。パウロの目標は、誰かの真似事ではなく、絶対的存在の神にまで達することですが、自分が神になることではなく、神の愛、神の義、神の聖い品性に触れ続け、変えられることを祈っているのです。

Ⅲ、神に栄光を帰する祈り…


内住の主に問題を明け渡すことによって、内なる人が愛に満ち、強く変えられてゆき、神の栄光が現されることを祈ってます。





教会の各活動


教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(10月3日)10:30~12:00


聖書:エペソ書4章32節
題:互いに赦し合う
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:195、382

○聖書研究祈祷会 水曜日(10月4日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝18章12-11節
題:宣教の協力者
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:448、450、324

○主日礼拝 来週日曜日(10月8日)10:30~12:00


招詞:ガラテヤ書3章27-28節
交読文:26  詩篇84篇
聖書:エペソ書4章1-6節
題:聖霊による一致
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:1、421、143

2017/09/24

主日礼拝「主の無尽蔵の富」

主日礼拝メッセージ「主の無尽蔵の富」エペソ人への手紙3章7~13節


長谷川和雄師



私たちは誰もが豊かになりたい、裕福になりたい、単に必要が満たされるだけでなく、溢れるほどに満たされ続けたいと願っています。神が人をそのように造ったのですから、神ご自身がそのような性質を持っています。キリストには計り知れない無尽蔵の富があり、貧しい者と自覚し、渇いて主の下に行く者には、その富を出し惜しみされません(黙示22:17)。

パウロは、ローマ政府に捕らえられ身体的に束縛されても、人生を支配されていません。パウロは主に捕らわれ、主の恵みと真の支配の中で生かされている主の囚人です。私たちも、「キリスト・イエスの囚人」です。人は何に、また誰に捕らえられているかによって、人生が大きく変わります。恵みと真に満ちた主に捕らえられ、主の愛の支配の中で生かされ、人生に喜びと希望と平安を味わいましょう。今日の箇所で、パウロは自分自身を、二つ表現しています。

Ⅰ、パウロの召命(7—8)…


  1. 福音の僕。「福音に仕える者」(7.新改訳)の「僕・仕える」は、「食卓の給仕をする」との意味がある言葉です。パウロは、主の福音は栄養価満点で永遠に朽ちない食事と見て、福音の給仕が自分の務めであり、無理に食べさせ、押しつけず、威圧的ではありません。パウロは、最高の食事を是非全ての人に味わってほしい、との思いから福音を給仕する給仕役です、と記します。
  2. 聖徒たで一番小さな者。パウロは、「聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたし」(8)、「最も小さな者よりもさらに小さな者」と表現しました。謙遜さを装い卑下する言葉を使っても、本心は違うことが多いのですが、パウロは本心でした。彼は復活の主に会う前の若い時、クリスチャンを迫害しました。最高の教育、律法を厳格に守り、評判も高く、自信を持っていました。しかし、復活の主に出会って人生は全く変わり、人は神の恵みにより、主を信じて救われると語る者になりました。それは、神による救いを思う時、救われるに相応しくない無価値な罪人を深く意識し、最も小さな者と言ったのです(1コリ15:8—10、1テモ1:15)。今日も健全な福音から外れ、律法的な信仰があるので注意しましょう。

Ⅱ、私たちの使命と神の計画(8-11)…


パウロに神の恵みが与えられたことは、神の計画であり、新しい使命を与えられたのです。それは、私たちも同様です。

  1. 無尽蔵の富の宣教(8)。パウロは福音の僕で、主の無尽蔵な富を世界の人々への宣教が使命です。主の富は無尽蔵にあり感謝です(ヨハ6:1—15、4:14、哀歌3:22—23)。私たちは、この無尽蔵の富に生かされ、人々に証しする使命があります。
  2. 神の奥義の証し(9)。選民だけでなく、福音を受け入れ神の子とされた時、神の奥義が実現し、明らかにされるのです。3)神の知恵の啓示(10—11)。十字架の福音が伝えられ、救われた者が教会を通し、神の偉大な力によって、天にある罪の中に縛る支配と権威である迷信や社会的、宗教的束縛から解放され自由を得(コロ2:15)、神の豊かな知恵が示されます。

Ⅲ、神に近づく生涯(12—13)…


  1. クリスチャンは誰でも、神の方から私たちに近づく約束に対する真実によって、大胆に確信をもって神と親しく交わり、自由に礼拝し祈り、神に近づき神の愛と祝福を受けることが出来るのです(12、使徒17:27-28)。
  2. 私たちの光栄(13)。指導者パウロが獄中にいることは、恥ではありません。彼によって十字架の福音が伝えられ、栄光の無尽蔵の主の富に与り、心からの感謝と喜びと平安の道に歩むために、小さきパウロが用いられ、そのために苦しみ犠牲となっていることこそ、私たちの光栄ではないでしょうか。




教会の各活動


CS秋のレクリエーション(京都市動物園)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月19日)10:30~12:00


聖書:コロサイ書3章2節
題:上にある者を思う
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:111、38

○聖書研究祈祷会 水曜日(9月20日)19:30~21:00


聖書:ルカによる福音書7章23節
題:つまづかない人
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:2、264、22

○主日礼拝 来週日曜日(9月24日)10:30~12:00


招詞:詩篇27篇8節
交読文:9  詩篇27篇
聖書:エペソ書3章14-21節
題:内なる人を強く
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:263、聖歌556、342

2017/05/08

チャペルコンサート(工藤真史) のお知らせ

※この記事は、5/21の「チャペルコンサート」のお知らせです。

京都信愛教会では教会創立70周年を記念して「チャペルコンサート」を行います。

神戸よりピアニストの工藤真史姉をお迎えして、「神様からの溢れる愛、感謝と恵みを込めて…」をテーマにクラシックや賛美歌などの素晴らしい曲を演奏いただきます。

どなたでも入場無料です(信徒かどうかを問いません)。

詳しくは、下のチラシをご覧ください。




■日時


2017年5月21日(日) 13:30~15:00


■音楽ゲスト:工藤真史


くどう・まふみ●神戸市出身。神戸女学院大学音楽学部音楽学科ピアノ専攻卒業。
同大学音楽専攻科修了後、ドイツへ留学。
2001年、2004年にドイツで開催されたピアノリサイタルが反響を呼ぶ。
大阪ザ・フェニックスホール、神戸、岡山他日本でのリサイタルも同時に開催。
2012年秋に直腸癌、2013年秋に乳癌を患う。現在、治療を続けながら、神戸を拠点に演奏活動を再開。
自身の闘病生活もふまえたコンサートを、教会、病院、施設などでも行い、人々に寄り添う演奏を提供している。
2016年1月、1stCDアルバム「COMPASSION~生かされて~」をリリース。​

■演奏予定曲

  • ピアノソナタ第14番「月光」 L.v.ベートーヴェン
  • 主よ、人の望みの喜びを J.S.バッハ
  • など


■会場


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい

※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。