2015/05/31

主日礼拝「愛は自己中心ではない」

礼拝メッセージ「愛は自己中心ではない」コリント人への第一の手紙13章4~7節


長谷川和雄師


多くの知識や知恵や教養を学ぶと、自分の生き方は正しく、愛があり、親切な者だと思い安いです。しかし、「知者の一失、愚者の一得」の諺のように、立派な人も失敗し、愚者も時には功を立てます。神の愛、完全な愛は高く、深く、広く、長く、純粋できよいものです。

Ⅰ. 愛は不作法をしない…
1) 教会はお互いの弱さを出せる幸いの場です。しかし、教会に甘えがあっては、お互いが成長しないばかりか、つまずきの集まりになりかねません。「親しき仲にも礼儀あり」です。互いに愛し合い、信頼しあっていても礼儀は必要です。弱さを出し合える教会だからこそ、礼儀を重んじ、礼儀を尽くす場とならせていただきましょう。
2) 主はユダには悔い改めの時を与えました(マタイ26:50)。三度も裏切りの言葉を吐いたペテロにも、愛の眼差しをもって見つめ、「わたしを愛するか」(ヨハネ21:15,16,17)と三度も聞かれました。主は誰に対しても礼を尽くしました。不用意な言動が人の心を傷つけることの多い私たちです。ただ血潮を仰ぎ、主に頼るのみです。

Ⅱ. 愛は自分の利益を求めない…
1) 己に死ぬことの極め付けです。愛は自分だけの益を考えず、自分のやり方を押し通しません。その愛を悟った時、開放感と安堵感に満たされ、真の自由を得ます。
2) 愛は、同情や誉れを期待せず、思い通りにならなくても不平を言わず、自己中心やわがままにならず、自分のした施しは忘れますが、受けた恵みは忘れずに人のために労します。周りの人を覚え、働き、学び、語り、行動し、祈ります。ヨナタン王子とダビデの友情や、パウロの兄弟愛にその心を見ます(ローマ9:3)。
3) 多くの人は良い評判を得ながら、人格を落としています。主は、ご自身を喜ばす生き方をしませんでした(ローマ15:1-3)。罪の中心は自分の欲望を満たそうとする意思です。しかし、神は一切の必要を満たし(ピリピ4:19)、最善をしてくださる(ローマ8:28)と悟った時、その意志を十字架につけることができ、神と人とを愛し、謙り、神を第1にし、神のみこころを求め、互いに尊敬し、隣り人の徳と益を求め、神や人との交わりが祝福されます。

Ⅲ. 愛は怒らない…
1) 愛は、自分の思い通りにならないからと直ぐ怒ったり、憤ったり、腹を立てません。愛は、相手の罪を赦し、自分の不利益を甘んじて受け、人に激しい言葉、不親切な言葉を出しません。
2) 熱心な人は性急になりやすく、正直者は嫌われやすく、率直さは思いやりに欠け、思いやりは弱虫になりやすく、知識が豊かな人は感情を害しやすく、怒りやすいのです。愛にはバランスが必要です。
3) 主は十字架上で全てのことを神に委ね、怒りませんでした(1ペテロ2:22-24)。
4) 怒って罪を犯し、悪魔に機会を与えないように注意しましょう(エペソ4:26-27)。

Ⅳ. 愛は恨みをいだかない…
1) 愛は人の悪や恨みを数え、記録し、記憶しません。不当な害を受けても、愛の神により恨みを消され赦し忘れ、神や人との交わりが自由になります。
2) 主は十字架上でとりなしをしました(ルカ23:34)。主の十字架は、過去の傷を忘れさせ、主の愛と恵に生きることができるように、聖霊が導いてくださいます。

自分の正しさや、自己中心にならず、自分の配慮不足、弱さ、愛の無さを認めて悔い改め、お互いが赦された者である事を覚え、十字架の下で交わりましょう。愛に満ちた主を見上げ、主を心に迎え入れ、主の愛に満たされ、臨在の主の愛を周りの人々に現しましょう。



教会の各活動


5/24 中高科レクリエーションにて
午後は、地区婦人部例会(京都聖徒教会)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(6月2日)10:30~12:00


※教区婦人部 湖西祈りの家清掃のため休会します



○聖書研究祈祷会 水曜日(6月3日)19:30~21:00


聖書:1テサロニケ5章16~18節
題:神が求めておられること
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:22、196、201



○主日礼拝 来週日曜日(6月7日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:57  Ⅰコリント書13章
聖書:Ⅰコリント書13章4-7節
題:隣人を愛する
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:104、337、429

2015/05/24

主日礼拝「聖霊の実は愛です」

礼拝メッセージ「聖霊の実は愛です」ガラテヤ人への手紙5章16~26節


長谷川和雄師



「木はその実でわかる」(マタイ12:33)とあるように、聖書に信仰生活を植物で多く譬えています(詩篇1:3、イザヤ5:2)。聖書から悪い実と良い実について、聖霊の実を結ぶ秘訣を学びましょう。

Ⅰ. 人間本来の肉の姿…
人は、律法に従い外側を飾り正しさを主張し、情欲や欲望を隠すために努力し修養をしますが、「愛、親切…」と言いつつ主に忌み嫌われる欲望に従いがちです。悪い実、肉の行いとはどのようなものでしょうか。
1) 抑制のない性的欲望。「不品行、汚れ、好色」。性的な肉の罪です。聖職者や子どもにも横行し、家庭や教会が崩壊しています。
2) 宗教的罪。「偶像礼拝、まじない」自分を神とし、自分と意見が合う好むものを神とする罪です。まじないはサタンの力をもてあそび、一度入ったら支配され抜け出せません。宗教的罪は性的汚れを生みます(ローマ1:23)。
3) 自己中心の罪。「敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ」自己中心で、人を利用し、邪魔者を消そうとし、聖く生きようとしても真の自由がないので罪の生活を繰り返します。
4) 理性喪失の罪。「泥酔、宴楽」酒や快楽に溺れ理性を失う罪です。
5) 全ての欲望。「そのたぐい」これらの肉の行いは御霊の働きに反しています。誰でも自分が可愛がられ、愛され、幸せになり、立派に見られたいと思います。しかし、その結果、肉の生活に溺れるので、神の国には入れません。素直に罪の生活を認め、主の十字架を仰ぎましょう(1ヨハネ1:8-10)。

Ⅱ. 御霊の働きが結ぶ実…
御霊の実は単数なので愛でまとめられます。喜びは歌う愛、平和は休息する愛、寛容は耐える愛、慈愛は分け合う愛、善意は愛の誠実、忠実は愛の習慣、柔和は愛の触れ合い、自制は十分に管理された愛です。その愛は犠牲を払って与える愛、共感する愛であり、利己心と対立します。神の愛を豊かに受け、自ら罪を告白し、キリストを「私の救い主です」と信じた時から、私たちは神を愛し、人を愛する者へと変えられ、人生に多くの良い実を結びます。
1) 砕かれた魂とされ、罪赦された確信と喜びが溢れ、神との和解が人々との平和を生みます。環境や出来事に左右されない、御霊による喜びです。神のみこころを知り、行うことは地上生活で最高の喜びを得ます。喜びは賛美と感謝に導き、平和は落着きや秩序を得ます。
2) 寛容な神の愛は、忍耐と平静な心で相手を受け入れる心を与え、試みの中での忍耐、怒りに対する抑制、辛抱となります。ヤコブ書5章7-11節に、農夫の忍耐(無駄を覚悟で労し、収穫を待ち望む忍耐)。預言者の忍耐(神のみこころを語っても行わない民に語る忍耐)。ヨブの忍耐(どんな時にも神を信頼する忍耐)が記されています。
3) 御霊の実は、良きサマリヤ人(ルカ10:25-37)のように、他者への敏感さが慈愛と善意を生み、礼儀、配慮、優しさ、赦し、思いやりに溢れます。善意は親切の背後に働く行動力であり、配慮し、理解する勇気です。豊な神の愛があるからこそ、誠実に忠実に尽くし、互いに受け入れ合う柔和により、互いに尊敬しあい自制することが出来るのです(ヨハネ12:25)。

Ⅲ. 御霊の実を結ぶ秘訣…
1) 御霊によって、己に死ぬことです(24)。自分の罪がキリストと共に十字架につけられたと信じ、復活した主と共に生きることです(ガラテヤ2:19-20)。
2) 御霊の導きに従う歩みは(16、25-26)、自分の弱さや愚かさを知り、神を信頼し、神のみこころであるみ言葉に従って生きるので、幸福であり、悪から守られ、満たされ、主に似る者とされる歩みです(1ヨハネ3:2)。



教会の各活動


中高科レクリエーションにて
午後は、中高科のレクリエーションが行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(5月26日)10:30~12:00


聖書:サムエル記上18章10節
題:あなたの手には何がありますか
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:112、202



○聖書研究祈祷会 水曜日(5月27日)19:30~21:00


聖書:詩篇12篇1~8節
題:きよき神の言葉
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:38、324、361



○主日礼拝 来週日曜日(5月31日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:57  Ⅰコリント書13章
聖書:Ⅰコリント書13章4-7節
題:愛は自己中心ではない
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:261、214、429

2015/05/17

主日歓迎礼拝「幸福が来る」

礼拝メッセージ「幸福が来る」ヨブ記22章21節


長谷川ひさい師



今朝のみ言葉を通して幸福(幸せ)になるためにはどうすればよいのかを教えていただきましょう。

考えることや思うことや好みは人それぞれですが、一つだけ人種や国が違っても、また、教養やお金のあるなしにかかわらず、誰でも同じように求めているものがあります。それは幸せです。「もっと幸福になりたい」と、誰でも願いますが、「私は幸福なんか欲しくない」と、言う人はいないと思います。

メーテルリンクの「青い鳥」のように、何処を捜しても見つからないもの、せっかく捉えても灰色に変わってしまうのが現実なのでしょうか。もし神がおられて、その神が愛の方だとしたら、そんなことがあってよいでしょうか。

聖書に、私たちが幸せを得ることができない理由が二つあると記します。それは、幸福観に誤りがあるか、幸福を得ようとする方法が間違っているか、どちらかだというのです。

ある人々は、幸福はお金や知識、名誉や地位さえあればやってくると考えますが、本当でしょうか。また、物質や健康や境遇が恵まれていれば、幸せでしょうか。今日、高度に発達した文明の中にありながら、人々は幸せではないと証明されています。ですから、幸福観が不確かなものを土台にしていると、一生かかっても幸せになりません。

また、幸福を得ようとする方法が間違っていても幸せになれません。それは、目的地とは違う列車に乗るようなもので、目的地には着かないのです。

真の神は、誰でも幸せであることを願っておられるのに、幸せが得られないのは、神が望んでおられる方法で幸せを得ようとしないからです。

今日のみ言葉は、何が幸せの土台であるのか、どうすれば幸せになれるのかを教えています。

まず、幸せの土台である条件は平安(平和)だと記します。そうです、幸せの実感は目に見える外側のものではなく、内側である心の安らぎ、平安、平和から生まれるのです。

あなたには、どんなものにも乱され、動かされない心の安らぎがありますか。もし、不安があるなら、その原因を知って取り除かなければいけません。今日のみ言葉は、人が不幸なのは、「神と和解していないから」だと、記します。それが罪であり、不幸の原因なのです。幸福の土台である平安、安らぎは、神と和解することなしに、幸福を得ることはできません。

アウグスチヌスは、「人間の心は、かみのもとに帰るまでは決して安らぐことはない」と、言いました。人間は神の下に帰るには、あまりにも自分勝手で、罪に染まりすぎていて、そのままでは神の下に帰れないのです。

そこで神は、神のひとり子イエス様を世に送り、主は全人類の罪の身代わりとなって十字架の上で死んでくださいました。主は十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」(ルカ23:34)と、執り成してくださいました。あなたが、主の十字架は私の罪のために流された血潮であると信じ受け入れる時、今までの神との不和から来る全ての罪が赦されて、神と和解することができ、あなたの心に罪が赦されたことによる平安と感謝が与えられるのです。

「そうすれば幸福はあなたに来る」との聖書の約束は、間違いなく成就します。私も23歳の時、神と和解することができ、この幸福が与えられ、今日に至るまで変わることがありません。





教会の各活動


教会決算総会の様子
午後は、教会決算総会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(5月19日)10:30~12:00


聖書:詩篇59篇16節
題:私の逃げ場
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:195、357


○聖書研究祈祷会 水曜日(5月20日)19:30~21:00


聖書:ヨハネによる福音書16章24節
題:求めなさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:38、196、199


○ペンテコステ礼拝 来週日曜日(24日)10:30~12:00


招詞:ローマ書12章1-2節
交読文:56  ローマ書12章
聖書:ガラテヤ書5章16-26節
題:聖霊の実は愛です
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、414、416

2015/05/10

主日礼拝「愛が家庭に奇跡を」

礼拝メッセージ「愛が家庭に奇跡を」ヨハネによる福音書2章1~11節


長谷川和雄師



主が数名の弟子を召し、ナタナエルが弟子となって三日目にガリラヤのカナで結婚式があり、主は弟子を連れて結婚式に出て「最初のしるし」を行いました。水をぶどう酒に変えた奇跡は、神業ですが、弟子に信仰を与える出来事でした(11)。奇跡を見た人は驚きましたが、信仰が与えられていません。私たちは、いつも奇跡を見て驚いていませんが信じています。それは、主の素晴らしさに満たされているからです。

Ⅰ. 主が与えてくださる愛…
主が最初の栄光を現されたのは身内の結婚式という世俗的で個人的な家庭の催しでした。それは、主が私たちの家庭を祝福し、男女の愛や夫婦の愛を祝福し、私たちの新しい人生の門出を祝福し、人生の祝い事を共に喜んでくださるということです。信仰は御利益を求めることではなく、こんなに小さな私のために惜しみなく与えてくださる主の愛を知り、その確かな喜びから生まれる自然な感情として、私たちも主に従い、献げる者になりたいと思うのです。信仰生活で無理をしたら偽善的になります。心から従えるようになるために、主が個人的な生活を支え、祝福してくださるのです。

Ⅱ. 主が与えてくださる喜び…
結婚の祝宴が1週間続き、ぶどう酒が無くなったので、主は水を上等なぶどう酒に変え、婚礼の危機を脱し盛り上げ喜びを与えてくださいました。真面目なクリスチャンは、信仰生活の喜びは、もっと清く、永遠で、厳かな喜びと考え暗くなりがちです。世の富、誉れ、飲み食い、健康な体、世の仕事などは永遠のものではなく、過ぎゆくものですが悪いものではなく、それらは人の喜びのために神が与えてくださったものです。日々の疲れを癒す楽しみを神は喜んでくださるのです。主も多くの人々との交わりを楽しまれました(マタイ11:19、マルコ2:16)。天国は温かく楽しいところです。

Ⅲ. みこころ一つで奇跡が起こる…
この奇跡は、私たちに二つの希望を与えます。
1) 主は、ぶどう酒の欠乏を補った。家庭に愛や喜びが欠けたら絶望しがちですが、主は無から有を生み出す、全能のお方であることに希望があります。
2) 主は生きておられ力があるという希望です。マリアは、一見冷たく感じる主の言葉を、「働くべき時が来たらちゃんとやります」と受け止めて、僕たちに、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」(5)とマリアは僕たちにこう言って、主に任せました。すると、主は僕たちに、100リットルも入る石の水瓶に、「水をいっぱい入れなさい」(7)と言われ、僕が水を瓶に満たした後、その水を「くんで、料理がしらのところに持って行」(8)き、その水をなめると上等なぶどう酒でした。しかし、「料理がしら」は、このぶどう酒の奇跡を知りません。ただ、普通は最初に良いぶどう酒を出し、酔った頃に悪いぶどう酒を出すのに、上等のぶどう酒を今までとっておいたことに驚きましたが、主の恵みも分からす、単に感謝で終わっています。僕たちも、主が水に何もしていないので、自分たちが汲んだ水が上等のぶどう酒になったことを知り、不思議に思っているだけでした。しかし、弟子たちは主が水をぶどう酒に変えて、この婚礼を祝福しようと考えてなされた御業であると知ったのです。
主は今日も私たちの生活を祝福してくださいます。ある家庭では、主の愛を知り、お酒が箪笥に変わりました。私たちは、すべてのことが主の恵み深いみこころによることを知り、主の素晴らしさや愛を知り、主への信仰を深めていただきましょう。




教会の各活動


母の日の感謝の時の様子
午後は、CS教師会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(5月12日)10:30~12:00


聖書:マルコの福音書10章52節
題:ついて行った
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:356、316



○聖書研究祈祷会 水曜日(5月13日)19:30~21:00


聖書:詩篇11篇1~7節
題:主に寄り頼む者
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:310、282、359



○主日歓迎礼拝 来週日曜日(5月17日)10:30~12:00


招詞:詩篇27篇8節
交読文:13  詩篇34篇
聖書:ヨブ記22章21節
題:幸福が来る
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:8、260、264

2015/05/03

主日礼拝「愛は寛容であり情け深い」

礼拝メッセージ「愛は寛容であり情け深い」コリント人への第一の手紙13章4~7節


長谷川和雄師

「愛」本来の意味を知らなければ、愛し愛されることは困難です。多くの人が愛を感情だと考えますが、感情以上のものです。
ギリシャ語の愛には、①神の愛、犠牲的な愛、功績に関係なく与える愛(アガペー)。②友情の愛、同姓への愛(フィリア)。③家族の愛、自然の愛、親子、子ども同士の愛(ストルゲー)。④性愛、価値あるものへの所有欲の愛(エロス)があります。
犠牲の伴わない愛はアガペーの愛とは言えません。主は自ら進んで十字架で死んでくださいました。ここに神の愛が示されました。
アンデルス・ニーグレンは、神の愛(アガペー)と人間の愛(エロス)を比較し、以下のように記します。『神の愛は、自分を与えるもの、上からいただくもの、神が人間に近づく道、無代価の賜物、利益を求めない、命を失うことも惜しまない、惜しみなく豊に与える。人間の愛は、自分のために求めるもの、努力するもの、人間が神に近づく道、人間の功績や価値に対するもの、自己中心・自己主張、命を得ようと努める、獲得し所有物とする』。
また、アウグスチヌスは、『自分を愛する者は神を愛せない。しかし、神を愛する者は自分を愛する』と言いました。

Ⅰ. 愛の本質…
愛と寛容は、御霊の実(ガラテヤ5:22-23)です。
1) 寛容(忍耐強さ)。短気の反対。全てを赦し、卑劣なことをされ、誤解されても仕返しせず、じっと耐え忍びます。その様な人は勇士に勝ります(現代訳・箴16:32)。主は忍耐の限りを尽くして十字架の道を成し遂げ、誤解され、罵られても、ひと言も答えませんでした。パウロは自らの罪深さを通し、主の寛容の偉大さを記しています(1テモテ1:16)。私たちは耐え忍べるでしょうか。私たちへの外からの妨害(マタイ19:13-15)や不便に対して(ルカ10:40-42)寛容でしょうか。主に寛容を求め頼りしましょう(詩篇37:7)。主の忍耐は救いです(2ペテロ3:15)。
2) 情深い(親切、慈悲深い)。怠惰や自分の喜びの欲望に勝ち、サービス精神の態度を取る愛の実践です。しかし、親切は誤解されがちなのに、なぜ、親切にする必要があるでしょうか。①神が親切だから(エペソ2:8英訳)。②人から親切にされたいと願っているから(マタイ7:12)。③人々を励ますからです(箴言12:25)。④主も憐れみに満ち、情け深く人々に接し犠牲を負われました(ヨハネ8:1-11)。

Ⅱ. 愛の性質…
1) 妬まない。コリント教会の魂は、霊の人になれないで肉の人のままだったので、賜物のことでねたみが生じました(1コリント3:3)。ねたみの前に誰も立てず、骨の腐りです(箴言27:4、14:30)。妬みは愛のないことです。私たちは主の最善を信じて歩みましょう。
2) 愛は高ぶらない(自慢せず、虚栄を求めず、思慮深くない行動をしない)。愛とは、相手によって自分の態度を変えず、人の徳を高めることです(1コリント4:6、8:1)。愛は世の称賛を求めません。私たちは主にあって、愛の存在とならせていただきましょう。
3) 誇らない(傲慢にならず、自己主張しない)。パウロは謙遜の限りを尽くして仕えました(使徒20:19、1コリント9:27、10:12)。愛は謙遜で、権力を振るわず、上下の区別をつけません。ランク付けは誇りを生みます。自らの愛のなさを認め、主に愛を求めましょう。主は求める者に聖霊を与え(ルカ11:13)、主が寛容、親切、愛を増し加えてくださいます。お互いの弱さを担い合い、赦し、受け入れ合うことは大変ですが、十字架の下で罪を赦し合い、弱さを受け入れ合い、互いに愛し合い、互いに徳を高め合って、神の栄光を現す教会とならせていただきましょう。




教会の各活動


教会学校での「母の日プレゼント製作」の様子
午後は、結婚式とティーパーティーの準備(有志の方々)と教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(5月5日)10:30~12:00


※結婚式のため休会します






○聖書研究祈祷会 水曜日(5月6日)19:30~21:00


聖書:詩篇103篇2節
題:すべての恵を心にとめよ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:2、172、356


○主日礼拝 来週日曜日(5月10日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:15 詩篇40篇
聖書:ヨハネによる福音書2章1-11節
題:愛が家庭に奇跡を
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:325、賛美歌510、310