天にまします我らの父よ。ねがわくは御名〔みな〕をあがめさせたまえ。御国〔みくに〕を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧〔かて〕を、今日〔きょう〕も与えたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救い出〔いだ〕したまえ。国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。
【ふたりの王】
イエス誕生のとき、ローマ皇帝アウグストゥスは、すでに四半世紀にわたって、地図のように広大な領土を支配し、平和をもたらしました。しかしその平和は独裁制と税という対価を強いるものでした。一方、この地上最強の王の命令によって、人口調査が行われ、その結果、ユダヤのベツレヘムで、もう一人の王が誕生しました。貧しく、弱く、十字架に架けられることになる王です。そして御使いと天の軍勢はこの赤ん坊をほんとうの王だと、賛美しました。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」(ルカ2:14)と。
【大逆転】
「国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。」という主の祈りの最後の頌栄は、実はマタイ6章にもルカ11章にもありません。けれどもイエスの時代から1世紀以内には定着しています。ですから、教会が祈るとき、祈りとしてはこの頌栄を加えて祈られていたと見て、まちがいないでしょう。そしてこの頌栄を祈るとき、私たちの生き方が逆転するのです。
異教の帝国は「私の王国を支持しなければ、お前を殺す」と脅迫します。イエスの王国は、すべての人を赦し、受け入れるあわれみ深い王によって、異教の帝国に浸透していきます。
異教の力はピラトのように「真理とは何か?」と問いながら、答えであるイエスを知ろうとせず、殺します。イエスの力は、すべての力はいと高き所から来ることを静かに思い起こさせ、世界の救いのために神の愛を真(しん)に生き続ける力です。
異教の栄光は数々の戦勝記念碑ですが、イエスの栄光は、私たちにいのちを与え、私たちをご自分と似た生き方に招く十字架と復活です。
【主の祈り】
ですから主の祈りを祈ることは、イエスのメッセージ、イエスの計画、イエスの生涯そのものを受け止めて自分のものにすることです。
- そのために、私たちはカエサルの王国の力と栄光に黙って従うことをしません。イエスの王国の力と栄光を身に帯びて働きます。この世のルール、この世の価値観、この世の生き方をそのまま受け入れるのではなく、聖書からイエスの心を知り、その心を生きます。
- そのために、私たちは油注がれた御子にあって、イエスに油注がれ、聖霊の力を求めます。人を支配されたり、支配したりすることから解放されて、もっとも自分らしく、おたがいらしく、生き生きとともに歩んでいきます。
- そのために、私たちはイエスの名を呼び、イエスに訴えます。私たちが自分の計画や願いを保留し、軽く握って、それを神に作り直していただく心構えを与えていただくことによって。そのとき私たちの見たことがないような、経験をはるかに超えたできごとが、実現していきます。
アーメン! アーメン! アーメン!
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 「建築と戦いのたとえ」ルカの福音書14:25-35
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
- 招きの言葉:歴代誌第一16:23(旧約 P.732)
- 賛美:10
- 交読文:13 詩篇34篇(新聖歌 P.838)
- 牧会祈祷:大頭眞一牧師
- 主の祈り:新聖歌 P.826
- 賛美:どうしてかわかるかな ※着席のまま
- 子どもメッセージ:(明野)
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
- 聖書朗読:ルカの福音書2章1-14節(新約 P.110)
- 説教:「主の祈り⑥国と力と栄えとは」大頭牧師 ※明野より
- 聖餐:(心を合わせて加わりましょう)
- 賛美・献金:224
- 感謝祈祷:(明野)
- 頌栄讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
- 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
- 祝祷:大頭眞一牧師
- カテキズム(左上に掲載):司会者 と 報告:(裏面に掲載)司会者
- 祈祷:司会者