8章からは「山上の説教」を語り終えた主イエスの愛のみわざを聴いています。主はガリラヤ湖畔のカペナウムを宣教の拠点としていました。そこへ百人隊長が来て「主よ、私のしもべが中風のために家で寝込んでいます。ひどく苦しんでいます」と言う。異邦人であるローマ人はユダヤ人から汚れているとみなされていましたから、彼が主イエスにしもべのいやしを懇願する、これは驚くべきことでした。
【「行って彼を治そう」?】
7節の「行って彼を治そう」は、「わたしが行って、彼をいやすのか?」と疑問文に訳するのがより正確なようです。すると主イエスは「わたしにあなたのしもべをいやせと言うのか、そんなことはできない」と拒絶したことになります。私たちは主イエスはすべての人の救いのために来られたのだから、拒絶などなさらない、と言いたくなります。けれどもマタイ15章には主から「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」(15:26)と拒絶された異邦人の女性が描かれています。主は、アブラハムとその子孫を通して世界を救う父のご計画が力強く進んでいることを強調されているのでしょう。
けれどもだからといって異邦人をかえりみないような主イエスではありません。この主イエスの拒絶が百人隊長の次の言葉を引き出します。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。」(8bcd)と。つまり「主よ、たしかに異邦人である私はあなたを自分の家にお迎えできるような者ではありません。でも、せめてお言葉をください。それだけで、しもべはいやされますから。」と申し上げたのです。
【権威の主】
主は「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」(13b)と答えます。そしてしもべはいやされました。しかし、この箇所を「信仰とは、主イエスが病気をいやし、苦しみを取り除く力を持っておられることを疑わずに信じることであり、その信仰によって、信じた通りの救いが与えられるのだ」と理解しないようにと、願います。それなら「私たちの聞かれなかった多くの祈りは信仰が足りなかったからだ、もっと信じましょう」ということになります。主語である主イエスがどこかに行ってしまいます。
ここで百人隊長が信じたのは主イエスの権威。彼は、「私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。」(9)と言います。彼には軍人として部下に対する権威があります。部下は彼の言う通りに動くのです。主イエスには権威がある。主イエスの語られたことは必ず実現する。そしてその権威は愛の権威。愛の神の権威。十字架がその極みであったように、主イエスは私たちのためにはどんなことでもしてくださる、その権威を最善・最高に行使してくださる。彼はそんな主イエスの愛を信じました。私たちも信じています。目の前の出来事が願ったように進んでいるように見えなくても。
【驚くだけではなく】
ここには二種類の人びとが対比されています。一つは群衆。「イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。イエスが山から下りて来られると、大勢の群衆がイエスに従った。」(7:28-8:1)山上の説教を聴き、主イエスの権威に驚いた人びと。驚いて従った人びと。もう一方は、主イエスの愛の権威、愛の神の権威を信じて、生きる百人隊長。主イエスは「まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。あなたがたに言いますが、多くの人が東からも西からも来て、天の御国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着きます。しかし、御国の子らは外の暗闇に放り出されます。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」(11-12)とほめてくださいました。私たちもすでに、主イエスの権威を信じて歩み出したおたがいであることを喜びます。
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 「のがれの町」民数記35:22〜29
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
- 招詞:詩篇95篇1節(旧約 P.1034)
- 讃栄:62
- 賛美:11
- 主の祈り:新聖歌 P.826
- 交読:新改訳20 詩篇57篇(新聖歌 P.894)
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
- 牧会祈祷:大頭眞一牧師
- ワーシップ:YES!「鹿のように~栄光イエスにあれ」(録画)
- 証し:(録画)
- 賛美:202
- 聖書:マタイの福音書8章5-13節(新約 P.13)
- 説教:「権威の主」大頭眞一牧師
- 祈祷:
- 賛美・献金:235
- 感謝:
- 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
- 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
- 祝祷:大頭眞一牧師
- 報告:司会者(三教会共通分、右記)
- カテキズム:大頭眞一牧師(下記)
- その後、各教会での報告、祈祷