2013/07/07

主日礼拝「神の真実と人の誠実」

礼拝メッセージ 「神の真実と人の誠実」 創世記21章1~34節

長谷川和雄師






「真実」とは事実であり、嘘偽りがないこと。「誠実」とは真心があり、相手を裏切らず、嘘偽り、飾り、欲などがなく、相手のことを親身に思いやることです。神が約束されたことは、障害があっても、人間的に不可能に見えても、人が不真実であっても、真実の神は変わらず、約束のみ言葉は成就されます(ローマ3:3-4)

Ⅰ、約束を真実に果たす神(17)・・・1)「信仰」の原語は、「忠実」「真実」と訳せます。信仰とは神の真実に対して誠実に応え、み言葉を信じ受け入れることです(詩篇33:4)。アブラハムは信仰の父と言われていますが、最初から真実の神に対して強い信仰があったわけではなく、神の真実が、彼の信仰を養って下さったのです。私たちは自分の力で信じようとするのではなく、不信仰ゆえに失敗しても、神の真実に望みを賭けましょう(詩篇31:23、ヘブル11:6)2)サラに神の時がおとずれ、約束の子イサクが誕生しました。神が喜ばれ、満足されるのは、信仰です。アブラハムとサラが神を信じ続けられるように、神は彼らを導いて下さいました。ここに神の真実があります。3)人間的に不可能と思えることも、万軍の主の熱心がこれをなされる(イザヤ9:7)のです。神の愛、神の熱心、神の忍耐は、神に対する望みです。4)イサクの意味する「笑い」とは、不信仰の笑いではなく、嬉しくて笑いが止まらないことです。彼は、神から賜った子どもであり、神の前に割礼を受け、神の民、選民となりました。割礼は単なる儀式ではなく、その内容に対する信仰です。聖餐も、キリストによる贖いのみ業を自分のものとして受け入れることです。アブラハムとサラにとって、暗闇が夜明け前に消え去るように、悲しみ、苦しみ、叫びは消えました。

Ⅱ、約束の子と奴隷の子(821)・・・1)乳離れ祝いの盛大な催しをした時、問題が生じました。イシマエルがイサクをいじめたのです。イシマエルにとって、イサクは可愛くもありましたが、今まで自分は世継ぎとして注目の的であり、人々は従いましたが、今やそうではなくなり、ねたみが生じたのです(箴言27:4)2)サラは、イシマエルの横柄さや、生意気さ、イサクをいじめることが許せませんでした。また、ハガルに対する嫉妬、憎しみ、嫌悪が燃え上がり、アブラハムに二人を追放するように求めました。アブラハムにとってイシマエルは奴隷の子でも自分の子であり、今まで我が子として愛を注いでいましたので、二人を追放することを悩みました。3)神はアブラハムに二人を追放することを許されましたが、イシマエルに対する神の約束は変わらず、真実な神はハガルとイシマエルを守り、祝福しました。約束の子は残り、人の知恵による子は去りました。私たちも情を十字架につけ、真実の神に従いましょう。
Ⅲ、互いに誠実を尽くす(22-34)・・・1)家庭に平和を取り戻したアブラハムは、水が豊かな地に移りました。2)アブラハムの信仰を知っていたアビメレク王の家来との間に、井戸の問題が起きました。しかし、それは王の知らないことでしたので7頭の羊が井戸の贖いの代価とされ、井戸はアブラハムの所有物となり、イスラエルの南端イサクの誕生の地は、ベエル・シバ(誓いの井戸)と名づけられました。私たちが神との契約のもとで生活するとは、キリストの十字架、復活、昇天の恵みの中に生きることです。真実の神のもとで生活するならば、神の豊かな祝福を受けることができ(申命記7:9)、神は真実を尽くし続けて下さいます(エレミヤ31:3)。私たちは主の約束のみ言葉に堅く立ち、主の前に、主にあって誠実に生きる者とならせていただきましょう(箴言12:22)


7/7 聖餐式の様子
教会の各活動


午後は教会役員会が行われました。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(9日)10:30~


聖書:伝道の書11章4節
題:主の御手にゆだねて
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:196、315

■聖書研究祈祷会 水曜日(10日)19:30~


聖書:マルコの福音書1章1~8節
題:福音のはじめ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:260、324、135

■主日礼拝 来週日曜日(14日)10:30~


招詞:ヘブル10章19~22節
交読文:15 詩篇40篇
聖書:創世記22章1~19節
題:信仰の高嶺に
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:19、282、275