2013/06/30

主日礼拝「アブラハムの執り成し」

礼拝メッセージ 「アブラハムの執り成し」 創世記18章16~33節、19章23~29節

長谷川和雄師




人は様々な災害や出来事を見て同情し、仲間意識から献財や救済活動したりします。しかし、世界でのそのような報道を次々と見聞きするとき、人の心は麻痺し、同情は薄れてしまいます。私たちの周りも今、ソドムやゴモラのような状況にあります。滅びると分かっても何もしない、出来ない、祈らない、それでよいのでしょうか。そんな時、アブラハムはどうしたのでしょうか。

Ⅰ、神の友・アブラハム(16-19)・・・1)主とともに歩んだアブラハム。アブラハムはへりくだって旅人を迎え、心からのお持て成しをしました(18章前半)。旅立ちの時には見送り、しばらく共に歩き、主の話を伺いました。主はアブラハムに、来年の春、サラに男の子が与えられると言われ、彼はなお主から恵みをいただきたいと思ったことでしょう。2)主に信頼されたアブラハム。主はご自身の御計画を、ご自分の預言者に示さずには、何事もなさらないお方です(アモス3:7)アブラハムは、主に選ばれた主の僕、主の預言者、主の友でした(イザヤ41:8)。それゆえ、主は彼に主のみこころを示されました。その主が私たちを友と呼び、み言葉を通してみこころを示して下さいます(ヨハネ15:14-15)。主の御心を聞くことは大切です。聞き逃さないようにしましょう。3)みこころを示した目的。主の計画を知らせ、その計画の中でアブラハムを用いるためでした。アブラハムを祝福の基とするという約束の成就[18)。私たちも遣わされている家庭や地域において、祝福の基となるとはなんと幸いなことでしょう。子孫に主の道を守らせるためです(19)

Ⅱ、とりなすアブラハム(20-33)・・・1)神の裁きを知ったアブラハム。主は、ソドムゴモラの罪の大きさを知り弱き者の叫び声を聞きました(エゼキエル16:49-50)。そこの民は高ぶり、飽食して、安泰に暮らし、貧しい人を助けず、神の憎むことを行い主の言葉を聴かず神を畏れない民でした。この姿は、現在の日本の姿ではないでしょうか。2)執り成しの祈りをしたアブラハム。孤独な祈り(22-23)。主の前に立つ密室の祈り。神と私の祈り。神の前に立ち、神に近付き、神に向かって祈るのです。長い祈り(22)。密室で長い祈りをしている人は、公の祈りに於いて簡潔に祈ることができます。謙った祈り(30-32)神に近付くほど、自分の無力さ、弱さ、無価値、罪深さを知って主の十字架をあがめます(イザヤ66:2Iペテロ5:5)執拗な祈り。アブラハムはモーセのように破れ口で主のみ前に立ち主に6回も譲歩を迫りました(詩篇106:23)。神の愛に満たされた執り成し手を、神は求めておられます(エペソ3:19エゼキエル22:30)
Ⅲ、神のさばきと救い(19章)・・・主はソドム・ゴモラの町が道徳的に腐敗墜落していることを知り、ご計画通りに滅ぼされましたが、アブラハムの執り成しを覚え、ロト家を救いました(19:1-29)。主はロトの願いをも聞き、ゾアルに着くまでさばきを下されませんでした。しかし、ロトの妻は世への執着心からか、主の命令に背き、振り返り、塩の柱になりました。また、ロトの娘たちは父をだまして子をはらみ、その子孫がイスラエルの悩みの種、モアブ人・アンモン人となりました(19:30-38)。私たちは手に負えない不義・不公平の状態に追い込まれた時こそ、主の前に立って祈りましょう。十字架の贖いを完成され、今も執り成して下さる主がおられるのですから、謙って主により頼んで祈り、人や世のものではなく、主のもとに帰りましょう



教会の各活動


午後は「ケーキとお茶で語り合いましょう会」が行われました。手作りのケーキをいただきながら、教会のビジョンやこれから行いたい活動などを話し合うことが出来、感謝でした。

今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(7月2日)10:30~


※教区婦人研修会のため、休会します

■聖書研究祈祷会 水曜日(7月3日)19:30~


聖書:詩篇10篇
題:世の不正に勝つ信仰
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:354、308、324


■主日礼拝 来週日曜日(7月7日)10:30~


招詞:ヨハネ4章23~24節
交読文:19 詩篇51篇
聖書:創世記21章1~34節
題:神の真実と人の誠実
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:1、300、(49)、390