2024/05/26

礼拝メッセージ「汚れた系図の主」マタイによる福音書1章1-17節(後) 大頭眞一牧師 2024/05/26


マタイの福音書の冒頭の系図からの二回目です。前回はこの系図が、神さまの大きな愛の物語を語っていることを語りました。三つの愛、神への愛、人への愛、被造世界への愛、が破れてしまった世界。神さまはそんな世界の回復をアブラハムとその子孫を通して始めました。人となられた神、キリストがその愛の頂点です。キリストにいたる祝福の系図には四人の女性が含まれています。ユダヤの系図では異例中の異例。今朝はそこにある神さまのお心を聴きます。

【ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み】

創世記38章。タマルはユダの長男エルの妻でした。ところがエルは子を残さずに死にます。こうした場合、弟が兄の妻と結婚して子を残さなければならなかったのですが、次男のオナンはそれを拒んで死にます。ユダは二人の息子の死はタマルのせいだと考え、三男のシェラとタマルを結婚させませんでした。するとタマルは遊女の装いで舅(しゅうと)であるユダに近づいて子をもうけたのでした。なんとも言い難い出来事です。義務を放棄したオナンや、タマルの権利を奪ったユダもさることながら、生きていくためとはいえ、タマルが周到に計画して舅と関係を持ったことにも痛みに満ちた世界の破れがあります。

けれども神さまはタマルの名を祝福の系図に加えられました。大きな破れにもよきことを造り出し、救い主イエスの誕生への道筋としてくださったのです。私たちも多くの罪と恥を重ねてきました。けれども、神さまはそんな破れにさえ祝福を造り出すことがおできになります。私たちの罪を主の手に置きましょう。そして祝福と変えていただきましょう。

【サルマがラハブによってボアズを生み】

ヨシュア記2章。エジプトを脱出したイスラエルは荒野の40年を経て、ヨルダン川を渡って約束の地カナンに入ります。そこで最初に攻め落としたのがエリコ。手引きしたのが遊女ラハブでした。ラハブはカナンの先住民、イスラエルから言えば異邦人の異教徒。ですから、イエスの系図にラハブが入っていることは驚くべきことです。イエスの時代のユダヤ人が犬と呼んでいた異教徒の、しかも遊女なのですから。

神にとって祝福を造り出すことができないような汚れは存在しないことを思い知らされます。神が聖いとおっしゃる人を汚れていると言ってはならないのです。すべての人を、文字通りすべての人を、神はご自分の子となさいます。そうしないではいられないからです。この驚きを受け入れましょう。

【ボアズがルツによってオベデを生み】

ルツ記。飢饉を逃れてベツレヘムからモアブに移り住んだナオミの息子がモアブの女性ルツと結婚した後、死にます。ナオミはルツを嫁の立場から解放しようとするのですが、ルツはナオミを離れずベツレヘムに来てボアズと再婚して子をもうけました。ボアズは異邦の遊女ラハブの子ですから異邦人とユダヤ人のハーフ。ボアズとルツの子はユダヤ人1/4、異邦人3/4ということになります。それなのにイエスの時代のユダヤ人たちが純血を誇ったのはこっけいです。神はイエスの純血ならざる系図は、神さまの意志の系図。すべての民族を祝福しようとする意志の系図。アブラハムからイエスまで二千年にわたって、神さまは世界の回復を願い続けてくださいました。そして、今も。

【ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み】

サムエル記11章12章。ダビデのとんでもない罪は、みなさんよくご存じの通りです。私たちでさえも赦しかねるような罪です。それなのに神はダビデをこの系図に加えました。ダビデの罪をはっきりと記しながらも。

神さまが私たちを受け入れるということが鮮やかです。神は私たちの罪に目をつぶって受け入れるのではありません。そうだとすれば、私たちの罪の原因となった傷や罪の結果である傷は癒されないままでしょう。神はそんな傷を正面から扱います。だから、人となられた神、イエス・キリストがすべての人のすべての傷を担って、十字架に架かってくださったのです。

ダビデほどではないにせよ、この系図に名前をあげられた一人一人は罪ある人びとです。そのすべての罪と傷がイエス・キリストに流れ込み、受け止められ、十字架に担われて、癒されました。私たちもこの系図に連なる一人。だから私たちの罪と傷もイエス・キリストに担われて、癒されました。今も癒されつつあり、さらに癒されていきます。

この説教を「汚れた系図」と題したのは、そのうちの数人が汚れているからではありません。すべての人、さらにいうなら世界全体が罪の力に汚されているからです。罪の力はとりわけ弱者に破れを押し付けます。マイノリティである女性、異邦人、寡婦たちは、子孫を残すための手段や、性的欲望の対象として扱われ、あるいは収入の道を閉ざされた結果遊女にならざるを得なかったりしました。けれども主イエスは汚れた系図を恥じることをなさいません。「これがわたしの系図だ。このすべての人びとの痛みはわたしの痛みであり、わたしはそこに回復をもたらす。あなたがたと共に」と今朝も招いてくださっています。招きに応じたお互いを、私たちは今朝も喜び合います。


(礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)



 礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「幼な子サムエル」サムエル記第一3:1-14


■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招きの言葉:ルカの福音書12:32(新約 P.142)
  • 賛美:137
  • 交読文:52 ルカの福音書1章(新聖歌 P.869)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 証し:
  • 賛美:251
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書朗読:マタイによる福音書1章1-17節②(新約P.1)
  • 説教:「汚れた系図の主」大頭眞一牧師 ※信愛より
  • 賛美・献金:227
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷: