2023/10/03

礼拝メッセージ「愛にとどまらせる神」ヨハネの福音書15章7-17節 大頭眞一牧師 2023/10/01


新約聖書の至聖所と呼ばれるヨハネ13章から17章。なかでも15章以後は、ヨハネが特に教会のために記した箇所と考えられます。今日の箇所はとりわけ内容豊かですので、来週と2回にわたって聴くことにします。

【イエスにとどまる私たち】

先週は、ぶどうの木と枝のたとえでした。イエスは「つながりなさい」と命じているのではありません。私たちは、もうイエスにつながっている。枝である私たちのするべきことは、ただ一つ。木から流れ込んでくるいのちに心を閉ざさないこと。木のなすままにされて、いのちを注がれること。こうして仲間と共に、主イエスのみ前にいることです。もっと祈らなければ、もっと聖書を読まなければ、主イエスにつながれない、ということではないのです。

【何でもかなえられる】

続いて主イエスは約束します。「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。」(7)と。もちろん私たちのどんな欲望でもかなえてくださる、というわけではありません。イエスにとどまる私たちは、イエスから流れ込むいのちによって、歪(ゆが)みをいやされ成長しています。それにつれて、私たちのほんとうの欲しいもの、ほんとうの望みが明らかになってきました。それは神と同じ望み。世界の歪みが癒されて、回復することです。神は私たちを通して、私たちと共に、世界の回復を実現してくださるのです。

【愛され愛する私たち】

この個所には愛の本質が描かれています。それは愛された者は愛する者になるということです。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」(9)では、父からイエスに愛が注がれ、イエスから私たちに愛が注がれます。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(12)では、イエスから私たちに愛が注がれ、私たちからたがいに愛が注がれます。私たちの愛の源は、イエスであり、父なる神です。

「私には愛が足りません」といつもうなだれる私たち。しかしその失望は的外れです。そもそも愛の源は私たちのうちにはないからです。私たちの愛は父と子から注がれる愛。無尽蔵の愛。子の十字架をも惜しむことがなかった愛です。この愛が注がれているのです。ぶどうの木であるイエスから枝である私たちに。

【友のためにいのちを捨てる】

それにしても13節は私たちを揺さぶります。「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(13)。そんなことはとてもできない!と。でも、そう言う前に知っておくべきことがあります。

まず、私たちはたじろぎながらも、友をどこまでも愛することを願っているということです。私たちのほんとうの願いは、愛することなのです。

次に、私たちには無尽蔵の愛が注がれていることです。私たちのために子を惜しむことがなかった父の愛と、ご自分を惜しむことがなかった子の愛が。愛に不足はないのです。

その上で、主イエスの戒めは「死ね」ではなく、「生きよ」という命令であることを心に刻むことがたいせつです。迫害の時代のヨハネの教会では、実際に、自分を犠牲にして友を逃がすといったこともあったことでしょう。けれども、それは彼らが毎日、友のために死ぬ練習をしていたからできたのではありません。そうではなくて、彼らの毎日は与え合う毎日。与え合うことを喜び合って生きる毎日でした。その喜びの日々の延長上に友のために死ぬことがあったのです。

そのころの書物を見ると殉教は奨励されていなかったことがわかります。逆に「迫害にあったら逃げて生き延びよ」と記されています。逃げて、逃げて、それでも、逃げきれずに捕らえられたなら、そのときは、神が殉教させてくださるから心配しないでよい、と。

生きよ! と、今日も主イエスの声は響きます。置かれた場所で、仲間がともにいることを喜び、楽しめ、と。「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。」(8)とあります。私たちは神の栄光です。すでに、もう。


(礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)



 礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「ギデオンの召命」士師記6:7-16
  • ※中高科はグループ聖書研究


■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招きの言葉:申命記6章4-5節(旧約 P.325)
  • 賛美:9
  • 交読文:18 詩篇50篇(新聖歌 P.842)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 証し:宮崎星人神学生(関西聖書神学校)
  • 賛美:448
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書朗読:ヨハネの福音書15章7-17節(新約 P.216)
  • 説教:「愛にとどまらせる神」大頭眞一牧師 ※信愛より
  • 聖餐:
  • 賛美・献金:423
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷: