2015/09/20

主日礼拝「主を待ち望む者に」

礼拝メッセージ「主を待ち望む者に」イザヤ書40章27~31節


長谷川和雄師


敬老祝福祈祷の様子
人生は待つことが多いのですが、待つとは、時が来るまで何もしないで祈ることです。楽なようですが、時には動き回った方が楽です。高齢者が心がける事は身辺整理、健康面・精神面・環境面・経済面の備えです。クリスチャンの高齢者は、自らの信仰生活を振り返り、悔い改めるべきは悔い改め、永遠の備えをし、主を待ち望みたいものです。

Ⅰ. 希望を失った者(27,30)…
1) 主を見失う民(27)。イスラエルの民がバビロン捕囚の寸前の厳しさに希望を失った時、神に慰められましたが(40:1-2)、祈りが聞かれないのは、自分の正しさに立ち、自分の力や知恵に頼り、主により頼まないからでした(イザヤ59:1-2)。
2) 疲れ果てる(30)。そのような時、血気盛んな青年も、少しの困難にも屈しやすく頼りになりません。若者が自分の力に頼るのは当然であり、壮年が若者より人生経験から巧みに生きるのも当然です。しかし、若者も壮年も、善を行うことに疲れています(ガラテヤ6:9)。

Ⅱ. 待ち望む…
1) 待ち望むべき方。主を待ち望む者は恥を見ません(イザヤ49:23)。何を待ち望むのですか。聖霊降臨と主の再臨の約束を信じて待ち望みます(使徒1:4-5、9-11)。主は、全き牧者であり、私たちの涙を拭い(黙示録7:17)、主の臨在が常にあります(1テサロニケ4:17)。
2) 待ち望む者の備え。
準備の必要。この世を追い求め、神に対して死んでいる者は実を結べません(ローマ6:23)。しかし、生ける主の臨在を覚えて歩む者は、主と同じみ姿に変えられ(2コリント3:18)、主を待ち望む者に義の冠が与えられます(2テモテ4:8)。
再臨が何時であるか分からないので、主に会う備えのために、目を覚ましている必要があります(使徒1:7、マタイ25:13)。
どのように準備するのか。主にしっかりと繋がり(1ヨハネ2:28)、神の前に清い歩みをし(1ヨハネ3:3)、御前に恥じ入ることのない歩みをしましょう。
3) 待ち望む内容。
キリストに似た者とされます(1ヨハネ3:2)。
卑しく弱い体を栄光のからだに変えられます(ピリピ3:21)。
死ぬからだが贖われ、罪を犯さない全き者にされます(ローマ8:23)。
朽ちない、栄光ある、強い者にされます(1コリント15:42-49)。
神を愛する者に、全てのことを働かせて益として、御子のかたちに変えられます(ローマ8:28-31)。

Ⅲ. 待ち望む者に与えられる力(28、29、31)…
1) この世に期待し望みをおくことではなく、主に期待し望みをおくことです。真の神は疲れず、ふらつきません(28)。
2) 鳥の王である鷲が、強く高く飛ぶために10年に一度羽が生え変わために古い羽を落とす必要がありますが、羽を強風で飛ばしたり、強風に乗って岩に体をぶっつけ血だらけになり古い羽を落とし、新しい羽が生えるのを待ちます。私たちも、人生に色々な困難が襲います。神は私たちを主のみ姿に変えるための訓練をされます。その時の訓練は神の最善と信じ、耐え忍んで待ち望みましょう。
3) 私たちは自分の力や知恵や知識に頼りがちですが限界があり、行き詰まるのです。自分や人や世の流れに頼る時、期待が裏切られますが、生ける主を信頼し、主を待ち望む者は、主から新しい力をいただき、困難を乗り越える力を与えられ、主にあって着実な歩みを全うすることができるのです。鷲は断崖絶壁に巣を作り、巣立ちは親が子を巣から押し出すようにしますが、子鷲が思い切って飛び出し羽を広げると飛べるのです。私たちも主に任せて従う時、神の支えと祝福があり、感謝と喜びに満たされるのです。



教会の各活動


午後は、CS教師会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月22日)10:30~12:00


※祝日のため休会します



○聖書研究祈祷会 木曜日(9月24日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝1章6~11節
題:聖霊降臨と再臨
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:131、465、416

※木曜日ですのでご注意ください



○主日礼拝 来週日曜日(9月27日)10:30~12:00


招詞:ローマ書12章1-2節
交読文:3  詩篇16篇
聖書:Ⅰヨハネ書2章12-17節
題:世を愛さず、みこころを歩む
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:101、379、385