2015/09/06

主日礼拝「光の中の新しい戒め」

礼拝メッセージ「光の中の新しい戒め」ヨハネの第一の手紙2章7~11節


長谷川和雄師


神を交わり、恍惚状態を経験する霊的状態にあることを自慢する者がいますが、それらは信仰生活の真理を証明する証拠にはならないとヨハネは記します。主は、父なる神を離れて、ご自分の業を誇りませんでした。パウロや使徒たちもそうでした。彼らの霊的格調の高さ、癒しの力、偉大な働きなどを思えば誇っても問題がないように思いますが、彼らは決してそれらを誇らず、「自分の弱さ以外には誇ることをすまい」(2コリント12:5)と言ったくらいでした。

Ⅰ. 古くて新しい戒め(7)…
1) 「愛する者たちよ」と呼びかけて、主にある愛を示し、人々を戒めました。
2) グノーシス主義者たちは、神から啓示を受け「新しい教え」を持っていると誇りました。しかし、ヨハネは主から新しい戒めを与えられたと記します(ヨハネ13:34、1ヨハネ3:23・24)。
3) 「新しい戒め」とは、クリスチャン生活のルール、規範、神のみ旨です。偶像の神々と生けるまことの神と違うように、主が教えた「人を愛する」とは、道徳の愛とは異なります。この世の愛は自分の得になるものや、見返りを求めますが、主の愛は自分を犠牲にして極みまで人を愛する愛、敵をも愛する愛です。それは、ご自分を犠牲にしてまでも死なれた十字架から知ります。主が弟子たちの足を洗ったのは、主が己に死んで仕える愛を表したのです(ヨハネ13章参照)。主によって始まった、この愛に生きることが新しい命令です。

Ⅱ. 真理にある歩み(8)…
1) 愛を学び愛そうと努力し人の愛を真似ても、根本的に異なる愛であり、真の愛を得られません。かえって偽善者になり、信仰生活に疲れ、信仰を失いかねません。
2) 主の愛を知り、主によって新しく造り変えられ、真の自由を得て、神の前に真実に生き心から喜んで奉仕をする者は何と幸いでしょう。愛がないのにあるかのように振舞い、表面的に着飾っても、何か問題が起きた時には崩れ、本来の姿があらわにされます。神は全てをご存知であり、根本的な偽りを全て見抜いておられるので惑わされません。私たちは、着飾り人の真似をやめ、キリストを模範とし、「主よ、私には愛がないのです」と、主に憐れみと愛を求めましょう。主は、私たちに主のまことの愛を与え、キリストの心を自らの心として生きる者とされるとき(ピリピ2:1-11)、内からまことの愛が溢れてくるのです。

Ⅲ. 兄弟愛に生きる(9-11)…
1) 今は闇が去り、主の愛の光が輝いているので、いつでも神の愛の中に飛び込めます。しかし、闇の生活をしているのは、主の愛の中に生きていないからではないでしょうか。主の愛と恵みに生きる者は、信仰の交わりをする主にある兄弟を憎めないのです(3:13)。
2) 人は、つまずくと怒りが出てきます。子どもを怒らせ、つまずかせたら感化を与えられません。主の薫陶(主の薫り)によって育てましょう(エペソ6:4)。主にある兄弟だったら、忠告し、「光の中にいる」ようにと、主は言われました(マタイ18:15-17)。十字架の光の下、血潮を仰ぎ、悔い改め、罪を赦され、救われ受洗に導かれた光に歩み、信仰に生きる者は己に死ねるので、自分も他人もつまずかせないのです。3)兄弟を憎む者は感覚で歩み、闇の中を何処へ行くのか分かりません。自己中心であり、競争し、争い、心の底で憎み、無視するので、信仰は成長しません。クリスチャンの愛は感覚でなく選択です。愛を感じようが感じまいが、その人の幸せに関心を持ちます。その人を愛する事を主にあって選んだのなら、愛せるように主が助けてくださいます。



教会の各活動


誕生者の祝福祈祷
午後は、教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月8日)10:30~12:00


聖書:Ⅰコリント書13章4~7節
題:愛をもって待ちましょう
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:310、216



○聖書研究祈祷会 水曜日(9月9日)19:30~21:00


聖書:ヘブル書4章16節
題:クリスチャンの勝利
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:191、203、458



○主日歓迎礼拝 来週日曜日(9月13日)10:30~12:00


招詞:マタイによる福音書11章28-30節
交読文:18  詩篇50篇
聖書:マタイによる福音書11章28節
題:わたしのもとにきなさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:9、232、210