2014/02/23

主日礼拝「主は私の牧者です」

礼拝メッセージ 「主は私の牧者です」 詩篇23篇1節

長谷川和雄師

 

良く知られ暗唱されている詩篇23篇は、良き牧者であり、獅子をも倒す強さを持った羊飼いであったダビデ王の作詩です。この詩篇は今日も多くの悩める人々や死の床にある者に、慰めと励まし、癒しや勇気を与え、神への信頼を与える詩篇です。

Ⅰ.主は私の牧者です…
1) 羊の弱さ。羊は強い近視で、臆病であり、足が遅く戦う武器がありません。自分で毛並みを整えることが出来ず、仰向けに倒れたら自分で起き上がれないなどの弱さをもっていますから、羊を守り養う良き牧者がいないと生き延びることができない動物です。
2) 人間の弱さ。羊と同様に、人間も弱い存在です。目先のことしか見えず未来が分かりません。臆病で、孤独を嫌い、大衆心理に流されやすい存在です。そして、罪の誘惑に負けやすく、この世に於ける競争などに敗れると、絶望し立ち直れなくなったり、迷いやすい弱さをもっています(イザヤ53:6a)。
3) 私の良き牧者。神は、神に逆らう者をも名指しで呼び、選び、自分のものにして下さいます。しかし、何でも自分のものにするには代価が必要です。そのために、神は私たちの罪を負われ(イザヤ53:6b)、良き牧者であられた主が十字架の上で死んで下さいました(ヨハネ10:11)。
4) 牧者に逆らう者。聖書には、主を信じたのに、全く回心をしないでこの世を愛し、み言葉に従わないで逆らう者は山羊に譬えられています(マタイ25:33)。また、神を畏れず、自分を正しいとし、貪欲な者は狼のようです(マタイ7:15)。
5) 主は良い牧者です。良い牧者は、羊の餌である牧草を良く管理し、冬の餌や寒さにも備えます。また、きれいな水を羊たちに用意します。私たちは良き牧者である主を信じて従うとき、「主は私の牧者です」と告白することができます。

Ⅱ.乏しいことがない…
1) 乏しいことがない。「乏しいことがない」とは、牧者が適切な配慮を忠実に行い、あらゆる管理が良く行き届いており、全ての点で落ち度がなく、欠けや欠陥がないということです。そのような状況を保つ為に徹夜をいとわず見回り(詩篇12l:3)、個々の羊の必要を覚えて勤勉に世話を行ない、しかも、私心がなく、いのちを投げ出して、献身的に労する牧者のゆえに(ヨハネ10:11)、羊は豊な命を与えられているのです(ヨハネ10:10b)。
2) 物質的繁栄。柵の向こうが自由であり、草が良く茂っているように見え、柵の穴から迷い出て行く羊がいると、他の羊に悪い影響を与えてしまいます。その羊に何度注意しても繰り返し、他の羊に悪影響を与えてしまう羊は処分するほかないのです。人間も、この世が良く見える多くの人々は、人が物質的に繁栄(成功など)しているなら、神の祝福の中にいると考えています。それは霊的なことに盲目になった結果であり(黙示録3:17)、天に宝を積むことや(マタイ10:21)、永遠のいのちのことを忘れてしまっているのです。
3) 欲望からの開放。欲に目がくらんでいる者は、「もっと…早く、薄く、軽く、簡単で、楽に、元気で、美味しく、美しく」と求めます。しかし、今あなたの持っているものは、全てあなたのものではありません(伝道の書5:15)。また、今もっているものはあなた自身と関係が薄いものです(ルカ12:15)。主は外側でなく、心を見られます(Iサムエル16:7)。あなたの思いやり、ひたむきさ、優しさ、素直さを見られます。私たちは永遠の命を失わないように、また、私たちに与えられた信仰を失わないようにしましょう(Iテモテ6:6)。


教会の各活動

午前の礼拝の様子


午後から、大阪ケズイック・コンベンション京都大会(京都復興教会)が行われました。

今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(25日)10:30~


聖書:ヨハネによる福音書11章25節
題:よみがえり
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:359、343


○聖書研究祈祷会 水曜日(26日)19:30~


聖書:マルコによる福音書6章14~29節
題:受難と宣教
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:156、359、396


○主日礼拝 来週日曜日(3月2日)10:30~


招詞:詩篇100篇1-5節
交読文:7 詩篇23篇
聖書:詩篇23篇2節
題:主にある平安
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:8、251、252