2017/12/17

アドベント歓迎礼拝「クリスマスの光」

アドベント歓迎礼拝メッセージ「クリスマスの光」ヨハネによる福音書1章9節


長谷川ひさい師


教会では、クリスマスにキャンドル・サービス(燭火礼拝)をします。電気を消しロウソクを点け、静かに賛美し、聖書を読み、祈り、クリスマスの意義をしのびます。信愛教会では、毎年12月23日の夜に行いますが、主が人類の光として世に来てくださったことを、静かに心静め主の誕生の事を思いめぐらし、感謝する時です。

主は約2千年前、私たちの世界に神様の大いなる光を照らすために、ユダヤのベツレヘムに生まれました。今日まで、私たちの世界には多くの立派な宗教家や哲学者が生まれました。インドに釈迦が、中国に孔子、ギリシヤにソクラテス、日本に空海・日蓮・親鸞など素晴しい僧侶が生まれました。主は、人類の光と言われましたが、なぜでしょうか。

Ⅰ. 愛の光…


人間は真の神を知らないので、主は真の神の愛を、私たち人間に示しました。格別に日本人は、神といえば神社に祭られている神々を神と思っています。しかし、聖書に「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」(ヨハ3:16)とあり、また、「神は天と地とを創造された」(創1:1)とあるように、真の神は天地の創造者、保持者であり、全世界の歴史を支配し導いています。また、「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない」(イザ44:6)とあるように、真の神は全能で霊なる方であり、唯一の神です。そして、「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって…御子をおつかわしになった。ここに愛がある」(Ⅰヨハ4:10)とあるように、神が私たち一人びとりを愛する愛を表し、主をこの世におくり、人類に対する「愛の光」となりました。いつも主は、神の愛を人々に示し、何よりも私たちが互いに愛し合う事の大切さを教えてくださいました。

Ⅱ. 真の光です…


主は真の神の愛だけでなく、私たちに「真理の光」を表しました。神を離れた時、私たちの心は暗くなり、何が真実であり、何が真理であるか分からなくなりました。今日の世界の国々の間に争いがあり、社会に混乱があるのは、この何が真理であるかを見失ったことから起きているのです。私たちの毎日の生活の中でも、色々と意見が違ったり、争い、事件が起きていますが、この真の光が分からないからです。暗い心、暗い生活、それはわびしいものです。しかし、そのような私たちの世界に主は、きよく生きる事、正しく生きる事の幸いを示されました。主は、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつ」(ヨハ8:12)とあるように、私たちは主を救い主と信じる時、罪に汚れた生活から離れて、きよい光の中を歩む生活に変えられるのです。

Ⅲ. 救いの光…


主がこの世に来られたのは、「神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである」(ヨハ3:17)とあるように、罪と汚れから私たちを救うためでした。主は、十字架にかかり私たちの罪のために死なれ、三日目に復活し、救いの道を開かれました。主の十字架は私たちの罪の贖い、罪の身代わりとなり、罪の償いをされたのであり、復活は永遠の命の源泉となったのです。「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった』という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである」(Ⅰテモ1:15)とありますが、私たちは主を救い主と信じるなら罪が赦され、神の子とされ、永遠の命をいただき、インマヌエルの主が日々共に歩んでくださるのです。今年も皆さんと共に、愛・光・救いである主を心に迎え、主の誕生を心からお祝いするクリスマスとさせていただきましょう。

教会の各活動


CSクリスマス会の様子
CSクリスマス会が行われました。


今週~来週の予定

○婦人祈祷会 火曜日(12月19日)10:30~12:00


※年末は休会し、1月9日から再開します

○聖書研究祈祷会 水曜日(12月20日)19:30~21:00


※休会します(12月27日は実施、1月3日は休会)

○燭火礼拝(キャンドルライトサービス) 土曜日(23日)19:00~20:00


聖書:ルカの福音書2章1~7節
題:救い主を迎え入れるところ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:78、75、他

○クリスマス礼拝 来週日曜日(24日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書3章16節
交読文:29  詩篇95篇
聖書:ルカの福音書2章8~20節
題:「さあ、ベツレヘムへ」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:76、78、75

2017/12/10

第2アドベント礼拝「初めに言があった」

第2アドベント礼拝メッセージ「初めに言があった」ヨハネによる福音書1章1~5節


長谷川和雄師


主イエスの誕生を祝うのはなぜでしょうか。言は初めからある神であり、言である主は神であり、命は人々の光であり、この世の暗闇の中に輝く光として、来てくださった救い主であるからです。クリスマスを迎えるにあたり、この救い主を信じ受け入れ、神に会う備えをしましょう。

Ⅰ.言葉は神です(1)…


1) 主は永遠。
  1. 「初め」とは、全ての時よりも前、宇宙が始まる前を指し、主は天地創造時に創造されていません(17:5)。父なる神と共に栄光をもって存在していました(コロ1:16—17)。
  2. 「言があった」。普通「ことば」は「言葉」と書きますが、漢字一文字の「言」を「ことば」と読むのは、主を指す語として用いたからです(1:14)。なぜなら、神は御自身を示す「ことば」として御子を遣わしました。

2)神と共にある方。

「言は神と共にあった」。このことは、
  1. 主イエスは被造物ではなく、創造者であり、神と共におられる方です。
  2. 主は神と共にあり、永遠にある方です。
  3. 主は全ての時間よりも前からある方です。

3)神である主。

「言は神であった」と記し、主は神ご自身だと宣言します(1:14新改訳)。主は被造物の天使や神より劣るものだから、罪を贖うため神から権能を受けた方でなく、主は御父と同質の神で、世の存在前に居た方です。私たちを、神ご自身の血で買い取った神の教会(使徒20:28)に加えてくださり、主が天の窓を開き、真の神を見せてくださるのです。

Ⅱ.創造者の主イエス(2—3)…


この個所は、父なる神と御子は一つであり、万物を主が創造したことを告げ、神は御子を通して、天地創造の働きに係わったのです。ある異端者は、イエスは神の被造物であると主張していますが偽りです。主は万物の創造者です(詩篇148:4—5)。

Ⅲ.いのちと光の源(4—5)…

  1. いのち(4)。主こそが「全ての霊的生命と霊的光の源泉」であり、永遠のいのちです。人は、主から常にいのちを頂いて来ました(詩篇104:29)。主は、創造された全てのものの命の源であり、全ての命は主によって維持されています。御父である神は、御子を通し私たちに永遠の命をくださり、この命によって神と交われます。この与えられた命は光、知性の光を宿しています。この知性の光は、主がくださったもので、この知性の光によって神を知り、神の愛を知って、主の栄光を表すことができます。
  2. 光(5)。光の反対は闇です。闇は悪魔の力、悪、愛の無さ、罪を象徴します。神から見た私たちの世界は闇の世界です。世界の始まりの時、神が創造した世界は完全で、素晴らしいものでしたが、人間が罪を犯し、堕落し、神から離れ、呪いの中に生きるものとなりました。「やみはこれに勝たなかった」。他の訳は、「暗闇は光を理解しなかった」(新共同訳)、「光を受け入れなかった」(詳訳)。相手の考えを理解出来たら勝ったも同然です。「理解する」は「捕える、支配する」ことを意味します。聖書は光と暗闇の関係を示し、人間の知性が閉ざされたことを明確にします。神に背を向けた人間は、与えられた知性の光を暗くし、暗闇の中に閉ざされました。こうして人間は、神を知ることもできなくなり、知性の光によって主の栄光を表せなくなりました。神は、暗闇に閉ざされた人間を救うために、命と光の源である御子を、最も高いところから、最も低い死と暗闇のどん底の、この世に遣わし、命と光をもたらしました。このことを喜ぶのが、クリスマスを祝う意味です。私たちはこの命と光の中にあって、真の霊的生命と光を持ち続けることができるように、命の光である主を信じ、主に依り頼み、真の光の内を歩み輝かせていただきましょう。



教会の各活動


青年学生クリスマス会とCS教師会が行われました。


今週~来週の予定

○婦人祈祷会 火曜日(12月12日)10:30~12:00


聖書:詩篇69篇26節
題:傷と痛み
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:67、38

○聖書研究祈祷会 水曜日(12月13日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝21章1~16節
題:エルサレムを目指して
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:88、207、428

○主日歓迎礼拝 来週日曜日(12月17日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書60章1-2節
交読文:46  詩篇148篇
聖書:ヨハネの福音書1章9節
題:「クリスマスの光」
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:8、68、73

2017/12/03

第1アドベント礼拝「真実な神の言葉」

第1アドベント礼拝メッセージ「真実な神の言葉」イザヤ書55章8~13節


長谷川和雄師


神の約束のことばは真実で、長期的で時には瞬時的です。神を愛する者に最善をなされます。今日の個所で神が人と対比され、超越的で絶対的な事が記されています。真実な神に信頼を置く者には、今たとえ苦難の中にあっても、最終的に神による喜びを手にすることが出来る、との神の約束が、神ご自身のことばとして、美しく詩的に表現されています。

Ⅰ、神と人間(8—9)…

  1. 思いと道。神と人間の思いと道が比較されています。「わが」は神ご自身であり、「思い」は考え、計画、構想です。「道」は思いを実行する時の手段、方法です。その思いと道が、神と人では全く異なります。「あなた」とは、神を畏れ敬う人ですが、それでも神の思いと道は全く異なります。
  2. 違いは、神と人には天地の差があり、神の思いと道を人には理解できません。人が知っていると言う人は、み前で知るべきことも知らない人です。だから、人が神の思いと道の違いを理解し、納得出来ないことを受け入れることは重要です。神の悪人の赦しは人の理に反し、人は悔い改めをためらいます。神は全知全能であり(ルカ1:37)、神を畏れ敬い、信頼し、全てを任せて従う者に神の平安が与えられます。

Ⅱ、神と人の思いと道の相違(10)…

  1. 人の言葉は、人の思想、意思、計画等を明らかにし、人を動かし、出来事を起こし、時には人や事態を混乱させ、破壊し、虚しさを残しやすいです。
  2. 神のことばは、神の思想、意思、計画などを明らかにし、「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(創1:3)様に、ことばが現実になります。また主が、死んだ者に「起きなさい」(マコ5:41)と言うと生き返りました。ことばのヘブル語の原語の意味は、「ことば・出来事」で、語られた神のことばは必ず現実になります。イスラエルの民が神のことばに聞き従うと神の栄光を拝し、聞き従わないと民は敗北し困難をもたらしました。地に雨を降らせ良きものが生じるように(10)、神のことばには力があり、救いと命を与えます。神のことばは生きており、活動し、力を持っています。これが人の言葉との大きな相違点です。「草は枯れ、花はしぼむ。しかし…神の言葉はとこしえに変ることはない」(イザ40:8)。だから、預言者は神のことばを絶対的に信頼し、聞き従うように、民に常に力強く訴えたのです。

Ⅲ、神のことばの確かさの保証(11)…

  1. 神の保証。神のことばの成就が、人の期待する形、時期、方法、場所等で違う事が多く、直ぐ受け入れられませんが、神ご自身が保証します。
  2. メシヤの現れ。ユダヤ人のメシヤ観は、ローマの属国から解放する強い王であり、主の説く救い、神が人となったこと、誕生の預言の成就、方法、主の御業、十字架、復活等を理解し、信じることが困難でした。神の道は何にも妨げられず、主は十字架の道を自ら進んで歩み、民は主を十字架で処刑しました。
  3. 人の思いと道。人は神から遠く離れ、深く広く高い神の思いと道、神の存在や、神の業が分からず、神を人の道具にして祈りますが、不信仰で神は死んだとさえ言います。しかし、真の預言者も主も、神のことばに堅く立って歩むことが、人の生きる道ですと訴え続けます。

Ⅳ、神のことばに生きる者への約束(12—13)…


神のことばに堅く立って歩み続ける者に与えられるもの。記された喜びは、バビロン捕囚から解放の出来事です。その解放の喜びを、自然の擬人的表現で、役に立たず作物の害になる植物が、有用で薬用になる木が生えると記します。解放の喜びは、平安を永久に満たし続けます。主の再臨の約束を覚え、アドベントの今、み言葉の約束に堅く立って歩み、いつでも神の前に立つ備えをしましょう。



教会の各活動


教会役員会が行われました。


今週~来週の予定

○婦人祈祷会 火曜日(12月5日)10:30~12:00


聖書:創世記1章27節
題:神のかたち
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:1、448

○聖書研究祈祷会 水曜日(12月6日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝20章17~38節
題:ミレトでの決別説教
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、143、385

○第2アドベント礼拝 来週日曜日(10日)10:30~12:00


招詞:マルコによる福音書1章15節
交読文:37  詩篇119篇
聖書:ヨハネの福音書1章1~5節
題:「初めに言があった」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:68、75、361

2017/11/26

主日歓迎礼拝「主に感謝せよ」

主日歓迎礼拝メッセージ「主に感謝せよ」詩篇136篇1節


長谷川ひさい師


400年程前、英国からアメリカ大陸に信仰の自由を求めて、約120名の人々がメイ・フラワー号(船)でやって来ました。人々は慣れない土地で、森の木を切り丸太で家を建て、生活を始めますが、多くの人は都会育ちで農業に慣れておらず、約半分の人々が飢えと寒さで死にました。春に親しくなったインディアンから、トウモロコシやえんどう豆、小麦、大麦などの種まきを教えてもらい、2度目の秋には沢山の収穫が与えられ、教会で感謝の礼拝をしました。また、インディアンの友を家庭に招き、パンやケーキを作り、野生の七面鳥やカモの焼き肉を作り感謝しました。これが収穫感謝の始まりですが、米国では毎年11月第4日曜日を収穫感謝の日(祭日)にしました。

日本では11月23日を勤労感謝の日とし、年に一度、収穫や元気で働けたこと、他の方々の苦労を覚えて感謝することは素晴らしい事ですが、年に1度の感謝で終わらず、普段の生活でも感謝することは大切であり必要な事です。自然の恵みを感謝し、親の恩を感謝し、先生や先輩の愛を感謝することも大切であり、これを導き祝福して下さる神に感謝することを忘れてはいけません。

  1. 今日の聖句をリビングバイブルでは「絶え間なく恵みを注いでくださる主に感謝しなさい」とありますが、この感謝の心は美しい人格の要素です、とある方が言いましたが、案外私たちは当たり前と思い感謝の心を失っていないでしょうか。朝、目覚めた時から、夜床に就くまでどうでしょうか。いやな出来事や、面白くないことに遭遇したことを思い出し、「今日はついていない」「つまらない」「馬鹿々々しい」と、文句ばかり出て来ていないでしょうか。思いがけない交通事故、商売が失敗したりするとなお感謝できません。農家の方々も、今年のように風水害で作物がダメになると感謝できません。
  2. では私たちは、なぜ日ごろ感謝できないのでしょうか。それは、私たちにわがままな心、自我があるからです。いつも自分が中心で、「私が」「俺が」という自己中心な心があるからです。この自己中心は、感謝な心を失わせ、やがて妬み、恨み、不平不満を言わせます。これが罪です。罪とは、法律に触れることだけではなく、自我を突っ張り、我ままいっぱいに生活する事も罪です。その罪は、自分自身や周りの人々の心を痛め、そして、そのために人々と仲良くできなくなり、争いごとになり、ついには傷害事件や殺人にまでなりかねないのです。
  3. 主は「茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない」(マタ7:16—18)と言われました。わがままで悪い心では、悪い行いや悪い結果しか生まれてきません。しかし主は、こんな私たちを新しく造り変えるために来られました。主は私たちに、新しい心と新しい思いを持つ人に変えてくださいます。主は、その罪を取り除くために十字架にかかり死んでくださり、永遠の命を与えてくださるために3日目によみがえられたのです。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(Ⅱコリ5:17)とあるように、主を信じる時、私たちの心に感謝の心が与えられ、罪の赦しを心から感謝し、喜びに満たされます。そして周りの人々に思いやりのある暖かい愛が生まれてくるのです。私たちも主にあって罪を赦された感謝を新たにしましょう。そして、いつも主を見上げ、感謝の生活を送りましょう。


教会の各活動


会衆賛美の様子
ハンナ会(クリスマス会)、青年会(クリスマス準備)が行われました。


今週~来週の予定

○婦人祈祷会 火曜日(11月28日)10:30~12:00


聖書:マタイの福音書14章18節
題:ここに持って来なさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:19、232

○聖書研究祈祷会 水曜日(11月29日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝20章1~16節
題:励ましと慰め
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:201、445、317

○第1アドベント礼拝 来週日曜日(3日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書40章4~5節
交読文:49  イザヤ書40章
聖書:イザヤ書55章8~13節
題:「真実な神の言葉」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:9、67、361

2017/11/19

主日礼拝「心の深みまで新たに」

主日礼拝メッセージ「心の深みまで新たに」エペソ人への手紙4章17~24節


長谷川和雄師



誰でも孤独と不安と虚しさを感じますが、億万長者でも同じです。主は一人のいのちの尊さ、存在の重さを教えました(マタ16:26)。孤独や不安を解消するために、欲望を満たそうと貪る人生は結局、虚しいままで終わってしまいます。

Ⅰ、神から離れた歩み(17—19)…


真の神を知らず、神から離れて歩む者の心をこの個所に見ます。
  1. むなしい心(17)。その心は、「実を結ばない・無駄・いくら求めても到達できない」心の状態です。もし、人が神の被造物でないなら、偶然の存在で、意味も目的もなく、人生が空しいです。しかし聖書は、神が人間を意味と目的をもって創造したと教えています。その意味や目的は、神は愛そのものの方で愛の対象として人を創造しました(1ヨハ4:8)。ですから、私たちの存在が神の目的であり、神に造られたことを感謝し、神の愛を喜んで生きることが、神の喜びです。愛の神のみこころに生きることが人生の目的であり、神に用いられるとき、私たちの存在の価値が最大限に引き出されます(ロマ12:2)。
  2. 頑なな心(18)。「頑なな心」(新改訳)の原語は「特別に固い石」の意味の派生語で、創造主に背を向け続け、神との関係がズレた状態のままで歩むことです。動脈硬化によって命の危険が迫るように、どんどん頑なとなって神の命から遠く離れる心です。イスラエルの民は、モーセに率いられエジプトを脱出し荒野を旅しますが、神は愛をもって必要を満たしましたが、神の言葉に耳を傾けず、従わず、少しの困難でも、つぶやき、文句を言い、神に背く「強情・頑固・うなじのこわい」民で、「かたくなな民」(出32:9他)と言われました。その頑なな心ゆえ、40年荒野をさ迷い、民の多くは約束の地に入れず、途中で命を失いました。頑なな心にならないために心を点検し、神への信頼や感謝の心を失ってないか、不満・愚痴・妬む心がないか、など不信仰を確認したら、主の十字架の血潮を仰ぎ、み言葉の約束に立ち、神のみこころに従い、主への信仰を告白しましょう。そして、神の愛や恵みや真実や祝福を思い起こし、神との交わりを回復しましょう(ヘブ3:8)。
  3. むさぼりの心(19)。その心は「道徳的に無感覚」(新改訳)となり、自分の欲望が満足されるなら、人の非難を気にかけないという態度で、獣のような心です(詩篇73:22)。「人の心には、神以外には埋め尽くすことの出来ない空洞がある」(パスカル)ともあります。

Ⅱ、新しい人生(20—24)…


この個所で、真理の主が教えた生き方は、主とくびきを共にし、主から学ぶ事です(マタ11:29)。
  1. 古い人を脱ぎ捨てる(20-22)。「空しく、頑なで、貪る心」のままに生きていた古い人を脱ぎ捨てることは、自分の努力や頑張りではできません。古い人を十字架につけるのです(ガラ5:24)。それは磔殺信仰、神を信じ(2コリ5:17)、明け渡す信仰によってです。信じる時、私たちの内に聖霊が宿り、新しい命に生きる者として新創造されたのです。
  2. 新しい人を着る(23-24)。十字架の恵みによって罪を赦され、きよめられ、「義」とされ、神と正しく、親しい真っ直ぐな関係を持てるのです。主の十字架の贖いは完全です。また、「聖」なる者とされ、神は私たちの本来の価値を引き出し、私たちは「神にかたどって造られた新しい人」を着る者とされます(ロマ13:14)。聖霊は神の御性質である愛、真理、誠実、寛容、忍耐などに与る者とされます。カルバリーとペンテコステ、十字架と聖霊と言われてきた通りです。弱い私たちですが、信仰の創始者・完成者である主を仰ぎましょう(ヘブ12:2)。

今週も、この主に教えられ、支えられ、豊かな恵みと真実の中を歩みましょう。



教会の各活動


本日は転会式も行われました
CS教師会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(11月21日)10:30~12:00


聖書:イザヤ書65章16節
題:神による祝福
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:190、427

○聖書研究祈祷会 水曜日(11月22日)19:30~21:00


聖書:箴言28章13~14節
題:罪を言い表す
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:41、262、266

○主日歓迎礼拝 来週日曜日(11月26日)10:30~12:00


招詞:詩篇100篇1~2節
交読文:43 詩篇136篇
聖書:詩篇136篇1節
題:「主に感謝せよ」
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:7、171、427

2017/11/12

主日礼拝「幼児を抱かれる主」

主日礼拝メッセージ「幼児を抱かれる主」マルコによる福音書9章30~37節


長谷川和雄師



児童祝福式の様子
今日、児童祝福式を行いました。この個所からイエスの子どもへの思いを見ます。マルコ8章は大転換点で、ピリポ・カイサリア地方で、主は初めて弟子に自分の受難の死と復活を預言しましたが、弟子や民のメシア理解に大きな相違があり、ご自分がメシアであることを言い広めてはならないと命じました(8:30)。メシアが正しく理解されるためには、主の十字架の死と復活が必要でした。9章に入り変貌の主を弟子が見た後、一行はひたすらエルサレムに向かいます。

Ⅰ、メシア理解の混乱…

  1. 主の一行は、かつて主が洗礼者ヨハネから洗礼を受け活動を開始し、12弟子を選んだカペナウムに到着する前、主は再び受難と復活を預言しました。最初の預言の時に驚いたペテロのメシア理解が、民族解放の英雄なので主の預言を否定し、主から悪魔同然だと叱責されました。ですから、この時も弟子に預言の意味を理解されておらず、怖くて何も聞けなかったのです。
  2. また、弟子の間に主に従うことは一体何か、との疑問がありました。この方はエルサレムに入城した後、天の軍勢の力で占領者と政権を打ち倒し、ユダヤ民族を解放し、真の王として君臨し、諸国に命令する方と信じて従って来たが、主が死んだら民の解放や、弟子の立場はどうなるのか。また、復活後、民族解放運動が新局面に入るのか、とメシアのイメージが混乱していました。メシアに対する正しい意味を理解するためには、十字架と復活の出来事が起きないと無理でした。こんな状況なので、人々に知られないために、前に入った家に入りました(30—33)。

Ⅱ.仕える者になる事…


カペルナウムで家に入った主は、弟子に道中で何を話していたのか聞きますが、「だれが一ばん偉いか」(34)との話しを誰も言えません。主は全てをお見通しです。人でなく神の目で見て最も偉く、神のみこころに適う偉大な者は、「一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」(35)と教えます。これは、主が行ったことでした。主は神の栄光に包まれていましたが、神への不従順と罪ゆえに神との親しい交わりを失った人間の回復ために、人類の全ての刑罰の身代わりに十字架で死んだ主を救い主と信じるなら神は赦しを与え、永遠の命を与え永遠に神と親しい交わりができるようになったのです。正に、全ての人の後になって全ての人に仕え、一番先の者になったのです(ピリ2:6—11)。ここで、主は心を低くし、僕のように皆に仕える人が、実は一番偉いということでした。また、本当に偉い人は人の評価を気にしませんが、中身のない人は自信がないので、人目や世の評価を気にするのです。

Ⅲ.幼な子を受け入れる…


「一ばんあとになり、みんなに仕える者」(35)ということについて、主は言葉と行為をもって教えました。主と弟子が車座に座り、子どもの立場が全く弱い時代に、幼な子の手を取り真ん中に立たせ、「抱き上げて」 (36.新共同訳)、主は「わたしの名のゆえに」(37)、世話を焼かせ、手がかかり、時間をとられる子どもを、あたかも主ご自身であるかのように幼な子受け入れることが、主を受け入れられない「みんなに仕える」(35)ことです。幼な子には、大人同様に救いと永遠の命の道が開かれていることを認めて、幼な子を受け入れることは、主と父なる神を受け入れることです。この十字架の福音を受け取っていない大人や幼な子は、世に大勢います。今日、信仰継承を考える時、幼い魂の祝福と守りを毎日祈り、幼な子の素直な心に信仰を継承し、幼な子を通して大人への信仰継承がなされ、いよいよ神のみ名が崇められる事をお祈りしましょう。



教会の各活動


会堂大掃除(壮年会、ハンナ会、青年会合同)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(11月14日)10:30~12:00


聖書:2コリント書7章5~6節
題:慰める神
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:41、251


○聖書研究祈祷会 水曜日(11月15日)19:30~21:00


聖書:詩篇32篇1~8節
題:罪が赦される
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:191、264、266


○主日礼拝 来週日曜日(11月12日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書57章15節
交読文:19 詩篇51篇
聖書:エペソ書4章17~24節
題:「心の深みまで新たに」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:224、369、428

2017/11/05

主日礼拝「愛のうちに育つ」

主日礼拝メッセージ「愛のうちに育つ」エペソ人への手紙4章14~16節


長谷川和雄師



最高の賜物、主イエスさえ惜しまず私たちに与えた神は、無条件に無限の恵みを下さいます。主は、神の栄光を捨てて人となり最も低いところまで降り、人の弱さや痛み、苦しみを理解し、身をもって生き方を示し、罪を負い十字架で死なれて罪を赦し神との和解の道を開き、復活し死に勝利しました。主は全てに打ち勝つ力と権威を持ち、主に信頼する者を様々な束縛から解放し、豊かな恵みを与える勝利の王で、天に上りました。主を、聖書を通して知り、私たちを整え互いに仕える心を与え、主のからだなる教会を建て上げます。だから、健全な信仰生活とは健全な教会生活です。続きを学びます。

Ⅰ、波風に翻弄されず(14)…


この世には、色々な教えの風が吹き、人生を台無にする宗教的な悪巧みや策略が多くあります。当時も色々な間違った教えの風が吹き、今も吹いています。

  1. 「救いには努力が必要」という条件付きの教え。主の十字架と復活によって永遠の命が与えられました。神の賜物であり恵みの救いを受け取り、主を救い主として信じ受け入れる信仰だけで救われます(2:8、ヨハ1:12—13)。しかし、信じるだけでは不十分で、戒めと儀式を守り、善行が必要、という教えは説得力があります。なぜなら、私たちは努力して何かを得る生き方に慣れていて、疲れる修行努力を好みます。異端やカルトは、救われるためにもっと伝道と献金をすべきです、と教え人々を縛り操ります。赤子は自分の努力で生まれてきません。
  2. 「特定の人間に権威がある」という教え。聖職者を階級に分け、階級が上ほど大きな権威と権力を持ち、聖書の権威を越え、神になってしまい、信徒は神に親しく祈れません。聖書は、神と私たちの仲保者は主だけです(1テモテ2:5)。
  3. 「自由だから何をしてもかまわない」という節度がなく気ままな教え。主は自由を与えてくださったのだから(ガラテヤ5:1)、欲望の赴くまま罪と快楽を経験しつつ、魂を清く保つのが鍛錬だ、などと考えます。しかし、聖書は、私たちには、全てのことを「する自由としない自由」があり、無益で徳を高めず人を支配し縛ってはいけないと教えます(1コリ10:23)。次に健全な歩みを学びます。

Ⅱ、愛を持って真理を語る(15)…


主ご自身が真理です(ヨハ14:6)。真理を語るとは、主が愛と恵みと祝福を豊かに与える方だと語ることです。愛のない者に神は分かりません(1ヨハ4:7—9)。神は愛そのもので、主は神の愛を具体的に表した方です。主を語るとき愛がなければ、本当に真理を語っていません。エペソ教会は「初めの愛から離れ…た」(2:4)とあり、彼らは正当性を守ろうとするあまり、大切な愛を失ったのです。私たちに弱さや欠点、間違いや失敗があっても、主は愛し、赦し、導き、成長させ、キリストご自身に似た者へと変えてくださいます。愛と真実に満ちた主をいつも見上げ、主の愛をもって真理を語りましょう。

Ⅲ、愛のうちに育つ(16)…


教会は主のからだであり、私たちはからだではなく器官です。自分の正しさを捨て、「キリストを基とし」、主のみこころのみ言葉と、同じ信仰に立つ時、教会は健全に成長します。主が私たちを愛の絆で組み合わせ、結び合わせ、成長させ、建て上げてくださいます。その愛は、神・キリスト・聖霊が与えてくださる愛、神の愛に支配され、愛を豊かに受けて、その愛に応える者とされ、主にある者同士、互いに愛し合って結ばれるのです。今週も、キリストの豊かな愛の中に育てられ、恵みと真の中に必要が満たされ、日々主にある平安に生かされ、主に似た者とされていることを覚えつつ歩みましょう。




教会の各活動


教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(11月7日)10:30~12:00


聖書:エレミヤ31章16節
題:わざに報いがある
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:285、183

○聖書研究祈祷会 水曜日(11月8日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝19章21-41節
題:異教文化の反応
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:267、458、460

○主日礼拝 来週日曜日(11月12日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:41 詩篇127篇
聖書:マルコによる福音書9章30—37節
題:「幼児を抱かれる主」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、483、聖歌490