今日は主の祈りの中の「みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」(10b)から聴きます。私たちの祈る主の祈りの言葉では「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」です。
【神のみこころ】
神の「みこころ」とは神の「意志」。「みこころをなさせたまえ」は、「神さま、あなたのご意志をその通りに実現させてください」という祈り。これは簡単な祈りではありません。私たちは現実には、神のご意志ではなく自分の意志や願いが成ることを求めていることも多いからです。神の意志と自分の意志がぶつかり合うなら、自分自身の願いを捨てて、自分の思いではなく神の意志を優先させると祈るのです。
【神の愛のみこころ】
そんなふうに言うと、私たちは神の意志を優先するのはつらい自己犠牲のように感じてしまいます。けれどもほんとうはそうではありません。神の意志は愛の意志。私たちをどこまでも愛し抜く愛の意志なのです。少し前の8節にも「あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。」とありました。私たちに必要なものを、しかも私たち以上に知っておられる父のご意志。それは、善き意志です。私たちが自分のために願うことよりも善きことを与えるご意志。ですから、私たちの願いを捨てることは自己犠牲ではあり得ません。私たちのためなのです。私たちが手に「わら」を握りしめていたら、どうでしょう。父が善きものを与えようとしても受け取ることができません。手を開いて「わら」を捨てて、初めて、父からその善きものを受け取ることができるのです。そのとき私たちは自分がたいせつに思っていた「わら」よりも、はるかにすばらしいものをいただいたことを知るのです。
ただ、誤解がないようにと願います。私たちの願う健康や経済的な祝福、職場や学校での祝福、それらが価値のない「わら」のようなものだから捨ててしまえ、というのではありません。それらは必要なものであり、それぞれ価値のあるものです。けれども、父なる神は「わたしはあなたの必要を知っている。もちろんそれを満たしてあげよう。あなたが願うようにではないかもしれないが。そして、あなたを世界の破れの回復のために用いてあげよう。それがわたしの愛の意志なのだ」と語られるのです。
【ゲッセマネで】
神のみこころを祈ったのは、もちろん、だれよりも主イエス。十字架前夜、主は、「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」(26:39)と祈ります。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」は主イエスの正直な思い、願い。十字架の痛みや恥というよりも、父との断絶こそ、イエスがもっとも避けたいと願われたことでした。けれどもただちに「しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」と主イエスは続けました。父のみこころ、父の愛の意志が最善だと信頼し、その意志にご自分をゆだねてしまわれたのでした。実現した神のご意志は、ほんとうにすばらしいものでした。主イエスの復活と悪の力が滅ぼされたこと、私たちに主イエスの復活のいのちと聖霊が注がれ、愛に生きる者とされたこと、そして今や、私たちが神の子として、神の友として世界の愛の破れを繕う者たちとされたこと。
【地でも】
私たちの願いや思いのうちには、実現しないこともあります。病や死、また、仕事や学業、家庭において、願うことがかなわないことはだれにもあります。もし私たちが、それらの願いを固く握りしめて手放さないなら、私たちの毎日は失望に支配されることになります。けれども幸いなことに、私たちは「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」と祈ることができます。父の愛の意志が、私たちの失望をも貫いていることを知っているのです。主イエスの世界で一番つらい失望、絶望。父はその中に、世界で一番喜ばしい、復活のいのちを創り出してくださいました。私たちも自分たちの願いや思い、またそれらが叶わないという失望を軽く握って、父のご意志とぶつかるなら手放します。そして父の愛のご意志を受け取って、喜びの毎日を生きます。父が招き、主イエスが聖霊によって、私たちを励まし、強めてくださるから、そうすることができるのです。
礼拝プログラム
■教会学校(9:30-10:15)
- 「エルサレムで」ルカの福音書24:36-49
- ※高校科はグループ聖書研究
■主日礼拝(10:30-11:45)
- 招詞:ヨハネの福音書3:16(新約 P.180)
- 讃栄:60
- 賛美:2
- 主の祈り:新聖歌 P.826
- 交読:口語訳 53 ルカの福音書22章(新聖歌 P.869)
- 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
- 牧会祈祷:大頭眞一牧師
- 賛美:300
- 聖書:マタイの福音書6章10節(新約 P.10)
- 説教:「愛のみこころの主」大頭眞一牧師
- 祈祷:
- 賛美・献金:367
- 感謝:
- 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
- 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
- 祝祷:大頭眞一牧師
- 報告:司会者(三教会共通分、右記)
- カテキズム:大頭眞一牧師(下記)
- その後、各教会での報告、祈祷