2024/04/08

礼拝メッセージ「近づく神」ヨハネの福音書20章30-31節 大頭眞一牧師 2024/04/07


20章でいったん終わったかのように思えるヨハネの福音書。けれどもヨハネの福音書には21章が加えられています。そうまでしてこの福音書が、つまり主イエスが伝えようとしたことに、今朝、耳を傾けます。

【イエスが愛された教会】

この福音書の中で、ヨハネは自分のことをたびたび、「イエスが愛された弟子」と呼んでいます。ひとつには、すべてのキリスト者は「イエスが愛された弟子」であることを、ヨハネが代表して述べています。けれどもそこにはもうひとつの意味が。

弟子たちのリーダーはやはりペテロ。ヨハネもまたペテロのリーダシップを尊重していました。イエスの墓に先に着いても、中に入らずにペテロの到着を待ったことからも、それはうかがえます。伝承によれば、ペテロは皇帝ネロの迫害によってローマで紀元67年ごろ殉教したとされます。一方でヨハネにまつわる伝承は、12弟子の中でヨハネが唯一殉教をまぬがれ、現在のトルコ西部のエペソの町を中心とする諸教会を牧した、とします。そんな辺境の小さな群れに対して、ヨハネは「私たちもまた『イエスが愛された弟子』なのだ」、と語ったわけです。

地域教会の歩みはさまざまです。明野キリスト教会にも京都信愛教会にもそれぞれの歴史があり、それぞれの習慣があり、それぞれの文化があります。けれどもどの教会にも、共通点があります。それは「イエスが愛された弟子、イエスが愛された教会」だということです。

【破れなかった網】

ところがヨハネの群れに異端が現れます。キリストの十字架が私たちの罪のためであることを否定する人びとです。ヨハネの手紙第一にあります。「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。」(Ⅰヨハネ1:8)。ヨハネの群れは、この「罪がない」という人びとによって傷つき弱ります。そんな中で異端に立ち向かい、主イエスの十字架による罪からいのちへの回復を信じる人びとは苦闘を続けます。そしてやがて、ペテロを中心とする群れと交わりを強めて行ったといいます。

「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」(6)と主イエスが網を打つことを命じ、その結果、引き上げることができなかったほどの百五十三匹の大きな魚が入ったのに網が破れなかったできごと。その記事をヨハネが付け加えたのには、そんな事情がありました。ペテロの群れとヨハネの群れ、そのみんなが一つの教会です。そして網は破れないのです。主イエスが教会をひとつとするのです。ひとつとし続けるのです。

【聖餐が生み出すもの】

「イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。」(13)を、教会は伝統的に聖餐を意味すると理解してきました。ペテロの群れとヨハネの群れの間にはたくさんのちがいもあったでしょう。たとえばヨハネの福音書の独特な語り口は、慣れない人びとにとっては難しく感じられたはずです。ですからペテロの群れとヨハネの群れがひとつの群れとして生きていくのは、理解の一致ではありませんでした。結束し連帯しようという人間の努力による一致でもありませんでした。それはいのちの一致。

聖餐は見えない神の恵みの見えるかたち、といつも申し上げています。私たちが弱り果てているときにも、信じることができないときにも、主イエスが一方的に私たちにいのちを注ぎ、信仰を注いでくださる、それが聖餐。

たがいに異なる人びとが、異なる群れが聖餐に与るときにも同じことが起こります。主が起こしてくださいます。考え方のちがい、礼拝のちがい(たとえば明野では献金後の感謝祈祷は起立、信愛では着席)があっても、いえ違いがあるときにこそ、主イエスが注ぐいのちが、ひとりひとりからあふれて仲間へと向かうのです。そして「よくぞあなたもいのちを注がれた。そんなあなたを私は喜ぶ。あなたの住む場所にも、主イエスは近づいてくださったのか。異なる器を通して、異なる言葉を通して。そのようにして、あらゆる手段で私たちに、私とあなたに届いてくださった主イエスを喜ぼう」と。

たがいに一致できるから聖餐を共にするのではありません。聖餐によって注がれるいのちによって、一致が生まれるのです。一致し得ないように思われるさまざまな違いを、主イエスのいのちはそのままにしておかないのです。自らの伝統にしがみつくのではなく、主イエスのいのちに持ち運ばれて、違いがあるからこそ生み出すことができる、すぐれた合金のような交わりを、教会を生きるのです。



(礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)



 礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「十字架上での祈り」ルカの福音書23:32-38
  • ※高校科は3階牧師室にて「グループ聖書研究」


■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招きの言葉:詩篇148:1-2(旧約P.1089)
  • 賛美:18
  • 交読文:45 詩篇146篇(新聖歌 P.863)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 賛美:190
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書朗読:ヨハネの福音書21章1-14節(新約 P.229)
  • 説教:「近づく神」大頭眞一牧師 ※信愛より
  • 聖餐:
  • 賛美・献金:453
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷: