2024/02/11

主日礼拝メッセージ「渇く神」ヨハネの福音書19章25-30節 大頭眞一牧師 2024/02/11


十字架で息を引き取られたイエス。ヨハネはその最後の言葉が「完了した」であり、先立つ言葉が「わたしは渇く」であったと記します。今朝は、この二つの言葉の間に起こったできごとを聴き取ります。

【渇く神→完了した神】

酸いぶどう酒を受けたイエス。けれどもイエスの渇きは肉体の渇きだけではなかったでしょう。そこには神であるイエスが人となって、この世に来られた目的、すなわち三つの破れの回復、そこに渇いておられました。神と人との破れ、人と人との破れ、人と被造物の破れ、がそれです。

けれども破れの繕いは十字架の上で成し遂げられました。完了しました。至聖所の幕は上から下へと裂けました。神と人との関係が回復されたのです。また、さきほど読んでいただいた27節に「その時から、この弟子は彼女を自分のところに引き取った。」とあります。神の家族として生きる教会、人と人との関係の回復です。被造物との関係の回復もそこから始まりました。

始まったこれらの回復は今も続いています。だから「完了した」というのは言いすぎだと感じられるかもしれません。けれども、完了したことがひとつあります。それは私たちを破れの中に閉じ込めようとする悪の力からの解放です。

【救いの四つ顔その3「解放」】

救いとは何か。そのとらえがたいほどの豊かさから、今朝は先週、先々週に続いて、もうひとつの顔をお話しします。それは解放。

人はみな罪の中にあります。罪とは、あの罪この罪というように数え上げることができるものというよりは、神を離れた存在のあり方そのものです。罪から離れようと思っても離れることができず、愛そうと思っても愛することができない理由がそこにあります。私たちを罪に縛りつけている力があると聖書は教えています。「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした」。(へブル2:14〜15)

罪の奴隷であった私たち。死は罪の結果ですから、私たちは死に支配された死の奴隷でもありました。奴隷というのは主人の強い力に支配されている者たちです。そのように自分よりも強い罪と死という悪の力の支配の下にあった私たちを、十字架が解き放ちました。それは暴力による解放ではありませんでした。逆に罪と死の力の暴力が、イエスに対して費やし尽くされることによる解放だったのです。こうして解放された者たちは、イエスと同じように生きることへと招かれています。悪に対して悪で酬いず、罪の連鎖を自分でとどめ、かえって悪に対して愛をもって酬いて生きる生き方です。そのためには人と自分を比べて優越感や劣等感を抱いたり、それを跳ねのけるために自分を駆り立てて生きる罪深い習慣が妨げとなります。神に愛され、神に受け入れられている恵みに安心して生きる習慣へと移ることが必要なのです。これには時間がかかるかもしれません。けれども、イエスを受け入れるとき、その人の中にはこの変化がすでに始まっているのです。(「聖書は物語る一年12回で聖書を読む本」89-90ページ)

このことは神さまの長い間の願いでした。創世記3章14節で、神はヘビが象徴する悪の力に対して宣言されました。「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」と。世界の始まりから抱いておられたこいの願いを、ついに神ご自身が人となって、十字架の上で完了してくださったのでした。

アメリカでは1862年9月、リンカーンによって奴隷解放宣言が出されました。けれども自分が自由であることを、長い間信じることができなかった奴隷たちが多くいたそうです。イエスによる「神の国」の宣言についても同じことがあり得るのです。新しい時代が始まったことに気づかないでいることも、大いにあり得るのです。(「聖書は物語る一年12回で聖書を読む本」79ページ)

主イエスによる悪の力からの解放を私たちが忘れることのないようにと願います。私たちの家族や友人、地域の方がたも一人残らず、この解放を知らないでいることがないようにとも。


(礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)



 礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「金持ちの青年の悲しみ」マタイの福音書19:16-26
  • ※中高科はグループ聖書研究


■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招きの言葉:ヨハネの福音書3章16節(新約 P.180)
  • 賛美:2
  • 交読文:37 詩篇119篇(新聖歌 P.858)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 賛美:231
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書朗読:ヨハネの福音書19章25-30節(新約 P.226)
  • 説教:「渇く神」大頭眞一牧師 ※信愛より
  • 聖餐:
  • 賛美・献金:355
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム(左上に掲載):大頭眞一牧師 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷: