2024/01/14

礼拝メッセージ「王である神」ヨハネの福音書18章28-40節 大頭眞一牧師 2024/01/14


新しい気持ちで始まった新年ですけれども、さっそく困難や痛みにぶつかった方がたもおられることでしょう。その中に、その中にこそ響き渡る主イエスのみ声を聴き取ります。

【ユダヤ人たちとイエス】

「彼らは、過越の食事が食べられるようにするため、汚れを避けようとして、官邸の中には入らなかった。」(28c)。主イエスをローマ帝国のユダヤ総督ピラトの官邸に連れて行ったユダヤ人たちは、異邦人の家に足を踏み入れると、汚れてしまい、過越の食事ができなくなるので、中には入りませんでした。本来世界のすべての国民を神に会わせる使命のユダヤ人に歪みが生じてしまっています。

彼らとは逆に、イエスは官邸の中で、堂々とピラトに真理を語ります。ユダヤ人の憎むローマの総督をも神に会わせようとなさったのです。この朝も主イエスはすべての人を神に会わせてくださいます。罪あればあるほど。聖餐がまさにそのことを示しています。

【イエスとピラト】

そんなイエスの前で、ピラトは揺れています。彼は「私はあの人に何の罪も認めない。」(38d)と言い、「あなたはユダヤ人の王なのか。」(33b)と核心をつきながらも、ユダヤ人の暴動を恐れて流されてゆきます。官邸の中からユダヤ人のところに出て(29)、中に入ってイエスを呼び(33)、再び出る(38)ピラトの姿には、ユダヤの最高権力者の権威はありません。主イエスのあわれみに気づかないゆえに、揺れるひとりのあわれな人が際立ちます。そのピラトに主イエスを静かに語り続けます。私たちにもそうしてくださり、今もしてくださっているように。

【真理とは何か】

ピラトは「真理とは何なのか。」(38)と言います。核心です。けれども彼は答えを待ちませんから、真剣に主イエスに問うたのではありません。つぶやきです。ある牧師はピラトを代弁してこういう意味のことを書いています。「真理か。ひさし振りに聞いた青臭い言葉だな。そんなものはない。自分は修羅場をくぐって生きているうちに、とうの昔に、真理を問うことはなどやめてしまった。しかし、この男はなんだろう。大まじめで命の瀬戸際で真理を語っている。忘れていた何かを思い出させるような、そんな懐かしさを感じる」と。

ピラトが払いのけようとしても払い切れない真理、ピラトが心の深いところで慕う真理、それはイエス・キリストでした。この世の苦しみや悲しみ、人間の罪や弱さのすべてを取り除く主イエス・キリストこそが、真理そのものなのです。

【世の罪を取り除く神の子羊】

「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」(ヨハネ1:28)と、バプテスマのヨハネはイエスについて、語りました。実はヨハネと他の三つの福音書では十字架が一日ずれています。他の福音書では、最後の晩餐が過越の食事。十字架はその翌日です。けれども、ヨハネでは十字架の当日が過越なのです。ヨハネの意図は明白です。主イエスが「世の罪を取り除く神の子羊」、過越の小羊であることを強調しているのです。ヨハネはまた、3章で主イエスが「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。」(3:14)と語ったことを記しています。民数記21章で荒野の旅に我慢できなくなったイスラエルが、神とモーセに逆らったときのことです。猛毒の蛇が送られ、多くの者が死ぬ。民が罪を認め、モーセが祈ったところ、「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」(民21:8)のみ言葉があり、その通りになりました。

ヨハネは、主イエスはこの青銅の蛇と同じなのだ、主イエスを仰ぎ見る者は生きる、どんな罪にもかかわらず生きることができると、語っています。それは私たちの悔い改めが真剣であるから、ではありません。私たちには思い出すことができない多くの罪がある。直視することができない大きすぎる罪がある。弱さや愚かさにいたっては数えきれず、それらのために私たちは息もできないぐらい、ぐるぐる巻きにされている。けれども、そこに主イエスの「生きよ」とのみ声が響きます。あなたのすべての問題を、あなたのすべてのねじれと歪みをわたしが引き受けよう。わたしの王としての力、神としての力を、あなたの罪を取り除くために注ぎつくそう。そう主イエスはおっしゃり、そのために十字架に架かってくださいました。だから私たちは生きることができます。愛する自由に解き放たれて。そのことの証しである聖餐にあずかります。


(礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)



 礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「ペテロの信仰告白」マタイの福音書16:13-20


■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招きの言葉:イザヤ60章2節(旧約 P.1269)
  • 賛美:141
  • 交読文:33 詩篇104篇(新聖歌 P.855)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 賛美:どうしてかわかるかな
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 子どもメッセージ:(明野)
  • 聖書朗読:ヨハネの福音書18章28-40節(新約 P.223)
  • 説教:「王である神」大頭眞一牧師 ※明野より
  • 聖餐:(心を合わせて加わりましょう)
  • 賛美・献金:239
  • 感謝祈祷:(明野)
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63と同じ、詞は下記)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)司会者 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷:司会者