2022/11/05

主日礼拝メッセージ 2022/11/06 「みもとに招く神」ヨハネの福音書6章32-40節 大頭眞一牧師


先週に続いて、主イエスが水の上を歩いた奇跡の翌日のできごとです。人びとは主イエスからパンをもらいたいと願って、主イエスを追ってきました。イエスが与えるパンが、目に見えるパンではなくて、イエスご自身であることが、なかなか分からない人びと。けれども、イエスは忍耐強く語り続けます。愛ゆえに、あわれみゆえに、人びとを、私たちをそのままにしておくことができなくて。

【いのちのパンを食べるために】

主イエスといういのちのパンを食べるとは、どういうことであるのか。35節にそれが記されています。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」つまり、イエスを信じること。イエスが神から遣わされ、十字架で死んで復活した神であることを信じることなのです。

【選びか自由意志か】

人はどのようにして信じるのか。片方には、「人間には信じることができない。信じることができるとするなら、それは神に選ばれているからだ」と考える人びとがいます。これが予定論。今日の聖書で言えば、「父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。」(37a)はそのように解釈することもできます。

もう一方にあるのは、自由意志論。「神さまが、恵みによって、私たちがいのちを選ぶことができるようにしてくださっている」と考える人びとです。今日の聖書なら「しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。」(36)がこれに当たるでしょう。

予定論か自由意志論か。これは古代から教会を二分してきた議論でした。けれども聖書を神の愛の物語として読むならそこに見えてくるものがあります。罪を犯したくないと思いながらも、犯してしまう私たち。そんな私たちを「信じなさい」と招き続け、信仰を贈り、信じた私たちを「あなたは選ばれている」と抱きしめてくださる神さまの姿です。「そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。」(37b)とあるとおりです。ある牧師はこう言いました。「救いの門の外側には『信じなさい』と書いてある。ところが門をくぐって振り返ると『あなたは選ばれている』と書いてあるのです」と。今、こうして礼拝に集う私たちは選ばれているのです。主イエスは決して、私たちを手放すことはなさいません。

【食べられるパン】

けれども忘れてはならないことがあります。それはパンは食べられるとき、損なわれ、なくなってしまうということです。永遠のいのちを得ている私たちは大きな喜びの中にいます。けれどもそこには心を刺すものがあります。主イエスの十字架の苦しみと絶望です。絶望というのは父から切り離される断絶ゆえの絶望。今日は聖餐。聖餐で私たちがかみ砕くパンはキリストのからだ、飲み干すぶどう汁はキリストの血です。キリストの肉を食べ、血を飲むことは決して楽しいこととは言えません。覚悟のいることです。キリストが命じるのでなければ、とてもする気にはなれません。けれども、キリストはお命じになります。「わたしをかみ砕け、わたしを飲み干せ。そしてあなたの罪のためにわたしがしはらったいのちを受け取れ。受け取って生きよ」と。

【天国ではなく復活】

「わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」(39-40)とあります。「終わりの日のよみがえり」が永遠のいのちだと強調されています。私たちは死んで、この地上とは関係のない天国に、たましいだけでいくのではありません。そうではなくて、この地上、終わりの日に回復された地上に復活するのです。肉体をもって。

いつもいつも申し上げることです。人は生きたように死に、死んだように復活します。神さまに招かれ、信仰を贈られ、「あなたは選ばれている」と抱きしめられている私たちは、安心して神さまとともに冒険しています。世界の回復のために。そんな私たちは神さまの胸の中に倒れこんで死に、神さまの胸の中でよみがえります。そして、今しているように、神さまと仲間を愛する愛に生き続けます。さあ、仲間とともに主の食卓につきましょう。


   (礼拝プログラムはこの後、または「続きを読む」の中に記されています)


 礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「看守と家族の救い」使徒の働き16:25~34

■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招詞:ダニエル書12章3節
  • 賛美:209①②
  • 交読文:32 詩篇103篇(新聖歌 P.854)
  • 牧会祈祷:大頭眞一牧師
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 賛美:505①②
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書:ヨハネの福音書6章32-40節(新約 P.189)
  • 説教:「みもとに招く神」大頭眞一牧師 ※明野より
  • 聖餐:(心を合わせて加わりましょう)
  • 賛美・献金:517①②③
  • 感謝祈祷:(明野)
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63)
  • 「父・子・聖霊の ひとりの主よ 栄えと力は ただ主にあれ とこしえまで アーメン」
  • 祝祷:大頭眞一牧師
  • カテキズム:(左上に掲載)司会者 と 報告:(裏面に掲載)司会者
  • 祈祷:司会者