2022/07/22

主日礼拝 2022/07/24 「上から来られる神」

礼拝メッセージ「上から来られる神」

  • 聖書: ヨハネの福音書3章31~36節
  • メッセンジャー: 大頭眞一師

(礼拝プログラムはこのメッセージの後、または「続きを表示する」の中に記されています)




今日もヨハネの福音書から福音を聴きます。上からすなわち天から来られたイエス・キリストこそがその福音です。

【小福音書の語り直し】
ヨハネ3章には小福音書と呼ばれる、福音の凝縮された箇所がありました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(16)です。今日の箇所はその語り直しとも言えます。たいせつなことだから繰り返されているのです。

「父は御子を愛しておられ、その手にすべてをお与えになった。御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(35,36)。御子を信じる者は永遠のいのちを持っているは、わかりやすいです。私たちの現在の姿そのままです。続く、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる、の部分には、どきっとさせられます。すべえてのことにおいて、御子に聞き従っているか、と言われると目を伏せるしかない私たちだからです。愛の反対は無関心、と言います。世界の問題、日本のさまざまな問題、家族や友人のさまざまな問題。私たちはそれらにそれなりに思いをめぐらしてはいるのですけれども、やはりいつもそういうわけではない。自分のことに気をとられて、ふと気が付くと関心が薄れてしまっていることもよくあると思います。やはり、私たちは愛を貫くことができない者たちだと思わずにはおれません。

【神の怒り】
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。けれども、罪と人を分けることはできません。私の無関心は、私の生い立ち・性格・生き方と深く結びついています。「神の怒り」(35)とあります。神の怒りは私の罪だけでなく、その罪と分かちがたく結びついた私そのものに向けられる、そう認めざるを得ません。がくぜんとさせられます。

けれども、ここに「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに」(16)の愛が響きます。神は罪ある私たちを怒りつつも、その怒りは愛とあわれみに包まれています。私たちの無関心は神に知られています。無関心の原因は複雑で、私たちには解きほぐすことはできません。けれども神はそんな私たちを丸ごと抱きしめてくださいました。そしてその怒りは御子の上に、上から来られた神の上にくださりました。十字架の上で。どうしてだれかがだれかの罪の身代わりになることができるのか。それは私たちにはわかりません。けれどもルールを決めるのは神さまであって、私たちではありません。神さまは、ご自分に最も不利なルールを定めました。それはすべての人の罪とその罪への怒りとさばきを御子の上に置くことでした。そしてそこから私たちの新しいいのち、永遠のいのちを始めるというルールも定めてくださったのでした。

【地に属する者】
「上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地のことを話す。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。」(31)の地から出る者とは、私たちのことです。地に属する、というのは否定的な言葉ではありません。私たちは地から出たのですが、今や永遠のいのちをいただいて、地上で主イエスを証しします。私たちの言葉は拙いのですが、私たちの上には上から来られる方、主イエスがおられます。「父は御子を愛しておられ、その手にすべてをお与えになった。」(35)のですから。私たちの証しは、ただ救いの体験を語ることだけではありません。主イエスにならって、言葉と愛によって神を指し示す証し。御霊がそうさせてくださいます。

【今、ここで】
そんな圧倒的な福音は、私たちをどんな生き方へと招いているのでしょうか。

第一に、私たちは生きることの意味を知っています。傷ついた世界に、私たちは世の光として置かれています。私たちの小さな祈りと愛のわざは世界の回復にとって必要なのです。どうか自分など価値がないなどと思わないでください。あなたは神さまの宝もの。神さまがこの世界に向けた秘密兵器なのです。

第二に、私たちに与えられている永遠のいのちはすでに私たちを造り変えつつあります。だから愛が不完全であることをいたずらに嘆くことはありません。私たちの愛の不完全を、無関心を、みことばと聖霊によって、じっくりと解きほぐしていただきましょう。礼拝や祈祷会、聖書通読はその助けになります。

第三に、神さまは私たちに共に歩む仲間を与えてくださいます。ひとつの教会だけではなかなか難しいものですから、教団や教区でさまざまな企画がなされています。心を開いて、いや、心を開く開きき方を実験してみてはいかがでしょうか。

厳しい状況にあるときも恐れる必要はありません。深呼吸してじっくりと構えてください。足りないものを数えるのではなく、すでに与えられている恵みの中に次の一歩は備えられています。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに」私たちを愛してくださっているのですから。



 礼拝プログラム

■教会学校(9:30-10:15)

  • 「迷子の羊」ルカの福音書15:1~7

■主日礼拝(10:30-11:45)

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招詞:歴代誌下16章9節a
  • 賛美:280①②
  • 交読文:交読文:17詩篇46篇(口語訳・新聖歌P.841)
  • 祈祷:
  • ワーシップ:あがない主 リード:Bless
  • 主の祈り:新聖歌P.826
  • 賛美:229①④
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌P.826)
  • 聖書:ヨハネの福音書3章31~36節(新約P.181)
  • 説教:「上から来られる神」説教者:大頭眞一師
  • 賛美献金:340①③
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63、詞は裏面下に記載)
  • 祝祷:大頭牧師
  • 報告・祈祷:司会者