2022/04/03

主日礼拝 2022/04/03「人となった神(受難節第五主日)」

礼拝メッセージ「人となった神(受難節第五主日)」

  • 聖書:ヨハネの福音書1章1~5節(新約 P.175)
  • 大頭眞一師


(礼拝プログラムはこのメッセージの後、または「続きを表示する」の中に記されています)


今日からヨハネの福音書を最初から読んでまいりたいと思います。このような説教を連続講解説教と呼びます。これに対して説教者が示された箇所から主題を決めて語るのは主題説教。連続講解説教が成り立つためには条件があります。それは会衆のみなさんが、連続して聴き続けてくださること。マタイ・マルコ・ルカの三つの共観福音書とは趣のことなる、それだけに独特の重要性を持つこの福音書から、ごいっしょに主イエスという神がいかなる神であるのか聴いてまいりましょう。


【ヨハネの福音書の目的】
20 章 31 節には「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」とあります。イエスが神の子、つまり神であるキリスト(救い主)であることを、信じて受け入れ、イエスの与えるいのちに与ること。そのためにヨハネの福音書は書かれました。このことを忘れないで、読み進めることにしましょう。

【初めにことばがあった】
ヨハネの福音書は冒頭からして独特です。
1:1 初めにことばがあった。
「ことば」とは、自分以外のだれかに語りかけ、交わりを求める思いを表すものです。ヨハネ 1 章のこの部分は、創世記 1 章を想い起こさせるところ。

創世記 1 章 3 節はこうです。
神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。

天地創造は「光、あれ。」という神のことばによって始まりました。神さまは無言で光を創造することもおできになったはずです。それにもかかわらず、ことばを用いられた。「聞け。わたしは光があることを望む。光が世界を照らすことを望んで光を創る。光の中で生きよ。光を浴びて、美しい世界を見て楽しめ。」という思いを表されたのです。この「光、あれ。」のことばは、天地創造のときからずっと、今も世界に響いています。光を見るたびに私たちは、神さまの思いを思い起こすことができます。光は、そしてこの世界は、もちろん私たちも、神さまが望んで創ってくださったものであること。神さまが、喜んで創ってくださったことを。

【ことばは神であった】
そして「ことばは神であった。」(1)とあります。イエス・キリストは神!地上を人間として歩まれた神!これがヨハネの福音書が描くイエスの本質、ご正体です。今日の説教題は「人となった神」。イエスは神なのです。神が私たちのために人となってこの世界に来てくださったのです。

【世界の初めからの神】
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。」(3)とヨハネは、イエスが天地創造に深く関わっておられたことを記します。こう聞くと、私たちはすぐに神は何人いるのか、などと考え始めます。ヨハネはだんだんにそのことも明らかにしていきますが、ここではまず、父なる神がこの世界を、そして私たちを創造するときに、イエスが深く関わってくださったこと。イエスは、世界と私たちを望んで、喜んで創る神の思いがほとばしる「ことば」そのもの「思い」そのものであることを、押さえておきたいと思います。イエスは私たちを望み、喜んでおられるのです。人となるはるか前、そもそもの世界の初めから。

ケセン語訳聖書というのをご存じでしょうか。岩手県のお医者さんが大震災の前後に出版されたものですが、3節はこのように訳されています。

神さまの思いが凝(こご)ってあらゆる物ァ生まれ、
それ無しに生まれだ物ァ一づもねァ。
神さまの思い、それは私たちを望み、喜ぶ思い。
父なる神と御子イエスの、その思いによって私たちはここにいるのです。

【いのちを与える神】
「この方にはいのちがあった。」(4)はヨハネの福音書の目的である「いのち」が与えられることを、明らかにしています。この「いのち」についてもだんだんと深く語られていきます。「このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(4-5)とあるように、主イエスの与えるいのちは私たちを闇から救い出すもの。このこともだんだん私たちに知らされていきます。

罪であれ、死であれ、断絶であれ、争いであれ、すべて闇に属するものを主イエスは打ち負かしました。今も打ち負かします。そのために十字架で死んだ主イエスは、復活して今も輝いているのです。世界はいま、戦争や自然災害でうめいています。暗闇が私たちをおおっているようにも思えます。けれども、闇はこれに打ち勝たなかった!

私の友人がこんなことを言っていました。「聖書のことばとは神の人格そのものだ。それはすなわち、私たちが神との人格的関係=ことばの関係を持つことが出来るために書かれたのだ」と。主イエスは神のことば。主イエスは神であり、同時る神のことばなのです。このお方によって、私たちは神との人格的関係を持ち、その関係に進んでいくことができます。これからヨハネの福音書を、おおよそ2年ほどかけて読んでまいります。読むうちに、イエスという神との交わりが深まり、主イエスが与えるいのちがますます私たちに増し加えられますように。


 礼拝プログラム


■教会学校10:00-10:20

  • 「十字架上での祈り」ルカの福音書23:32~38


■主日礼拝10:30-11:30

  • 前奏:(奏楽の内に主を待ち望みましょう)
  • 招詞:イザヤ書49章13節
  • 賛美:2
  • 交読文:1  詩篇1篇(新聖歌/口語訳 P.829)
  • 祈祷:
  • 主の祈り:新聖歌 P.826
  • 賛美:114
  • 信仰告白:使徒信条(新聖歌 P.826)
  • 聖書:ヨハネの福音書1章1~5節(新約 P.175)
  • 説教:「人となった神(受難節第五主日)」大頭眞一師
  • 祈祷:
  • 賛美・献金:101
  • 感謝祈祷:
  • 頌栄:讃美歌21「27番」(曲は新聖歌63、詞は裏面下に記載)
  • 祝祷:大頭眞一師
  • 報告:大頭眞一師、他