2018年5月6日日曜日

主日礼拝「救い主の宣教開始」

主日礼拝メッセージ「救い主の宣教開始」ルカによる福音書4章14~30節


(長谷川ひさい師)


主は荒野にて断食して祈り、悪魔の3つの誘惑をみ言葉によって撃退し、バプテスマのヨハネの投獄を機に、ガリラヤに向かい、「時は満ちた、神の国は近づいた」(マコ1:15)と福音宣教を開始しました。悔い改めて主を信じ、神の支配下に入り、み言葉に従って歩む信仰生活がスタートします。ガリラヤの宣教(マタ4:23-25)に続く故郷ナザレでの宣教の様子が今日のテキストです。ナザレの人々は素晴らしい神の恵みの福音と主を否定しました。

Ⅰ.救いを与えられる主…


福音が伝えられる対象は(18)、

  1. 「貧しい人々」明日の生活にも困り、身を売って奴隷となっている人々。
  2. 「囚人」社会的差別を受けている人々。
  3. 「盲人」物乞いをしている人々。
  4. 「打ちひしがれている者」虐げられ、踏みにじられている弱い立場の人々。
  5. 異邦人の人々(25-27)。

全ての人々への福音宣教は画期的な事です(19)。恵みの年とはヨベルの年の意味であり、作物の安息も含み、借金の抵当の土地や人が自由にされる年のことです。しかし、主が言う自由や解放は、罪に対して自由になり、罪の赦しと、罪の刑罰からの解放です。この事は、「耳にしたこの日に成就した」(21)と言われたのです。私たちにどのような弱さや罪があっても、主のところに来れば、赦されない罪は一つもありません。主の十字架によって赦しの恵みが与えられ、真の自由と解放が与えられます。


Ⅱ.福音を受け入れず救われない人々…


救い主が来られても、人々は受け入れなかったが、異邦人は受け入れた(ヨハ1:11、マタ2:1-18)。主が聖書を朗読すると、会堂に集った者が皆主に期待し目を注ぎました。さらに、期待にたがわない内容の話に驚きました(20-21)。しかし、ナザレの人々が主を受け入れなかったのですが、その理由を考えましょう。
  1. 尊敬(15)。尊敬には2通りあります。
    1. 上辺の尊敬。自分の心に合うものを、その人に見て尊敬しますから、自分の基準と違うと尊敬しなくなります。ですから、群衆は、キリストの使命は自分の基準と合わなくなったので、十字架に賛成しました。
    2. 深い信頼に基づき、どこまでも尊敬する。互いに受け入れ合い、愛し合う姿です。この自分の基準が問題です。メシヤ観の相違が十字架へ追いやりました。
  2. 偏見(22、マコ6:3)。ナザレの人々は、主の兄弟の名前まで知っていましたが、受難のメシヤ(イザ53章)の理解はありませんでした。親兄弟を知り、共に学んだ者として、主をメシヤとして受け入れられなかったのです。これが偏見です。間違った理解、間違った思い込みや考えです。このような偏見では主を理解できません。自分の考え、理解、思い込みには注意しなければなりません。
  3. 妬みと憎しみ(24-29)。妬みからの憎しみはなんと怖い事でしょうか。このような、砕かれていない心、罪に支配された心は、何と恐ろしい事でしょうか。
  4. 不信仰(24、マコ6:4-6)。不信仰がキリストに出会うことを妨げています。キリストを救い主と受け入れられない心です。信仰が足りないと言いますが、謙遜のつもりでしょうが、神を信頼することができない。こんなに悲しいことはありません。親が子どもから信頼されないことほど、情けない思いになります。私たちは、不十分で足りない者だからこそ、救い主に頼るのです。この心を持って主に近づきましょう。

主の宣教開始は多難でしたが、私たちは、主を受け入れない上辺だけの尊敬、偏見、妬み、不信仰を捨てて、主の助けをいただいて真の悔い改めに導かれ、救い主を信じ受け入れ、主を証しする者とされましょう。


教会の各活動


CS教師会が行われました。


今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(5月8日)10:30~12:00


聖書:出エジプト記3章7節
題:叫びを聞いた
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:195

○聖書研究祈祷会 水曜日(5月9日)19:30~21:00


聖書:マタイの福音書5章6節
題:飢えかわく
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:2、191、284

○主日礼拝 来週日曜日(5月13日)10:30~12:00


招詞:ローマ書12章2節
交読文:41  詩篇127篇
聖書:ルカの福音書10章38~42節
題:「母の日に想う」
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:8、251、361