2013/05/26

主日礼拝「み言葉に立つ信仰」

礼拝メッセージ 「み言葉に立つ信仰」 創世記15章1~21節

長谷川和雄師





捕らわれの身となったロトを、アブラムが救出し、完全な勝利を得た(14章)、その後の様子を学びます。
Ⅰ、み言葉による保証(1-6)・・・.恐れるな。アブラムは大勝利を得ましたが、復讐への恐れと不安に襲われ、肉体的、霊的疲労で落ち込みました。また、資産が増えても子どもが与えられないという焦燥感もありました。恐れは不信仰から生じます。神はそんなアブラムに近付き、「恐れるな」と語られました。どんな状況下にあっても、人間の知恵と力が盾なのではなく、神が大盾となって保護して下さるとは、何と幸いなことでしょう。また、すべてを支配しておられる神ご自身が報いであり、それは得られないものがない非常に大きいものだと励ましました。この約束は私たちにも与えられています。.神の約束。アブラムは神の約束の言葉を聞き、内にある真実な思いを語りました。神から報いを頂いても、相続する子どもがいない空しさを打ち明けました。神は全てをご存知であり、憐れみに富む方だからこそ、私たちもありのままを神に話せるのです。アブラムは約束のみ言葉が与えられても(13:16)、いつまでも実行されないので、じれったくなり、待ちきれずにいました。私たちも主の約束を待つ時に、信仰が試されます。自分の思いや動機は正しかったか。与えられたみ言葉だと思っていたが、自分の欲望から選んではいなかったか。神は祈りの中で私たちを探り、試し、練り続けられます。.み言葉による励まし。アブラムは天幕に閉じこもり、自分と妻の老いた姿、子どものいない現状を見て、不信仰から抜け出れずにいました。神はそんな彼を外に連れ出し、「天を仰い」で、全能なる創造者なる神を思い起こさせました。また、「星を数えることができるなら」と、人の弱さ、無力さを覚えさせ、広くて深い神の愛を知らせました。.信仰による義。信仰は単なる感情や知識的な理解ではなく、神とみ言葉に対する全人格的、全存在的な応答です。自分に絶望し、神に全く信頼することです。アブラムへの神の約束は不可能と思えましたが、神は約束を信じたアブラムの信仰を義と認め、全き者、罪なき者と認めて下さいました(ローマ4:5)。自分は不敬虔で不信仰であると認め、神に目を注ぎ、神の憐れみにすがるとき、神は義と認めて下さるのです。
Ⅱ、契約による保証(7-21)・・・.約束を待ち望む。神の時は人にとって長く感じることがあります。そこで、アブラムは神にしるしを求めました8神は、彼の弱さを知っておられたので、契約の儀式の用意をするように命じました。当時の契約は、定められた動物を切り裂き、その間を往来しました。しかし、契約はすぐ行われず、アブラムは寝ずの番をしました。長い待ち望みの時があり、暗闇が覆い、不安と恐怖が増し、絶望感がよぎったことでしょう。与えられた主の預言は、アブラムの子孫が寄留者となり、奴隷とされ、400年の間苦しめられ、4代目になってやっと、この地に戻ってくるという悲しいものでした。暗闇が襲った時、アブラムは自らを深く探り罪を思い出し、主の前に砕かれ、悔い改め、神の愛を確認し、すべてを主に委ねることしかできなかったのではないでしょうか。.契約を批准される神。その時、神がその犠牲の間を通り、神の一方的な恵みによって契約を履行されました。主と私たちとの契約も同様です。イエス様の御体が十字架上で裂かれたことにより成就され、私たちの救いの保証は、神ご自身の犠牲によって確実とされました。私たちが不真実、不信仰であっても、主は真実なお方です。主から信仰と約束のみ言葉をいただいて歩む生涯を送らせていただきましょう。

教会の各活動


午後は京滋地区婦人部例会が当教会で行われ、総勢 48名の方が参加されました。


今週~来週の予定


■婦人祈祷会 火曜日(28日)10:30~


聖書:イザヤ書65章16節 
題:祝福は神から
説教者:長谷川ひさい師 
新聖歌:182、384


■聖書研究祈祷会 水曜日(29日)19:30~


聖書:詩篇7篇
題:訴えられた者の祈り
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:4、35、450

■主日礼拝 来週日曜日(6月2日)10:30~


招詞:詩篇27篇8節
交読文:14 詩篇37篇
説教者:長谷川和雄師
聖書:創世記16章15節~17章27節
題:我が前を歩む全き者であれ
新聖歌:21、355、385