2015/05/17

主日歓迎礼拝「幸福が来る」

礼拝メッセージ「幸福が来る」ヨブ記22章21節


長谷川ひさい師



今朝のみ言葉を通して幸福(幸せ)になるためにはどうすればよいのかを教えていただきましょう。

考えることや思うことや好みは人それぞれですが、一つだけ人種や国が違っても、また、教養やお金のあるなしにかかわらず、誰でも同じように求めているものがあります。それは幸せです。「もっと幸福になりたい」と、誰でも願いますが、「私は幸福なんか欲しくない」と、言う人はいないと思います。

メーテルリンクの「青い鳥」のように、何処を捜しても見つからないもの、せっかく捉えても灰色に変わってしまうのが現実なのでしょうか。もし神がおられて、その神が愛の方だとしたら、そんなことがあってよいでしょうか。

聖書に、私たちが幸せを得ることができない理由が二つあると記します。それは、幸福観に誤りがあるか、幸福を得ようとする方法が間違っているか、どちらかだというのです。

ある人々は、幸福はお金や知識、名誉や地位さえあればやってくると考えますが、本当でしょうか。また、物質や健康や境遇が恵まれていれば、幸せでしょうか。今日、高度に発達した文明の中にありながら、人々は幸せではないと証明されています。ですから、幸福観が不確かなものを土台にしていると、一生かかっても幸せになりません。

また、幸福を得ようとする方法が間違っていても幸せになれません。それは、目的地とは違う列車に乗るようなもので、目的地には着かないのです。

真の神は、誰でも幸せであることを願っておられるのに、幸せが得られないのは、神が望んでおられる方法で幸せを得ようとしないからです。

今日のみ言葉は、何が幸せの土台であるのか、どうすれば幸せになれるのかを教えています。

まず、幸せの土台である条件は平安(平和)だと記します。そうです、幸せの実感は目に見える外側のものではなく、内側である心の安らぎ、平安、平和から生まれるのです。

あなたには、どんなものにも乱され、動かされない心の安らぎがありますか。もし、不安があるなら、その原因を知って取り除かなければいけません。今日のみ言葉は、人が不幸なのは、「神と和解していないから」だと、記します。それが罪であり、不幸の原因なのです。幸福の土台である平安、安らぎは、神と和解することなしに、幸福を得ることはできません。

アウグスチヌスは、「人間の心は、かみのもとに帰るまでは決して安らぐことはない」と、言いました。人間は神の下に帰るには、あまりにも自分勝手で、罪に染まりすぎていて、そのままでは神の下に帰れないのです。

そこで神は、神のひとり子イエス様を世に送り、主は全人類の罪の身代わりとなって十字架の上で死んでくださいました。主は十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」(ルカ23:34)と、執り成してくださいました。あなたが、主の十字架は私の罪のために流された血潮であると信じ受け入れる時、今までの神との不和から来る全ての罪が赦されて、神と和解することができ、あなたの心に罪が赦されたことによる平安と感謝が与えられるのです。

「そうすれば幸福はあなたに来る」との聖書の約束は、間違いなく成就します。私も23歳の時、神と和解することができ、この幸福が与えられ、今日に至るまで変わることがありません。





教会の各活動


教会決算総会の様子
午後は、教会決算総会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(5月19日)10:30~12:00


聖書:詩篇59篇16節
題:私の逃げ場
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:195、357


○聖書研究祈祷会 水曜日(5月20日)19:30~21:00


聖書:ヨハネによる福音書16章24節
題:求めなさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:38、196、199


○ペンテコステ礼拝 来週日曜日(24日)10:30~12:00


招詞:ローマ書12章1-2節
交読文:56  ローマ書12章
聖書:ガラテヤ書5章16-26節
題:聖霊の実は愛です
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、414、416

2015/05/10

主日礼拝「愛が家庭に奇跡を」

礼拝メッセージ「愛が家庭に奇跡を」ヨハネによる福音書2章1~11節


長谷川和雄師



主が数名の弟子を召し、ナタナエルが弟子となって三日目にガリラヤのカナで結婚式があり、主は弟子を連れて結婚式に出て「最初のしるし」を行いました。水をぶどう酒に変えた奇跡は、神業ですが、弟子に信仰を与える出来事でした(11)。奇跡を見た人は驚きましたが、信仰が与えられていません。私たちは、いつも奇跡を見て驚いていませんが信じています。それは、主の素晴らしさに満たされているからです。

Ⅰ. 主が与えてくださる愛…
主が最初の栄光を現されたのは身内の結婚式という世俗的で個人的な家庭の催しでした。それは、主が私たちの家庭を祝福し、男女の愛や夫婦の愛を祝福し、私たちの新しい人生の門出を祝福し、人生の祝い事を共に喜んでくださるということです。信仰は御利益を求めることではなく、こんなに小さな私のために惜しみなく与えてくださる主の愛を知り、その確かな喜びから生まれる自然な感情として、私たちも主に従い、献げる者になりたいと思うのです。信仰生活で無理をしたら偽善的になります。心から従えるようになるために、主が個人的な生活を支え、祝福してくださるのです。

Ⅱ. 主が与えてくださる喜び…
結婚の祝宴が1週間続き、ぶどう酒が無くなったので、主は水を上等なぶどう酒に変え、婚礼の危機を脱し盛り上げ喜びを与えてくださいました。真面目なクリスチャンは、信仰生活の喜びは、もっと清く、永遠で、厳かな喜びと考え暗くなりがちです。世の富、誉れ、飲み食い、健康な体、世の仕事などは永遠のものではなく、過ぎゆくものですが悪いものではなく、それらは人の喜びのために神が与えてくださったものです。日々の疲れを癒す楽しみを神は喜んでくださるのです。主も多くの人々との交わりを楽しまれました(マタイ11:19、マルコ2:16)。天国は温かく楽しいところです。

Ⅲ. みこころ一つで奇跡が起こる…
この奇跡は、私たちに二つの希望を与えます。
1) 主は、ぶどう酒の欠乏を補った。家庭に愛や喜びが欠けたら絶望しがちですが、主は無から有を生み出す、全能のお方であることに希望があります。
2) 主は生きておられ力があるという希望です。マリアは、一見冷たく感じる主の言葉を、「働くべき時が来たらちゃんとやります」と受け止めて、僕たちに、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」(5)とマリアは僕たちにこう言って、主に任せました。すると、主は僕たちに、100リットルも入る石の水瓶に、「水をいっぱい入れなさい」(7)と言われ、僕が水を瓶に満たした後、その水を「くんで、料理がしらのところに持って行」(8)き、その水をなめると上等なぶどう酒でした。しかし、「料理がしら」は、このぶどう酒の奇跡を知りません。ただ、普通は最初に良いぶどう酒を出し、酔った頃に悪いぶどう酒を出すのに、上等のぶどう酒を今までとっておいたことに驚きましたが、主の恵みも分からす、単に感謝で終わっています。僕たちも、主が水に何もしていないので、自分たちが汲んだ水が上等のぶどう酒になったことを知り、不思議に思っているだけでした。しかし、弟子たちは主が水をぶどう酒に変えて、この婚礼を祝福しようと考えてなされた御業であると知ったのです。
主は今日も私たちの生活を祝福してくださいます。ある家庭では、主の愛を知り、お酒が箪笥に変わりました。私たちは、すべてのことが主の恵み深いみこころによることを知り、主の素晴らしさや愛を知り、主への信仰を深めていただきましょう。




教会の各活動


母の日の感謝の時の様子
午後は、CS教師会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(5月12日)10:30~12:00


聖書:マルコの福音書10章52節
題:ついて行った
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:356、316



○聖書研究祈祷会 水曜日(5月13日)19:30~21:00


聖書:詩篇11篇1~7節
題:主に寄り頼む者
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:310、282、359



○主日歓迎礼拝 来週日曜日(5月17日)10:30~12:00


招詞:詩篇27篇8節
交読文:13  詩篇34篇
聖書:ヨブ記22章21節
題:幸福が来る
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:8、260、264

2015/05/03

主日礼拝「愛は寛容であり情け深い」

礼拝メッセージ「愛は寛容であり情け深い」コリント人への第一の手紙13章4~7節


長谷川和雄師

「愛」本来の意味を知らなければ、愛し愛されることは困難です。多くの人が愛を感情だと考えますが、感情以上のものです。
ギリシャ語の愛には、①神の愛、犠牲的な愛、功績に関係なく与える愛(アガペー)。②友情の愛、同姓への愛(フィリア)。③家族の愛、自然の愛、親子、子ども同士の愛(ストルゲー)。④性愛、価値あるものへの所有欲の愛(エロス)があります。
犠牲の伴わない愛はアガペーの愛とは言えません。主は自ら進んで十字架で死んでくださいました。ここに神の愛が示されました。
アンデルス・ニーグレンは、神の愛(アガペー)と人間の愛(エロス)を比較し、以下のように記します。『神の愛は、自分を与えるもの、上からいただくもの、神が人間に近づく道、無代価の賜物、利益を求めない、命を失うことも惜しまない、惜しみなく豊に与える。人間の愛は、自分のために求めるもの、努力するもの、人間が神に近づく道、人間の功績や価値に対するもの、自己中心・自己主張、命を得ようと努める、獲得し所有物とする』。
また、アウグスチヌスは、『自分を愛する者は神を愛せない。しかし、神を愛する者は自分を愛する』と言いました。

Ⅰ. 愛の本質…
愛と寛容は、御霊の実(ガラテヤ5:22-23)です。
1) 寛容(忍耐強さ)。短気の反対。全てを赦し、卑劣なことをされ、誤解されても仕返しせず、じっと耐え忍びます。その様な人は勇士に勝ります(現代訳・箴16:32)。主は忍耐の限りを尽くして十字架の道を成し遂げ、誤解され、罵られても、ひと言も答えませんでした。パウロは自らの罪深さを通し、主の寛容の偉大さを記しています(1テモテ1:16)。私たちは耐え忍べるでしょうか。私たちへの外からの妨害(マタイ19:13-15)や不便に対して(ルカ10:40-42)寛容でしょうか。主に寛容を求め頼りしましょう(詩篇37:7)。主の忍耐は救いです(2ペテロ3:15)。
2) 情深い(親切、慈悲深い)。怠惰や自分の喜びの欲望に勝ち、サービス精神の態度を取る愛の実践です。しかし、親切は誤解されがちなのに、なぜ、親切にする必要があるでしょうか。①神が親切だから(エペソ2:8英訳)。②人から親切にされたいと願っているから(マタイ7:12)。③人々を励ますからです(箴言12:25)。④主も憐れみに満ち、情け深く人々に接し犠牲を負われました(ヨハネ8:1-11)。

Ⅱ. 愛の性質…
1) 妬まない。コリント教会の魂は、霊の人になれないで肉の人のままだったので、賜物のことでねたみが生じました(1コリント3:3)。ねたみの前に誰も立てず、骨の腐りです(箴言27:4、14:30)。妬みは愛のないことです。私たちは主の最善を信じて歩みましょう。
2) 愛は高ぶらない(自慢せず、虚栄を求めず、思慮深くない行動をしない)。愛とは、相手によって自分の態度を変えず、人の徳を高めることです(1コリント4:6、8:1)。愛は世の称賛を求めません。私たちは主にあって、愛の存在とならせていただきましょう。
3) 誇らない(傲慢にならず、自己主張しない)。パウロは謙遜の限りを尽くして仕えました(使徒20:19、1コリント9:27、10:12)。愛は謙遜で、権力を振るわず、上下の区別をつけません。ランク付けは誇りを生みます。自らの愛のなさを認め、主に愛を求めましょう。主は求める者に聖霊を与え(ルカ11:13)、主が寛容、親切、愛を増し加えてくださいます。お互いの弱さを担い合い、赦し、受け入れ合うことは大変ですが、十字架の下で罪を赦し合い、弱さを受け入れ合い、互いに愛し合い、互いに徳を高め合って、神の栄光を現す教会とならせていただきましょう。




教会の各活動


教会学校での「母の日プレゼント製作」の様子
午後は、結婚式とティーパーティーの準備(有志の方々)と教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(5月5日)10:30~12:00


※結婚式のため休会します






○聖書研究祈祷会 水曜日(5月6日)19:30~21:00


聖書:詩篇103篇2節
題:すべての恵を心にとめよ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:2、172、356


○主日礼拝 来週日曜日(5月10日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:15 詩篇40篇
聖書:ヨハネによる福音書2章1-11節
題:愛が家庭に奇跡を
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:325、賛美歌510、310

2015/04/26

主日礼拝「最もすぐれた愛の道」

礼拝メッセージ「最もすぐれた愛の道」コリント人への第一の手紙13章4~7節


長谷川和雄師

Ⅰコリント12章には霊の賜物や使命が記されていますが、それらよりも更に大いなる賜物とは愛です。その賜物である愛が必要ですから、愛を熱心に追い求めなさいと記します(12:31、14:1)。

Ⅰ. 言葉よりも愛(1)…
1) 異言を語れても(14:18)語れない人を見下したり、恍惚状態になって集会などで周囲に迷惑をかけてはいけません。異言のみが聖化のしるしではありません。
2) どんなに説得力があり雄弁でも、愛がにじみ出てこない言葉はうるさいものです。愛に満ちた人格の持ち主が語る言葉には、その人の存在を通して神の愛がにじみでてきます。
3) 神の愛に満たされていない賛美も、やかましい異教の楽器(ドラ、シンバル)と同じで、心が伴わず意味の伝わらない賛美は、神への賛美に相応しくありません。上手であることに越したことはありませんが、神の愛に満たされ、心から感謝と愛をこめて賛美をささげるとき、人々の心に届きます。

Ⅱ. 能力・奥義・知識・信仰よりも愛(2)…
1) 預言をする力。私たちは神の恵みによりみこころ・真理・未来を知り人々に伝える賜物を持ち、人々から尊敬され敬意を受けることは幸いです。しかし、信仰の奥義を心得、人々に信仰を伝えても愛がなければ空しいものです。また、主の名で預言し、悪霊を追い出し、奇跡を起こしても、主に知らないと言われることがあります(マタイ7:22-23)。
2) あらゆる奥義とあらゆる知識。神と親しく交わり、主の十字架の意味や信仰の奥義(知識・福音)を深く知り、礼拝厳守や多くの献げものをし、神の恵みを豊に受け天的知識と地上的知識に満ちていても、愛がなければ私は無に等しいのです(Iコリント8:1)。
3) 福音とは。①人類は神の怒りを受ける罪人です。②神は罪人を愛し、自分の刑罰の身代わりの、主の十字架の死を信じた者の罪を赦し義とし、神の怒りから救います。③救いは神の恵みです。行いでなく信仰によるのです。④主を信じる者は新創造され、永遠の命を得、神と和解し、神の子とされ、神の国を受け継ぐ特権を得、再臨時に栄光のからだに復活し、天に引き上げられ、主と共にいますということです。
4) 福音派とは。①回心主義。②聖霊による言動。③聖書信仰。④十字架中心。⑤キリスト者共同体の重要性。
5) 山を移すほどの強い信仰(マルコ11:23)。この信仰は救いへの信仰でなく、どんな困難に襲われても神の愛に全く信頼し、神が最善をなされるとの信仰です。をもっていても、愛がなければ無に等しいのです。神は私たちの徳を高めるために賜物を与えてくださいますが、賜物を誇り御霊の実である愛がないなら、それは空しいものになってしまいます。自分に愛が無いことを認め、主の十字架を仰ぐとき、主は私たちに聖霊を注ぎ愛を与えてくださいます。

Ⅲ. 偽善・犠牲よりも愛(3)…
1) 愛の行為が偽善になることがあります。どんな犠牲を払っても、愛の無い施しは報いをすでに受けていますが、施しのない愛はありません。真の同情からでなく、自分の誇りを求める施しは無駄で、害を招きます(使徒5:1-11)。
2) 多大の犠牲を払ったとしても愛がなければ何の役にも立ちません。私たちの言葉、思い、行動に愛があるだろうか。自分は愛があると思っているうちは、人々に愛を伝えられません。愛のなさを感じている人ほど、主の愛に満たされるのです。愛の欠けた者であることを深く知り、何よりも愛を求め(14:1)主の前に遜り、主の愛に満たされ、神の栄光を現す者とならせていただきましょう。


教会の各活動


4/29 教区信徒大会の様子
午後は、教区信徒大会の喫茶コーナーの準備とリハーサルが行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(4月28日)10:30~12:00


聖書:Ⅱテモテ書4章1節
題:神のみ前で
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:242、199



○聖書研究祈祷会 水曜日(4月29日)19:30~21:00


※教区信徒大会のため休会します



○主日礼拝 来週日曜日(5月3日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:57  Ⅰコリント書13章
聖書:Ⅰコリント書13章4-7節
題:愛は寛容であり情け深い
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:22、99、211

2015/04/19

主日歓迎礼拝「感謝の生活」

礼拝メッセージ「感謝の生活」コロサイ人への手紙3章15~17節


長谷川ひさい師

コロサイ書は、神の御旨によって選ばれ、召し出されて使徒に任命されたパウロが、信じた信仰に忠実なコロサイ教会に宛てて書いた手紙です。コロサイ教会は、パウロに導かれ回心したエパフラス(1:7)によって設立された教会であり、パウロは訪問したことがありませんでした。この手紙を書いた目的は、クリスチャンの間で混乱をもたらしていた、キリストについての異端の教えを論破するためのものでした。

Ⅰ. パウロの労苦(1章)…
パウロが様々な労苦の中にあっても、喜びをもって福音を伝えることができたのはなぜでしょうか。救いを体験して初めて、救いは神の一方的な恵みであることが分かるのです。救いの絶大な価値が分かったとき、その恵みを伝える労苦は喜びと変えられます。神に委ねられた務めを果たすに必要な力は、神が与えてくださいます(Ⅰコリント10:13)。私たちもパウロのように、救いの喜びや確信が自分のものとなっているでしょうか。私たちも神を信じて、パウロのように、主の栄光のために労苦を喜ぶ者とならせていただきましょう(コロサイ1:27)。

Ⅱ. パウロの心配(2章)…
パウロは、偽りの教えや偽教師(確信があるといいながら、言葉と行いのちぐはぐな者)にだまされないようにと厳しく警告しています。私たちが偽りの教えに惑わされないために、どのようにしたらよいのかを明らかに示しました。
1) キリストのうちに根ざすこと。キリストに心から頼りきることです。
2) キリストにあって建てられること。感情ではなく、み言葉にしっかりとたって生きることです。
3) 教えられたとおりに、信仰を堅く歩むこと。キリストの十字架の贖罪を固く信じ、復活の主が共に歩んでくださるという信仰に生きることです。そうするなら惑わされません。

Ⅲ. 感謝の生活(3章)…
1) よみがえりの命に生きます。律法ではなく、神の恵みによって救われた者は、よみがえりの命にあずかっているので、小さな種であっても、やがて芽を出し立派な樹木に成長するように、神との親しい交わりによる新しい命に生かされ、成長することが出来ます。
2) 愛による結びつき。主に赦された者が互いに赦しあう時、神の赦しの大きさと神の愛が分かり、忍び合うことができ、平和を保つことができ、互いに感謝しあうことができ、ますます赦しあい、主の愛によって、完全に結ばれるのです(Ⅰヨハネ3:16)。
3) 感謝の生活。神の愛や人の思いや親切に感謝する人の姿は美しいものです。このような人は悪の誘惑に負けない、安全地帯にいる人です(ルカ17:11-19)。不平不満やつぶやいている人は醜く、自分が不幸なばかりか周りの人をも巻き込み不幸にしてしまいます。主の十字架の血潮を信じることによってきよめられ、キリストの言葉を心のうちに豊かに保ち、キリストの言葉に生き、生活するなら、心はキリストの平和で満たされ、喜びと感謝と讃美が自然にあふれ出てきます。み言葉はつらく苦しいとき、慰め、強め、励まし、進むべき道を示して導いてくださいます(ヘブル12:14-15、ヨハネ20:27、Ⅰヨハネ1:9)。私たちもパウロのように、心からキリストの言葉を豊かに住まわせ、お互い十字架のもとで教え、訓戒しあい、互いに赦しあい、心から神を褒めたたえ、主に感謝する生活を、残された生涯を主にあって過ごさせていただきたいものです。職業が違う二人の息子を思い、天候により感謝する老父の話し。


教会の各活動


信徒の証し
午後は、臨時の教会役員会、壮年会(学び会)、婦人会(例会)、青年会(歓迎会)がそれぞれ行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(4月21日)10:30~12:00


聖書:創世記24章14節
題:しあわせの条件
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:425、394



○聖書研究祈祷会 水曜日(4月22日)19:30~21:00


聖書:マルコによる福音書16章14-20節
題:主の宣教命令
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:242、434、429



○主日礼拝 来週日曜日(4月26日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:57  Ⅰコリント書13章
聖書:Ⅰコリント書12章31-13章3節
題:最もすぐれた愛の道
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:89、215、220

2015/04/12

召天者合同記念礼拝「我らの国籍は天にあり」

礼拝メッセージ「我らの国籍は天にあり」ピリピ人への手紙3章20~21節


長谷川和雄師

 
仏式の法要は1、3周忌を遺族・親族・友人、7周忌は遺族・親族、13、17、23、27、33回忌は遺族のみで行い、33回忌極楽浄土で弔い上げです。教会では故人を追悼し「記念会」を7、30日目に自宅か教会か墓前で牧師を招き記念会を行い、1、3、7年目の召天記念日に、教会で追悼の記念会を開きます。その後毎年、自宅で遺影を花で飾り小さい祭壇を設け、牧師の司式で記念会をします。多くの教会では、毎年イースター前後に故人を追悼する合同の記念会を開催します。

Ⅰ. 天の国籍…
1) 国籍とは。別訳「本国、ふるさと、天にある国(社会・故郷)の市民」。国籍の権利は、その国の様々な特典を受けられますが、最大の特典は、その国に安心して定住できることです。しかし、外国に住めますが、罪を犯したら追放されるかもしれません。
2) 国籍が天にある者の特権。「わたしたちの国籍は天にある」とは、天国に住める権利を有することです。救い主を信じて間もない者も、天国に住む場所を持っています。主は今、私たちの住まいを用意するため天に居られます(ヨハネ14:2-3)。天国の素晴らしさが聖書に記されています(黙示録21:18-23)。この世には色々な問題や困難がありますが、主を救い主と信じ受けいれた者は、天国の国籍があるのです。
3) 国籍を天にもてる条件。「キリストの十字架に敵対」しない者であり、自分の罪の刑罰の身代わりに、キリストが十字架の上で死なれたことを受けいれることが条件です。自分の行いや考えの正しさに立たないで、自分の罪を認め、救い主を信じ、神に寄り頼むことです。その様な人は、自分の行ないや状態に関係なく、天に国籍を持っているのです。

Ⅱ. 救い主の再臨を待ち望む…
1) 救い主の再臨。主は、クリスチャンをこの罪の世から救い出し、天に迎え入れるために再び来られます。私たちを天に迎え入れるため、迎えに来られます。それが何時であると聖書には書かれていません。主は、空中まで迎えに来られるのです(Ⅰテサロニケ4:16-17)。
2) 私たちの変貌。私たちは、神のかたちに創造されました(創世記1:27)。しかし、最初の人が罪を犯し人類に罪が入り、人の体は卑しいものとなり、老いて体の不自由を感じ、最後には死にます。また、それ以上に大きな問題は罪があり、私たちの心を主に向けさせず、世を楽しめと誘惑し、辛い事が起こり苦しくなると、早く地上を離れ天国に行きたいと思いますが、この卑しい体で生き続けなければなりません。しかし、主は迎えに来られます。直ぐかもしれません。確かに心配事もあり、弱い者です。しかし、クリスチャンには、主の空中再臨の時、天に引き上げられる希望があります(Ⅰコリント15:42-49)。この空中再臨に希望を置き、そして、天国に目を向け、喜んで歩みましょう。
3) 希望が愛を生む。もう一つ感謝なことがあります。それは、主の空中再臨の時、私たちは栄光のキリストの体と同じものに変えられる希望があります。この神の可能性の中で周りの人々や物事を見て行くときに、そこに愛が生まれます。それは、私たちが現在の姿において見るのでなく、全知全能の神が罪の苦しみから救い出し、栄光の体に変えられる可能性を信じてゆく時、愛が生まれます。どんな人も、神によって天に迎え入れられる可能性があると見る時に、愛が生まれます。今はクリスチヤンが愛と祈りを込め、隣人の天国の国籍獲得のために、神と人に仕える時です。「わたしの愛のうちにいなさい」(ヨハネ15:9)のみ言葉に生きましょう。


教会の各活動


墓前祈祷の様子
午後は、墓前祈祷とCS教師会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(4月14日)10:30~12:00


聖書:創世記4節
題:私は知りたいのだ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:355、254



○聖書研究祈祷会 水曜日(4月15日)19:30~21:00


聖書:ローマ書5章2節
題:この恵みに
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:302、251、261



○主日歓迎礼拝 来週日曜日(4月19日)10:30~12:00


招詞:詩篇103篇1-2節
交読文:43  詩篇136篇
聖書:コロサイ書3章15~17節
題:感謝の生活
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、172、355

2015/04/05

イースター礼拝「あなたはわたしを愛するか」

礼拝メッセージ「あなたはわたしを愛するか」ヨハネによる福音書21章15~23節


長谷川和雄師
 

※都合によりメッセージ要旨はありません




教会の各活動


イースター昼食会でのゲームの様子
午後は、CSイースター昼食会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(4月7日)10:30~12:00


聖書:詩篇128篇4節
題:主を恐れる人
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:349、232


○聖書研究祈祷会 水曜日(4月8日)19:30~21:00


聖書:マルコによる福音書16章1-13節
題:イエス様の復活
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、129、127


○召天者合同記念礼拝 来週日曜日(4月12日)10:30~


招詞:ピリピ書2章10-11節
交読文:60  黙示録21章
聖書:ピリピ書3章20-21節
題:我らの国籍は天にあり
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、468、465