クリスマスおめでとうございます。およそ二千年前、イエス・キリストがユダヤに誕生しました。それは特別なこと。たいへん特別なことでした。
【観測限界】
昨日は信愛教会での「一年12回で聖書を読む会」。参加されたご近所の方が「観測限界」という言葉を教えてくださいました。これは宇宙を観測できる範囲のこと。460-470億光年とされ、それ以上の遠くは観測できないのだそうです。
イエスは神。神は明らかに私たちの観測限界を超えています。私たちよりもはるかに大きいからです。その大きな神がクリスマスに人となりました。赤ちゃんになって生まれたのです。傷つけようとすれば傷つけることができる、命を奪おうとすればそれもたやすい赤ちゃんとして。
【もうひとつの観測限界】
それには神の願いがありました。それは、私たちのもう一つの観測限界のため。私たちには、人に話すことができない恥や傷、後悔や罪があります。自分が原因のこともあり、他の人が原因のこともありますが、心の暗い部分です。思い出すたびに思わず声が漏れそうになる心のひとすみを抱えています。そんな暗いひとすみは、私たちの生き方を、人間関係を、ゆがめます。その影響は周りの人々にも及びます。人はたがいにそんなゆがみを及ぼし合っている金網のようです。このゆがみは、家族の間にも、学校や会社の人間関係にも、そして国と国の間の関係にも破れをもたらしてしまいます。世界はそんな破れに悲鳴をあげています。これがもうひとつの観測限界。私たちの心の深く暗いひとすみに、なすすべを知らない私たちです。
【クリスマスの良き知らせ】
けれどもここに良き知らせがあります。神は私たちが暗いひとすみにゆがめられ、苦しむことを見ておられることがおできになりませんでした。だから人となって来てくださいました。そして十字架へと続く道を歩んでくださったのでした。私たちの暗いひとすみを引き受けるために。私たちを暗いひとすみから解放するために。神は私たちが胸を張ることができるところではお会いになりません。私たちが自分たちの優秀さを誇り、善行をアピールするときも、神の目は私たちの暗いひとすみに注がれています。そして「あなたのその暗さを、あなたの本当の問題をわたしに見せなさい。ゆだねなさい。わたしがそこをいやし、そこからあなたを解放する」と。
【和解の主】
律法には「殺してはならない。」とあります。律法の中心である十戒の第六戒です。けれども今も。殺すことがない世界を、という神さまの願いはまだ、実現していません。主イエスはその実現のために来られました。神であるのに人となって。最初のクリスマスに。私たちに神の心、主イエスの心を与えてくださるために。
ただ殺さなければ、それでいいというのではありません。殺意には理由があるでしょう。相手の存在を消し去らないではいられないほどの、恐れや痛み、憎しみが。主イエスはそんな人間関係に和解をもたらす和解の主。癒しの主です。
「兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。」(22)とあります。仲間をののしりたい思い。ののしらずにはいられない思い。主イエスはそんな私たちの思いを、よくご存じです。人となったイエスは、人の痛みを味わってくださったからです。よくよく分かった上で、主イエスは言います。「ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。」(23-24)、また「あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。」(25)と。主イエスは和解の主。殺さない以上に、私たちが心から和解し、赦し合い、受け入れ合って、愛し合うことを願っておられます。実現してくださいます。
【復活の主】
私たちは、どうしたらそんなことができるのだろうか、と思ってしまいます。相手を取り除かなければ、自分が生きていけず、どうにかなってしまいそうな、そんな痛みの中で、どうして和解することなどできるだろうか、と。
けれども、私たちには、主イエスのいのちが注がれています。愛するいのちが。神であるイエスが死から復活したことによって。イエスが私たちに注いでいる神の願い、神の心、自分に痛みを与える者との和解を願う心を受け取ってください。私たちに敵対し、私たちに痛みを与える者たち。彼らもまた痛みに苦しむ人びとです。双方が痛んでいる手詰まりの中で、どちらかが自分を差し出すことができれば、和解の糸口が開かれていきます。私たちにはできないけれども、主イエスがそうさせてくださいます。観測限界を超えた大きな愛によって。



