2016年1月1日金曜日

元旦礼拝「栄光の望みである主」

礼拝メッセージ「栄光の望みである主」コロサイ人への手紙1章24~29節


長谷川和雄師


中心聖句
「この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである」
コロサイ人への手紙1章27節


皆様は新年を、希望もって迎えたことでしょう。2014年度は「信仰」、昨年度は「愛」。今年度は「希望」「奥義は、あたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである」、標語は「まことの希望に生きる教会」です。望み・希望とは、願う事が実現することを待ち望む事であり、夢よりもすぐに実現可能な事に用いられます。聖書は、この世の希望は基礎も、実体も、現実もなく、熱心であっても、究極的には役に立たないと判断しています。

Ⅰ. 聖書の希望


  1. 希望はギリシャ語でエルビスです。神や救いに関し信仰を持って期待し、待望することです。神の約束の全てが間もなく実現するとの期待です。また、エルビスは信仰とも訳され、信仰は神の真実により力を見ます。
  2. アブラハムは、神の約束は成就すると信じ(ロマ4:20-21)、エレミヤは主の救を待ち望みました(哀歌3:24-26)。旧約時代は、メシヤの来臨、御国、罪の赦しと聖化の実現、異邦人の回心があり、新約時代は主の来臨、救いの完成・神の国の待望と密接に結び付いています(使徒24:15)。希望は信仰の未来につながり(ヘブ11:1)、忍耐と深い関係があり(ロマ8:24-25)、信仰と希望と愛とは聖霊の賜物で、切り離されて存在しません(1コリ13:8、13)。
  3. ①私たちの希望とは、復活、神の栄光に預かる、義とされる、救い、永遠の命、天に蓄え、生活の安定であり、待ち望むことは再臨です(1ペテ1:13)。②希望の源泉は、真実な神の約束、主ご自身、聖書、福音、召されている思いから与えられます。③希望は喜び、救い、忍耐、練られた品性を与えクリスチャンの歩みを堅くします。

Ⅱ. コロサイ書

  1. 目的:教会内に異教信仰や世俗的な人生観と融合させようとする律法主義、禁欲主義、神秘主義などの誤りと戦いがありますが、クリスチャンは主にあって全ての必要を与えられます。神の方から近付き救い主を与え、罪から贖い出し、聖霊を与え信仰を与えられた主が全てです。
  2. 中心聖句は2章3、9-10です。内容は、主は罪の代価を払って神と和解させ、霊的成長の模範と力を与えます。主には神の性質が満ち、神を知ろうとする時、どのような者になるべきかが分かります。また、主は私たちの命を支配し、教会の頭なので、主と深くつながるとき祝福があります。ですから、この主の内住はなんと栄光に富んだものであり、主の内住こそ再臨への備えなのです。

Ⅲ. 栄光に富んだ奥義

  1. 神の望む主のみ名が崇められることを、願っていますか。また、神が全て必要なものを与えた主に救われ、その内住の主の恵みに生きていますか。
  2. なすべきことは、古き人を脱ぎ捨て、新しい人を着ることです(エペ4:21-24)。人心を自分に引こうとする古き人の巧みな言葉、柔らかな顔付きに惑わされず、主ご自身に目を向けましょう(使徒3:6)。
  3. 異言や聖霊の特別な力を強調し、感情の高まりを求める群れに注意し、私たちは出て行って主を証ししましょう(使徒1:8、2:4)。外面を飾らず、主の内住が大切です。
  4. 私たちが弱い時こそ、力強く神が働きます。自分の強さ、賢さ、正しさに生きる人は、神の働きを拒否しています(2コリ12:9)。5)主の内住が全てであり、満ち足りた恵みです(ガラ2:19-21)。自分の力で行うことをやめ、古き人を十字架につけ、自分の考えは正しさにたたないで、み言葉に生き、主のもので満たされると信じる時、神が働かれます。内住の主こそ栄光の望みです。今年、主の再臨の時かもしれません。あなたは主に会う備えができていますか。