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第3アドヴェント礼拝「キリストがわたしたちのために失われたもの」

10:30より、第3アドヴェント礼拝 が行われました。

説教題
キリストがわたしたちのために失われたもの
聖書
ピリピ人への手紙2章1~11節
説教者
加藤郁生師
出席者数
69人

聖書: ピリピ人への手紙2章1~11節 (中心聖句は6-8節) 口語訳

1
そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、
2
どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。
3
何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。
4
おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。
5
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。
6
キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
7
かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
8
おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
9
それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。
10
それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、
11
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

礼拝メッセージの要約 「キリストがわたしたちのために失われたもの」 加藤郁生師

アドヴェントにおいて、この罪深い世界にお出でくださったキリストの御降誕の意味を考えたいと思います。

わたしたちはキリストの誕生を単純に喜びますが、キリストの側から見たらどうでしょう。 それは、ご自身の持っているものを失うことを意味しているのではないでしょうか。

  1. 1. キリストは、神と等しくあることを固守すべきとは思わず

    ピリピ書によりますと、「キリストは神と等しいお方であったにもかかわらず、それに固執せず、 おのれを虚しくして、十字架の死に至るまで従順を全うされた」とあります。

    してみれば主の御降誕は、そのへりくだりと従順の第一歩といってよいのではないでしょうか。 キリストはわたしたちのために、神であることを捨ててくださったのです。

  2. 2. 主は、あなたがたのために貧しくなられた

    コリント書によりますと、「キリストは富んでおられたのに、人間のために貧しくなられた」とあります。 キリストが天上にあることは、究極の富みの中におられることを意味します。

    そのキリストが有限なこの世界におくだりなされ、ご自身を貧しくされました。 その果ては十字架上で、衣さえはぎ取られました。 かくも富んでおられるお方が、わたしたちを富ませるために貧しくなってくださったのです。

  3. 3. ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのです

    キリストはわたしたちの罪を救うためにこの世に来られました。 そのご方法は、十字架にかかることでした。 ガラテヤ書ではキリストは、「ご自身をわたしたちの罪のためにささげれらた」とありますが、これは単純に「ご自身を与えた」といういう意味です。 キリストはわたしたちの罪をゆるすために、ご自身をそっくり与えてくださったのです。

    キリストは、わたしたちのために神の位を失い、貧しくなり、ご自身をささげました。 クリスマスはそのキリストの愛の動かぬ証しです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
お言葉どおり
みことば
ルカによる福音書1章26~38節
出席者数
12人(生徒のみ集計)

午後より、青年学生クリスマス会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


第2アドヴェント礼拝「お言葉どおり~マリヤの選択」

10:30より、第2アドヴェント礼拝 が行われました。

説教題
お言葉どおり~マリヤの選択
聖書
ルカによる福音書1章26~38節
説教者
加藤郁生師
出席者数
64人

聖書: ルカによる福音書1章26~38節 (中心聖句は38節) 口語訳

26
六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。
27
この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。
28
御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
29
この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。
30
すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
31
見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
32
彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
33
彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。
34
そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
35
御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
36
あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
37
神には、なんでもできないことはありません」。
38
そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。

礼拝メッセージの要約 「お言葉どおり~マリヤの選択」 加藤郁生師

最近、NHKの話題の番組に「白熱教室」というのがありますが、その中にアイエンガー教授が登場していました。 この方の授業のテーマは「選択」というもので、人は自分の人生を選び取っていかなければいけない、というようなものでした。

確かにアイエンガー先生の言う通り、わたしたちは日々「選択の連続」と言っていいでしょう。 そのことが、わたしたちの人生を分けるのです。

そういう点で、人類史上最大の選択をした人の一人は、間違いなくマリヤです。

ある時、マリヤはみ使いから受胎を告知されますが、この時のマリヤの返事は、 「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」でした。 この応答こそ、マリヤの人生の一大選択でした。

選択にはそれに伴うリスクが付きものです。 マリヤとて、そのことに気がつかないことはなかったでしょう。 結婚する前に子を宿すということは、許嫁ヨセフとの関係を失い、私生児を育てる苦労を負い、あるいは姦通の罪で裁かれることになるかもしれません。

しかしみ使いの声に、マリヤは敢然と従いました。それは、

  • 自らが神の僕であることを自覚する信仰であり、
  • お言葉ですから、神の言葉に従う信仰でした。

ある意味、キリストに出会うということは、わたしたちが人生の大切な選択を迫られる時ではないでしょうか。 わたしたちも「お言葉どおり」と、主に応答していきたいものです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
祈りの答え
みことば
ルカによる福音書1章8~22節、57~66節
出席者数
11人(生徒のみ集計)

午後より、教会役員会 が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
4人


第1アドヴェント礼拝「その名はインマヌエル」

10:30より、第1アドヴェント礼拝 が行われました。

説教題
その名はインマヌエル
聖書
マタイによる福音書1章18~25節
説教者
加藤郁生師
出席者数
64人

聖書: マタイによる福音書1章18~25節 (中心聖句は23節) 口語訳

18
イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
19
夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
20
彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
21
彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
22
すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、
23
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
24
ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。
25
しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

礼拝メッセージの要約 「その名はインマヌエル」 加藤郁生師

わたしたち人間は、一人では生きていけない存在であるとよく言います。 わたしたちは孤独に耐えられません。 だれかがそばに寄り添ってくれることを必要とする者です。

今年の東日本大震災で、多くの人が傷つきました。 そういった人々の少しでも役に立ちたいと、東日本に多くの人が駆けつけました。 傍観するのではなく、その人たちと一緒にいてあげたいという思いからでしょう。

実は、わたしたちの神様もそのようなお方です。 神様は遠くからわたしたちの苦しみを見て傍観しておられるお方ではありません。 わたしたちと同じ所に、この世界に肉体を取って降りてくださるお方なのです。

イエス様はこの地上に来られましたが、その名はインマヌエル(神われらと共にいます)と呼ばれました。 超越者、創造者、無限なるお方が、有限なるこの世界に来て下さったのです。 神の方からわたしたちに近づいてくださり、寄り添ってくださったのです。

ところで、神がインマヌエルとなってくださったには理由があります。 それは、わたしたち全人類を罪から救うためです。 このことはわたしたちの世界が救われなければならない世界であることを意味しています。

この世界は理想郷ではなく、罪と悪が闇が支配する世界です。 そのような世界は、キリストの救いを望みません。 むしろインマヌエルの到来を拒絶します。 しかし、イエスは、敢然とわたしたちを救うために、この世界に飛び込んでくださったのです。

インマヌエルの主は、わたしたちに寄り添い、わたしたちを罪から救う方です。 この方が到来したことこそ福音です。 わたしたちはこの福音を喜び感謝しましょう。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
預言されたメシヤ誕生
みことば
イザヤ書9章1~7節
出席者数
10人(生徒のみ集計)

午後より、壮年会(劇練習)、婦人会(クリスマス会)、青年会(クリスマス準備) が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
5人


主日礼拝「これらの小さい者ひとりをも~子ども達を愛する教会」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
これらの小さい者ひとりをも~子ども達を愛する教会
聖書
マタイによる福音書18章1~14節
説教者
加藤郁生師
出席者数
56人

聖書: マタイによる福音書18章1~14節 (中心聖句は10節) 口語訳

1
そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
2
すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
3
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
4
この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
5
また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
6
しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。
7
この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。
8
もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。
9
もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。
10
あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。
11
〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕
12
あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
13
もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
14
そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。

礼拝メッセージの要約 「これらの小さい者ひとりをも~子ども達を愛する教会」 加藤郁生師

「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。

互いに誰が一番偉いかを言い争うような弟子たちのイエス様に対する言葉です。

これに対して、イエス様は思いもよらない解答をされます。 近くにいた幼子を呼び寄せて言うのです。

「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」。

幼子のように身を低くする者こそ天国の国籍取得者であると聞けば、弟子たちはうなだれるほか、なかったでしょう。

しかしイエス様のお話しはこれで終わりません。さらこう言われます。

「だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである」

イエス様は幼子を真ん中に立たせるだけでなく、幼子が大切に扱われるべき存在であることを示しました。 主なる神様は、幼子を心から愛してくださるのです。

最近気になるニュースが目立ちます。 子どもを虐待する事件にわたしたちの心は痛みますが、翻ってわたしたちの教会はどうでしょうか? 幼子を大切に扱っているでしょうかと問われているように思うのです。

幼子を脇にやるのではなく、幼子をわたしたちの中心に置く教会、それが神様の求めておられる教会ではないでしょうか。

そのことを心に留めながら、これからもわたしたちの教会は、幼子の魂を追い求め、また育んでいきたいと思うのです。

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
神の栄光を見る信仰
みことば
ヨハネによる福音書11章17~44節
出席者数
9人(生徒のみ集計)

午後より、会堂大掃除、クリスマスの飾りつけ が行われました。

19:00より、夕拝 が行われました。

出席者数
4人


主日礼拝「主が弟子に求められた事」

10:30より、主日礼拝 が行われました。

説教題
主が弟子に求められた事
聖書
マタイによる福音書16章13~28節
説教者
足立幹夫師
出席者数
62人

聖書: マタイによる福音書16章13~28節 (中心聖句は15-16節) 口語訳

13
イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
14
彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
15
そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
17
すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
18
そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
19
わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
20
そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
21
この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。
22
すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。
23
イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
24
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
25
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
26
たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
27
人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
28
よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。

本日は聖三一コミュニティー教会の足立幹夫師から説教を戴きました。

※本日はメッセージの要約はありません

09:30より、教会学校 が行われました。

テーマ
羊飼いキリスト
みことば
ヨハネによる福音書10章1~15節
出席者数
9人(生徒のみ集計)
※本日は午後の行事も、夕拝もありませんでした。