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2006/2/12(日)
当サイトの公開
2006年02月12日の教会予算総会にて、 当サイトが正式公開されたことを教会員の方々にご報告しました。
まだまだ不備なところが多数あるのですが、 徐々に改善していきたいと願っています。
ひとまず現在のところ、 礼拝メッセージが今年の1月分からしか掲載されていないので、 徐々に遡りつつ、過去2年分くらいは掲載されるようにしたいと願っています。
どうかこれからも、よろしくお願いします。
2006/2/12(日)
信仰の上に立つ教会~使徒信条
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 説教者
- 加藤郁生師
- 説教題
- 信仰の上に立つ教会~使徒信条
- 聖書
- マタイによる福音書16章13~20節
- 出席者数
- 68人
聖書: マタイによる福音書16章13-20節 (中心聖句は18節) 口語訳
- 13
- イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
- 14
- 彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
- 15
- そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
- 16
- シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
- 17
- すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
- 18
- そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
- 19
- わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
- 20
- そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
わたしたちの教会は、 イエスを「生ける神の子キリスト(救い主)です」と信じる信仰の上に立っています。 信仰告白はわたしたちの信仰をあらわす基準として用いられてきました。
洗礼者がが告白する信条として
使徒信条は、洗礼を受けるものが信じて告白するために用いられました。 クリスチャンである者はだれもが使徒信条の告白を通って、 教会の一員として迎えられました。 わたしたちも明確な使徒信条の信仰の告白によって、 信仰の共同体に入れられているのです。
聖餐にあずかる際に告白する信条として
聖餐はクリスチャンのあずかる恵みですが、信仰を前提といたします。 それゆえに古くから教会は、聖餐式の前に共に使徒信条を唱えました。 共に主を告白し、主の聖餐にあずかることによって信仰者は力を与えられ、 強められてきたのです。
説教を支えるみ言葉の真理の裏づけとして
講壇から語られる説教は、単に聖書の知識を披露する行為ではなく、 信仰に裏付けられ、聖霊に光を与えられ、み言葉を取り次ぐ行為です。 ですから説教の内容が信仰告白に合致しているかどうかは、 非常に大切なことです。 説教者はそのことに心配りながら、 正しくみ言葉を取り次ぐ責任を負っているのです。
教会の共同の信仰の礎として イエスは、ペテロの信仰告白を礎として教会を建てることを約束されました。 わたしたちの教会の土台となるものも、人間の能力や富ではなく信仰です。 ですからわたしたちは、使徒信条を自らの信仰の告白として、 いつも心に覚えて歩むものとさせていただきたいのです。
その他の集会・活動について
09:30より、教会学校 が行われました。
- テーマ
- 十人のおとめ
- みことば
- マタイによる福音書25章13節
- 出席者数
- 11人(子どものみ集計)
午後は、教会予算総会、教会役員会が行われました。
19:00より、夕拝 が行われました。
- 出席者数
- 11人
2006/2/5(日)
聖餐の恵みにあずかる信仰者
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 説教者
- 加藤郁生師
- 聖書
- マタイによる福音書26章26-29節
- 説教題
- 聖餐の恵みにあずかる信仰者
- 出席者数
- 55人
聖書: マタイによる福音書26章26-29節 (中心聖句は26節) 口語訳
- 26
- 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
- 27
- また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
- 28
- これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
- 29
- あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。
聖餐(主の晩餐)は初代教会から今に至るまで受け継がれた大切な典礼です。 この聖餐の意義を考えたいと思います。
聖餐は主がお命じくださった
主イエスは渡される夜、弟子たちに、 「主の日を記念してパンを裂き、杯を飲むように」とお命じなさいました。 使徒たちは主の教えを守って聖餐を守り、 以来、代々の教会もこれに習って来ました。 ゆえにわたしたちも、聖餐を重んじていきたいと思います。
聖餐はわたしたちの信仰を堅くする
人は忘れやすいものです。 信仰者の信仰は弱りやすいものです。 主はそのようなわたしたちのために、 十字架の贖いを想い起こさせる恵みの手段としての聖餐をお与えくださいました。 ですから聖餐の恵みにあずかることの中で、 わたしたちの信仰はますます堅くされ、整えられるのです。
聖餐は福音を伝える
聖餐は“見える御言葉(福音)”と言われています。 わたしたちは聖餐の中に、福音のメッセージを汲み取ることができるのです。 聖餐を通して主は、心貧しくして主の救いにあずかる魂を招いておられます。 わたしたちも一人でも多くの愛する隣人と共に聖餐の恵みにあずかることが出来るように、 宣教のスピリットをもって祈りましょう。
その他の集会・活動について
午後は、CS教師研修会、教会役員会が行われました。
19:00より、夕拝 が行われました。
- 出席者数
- 8人
2006/1/29(日)
信仰を証しする恵みの場としての礼拝堂
10:30より、主日礼拝 が行われました。
- 説教者
- 加藤郁生師
- 聖書
- 出エジプト記40章16-38節
- 説教題
- 信仰を証しする恵みの場としての礼拝堂
- 出席者数
- 71人
聖書: 出エジプト記40章16-38節 (中心聖句は34節) 口語訳
- 16
- モーセはそのように行った。すなわち主が彼に命じられたように行った。
- 17
- 第二年の正月になって、その月の元日に幕屋は建った。
- 18
- すなわちモーセは幕屋を建て、その座をすえ、その枠を立て、その横木をさし込み、その柱を立て、
- 19
- 幕屋の上に天幕をひろげ、その上に天幕のおおいをかけた。主がモーセに命じられたとおりである。
- 20
- 彼はまたあかしの板をとって箱に納め、さおを箱につけ、贖罪所を箱の上に置き、
- 21
- 箱を幕屋に携え入れ、隔ての垂幕をかけて、あかしの箱を隠した。主がモーセに命じられたとおりである。
- 22
- 彼はまた会見の天幕なる幕屋の内部の北側、垂幕の外に机をすえ、
- 23
- その上にパンを列に並べて、主の前に供えた。主がモーセに命じられたとおりである。
- 24
- 彼はまた会見の天幕なる幕屋の内部の南側に、机にむかい合わせて燭台をすえ、
- 25
- 主の前にともしびをともした。主がモーセに命じられたとおりである。
- 26
- 彼は会見の幕屋の中、垂幕の前に金の祭壇をすえ、
- 27
- その上に香ばしい薫香をたいた。主がモーセに命じられたとおりである。
- 28
- 彼はまた幕屋の入口にとばりをかけ、
- 29
- 燔祭の祭壇を会見の天幕なる幕屋の入口にすえ、その上に燔祭と素祭をささげた。主がモーセに命じられたとおりである。
- 30
- 彼はまた会見の天幕と祭壇との間に洗盤を置き、洗うためにそれに水を入れた。
- 31
- モーセとアロンおよびその子たちは、それで手と足を洗った。
- 32
- すなわち会見の天幕にはいるとき、また祭壇に近づくとき、そこで洗った。主がモーセに命じられたとおりである。
- 33
- また幕屋と祭壇の周囲に庭を設け、庭の門にとばりをかけた。このようにしてモーセはその工事を終えた。
- 34
- そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
- 35
- モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
- 36
- 雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。
- 37
- しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。
- 38
- すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。
教会は、神さまを礼拝するために招かれた信仰者の群れです。 そし教会は、そのための礼拝堂を必要とします。 わたしたちが礼拝を大切にすることは、 わたしたちに与えられている礼拝堂を大切にすることにつながっています。
ですけれども、礼拝堂は決して華美である必要はありません。 むしろ、わたしたちの信仰の思いが主なる神さまに向けられるように、 心配りがなされるべきです。
特に大事なことは礼拝堂の三つの要素です。
礼拝堂に十字架が掲げられていること 礼拝堂の講壇側の正面に十字架が掲げられているか、 ということは大切です。 わたしたちは礼拝堂で十字架を仰ぎます。 そして礼拝をすることが主の贖いの恵みによる行為であることを悟るのです。
礼拝堂に講壇があること 神は講壇から、神が油注がれた説教者を通して、 わたしたちにみことばを与えてくださいます。 みことばはわたしたちの魂を養う命の糧であり、 またイエス・キリストのよろこばしき福音そのものです。 講壇からのみことばを絶やさないことが、教会の使命なのです。
礼拝堂に聖餐台が置かれていること 聖餐はキリストがご自身の十字架の死を記念し、 来るべきメシアの宴を待ち望むようにとわたしたちに命じられた礼典です。 それはキリストとの絶えざる交わりを意味します。 わたしたちがこの聖餐台を会堂に置き、 共に主を見上げることの中に恵みの具体化があります。
その他の集会・活動について
19:00より、夕拝 が行われました。
- 出席者数
- 8人
2006/1/22(日)
教会学校焼きそば大会
お昼に、教会学校の焼きそば大会が行われました。
- 参加者数
- (子ども)16人
みんなそれぞれ、野菜を切ったり、材料を焼いたりしておいしく食べることが出来ました。
また、その後には試合形式で、卓球のレクリエーションもしました。
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