2017/10/29

創立70周年記念礼拝「生きている教会」

創立70周年記念礼拝メッセージ「生きている教会」ヨハネの黙示録1章9~20節


北尾欣三師(当教会出身、教団引退牧師)



教会創立70周年記念礼拝に招かれ感謝している。1947年に京都信愛教会として発足、日本キリスト教団の教会となり、1952年に日本イエス・キリスト教団に加入した。私は、北野に会堂があった頃導かれた。1960年に献身し、皆さんの祈りによって今日あることを感謝している。教会が、今日まで守られ導かれたことを感謝したい。キリストが主として治めておられることを信じて歩んでいただきたい。教会が最初からきびしい状況にさらされてきたことを忘れてはならない。しかし、天地の主、教会の主に信頼して,信仰の火を燃やし続け、前進したい。

  1. 黙示録は、紀元80年頃、ローマ帝国に迫害されたヨハネが福音のためにパトモスに流された時に見たキリストとメッセージが記されている。帝国は彼を捕らえたが、神の言葉を島流しにできなかった。主は黙示を与え、教会の隠された栄光を教会に示した。彼と信徒たちは、石切の強制労働前に早朝礼拝をし、彼がアジアの諸教会を想いつつ礼拝していた時、彼は「大きな声」(10)で、「あなたが見ていることを書きものにして…七つの教会に送りなさい」(11)と力ある明確な声を聞き振り向くと、「七つの金の燭台」(12)の間に「人の子のような者」(13)が見えた。私たちは礼拝堂で礼拝しているが、信仰の目は誰に向けられ、誰の声を聞いているか。「七つの金の燭台」は、火皿のある一つの燭台(神殿のメノーラ)で教会を表し、燭台には灯がともり赤々と暗闇を照らしていた。当時の教会は洞窟の教会でしたが、激しい迫害の嵐が吹いても燭台の火は消えなかった。教会に「人の子のような者」が無限の供給者としておられる。私たちは教会の頭として、無限の供給者の臨在を見失わず、生き生きとした信仰を持っている限り、灯は決して消えない。
  2. 「人の子はどんな方か」。ヨハネは大祭司(13)により神に近付き、聖なる神を知った(14a)。私たちは主から聖なる者とされた。燃えるような熱い目を持って見つめ(14b)、全てを知り守り導く方である。私たちは弱く疲れ果てることがあるが、彼は決して弱り疲れない方である(15a)。狭い会堂で、少数の人に語っているようであるが世界に届く(15b)。「聖書人生相談」(you tube)は、日本各地で聞かれている。私たちは小さく弱いが、御使を遣わし教会を守り、導くことを信じよう。
  3. 「右手を置かれた方」。栄光に圧倒され倒れ平伏しているヨハネに右手を置き、「恐れるな」(17)と言われた。命の主、恵みの主が右の手を置かれ、恐れは確信と平安に変わる。今朝、私たちは主が右の手を置いて「恐れるな」と言われたことを信じて帰ろう。主は、私たちに手を置いて言われる。

  • 「わたしは初めであり、終り」(17)。永遠におられ、天地の創造者で完成者、教会の初めで完成者、信仰生活の初めで完成者が、自分の修行や努力で信仰生活を全うできない者に手を置き救いの完成を宣言された(ヘブ12:1)。主の御手を信じて信仰生活に励みたい。
  • 「世々限りなく生きている」(18a)。主は死んだ者の神でなく生ける神であり、歴史を支配し、私たちを聖霊により生かし、支え、守り、必要を満たす方である。全ての人は死に勝てないが、主は、復活により永遠の勝利者となった。世々の教会は.この勝利を信じ続け、困難を乗り越えてきた。
  • 「死と黄泉とのかぎを持っている」(18b)。主は、死と陰府を支配する権威を持つ方である。私たちは、「あなたの命はわたしにある」と主に言われ恐れはない。主を見上げて、できる奉仕をしていきたい(2:10)。ポリカープ(150年頃スミルナの監督)に倣い、静まって、主の御手があることを受け取ろうではないか。




教会の各活動


ファミリーコンサートが行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(10月31日)10:30~12:00


聖書:詩篇27篇3節
題:頼むところ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:260、280

○聖書研究祈祷会 水曜日(11月1日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝19章8-20節
題:主のみ言葉の力
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:42、183、361

○主日礼拝 来週日曜日(11月5日)10:30~12:00


招詞:ヨハネの福音書15章9-10節
交読文:57  1コリント書13章
聖書:エペソ書4章14~16節
題:愛のうちに育つ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、341、349