2016年1月10日日曜日

主日礼拝「神人相互の内住」

礼拝メッセージ「神人相互の内住」ヨハネの第一の手紙4章13~16節


長谷川和雄師


成人祝福祈祷(代理)の様子
「互に愛し合う」(12)時、神は臨在されます。神の愛を信じ受け入れる時、神の愛が「全うされ」ます。「全うされる」は「目的を成就する、達成する」意味ですので、互いに兄弟愛に生きる時、「神の愛がわたしたちのうちに」成就し、神の愛に達成するのです。今日の聖書箇所に信仰と愛の関係を見ます。本当に神を愛するなら、まず「イエスを神の子」(15)との動かない信仰が必要です。この信仰によって、神が命がけで愛してくださる愛を悟ります。そして、「神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます」(16)すなわち、神人相互に内住する感謝な歩みができるのです。「神の愛」が宝の持ち腐れにならないように、活用し互いに愛し合う教会とされましょう。

Ⅰ. 神の臨在に生きる…
  1. 「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)。主の名によって集まる所が、キリストの体なる教会であり、そこに主が共に居られるのです。そうでなければ信仰は頭の問題で、抽象的になります。また、主の臨在が異なった霊ならば、人間的な愛が尊ばれ、好き嫌いによる交わりが支配してしまいます。
  2. 聖霊はみ言葉が語られ、証しされるところにあり、主を信じる者の中に働きます。しかしその集まりに人間的なものが支配的になると、主の臨在や、み言葉に生きること、信仰告白や賛美や祈りが、人を意識し神への心が弱くなります。だから、主の贖いの恵みにしっかりと生き、聖霊に支配されていないと、人間的なことが教会内部に入り、人間的な愛や好き嫌いや善悪が支配します。
  3. 神の愛による兄弟愛は、主を救い主として信じる者が頂く愛から生まれます。主を救い主と信じた者の中に、神の命である聖霊による愛が与えられるのです。「天にまし」、人間を超えた偉大なお方が、私たちの内に住むのです。
  4. 主の内住、主の臨在の条件は、主を救い主として受け入れ、罪を赦され、聖化されることです。罪が完全に赦され、聖化されているので、聖い神が内住できるのです。

Ⅱ. 神の愛に生きる…

  1. 暗い事件が続き、対策、解説が繁盛していますが、悲しいことに対し涙する感性を失っています。それを回復するために、罪を強く自覚し、罪の問題を解決し、神と親しく交わり、聖霊に満たされましょう。
  2. 罪赦された者の使命は、隣人愛をもって神による罪の赦しを告げることです。罪の赦しによって互いは結び合わされ、神の愛に生かされます。罪の赦しなくして、神の愛をもって愛せません。
  3. 教会は罪人の集まりですが、聖書によって人間の罪が最もあらわになる所です。しかし、罪を赦し合うことによって教会の交わりが成立します。これが教会の交わりです。神の愛があるところに罪の赦しがあります。赦しがあるので心を開いて愛し合えるのです。
  4. 神の愛を信じることは、下から上に向かう人間的な愛ではなく、人格によって神の愛を知ります。そして、神への愛、隣人愛に生きる者とされ、神に留まり、神もその人に居られるのです。神の愛は上から下に下る赦しの愛です。罪の赦しは、主との個人的で、人格的な関係によって信仰が与えられます。互いに愛し合うために、神の愛を神に頼り祈り求めましょう。赦し合うために、神によって赦す心を祈り求めましょう。頭で理解し、自分の力や、人に頼らず、神を信じ、頼り、賭けて、自己主張せず、一生懸命に神への信仰と愛を求め続ける者に、神は信仰と愛を与え、教会が信仰と愛に溢れ、赦しに満ちた所とされるのです。



教会の各活動


午後は、、教会会計監査(4~12月分)、CS教師会(総会)、青年会(総会)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(1月12日)10:30~12:00


聖書:詩篇5篇8節
題:あなたの義をもって
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:191、390



○聖書研究祈祷会 水曜日(1月13日)19:30~21:00


聖書:2ペテロ書3章9節
題:魂を救いに導くために
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:265、190、272



○主日歓迎礼拝 来週日曜日(1月17日)10:30~12:00


招詞:申命記6章4-5節
交読文:1  詩篇1篇
聖書:マタイによる福音書6章31-33節
題:まず神の国と神の義
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、166、291

2016年1月3日日曜日

新年礼拝「将来と希望を与える神」

礼拝メッセージ「将来と希望を与える神」エレミヤ書29章1~14節


長谷川和雄師


Ⅰ. 預言者エレミヤ…

エレミヤはヨシヤ王からゼデキヤ王の時、預言者として活躍。エルサレムが陥落し捕囚後まで44年間預言。活動時期は南ユダ王国の末期であり、最暗黒で悲劇的な時でした。バビロンがアッスリヤを滅した時、王と従者、長老、祭司、預言者、工匠、鍛冶、ダニエルたちが捕囚され、「主はバビロンを砕く」と言う反バビロンの偽預言者ハナヌヤとの対決で、彼は「バビロンに降伏し、神の裁きに従え」と預言、敵の回し者とされ投獄。ハナヌヤは死にましたが、エルサレム陥落時バビロン王の好意を受け釈放され、総督暗殺後、エジプトに亡命の仲間に強制的に連れて行かれ、そこでも預言しました。

Ⅱ. 「希望」とは…

  1. 11節は神が、エレミヤを通して、ユダヤの民に語られた希望の言葉です。その背景は喜びの出来事ではなく、1回目のバビロン捕囚の民は、神殿から遠く引き離され、全く将来の見通しが立たず、絶望から無気力になっていました。その同胞への希望の言葉です。バビロン捕囚は70年後、神は民を捕囚から解放されます。70年は試練の時ですが、神の民として回復に必要な時です。神は、災いではなく平安の計画を持っています。しかし、バビロンにいる偽預言者シマヤは、神はすぐに我々を解放しますと預言しました。
  2. 私たちは様々な理由が分からない困難や試練に遭い、先行きが見えない苦しみに遭うと、絶望的な気持ちに陥ることがあります。理由が分かり、先が見える時には耐えられますが、苦難の意味が分からない時。またいつまでこの苦難が続くのか全く分からない時には、本当に辛くなります。耐えることが難しくなります。V・フランクル(オーストリアの精神科医、心理学者)の「夜と霧」は、希望を失うと人は生きる力を失うので、「人生の意味を見出す事」が必要と記します。人は生きる意味を見出した時、生きる希望が湧きます。エレミヤが、捕囚の民に伝えたのは生きる意味でした。

Ⅲ. 民が希望をもって生きることができる3条件…

  1. バビロンの繁栄を祈り、腰を据えて生活すること。エレミヤは希望を持って、異教の地で落ち着いた生活をし、神の民として証しし、その地の平安を祈り、家を建て、畑を作り作物を収穫し、同胞同士の結婚を勧め、バビロンの平安、繁栄のために祈る事を勧めました(5-7)。前途は絶望的ではないとしても、70年の辛抱が必要でした。神は、神を信じて70年辛抱強く、期待して待つならば、必ず国に導き帰ると「幸いな約束」(新改訳)をしました(10)。試練の日は恵みの日であり、危機は転機であり、失敗は新しい段階へのスタートです。
  2. 偽預言者に聞き従わないこと(8-9)。教会内に異教信仰や世俗的な人生観と融合させようとする誤りや、律法主義、禁欲主義、神秘主義、新神学、積極思考、成果主義などの霊的な戦いに勝利するために、クリスチャンには主に信頼する者に全ての必要を備えてくださることを覚え、主の臨在を常に覚え、み言葉の約束に生きましょう。3)心を尽くして主を尋ね求めること。「呼ばわり、慕い求め」、「尋ね求め、捜し求め、探り出す、慕う、調べる、問い尋ねる」ことを「心を尽くして、一心に」、頭だけでなく神に全人格をぶつけていく信仰で、ただ神だけを期待する時、繁栄を回復しますと約束しています(12-14)。彼らは実際にその神の約束に従い、み言葉に生きる生活を築き、神が良しとした段階に達した時、民はエルサレムに帰還できたのです。現代も、この約束のみ言葉を信じて生きている人は大勢います。


教会の各活動


午後は、クリスマスの片付けが行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会は1月12日より再開します



○聖書研究祈祷会 水曜日(1月6日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝4章1-12節
題:この方以外に救いはない
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:178、229、429



○主日礼拝 来週日曜日(1月10日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:36  詩篇116篇
聖書:Ⅰヨハネ書4章13-16節
題:神人相互の内住
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、414、342

2016年1月1日金曜日

元旦礼拝「栄光の望みである主」

礼拝メッセージ「栄光の望みである主」コロサイ人への手紙1章24~29節


長谷川和雄師


中心聖句
「この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである」
コロサイ人への手紙1章27節


皆様は新年を、希望もって迎えたことでしょう。2014年度は「信仰」、昨年度は「愛」。今年度は「希望」「奥義は、あたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである」、標語は「まことの希望に生きる教会」です。望み・希望とは、願う事が実現することを待ち望む事であり、夢よりもすぐに実現可能な事に用いられます。聖書は、この世の希望は基礎も、実体も、現実もなく、熱心であっても、究極的には役に立たないと判断しています。

Ⅰ. 聖書の希望


  1. 希望はギリシャ語でエルビスです。神や救いに関し信仰を持って期待し、待望することです。神の約束の全てが間もなく実現するとの期待です。また、エルビスは信仰とも訳され、信仰は神の真実により力を見ます。
  2. アブラハムは、神の約束は成就すると信じ(ロマ4:20-21)、エレミヤは主の救を待ち望みました(哀歌3:24-26)。旧約時代は、メシヤの来臨、御国、罪の赦しと聖化の実現、異邦人の回心があり、新約時代は主の来臨、救いの完成・神の国の待望と密接に結び付いています(使徒24:15)。希望は信仰の未来につながり(ヘブ11:1)、忍耐と深い関係があり(ロマ8:24-25)、信仰と希望と愛とは聖霊の賜物で、切り離されて存在しません(1コリ13:8、13)。
  3. ①私たちの希望とは、復活、神の栄光に預かる、義とされる、救い、永遠の命、天に蓄え、生活の安定であり、待ち望むことは再臨です(1ペテ1:13)。②希望の源泉は、真実な神の約束、主ご自身、聖書、福音、召されている思いから与えられます。③希望は喜び、救い、忍耐、練られた品性を与えクリスチャンの歩みを堅くします。

Ⅱ. コロサイ書

  1. 目的:教会内に異教信仰や世俗的な人生観と融合させようとする律法主義、禁欲主義、神秘主義などの誤りと戦いがありますが、クリスチャンは主にあって全ての必要を与えられます。神の方から近付き救い主を与え、罪から贖い出し、聖霊を与え信仰を与えられた主が全てです。
  2. 中心聖句は2章3、9-10です。内容は、主は罪の代価を払って神と和解させ、霊的成長の模範と力を与えます。主には神の性質が満ち、神を知ろうとする時、どのような者になるべきかが分かります。また、主は私たちの命を支配し、教会の頭なので、主と深くつながるとき祝福があります。ですから、この主の内住はなんと栄光に富んだものであり、主の内住こそ再臨への備えなのです。

Ⅲ. 栄光に富んだ奥義

  1. 神の望む主のみ名が崇められることを、願っていますか。また、神が全て必要なものを与えた主に救われ、その内住の主の恵みに生きていますか。
  2. なすべきことは、古き人を脱ぎ捨て、新しい人を着ることです(エペ4:21-24)。人心を自分に引こうとする古き人の巧みな言葉、柔らかな顔付きに惑わされず、主ご自身に目を向けましょう(使徒3:6)。
  3. 異言や聖霊の特別な力を強調し、感情の高まりを求める群れに注意し、私たちは出て行って主を証ししましょう(使徒1:8、2:4)。外面を飾らず、主の内住が大切です。
  4. 私たちが弱い時こそ、力強く神が働きます。自分の強さ、賢さ、正しさに生きる人は、神の働きを拒否しています(2コリ12:9)。5)主の内住が全てであり、満ち足りた恵みです(ガラ2:19-21)。自分の力で行うことをやめ、古き人を十字架につけ、自分の考えは正しさにたたないで、み言葉に生き、主のもので満たされると信じる時、神が働かれます。内住の主こそ栄光の望みです。今年、主の再臨の時かもしれません。あなたは主に会う備えができていますか。