2015年12月20日日曜日

クリスマス礼拝「ここに愛がある」

礼拝メッセージ「ここに愛がある」ヨハネの第一の手紙4章7~12節


長谷川和雄師


洗礼式の様子
愛する者へのクリスマス・プレゼントは、愛する者が欲しいと思うものを考えて、プレゼントしたいと考えます。

Ⅰ. 人は愛を求めている(7-8)


神は、愛する私たちに永遠の命を与えるために、御子をこの世に与えてくださいました。生きるために必要なものは多くありますが、この世の必要なことに心を奪われていると心が乱れます。この世のものが豊かになればなるほど憎しみが増し、地位が高くなるほど怒りが増し、財が増すほど不安も襲います。そして、愛し愛されるという心を大切にしなくなり(箴言4:23)、本当の幸せを失ってしまいます。愛を受けた子どもは成長しますが、愛を受けない育てられた子どもの多くは死んでしまいます。「愛されないことはこの世の地獄だ、愛することができないのは永遠の地獄だ」(ドイツの詩人)。本当の幸せは愛することができることにあります。しかし、人は愛を求めますが、多くの人は愛を知らずに生まれ、愛することができないのです。人は愛されて初めて、愛することができるのです。愛は生きる上での新しい力です。愛は、罪に打ち勝ち、誘惑に打ち勝ち、人を赦すことができる力であり、全ての力の源です。聖書は「ここに愛がある」(10)と、命まで与えてくださる神の永遠の愛を紹介します。

Ⅱ. 神の愛(9-12)

  1. 絶対無条件の愛(9)。人は何かを求める時も、与える時も、何かしら条件をつけてしまいます。気前のよい人、良くしてくれる人など、自分の利益になる人とは交わっても、不利益になりそうな人とは交わらず、見向きもしません。人の愛は、何と打算的で裏切りやすいものでしょう。しかし、神が与えてくださる愛は絶対無条件の愛です。神はどんな人をも愛し、受け入れてくださるお方です。欠点が多く、汚れていても、罪深くても、主は真実の限りを尽くして、私たちを愛してくださいます。また、人は大切なことや約束したことを忘れやすく、忘れたらいいことをいつまでも覚えていて、忘れてはいけないことを忘れる者です。しかし、神は、私たちを決して忘れるような方ではありません(イザヤ49:15)。また、主が私たちの身代わりに遂げてくださった十字架のゆえに、私たちの罪を忘れて、愛してくださるとは、なんと幸いなことでしょうか(イザヤ43:25、エレミヤ31:34、ローマ5:8)。
  2. 犠牲を払う愛(10-11)。神の御子が、この世に来てくださっただけでも大きな犠牲であったのに、神であることを固守されず、私たちの全ての罪を背負って、十字架の上で死んでくださり、贖いの業を成し遂げてくださいました。この事実をしっかりと受け止めないで曖昧にし、信仰を律法的にとらえ努力する歩みや、道徳家のようになって心の鍛錬を求めてはいけません。その主の愛にしっかりとつながるならば、主のいのちが私たちに流れ、愛が私たちの内から湧き出てくるのです(ヨハネ15:4-5)。3)共におられる愛(12)。神の愛を豊かに受けて、内から湧き出る愛をもって互いに愛し合うならば、神は私たちの内にいてくださるのです。真実な神は、何時でも、何処までも、死の床までも、私たちと共にいてくださいます。自分で愛そうと努力すると、愛していることを誇るようになり、神の栄光を現すことができません。私たちはいつも共に居られる主にしっかりとつながり、主の愛を受け続け、私たちの内に主の愛を満たしていただき、主にある兄弟姉妹として互いに愛し合い、受け入れ合い、神の栄光を現す者とならせていただきましょう。


教会の各活動


クリスマス祝会にて
午後は、クリスマス祝会、キャロリングが行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会は1月12日より再開します



○聖書研究祈祷会は1月6日より再開します



○クリスマス燭火礼拝 水曜日(23日)19:00~20:30


聖書:マタイによる福音書2章1~12節
題:星に導かれて
説教者:長谷川和雄師
賛美:78、75、他



○年末感謝礼拝 来週日曜日(27日)10:30~12:00


招詞:詩篇95篇1-3節
交読文:15  詩篇40篇
聖書:詩篇136篇1-26節
題:主に感謝せよ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、214、171