2015年11月22日日曜日

主日礼拝「真理の霊と惑わす霊」

礼拝メッセージ「真理の霊と惑わす霊」ヨハネの第一の手紙4章1~6節


長谷川和雄師


間違った信仰は怖いものですが、真の神への信仰は素晴らしいものです。信仰と愛は聖なる霊によって与えられます。しかし、偽りの霊について、面白半分や、素人判断で異端救出などに関わってはならないのです。

Ⅰ. 真理の霊と惑わしの霊…
神を見たと主張していたグノーシス主義者に対して(12参照)、霊の問題を取り上げ、神からのものか試し(確かめ)なさいと命じられています。教会が始まって約60年でしたが、教会の礎である主に対する様々な考えが出てきました。グノーシス主義は肉体を悪とするため、極端な厳しさと不道徳になりました。エビオン派は主の神性の否定。マルキオン派は旧約と新約の神は異なると主張し、神が苦しむはずが無いと十字架を否定。モンタヌス派は禁欲生活と主の再臨を主張。アリウス派は主の神性を否定。ネストリウス派は主の神格と人格の分離を主張。ペラギウス主義は性善説であり、自由意志による功徳を積んで救われると主張等々。教会の足らなさを問うているうちに、新しい主張に捕らわれ、人間が理解でき受け入れられることのみを信じ(合理主義)、いつしか異端になり、真の教会でなくなってしまっていたのです。現代も成果主義、積極思考、カウンセリング手法などが信仰に入り込んで私たちを惑わしています。

Ⅱ. イエスを告白する霊…
偽りの霊を見分けるには、主をどのように信じ告白しているかが基準となります(2)。仮現説は主の霊と肉を分離して考え、主を分けて考えました。現代においても、主の奇跡などを語っても、十字架の救いを語らない教会が多いので注意しなければなりません。罪を語らないので、十字架は出てきません。表面的なことだけを語っていても、罪の解決にはなりません。主の十字架以外に、私たちの罪の赦しと救いはありません。日々、自らの罪深さを認め、主を救い主として信じて告白し、十字架を仰ぎましょう。

Ⅲ. 私たちは神から出た者です…
温情主義的で、癒しや平和に心が向き、主の愛は困っている人の側に立つことや、生きる時の悪を赦してもらうことに置き換えられています。いつしか赦され受け入れられていることを忘れて傲慢になり、愛の業を誇り、主の生き方をまねをするに留まっています。主の贖いやよみがえりを覚える生活とは、全く異なる生活を送っています。しかし、私たちは主を信じ受け入れ、主の十字架によって罪を赦され、きよめられ、聖霊の宮とされ、主の体なる教会に集められ互いに愛し合う者とされました。内におられる方は、「世にある者よりも大いなる者なので」(4)サタン(罪)に打ち勝てるのです。でも、聖霊の宮とされていない者が教会に集まると教会ではなくなり、真の悔い改めがなく、分裂が生まれ、自己中心となり、神の栄光を現せません。神は互いに愛し合うために教会に戒めを与え、教会の交わりを通して愛の無さなどの罪が示されて砕かれ、十字架を仰ぐことができるのです。互いが主に寄り頼むので解決が生まれます。神から出ていない者は、十字架の言葉に生きみ言葉に耳を傾けようともしません。世の者は世を求め、神を求めません。自分の罪深さが分かり、主の十字架による救いが分かるとは何と幸いなことでしょう。私たちは日々、十字架の福音に生かされるならば、偽りの霊に惑わされません。日々、主の憐れみを求め、主の十字架の血潮を仰ぎ、福音に生かされ、よみがえりの希望に生きる生涯を送らせていただきましょう。



教会の各活動


礼拝の直後に婚約式が、
午後には、壮年会(劇練習)と青年会(クリスマス準備)が行われました。


今週~来週の予定


婚約式にて

○婦人祈祷会 火曜日(11月24日)10:30~12:00


聖書:詩篇119篇149節
題:あなたが決めておられるように
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:423、384



○聖書研究祈祷会 水曜日(11月25日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝2章37-47節
題:祝福された初代教会
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:257、145、146



○主日礼拝 来週日曜日(29日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書45章22節
交読文:49  イザヤ書40章
聖書:ルカによる福音書1章5-25節
題:救い主を迎える備え
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:7、68、325