2015年9月27日日曜日

主日礼拝「世を愛さず、みこころを歩む」

礼拝メッセージ「世を愛さず、みこころを歩む」ヨハネの第一の手紙2章12~17節


長谷川和雄師


光の中を歩む者が、この世にあって勝利してゆくことを進めるに当たり、

Ⅰ.クリスチャンが身分と経験を再確認…
1) 「子たちよ」と、信仰を継承し救われた者に呼びかけ、様々な確認事項を提示しています。罪の赦しはクリスチャンの信仰生活の土台です。主の身代わりの死を信じる信仰のゆえに罪を赦され、神の子とされ、「天の父よ」と親しく祈れるのです。しかし、それを知識として知っているだけでは信仰の土台が崩れます。だから、父なる神と深く交わり、その愛を深く知り、最善をなされる神を体験し、何でも神に祈り、応えられる関係になることを勧めます。罪を赦され、主の恵みを知った者は、着飾らずに神の前にありのままに生きられるのです。心の内を真実に神に告げる時、自らの姿が現され、罪の告白や反省の時が与えられ、神からみ言葉の力をいただけるのです。
2) 救いの恵みを知った年配の方は、神なるキリストを深く知り、神との親しく交わり、従順と愛と信頼の関係を築きます。若い信仰者は、神のみ言葉が心の内にとどまり、自分の弱さ罪深さを知り、み言葉に賭けて生き、世に勝利した主が共に居られ、悪に打ち勝ちます。子どもたちも父なる神を畏れます。

Ⅱ.世と世にあるものを愛するな…
1) 救いの恵みを知っている者は、どのように歩むべきでしょうか。世と世にあるものを愛するのではなく、神を愛しましょう。人はふたつのものを同時に愛することはできません(マタイ6:24)。クリスチャンとして、父なる神の愛、ご自分の命まで投げ出して愛してくださった主を裏切り、他のものを愛することはありえません。そのような者は姦淫を犯す二心の者であり(ヤコブ1:8)、神に忌み嫌われる者です。世を愛することは神に敵することであり、自分を神の敵とします(ヤコブ4:4)。パウロと共にいたデマスも(コロサイ4:14、ピレモン24)、世を愛しパウロを捨てました(2テモテ4:10)。
2) 世にあるもの、世からでたものは、父なる神が与えてくださったものとは異なるものです。
肉の欲。この世の価値観から損得勘定や気分次第の行動をとるなど、人間が生まれつきもった心の欲です(エペソ2:3)。
目の欲。肉の欲の入り口です。エバも木の実を見て、誘惑に負けました(創世記3:6)。視覚、聴覚、嗅覚、食感、触感から来る誘惑です。人間はなんと誘惑に負けやすいものでしょう。
暮らし向きの自慢。これは持ち物への欲であり、持っている物を自慢することです。世と世の欲は滅び去るゆえに、私たちはこのようなものを愛するべきではありません。永遠の滅びを前にしたら、この世のことに心を動かすべきではありません。この世は過ぎ去るので、世の富(知識、財産、権力、友など)を用いる者は用い過ぎ、深入りしないようにすべきですとも警告しています(1コリント7:21)。永遠でないもの、長続きしないものに心を奪われないように気をつけましょう。それに対し、永遠に続くものは神のみこころです。そして、神のみこころを行う者はいつまでもながらえます。私たちが神のみこころを知るためには、自分のありのままの思いを神に告白し、その思いも、これから起こるであろうことも、全てを神に委ねて祈ることが大切です。みこころを求めて祈り続け、み言葉によってみこころが示されたならば、主の最善を信じて従うことです(マタイ7:21)。もし、世にあるものを愛していたならば、素直に告白し、十字架の血潮を仰ぎ、罪の赦しを受け、神のみこころを祈り求め、行う者へと変えていただきましょう。



教会の各活動


CSレクリエーション「沢ガニ捕り」の様子
午後は、CS秋のレクリエーション「沢ガニ捕り」が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月29日)10:30~12:00


聖書:詩篇143篇8節
題:朝にあなたの恵みを
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、190



○聖書研究祈祷会 水曜日(9月30日)19:30~21:00


聖書:ヨハネによる福音書15章6節
題:必要が与えられる
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:191、258、275



○主日礼拝 来週日曜日(10月4日)10:30~12:00


招詞:申命記6章4-5節
交読文:14  詩篇37篇
聖書:Ⅰヨハネ書2章18-29節
題:反キリストに対する態度
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、148、275

2015年9月20日日曜日

主日礼拝「主を待ち望む者に」

礼拝メッセージ「主を待ち望む者に」イザヤ書40章27~31節


長谷川和雄師


敬老祝福祈祷の様子
人生は待つことが多いのですが、待つとは、時が来るまで何もしないで祈ることです。楽なようですが、時には動き回った方が楽です。高齢者が心がける事は身辺整理、健康面・精神面・環境面・経済面の備えです。クリスチャンの高齢者は、自らの信仰生活を振り返り、悔い改めるべきは悔い改め、永遠の備えをし、主を待ち望みたいものです。

Ⅰ. 希望を失った者(27,30)…
1) 主を見失う民(27)。イスラエルの民がバビロン捕囚の寸前の厳しさに希望を失った時、神に慰められましたが(40:1-2)、祈りが聞かれないのは、自分の正しさに立ち、自分の力や知恵に頼り、主により頼まないからでした(イザヤ59:1-2)。
2) 疲れ果てる(30)。そのような時、血気盛んな青年も、少しの困難にも屈しやすく頼りになりません。若者が自分の力に頼るのは当然であり、壮年が若者より人生経験から巧みに生きるのも当然です。しかし、若者も壮年も、善を行うことに疲れています(ガラテヤ6:9)。

Ⅱ. 待ち望む…
1) 待ち望むべき方。主を待ち望む者は恥を見ません(イザヤ49:23)。何を待ち望むのですか。聖霊降臨と主の再臨の約束を信じて待ち望みます(使徒1:4-5、9-11)。主は、全き牧者であり、私たちの涙を拭い(黙示録7:17)、主の臨在が常にあります(1テサロニケ4:17)。
2) 待ち望む者の備え。
準備の必要。この世を追い求め、神に対して死んでいる者は実を結べません(ローマ6:23)。しかし、生ける主の臨在を覚えて歩む者は、主と同じみ姿に変えられ(2コリント3:18)、主を待ち望む者に義の冠が与えられます(2テモテ4:8)。
再臨が何時であるか分からないので、主に会う備えのために、目を覚ましている必要があります(使徒1:7、マタイ25:13)。
どのように準備するのか。主にしっかりと繋がり(1ヨハネ2:28)、神の前に清い歩みをし(1ヨハネ3:3)、御前に恥じ入ることのない歩みをしましょう。
3) 待ち望む内容。
キリストに似た者とされます(1ヨハネ3:2)。
卑しく弱い体を栄光のからだに変えられます(ピリピ3:21)。
死ぬからだが贖われ、罪を犯さない全き者にされます(ローマ8:23)。
朽ちない、栄光ある、強い者にされます(1コリント15:42-49)。
神を愛する者に、全てのことを働かせて益として、御子のかたちに変えられます(ローマ8:28-31)。

Ⅲ. 待ち望む者に与えられる力(28、29、31)…
1) この世に期待し望みをおくことではなく、主に期待し望みをおくことです。真の神は疲れず、ふらつきません(28)。
2) 鳥の王である鷲が、強く高く飛ぶために10年に一度羽が生え変わために古い羽を落とす必要がありますが、羽を強風で飛ばしたり、強風に乗って岩に体をぶっつけ血だらけになり古い羽を落とし、新しい羽が生えるのを待ちます。私たちも、人生に色々な困難が襲います。神は私たちを主のみ姿に変えるための訓練をされます。その時の訓練は神の最善と信じ、耐え忍んで待ち望みましょう。
3) 私たちは自分の力や知恵や知識に頼りがちですが限界があり、行き詰まるのです。自分や人や世の流れに頼る時、期待が裏切られますが、生ける主を信頼し、主を待ち望む者は、主から新しい力をいただき、困難を乗り越える力を与えられ、主にあって着実な歩みを全うすることができるのです。鷲は断崖絶壁に巣を作り、巣立ちは親が子を巣から押し出すようにしますが、子鷲が思い切って飛び出し羽を広げると飛べるのです。私たちも主に任せて従う時、神の支えと祝福があり、感謝と喜びに満たされるのです。



教会の各活動


午後は、CS教師会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月22日)10:30~12:00


※祝日のため休会します



○聖書研究祈祷会 木曜日(9月24日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝1章6~11節
題:聖霊降臨と再臨
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:131、465、416
司会:長谷川ひさい師

※木曜日ですのでご注意ください



○主日礼拝 来週日曜日(9月27日)10:30~12:00


招詞:ローマ書12章1-2節
交読文:3  詩篇16篇
聖書:Ⅰヨハネ書2章12-17節
題:世を愛さず、みこころを歩む
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:101、379、385

2015年9月13日日曜日

主日歓迎礼拝「わたしのもとにきなさい」

礼拝メッセージ「わたしのもとにきなさい」マタイによる福音書11章28節


長谷川ひさい師


今日のみ言葉から、生き生きとしっかり生きる生き方を学びましょう。

Ⅰ.元気を回復する…
1) 私たちは、「お元気ですか」との挨拶を何気なしに使っています。三浦綾子さんは「元気」は生きることへの意欲だと言っていますが、皆さんは元気ですか。
2) 昨今、「疲れた」との言葉を残し亡くなる大人や子どもが多く、社会問題になっています。人間として意味や目的のない生活を強いられることは疲れ、耐えられません。主は、疲れている人に、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(新改訳)と言われました。この「休ませて」とは、楽をさせてという程度の言葉ではなく、ある英訳では、「元気を回復してあげます」と積極的な意味を持っています。
3) 私は、お花や観葉植物が大好きですが、時々水やりを忘れ、後に水をあげますと元気を回復し、生き生きと輝きます。私たちも主の下に行くなら、生き生きと輝けます。なぜなら、主は「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか…その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」と約束されました。

Ⅱ.主の下で元気を回復する…
なぜ、主の下に行くと元気が回復されるのでしょうか。
1) 生きる意味を発見する。人の疲れは、意味がわからずに生きることを強いられているからです。創世記に、ヤコブがラバンの娘ラケルを愛しましたが、そのことを知った父ラバンは、「娘がほしかったら7年間私に仕えなさい」と言われ、彼はその通り仕えましたが、「ヤコブは七年の間ラケルのために働いたが、彼女を愛したので、ただ数日のように思われた」(創世記29:20)のです。しかし、いやな人のためだったら、そのように思えないのは不思議です。私は、神から主の救いを伝える使命が与えられたので、私の両親と長谷川先生の父の遠距離介護を25年間できました。介護を通して救いのみ業がなされ、その介護は大変でしたが喜びとなり、25年間は「あっ」という間でした。そして、それぞれの両親が主を信じ、私の両親と長谷川先生の父は輝いて平安のうちに天国に移されました。家族にとって、天国があること、主の救いを受け入れ、魂に平安が与えられ、死の恐怖に勝利した姿を忘れることができません。
2) 主が、罪や心配事を負い、取り去られます。人の心を重く暗くしているのが罪です。罪の誘惑は、最初は甘く、また絹糸のように美しく、柔らかく軽いのですが、一度罪のとりこになると、酒や快楽で気を紛らわしても、罪の力は鉄の鎖のように心に重くのしかかります。あるフランスの心理学者は、「人の心から罪意識からくる不安を完全に取り除くことができたら、世界中の精神病院は9割空になるだろう」と言いました。心から罪を認め、主の十字架は私の罪の身代わりであったと信じ受け入れるなら、罪の重荷を背負って苦しまなくてよいのです。
3) 主は復活し、今も生きていて、永遠の命の交わりが与えられます。生ける神と、祈りを通して親しく交われることは何と感謝なことでしょうか。全てを主にお任せし、主に教えていただきながら、日々を生き生きと生きることができるとは何と感謝で、平安で、安心なことでしょうか。人間関係で疲れきっていた私が23歳の時、このみ言葉に導かれ教会に行き、主にあって罪を赦され、重荷を下ろし問題が解決し、永遠の命をいただき、神と交わり、祈りが聞かれ、いのちの道を歩ませていただきました。皆様も主の下に行きましょう。



教会の各活動


卓球大会の様子
午後は、青年会主催の全体行事「卓球大会」が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月15日)10:30~12:00


聖書:ヨブ記17章12節
題:やみから光
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:358、428




○聖書研究祈祷会 水曜日(9月16日)19:30~21:00


聖書:使徒行伝1章1~5節
題:聖霊降臨を待ち望みなさい
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:258、133、409



○主日礼拝 来週日曜日(9月20日)10:30~12:00


招詞:詩篇103篇1-2節
交読文:21  詩篇62篇
聖書:イザヤ書40章27-31節
題:主を待ち望む者に
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2,348,315

2015年9月7日月曜日

9/13 「卓球大会」のご案内

※この記事は、9/13の「卓球大会」のお知らせです。

京都信愛教会ではこのたび、青年会主催の行事として「卓球大会」を行う事になりました。

大会と称していますが、実力に応じたダブルス戦を設けますので、どのレベルの方にも楽しく汗をかいていただけます。もちろん、最終的に勝利したチームが優勝となります。

卓球のプレイが難しい小さなお子様向けの遊び場も設けます(ブロックや汽車遊び、ボードゲームなど)。保護者の方とご一緒にお越しください。

どなたでも入場無料です。「教会に一度は足を運びたかった」という方も、ぜひお越しください。

詳しくは、下のチラシをご覧ください。




■日時


2015年9月13日(日) 13:00~15:00


■会場・お問い合わせ


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい
※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2015年9月6日日曜日

主日礼拝「光の中の新しい戒め」

礼拝メッセージ「光の中の新しい戒め」ヨハネの第一の手紙2章7~11節


長谷川和雄師


神を交わり、恍惚状態を経験する霊的状態にあることを自慢する者がいますが、それらは信仰生活の真理を証明する証拠にはならないとヨハネは記します。主は、父なる神を離れて、ご自分の業を誇りませんでした。パウロや使徒たちもそうでした。彼らの霊的格調の高さ、癒しの力、偉大な働きなどを思えば誇っても問題がないように思いますが、彼らは決してそれらを誇らず、「自分の弱さ以外には誇ることをすまい」(2コリント12:5)と言ったくらいでした。

Ⅰ. 古くて新しい戒め(7)…
1) 「愛する者たちよ」と呼びかけて、主にある愛を示し、人々を戒めました。
2) グノーシス主義者たちは、神から啓示を受け「新しい教え」を持っていると誇りました。しかし、ヨハネは主から新しい戒めを与えられたと記します(ヨハネ13:34、1ヨハネ3:23・24)。
3) 「新しい戒め」とは、クリスチャン生活のルール、規範、神のみ旨です。偶像の神々と生けるまことの神と違うように、主が教えた「人を愛する」とは、道徳の愛とは異なります。この世の愛は自分の得になるものや、見返りを求めますが、主の愛は自分を犠牲にして極みまで人を愛する愛、敵をも愛する愛です。それは、ご自分を犠牲にしてまでも死なれた十字架から知ります。主が弟子たちの足を洗ったのは、主が己に死んで仕える愛を表したのです(ヨハネ13章参照)。主によって始まった、この愛に生きることが新しい命令です。

Ⅱ. 真理にある歩み(8)…
1) 愛を学び愛そうと努力し人の愛を真似ても、根本的に異なる愛であり、真の愛を得られません。かえって偽善者になり、信仰生活に疲れ、信仰を失いかねません。
2) 主の愛を知り、主によって新しく造り変えられ、真の自由を得て、神の前に真実に生き心から喜んで奉仕をする者は何と幸いでしょう。愛がないのにあるかのように振舞い、表面的に着飾っても、何か問題が起きた時には崩れ、本来の姿があらわにされます。神は全てをご存知であり、根本的な偽りを全て見抜いておられるので惑わされません。私たちは、着飾り人の真似をやめ、キリストを模範とし、「主よ、私には愛がないのです」と、主に憐れみと愛を求めましょう。主は、私たちに主のまことの愛を与え、キリストの心を自らの心として生きる者とされるとき(ピリピ2:1-11)、内からまことの愛が溢れてくるのです。

Ⅲ. 兄弟愛に生きる(9-11)…
1) 今は闇が去り、主の愛の光が輝いているので、いつでも神の愛の中に飛び込めます。しかし、闇の生活をしているのは、主の愛の中に生きていないからではないでしょうか。主の愛と恵みに生きる者は、信仰の交わりをする主にある兄弟を憎めないのです(3:13)。
2) 人は、つまずくと怒りが出てきます。子どもを怒らせ、つまずかせたら感化を与えられません。主の薫陶(主の薫り)によって育てましょう(エペソ6:4)。主にある兄弟だったら、忠告し、「光の中にいる」ようにと、主は言われました(マタイ18:15-17)。十字架の光の下、血潮を仰ぎ、悔い改め、罪を赦され、救われ受洗に導かれた光に歩み、信仰に生きる者は己に死ねるので、自分も他人もつまずかせないのです。3)兄弟を憎む者は感覚で歩み、闇の中を何処へ行くのか分かりません。自己中心であり、競争し、争い、心の底で憎み、無視するので、信仰は成長しません。クリスチャンの愛は感覚でなく選択です。愛を感じようが感じまいが、その人の幸せに関心を持ちます。その人を愛する事を主にあって選んだのなら、愛せるように主が助けてくださいます。



教会の各活動


誕生者の祝福祈祷
午後は、教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月8日)10:30~12:00


聖書:Ⅰコリント書13章4~7節
題:愛をもって待ちましょう
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:310、216



○聖書研究祈祷会 水曜日(9月9日)19:30~21:00


聖書:ヘブル書4章16節
題:クリスチャンの勝利
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:191、203、458



○主日歓迎礼拝 来週日曜日(9月13日)10:30~12:00


招詞:マタイによる福音書11章28-30節
交読文:18  詩篇50篇
聖書:マタイによる福音書11章28節
題:わたしのもとにきなさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:9、232、210