2015年7月19日日曜日

主日礼拝「主にある交わりの喜び」

礼拝メッセージ「主にある交わりの喜び」ヨハネの第一の手紙1章1~4節


長谷川和雄師


「愛の手紙」「交わりの手紙」といわれるヨハネの手紙には、「教会」という語が一度も出ていません。しかし、神は愛ですから教会に愛の交わりがあるのです。教会は建物が問題ではなく、教会に集うクリスチャンの愛の有無が問われます。大きな建物に多くの人が集う教会、聖書知識の満ちた教会、共に力を合わせて奉仕する教会の交わりに愛がないとしたら、なんと空しいことでしょう。

Ⅰ.いのちの言葉(1)
1) ヨハネは福音書を「初めに」と書き出し、主が初めから父なる神と共におられ、天地を創造されたことを記しています(ヨハネ1:1-2)。
2) この手紙は異なる原語の、「初めからあったもの」と書き出され、人類が罪を犯した時から神の救いの計画が備えられていたことを記しています。つまり、初めからあった「いのちの言」とは福音です。ヨハネは、創世記3章から預言され続けてきたメシヤが現れるとの預言を心に留めていました。
3) ヨハネはそれだけではなく、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)である主に従い、共に親しく生活し、主の愛を深く感じる弟子でした。彼は、神であった主がこの世に人となって来られ(1テモテ1:15)、人間の罪の身代わりに十字架で死んで復活した主と交わりました。それゆえ、主こそ救い主であると信じ、宣べ伝えたのです。

Ⅱ.告げ知らせること(2-3)
1) 「永遠のいのち」である主が贖罪のみ業を完成され、この方を救い主と信じるなら永遠のいのちを受けます(ヨハネ3:16)。この永遠のいのちの恵みによって、神との親しい交わりによって神の愛を知り、喜びに満たされるので、人々に伝えずにはおれないのです。永遠のいのちは、人に伝える勇気と力と知恵を与えるのです。
3) 「永遠のいのち」は、交わりを通して与えられたものです。愛され愛することや赦され赦すことは、神と自分との関係はもちろん、教会における交わりを通して体験することができます。しかし、人間の良心で善悪を判断し、自分の正しさに生きていては、神のみこころを知って罪を赦され、平安に生かされることはできません。自分の罪深さを認め、主の憐れみにすがり、十字架の血潮を仰いで信じ、その恵みに生き、その恵みを証し合うときに信仰の確信が与えられます(ガラテヤ2:19-21)。

Ⅲ.神との交わり(3-4)。
1) 私たちは礼拝に集い、主の臨在される礼拝堂で生ける神との交わりの恵を確認しあうのです。
2) 教会は赦された罪人の集まりなので、様々な考えや判断があって、意見が食い違うこともあります。自分の意見を皆の前で言わないで、陰口を言うと教会に分裂が起きてしまいます。しかし、主の臨在の下で正直に自分の意見を出し、正々堂々と話し合い、理解し合い、受け入れ合うなら、問題は解決します(ローマ15:7)。
3) 「交わり」は「知らせる」の意味もあり、知識、経験、祝福などを分け合うことです。交わりには言葉が必要であり、同じ恵みの知識を持つことが交わりの基礎です。全ての集まりの交わりの中で、権力や力で自分の思いを遂げようとして一致が薄れてしまっています。
4) ヨハネが、父なる神と子なる神との交わりに、私たちが親しく交わることが出来ることを伝えたのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです(1ペテロ1:8)。み言葉は真実です。み言葉宣教に励みましょう。
5) 父なる神と子なる神が一つであったように、主を信じた者が神と人と交わることによって完成された者と変えられるのです。神との交わりがあるところに主は臨在され、神の愛が満ちあふれるのです。



教会の各活動


青年会の特別賛美の様子
午後は、CS教師会と臨時の教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(7月21日)10:30~12:00


聖書:ローマ書7章24節
題:みじめな人間
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:282、264



○聖書研究祈祷会 水曜日(7月22日)19:30~21:00


聖書:ルカによる福音
書18章39節
題:神への要求
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:264、428、385



○主日歓迎礼拝 来週日曜日(7月26日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:37  詩篇119篇
聖書:ルカによる福音書10章38-42節
題:なくてならぬものは一つだけ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:1、38、324

2015年7月12日日曜日

主日礼拝「愛を追い求めましょう」

礼拝メッセージ「愛を追い求めましょう」コリント人への第一の手紙13章13節~14章1節


長谷川和雄師


礼拝での山田律子先生の賛美
賜物のことでコリント教会では分裂や争いが起こり、12章から霊の賜物を語ってきました。しかし、何を求めるよりまず愛を求めなさいと、最後に愛を目標に生きることを勧めます。愛に満ちた天国のような教会はなんと幸いでしょうか。愛を目標に歩みだしましょう。

Ⅰ. いつまでも残るもの…
目に見えるもの(地位・名誉・美しさ・お金・富・知識・命等)はいつまでも残りません。しかし、「信仰と希望と愛」は、いつまでも残るキリスト教の美徳です(ローマ5:1-5、ガラテヤ5:5-6、1テサロニケ1:3、5:8、1ペテロ1:21-22)。
1) 信仰は神と私たちを結び付け、神と個人的に交わる毎に関係が深まり確信を得ます。
2) 希望は永遠の救いに対する喜び、確信に満ちた期待であり、信仰によって与えられた約束を信じ疑いません。望みがかなうと希望はなくなると思われがちですが、神の栄光は満ちあふれ輝いています。それを望み続けるので希望はなくなりません。
3) 愛は神と人に対する真心からの真実の愛です。愛が道徳であるなら、「愛さなければならない」と律法になります。愛そうと努力したり、愛の知識を蓄えても愛せません。愛されていると実感する時、愛を知り自分のものとなります。愛とは恵みです。主の十字架によって神の愛が分かる時、神を愛する愛が溢れ、人を愛する愛が増し加わり、永遠に続きます。
信仰、希望、愛を木でたとえるなら信仰は支える根であり泉、希望は泉を汲み上げる幹、愛は豊かに受けた泉を注ぎだし、分け与えるのです。弟子たちを苦しめたパウロが、主を宣べ伝える信仰の人に変えられ、主を3度も裏切ったペテロが希望の人へと変えられ、怒りの子のヨハネが愛の人へと変えられました。私たちも愛の人へと変えていただきたいものです。

Ⅱ. 一番のもの…
なぜ愛が一番すぐれているのでしょうか。
1) 神は愛そのものだから(1ヨハネ4:7-12)。
2) 信仰や希望の源だから(1コリント13:4-8、ガラテヤ5:6)。
3) 神と人を愛し、主の血によって贖われた神の教会を愛し徳を高めるから。
「あなたの教会はどんな所ですか」と聞かれたら、教会に主が居られ、主の愛が満ち溢れる所なのですから。「主の愛があふれている所です」と答えたいものです。私たちは主の愛によって選ばれ、集められ、救われ、生かされ、新創造され、自分の愛のなさを認めて、神に愛を求め、教会員同士も互いに愛し合い、「信仰と希望と愛」の3つの中で一番すぐれている愛に生きる者とならせていただきましょう。愛は人を生かすのです。

Ⅲ. 追い求めるもの…
「愛を習得することを熱心に追い求めなさい。それをあなたがたの目標、大きな追及事項としなさい」(詳訳聖書)。愛は一人一人を神に導き、神の救いに導きます。愛を豊かに受けたウエスレーは「熱心と力と勇気と忍耐をもって求めなさい。さもないと得られないばかりか、持ち続けることができません」と言いました。パウロは、預言することを熱心に求めよと勧めます。預言とは、聖霊による説教と教えによって、神のご計画を解き明かし、福音を語り伝えることです。愛なる神によって受けた救いや恵み、神の守りや導きを、人々に分かるように証ししましょう。
「目標、ビジョン、使命なき民は滅びます」とありますが、私たちは世のなにものにも代えられない、神の愛を選び、求めて生きていきましょう。神の愛を求めて生きるとき、私たちは愛の人に変えられ、教会は愛の教会と変えられ、神に喜ばれる教会となるのです。





教会の各活動


チャペルコンサートにて
午後は、初夏のチャペルコンサート(山田律子先生、加藤泉氏)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(7月14日)10:30~12:00


聖書:哀歌3章36節
題:黙って待つ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:38、238


○聖書研究祈祷会 水曜日(7月15日)19:30~21:00


聖書:詩篇16篇1~11節
題:訴えられた者の祈り
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、251、276


○主日礼拝 来週日曜日(7月19日)10:30~12:00


招詞:申命記6章4-5節
交読文:10  詩篇31篇
聖書:Ⅰヨハネ書1章1-4節
題:主にある交わりの喜び
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:201、238、316
新聖歌:89、222、364

2015年7月5日日曜日

主日礼拝「愛は決して滅びない」

礼拝メッセージ「愛は決して滅びない」コリント人への第一の手紙13章8~12節


長谷川和雄師


「全世界を愛することは骨折れることではない。私の本当の問題は隣人を愛することです」と言った人がいます。愛は尊いものですが、はかなく頼りにならないものです。そして人は皆愛を求めて生きています。私たちは滅びることのない神の愛を追い求めましょう。

Ⅰ. 愛は決して絶えない(8)
聖書は、「愛は決して滅びない」(新共同訳)と断言します。愛に比べ預言、異言、知識は滅びますが愛は絶えず、滅びず、永遠です。
1) 愛は永遠のものです。人生の様々な問題に振り回されず「永遠のものさし」で物事を見る目こそ、「知恵のある心」です(伝道3:11、詩篇90:12)。
2) コリント教会では、霊の賜物の一面を重んじ、霊の賜物のことで、高ぶり、さげすみ、ねたみ、ひがみが生じました。「永遠のものさし」で、それらを計ることによって、それらの霊の賜物はすたれることを明確にしました。
①預言・未来の事。みこころ、救いなどの預言は一部分であり一時的です。
②異言。異言が無秩序に興奮状態の中で語られ混乱しました(1コリント14:32-33)。天国では一つの言葉です。異言は一時的で、不完全で、部分的です。
③知識。知識は部分的で、不完全であり、一時的です。
3) 私たちは絶えることの愛を熱心に追い求め、神と人を愛する愛で満たされましょう。

Ⅱ. 賜物はすたれます(9-12a)
この箇所に愛の文字はありませんが、愛は滅びず残ります。人の愛は不完全で、おぼろげです。世の終わりには神が完全に支配し、神の知識や預言は不要です。しかし、神の本質である愛は必要です。神の国、天国では愛が支配しています。童話の、「天国と地獄」では、天国と地獄は同じ環境ですが、地獄には他人のためにという愛がありませんが、天国には愛が充ち満ちているので、そこは天国だということです。今この世に、愛がないとすれば、そこは地獄の世界です。しかし、今の地上の世界では、まだおぼろげにしか行われないというのです。全くないというのではなく、少しはある、一部分はあるというのです(12)。今は不完全な愛ですが、罪から救われ、神の愛を知った者として、小さく未熟な愛に神の御手が働き光りをともせます。ここでの「幼な子」とは幼児性で、自分中心で、わがままな意味で、自分が幼子であった時にはこうであったのです。しかし、「わたしたちは、今は」、福音を知りキリストに会い、神の愛を知った今はもう幼児性を捨てたのです。人の愛に躓き、人は愛に乏しく、貧しいかに気づくと人は神の愛を受けて、人を愛することができるような大人になるのです。そしてその愛が、終末の時に完成するとの希望をもっているのです。

Ⅲ. 主の再臨のときの愛(12b)
主が現れる時、私たちは主に似る者となります(1ヨハネ3:2)。その時に私たちも神と顔と顔を合わせられるのです(12)。今は、神を完全に知ることはできませんが、神が私たちを完全に知っておられます。ですから、この地上の私たちの愛の貧しさ、不完全さを知りながら嘆くのではなく、希望をもてるのです。そうであるならば、この世で生きている私たちにとって大切なことは、自分の愛の貧しさ、愛の不完全さを知ることです。そうした自分の愛の幼児性、いつも自分のことばかり考え、相手のことを思うことより自分のことを思ってしまう、自分の愛の幼児性に気付き、その幼児性を捨てて、大人の愛に目覚めることです。少しでも子どもっぽい愛を捨てて、永遠に滅びることのない愛を追い求め、神に会う備えを致しましょう。




教会の各活動


礼拝での聖餐式の様子
午後は、教会役員会が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(7月7日)10:30~12:00


※教区婦人部修養会のため休会します



○聖書研究祈祷会 水曜日(7月8日)19:30~21:00


聖書:エレミヤ書33章3節
題:あなたに答える
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:41、481、190



○主日礼拝 来週日曜日(7月12日)10:30~12:00


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:57  Ⅰコリント書13章
聖書:Ⅰコリント書13章13-14章1節
題:愛を追い求めましょう
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:89、222、364