2015年6月7日日曜日

主日礼拝「隣人を愛する」

礼拝メッセージ「隣人を愛する」コリント人への第一の手紙13章4~7節


長谷川和雄師


人間の愛は自己中心で、愛が相手を苦しめることもあり、真の愛には程遠いのが現状です。しかし、聖書が示す愛に生きるとき、お互いが愛する喜びに満たされ、輝くことができるのです。

Ⅰ. 愛は不義を喜ばず真理を喜ぶ…
1) 愛は不義、不正を喜ばず、嫌悪し、近づきません。しかし、不義を行う者を見下げ、怒り、避けます。自分を敵と考え憎み、意地悪をし、不義を行う者を赦せないのは人情です。愛はとりなし、不義を忘れることを願います。けれども、不義を責めないことは不親切で、自己愛の行動です。しかし、悪を行う仲間に加わらず、忠告には勇気が必要です。主は人の罪・不義を憎み責めましたが、全ての人の罪の身代わりとなって死に、罪を赦してくださいました。悪を憎んで人を憎みませんでした。罪を素直に認め、主の十字架を仰ぎ、人ではなく真実で正しい神の前に正直に告白する時、主は赦してくださいます(1ヨハネ1:9)。教会に集うお互いは、神の愛のゆえに赦された者であることを覚えるので、互いに受け入れ合えるのです。これが真の信仰生活・教会生活です。日々、十字架を仰ぐ教会に愛が満ちています。
2) 愛は真理、正義、真実を追い求め、悪を赦さず、指摘し、あいまいにしません。主は、み言葉による真理を心にとめることを勧めています(ピリピ4:8)。真理は、自分のありのままの姿、弱さや罪深さが示され、素直に認めるとき砕かれ、日々十字架を仰ぎ、主に寄り頼むので、主の憐れみを豊に受けます。真理を喜ぶとは、み言葉に親しみ、日々、主の血潮を仰ぐことです(ピリピ3:1、4:4)。

Ⅱ. 愛はすべてを忍ぶ…
我慢し、こらえるというより、原語は、「おおう」「かばう」という意味です。主の愛は、人の欠点や失敗を覆い、かばい、弁護し、静かに矯正します(Ⅰペテロ4:8)。

Ⅲ. 愛は全てを信じる…
愛するがゆえに何が起ころうとも信頼し続け、全てに好意ある解釈をし、人の品性の益になるなら信じ、人の弁解を信じますが、嘘を信じて騙されません。主の愛は、神の前に真実に生きるザアカイを変え(ルカ19章)、主を捨てた弟子たちに福音宣教を委ね(マルコ16章)、裏切ったペテロを憐れみ、主への愛を確認しました(ヨハネ21章)。

Ⅳ. 愛は全てを望む…
罪深い者を諦めレッテルを貼らず、主がみ言葉によって、命に至る悔い改めに導き、立ち直らせると信じます。信じたのに裏切られても失格の烙印を押さず、その人が主にあって救われる日を期待して待ち望みます。主は、疑い深いトマスにも現れ優しく声をかけ(ヨハネ20:29)、主を裏切ったユダにも「友よ」(マタイ26:50)と声をかけ、悔い改めを期待し続けました。

Ⅴ. 愛はすべてを耐える…
愛は辛抱し、忍び、弱らず、踏みとどまり、持ちこたえ、身に引き受け、命がけでその人を守り抜き、誘惑に対して不動の心を持ち、受けた災難にも報復しません。主は、あざけられ、つばを吐きかけられ、鞭を打たれ、茨の冠を押し付けられてかぶせられ、十字架に貼り付けにされ、十字架の下からなじられても一言も答えられませんでした(イザヤ53:7)。我慢することではなく、どんな者でも、主にあって新創造されると期待し続けることです。ここでの愛は、具体的に愛の行為を求めていません。愛の無さを認め、主の前に砕かれて、愛を求め、主に寄り頼み、主によって愛の人と変えられ、互いに愛し合い、主の臨在を持ち運ぶ者と造りかえられることを主に期待し、主の愛に満たされることを求めています。



教会の各活動


午後は、教会役員会と青年会(結婚お祝い会)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(6月9日)10:30~12:00


聖書:ルカの福音書1章38節
題:神に従ったマリヤ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:205、390



○聖書研究祈祷会 水曜日(6月10日)19:30~21:00


聖書:詩篇13篇1~6節
題:私の目を明らかに
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:230、358、356



○主日礼拝(花の日) 来週日曜日(6月14日)10:30~


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:55 ヨハネによる福音書15章
聖書:ホセア書14章1-9節
題:神の愛が花を咲かせる
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、438、22