2015年3月29日日曜日

主日礼拝「迷う者を主の下へ」

礼拝メッセージ「迷う者を主の下へ」ヤコブの手紙5章19~20節


長谷川和雄師


教会役員任命式にて
「わたしの兄弟たちよ」と、最後の愛の呼びかけをして、神のみこころを示し、教会が成すべき具体的な行動を記し(ルカ8:21)、手紙を閉じています。

Ⅰ. 真理から迷い出る…
1) 真理とは。先に、真理のみ言葉は魂を救う力があることを学びましたが(1:18、21)、真理とは主ご自身です(ヨハネ14:17)。
2) 真理から踏み迷う者とは。世の誘惑やわがままな欲情などによって、救い主から離れ去り(マタイ18:12-13)、不正や悪に加担して神を悲しませ、み言葉に生きようとしない人のことです。
3) 誰でも踏み迷う可能性がある。「あなたがたのうち」とあるように、クリスチャンは誰でも主との深い交わりから離れ、教会全体をも霊的に病の状況に陥らせてしまう危険性があるのです(14、19)。
4) 主の下に引き戻す者。
放蕩息子の帰りを待つ父親のように、父なる神は、踏み迷った者の帰りを待っています(ルカ15:11-32、ヨハネ6:39-40)。
真理である主の下に導くために、主に仕え、迷い出た原因を取り除き、魂の回復を祈り続け、交わりを持ち続け、み言葉を持ち運ぶために、牧師や主にある兄弟たちと共に重荷を負う責任があるのです。
罪深い私たちが、神のみこころである救霊の業に与れるとは何と言う光栄なことでしょうか。しかし、ときには私たちがその方の救霊の業に関われないことや関わらない方が良い場合があります。そのような時は、牧師や他の兄弟姉妹に、直接の救霊の働きを委ね、自分はとりなしの祈りに専念し、他の踏み迷った者に働きかけましょう。このように互いに助け合うことが、一つのからだなる教会として正しく機能していることなのです(Ⅰコリント12:12-27)。

Ⅱ. 迷う者を主の下に連れ戻せた時の喜びと祝福…
1) 踏み迷った者が、再び私たちと共に救い主を仰ぐ者とされるなら、教会の喜びであると共に、天にても大いなる喜びがあるとは何と幸いなことでしょうか(ルカ15:7)。
2) 望みなく生涯を閉じたかも知れない、罪人である私たちの魂(全人格、全存在)を、永遠の滅びから救い出し、新しい命の約束によって、平安のうちに生涯を全うできる者に、神がして下さることが神のみこころなのです(Ⅰペテロ1:8-9、エゼキエル33:11)。この神の働きに与れるのですから愛と真実をもってみ言葉宣教を通して主に仕えましょう。
3) 「罪をおおう」とは、「主が罪を認めない」との意味です(詩篇32:1、箴言10:12、ローマ4:7‐8)。十字架の福音は、主の愛が罪人を包み、神はみ子の正しさを見て、罪人自身を正しい者として受け入れて下さるのです。
4) 多くの罪、
連れ戻された人の過去と現在の罪、更に犯すかも知れない多くの罪。
連れ戻した人自身の罪。
迷い出た者の属する群れが罪を犯す危険から守られるのです。
その事実と約束を記し、神の贖いの業である十字架の福音の恵みの担い手でありましょう。神の御子は、私たちの罪を神の目から覆う、神ご自身が送られた救い主です。人間の理解や知恵を超えた神の愛のみ業なのです。
5) 主は、私たちを「友」と呼ばれ(ヨハネ15:15)、私たちの罪を、ご自分のものであるかのように受け止め、神の裁きを受けるために、この世に遣わされたお方です。私たちは、「悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)との、主の招きに応じ十字架の福音を伝える教会として立ち上がりましょう。そして、祈祷と救霊に燃やされ、祈祷会と伝道が盛んな教会とされ、霊的な礼拝に導かれてゆき、神に喜ばれ神の栄光を現す教会とされましょう。




教会学校の進級・卒業式にて
教会の各活動


午後は、スプリングキャンプ(関西セミナーハウス)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(3月31日)10:30~


聖書:詩篇84篇8-9節
題:神様のレッスン
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:231、363



○受難週祈祷会 金曜日(4月3日)19:30~


聖書:ヨハネによる福音書13章1-11節
題:最後まで愛し通される主
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:231、227、102



○イースター礼拝 来週日曜日(4月5日)10:30~


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:3  詩篇16篇
聖書:ヨハネによる福音書21章15-23節
題:あなたはわたしを愛するか
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:123、337,227