2015年12月27日日曜日

年末感謝礼拝「主に感謝せよ」

礼拝メッセージ「主に感謝せよ」詩篇136篇1~26節


長谷川和雄師


今年、教会で感謝な事。

  1. 礼拝、祈祷会等の祝福。経済と健康の守り。
  2. 会堂安全工事。ファミリーコンサート。
  3. 村上宣道師の集会テレビに放映。
  4. 大学合格。2名の受洗。
  5. 結婚式と婚約式。

教会に愛が溢れた年でした。感謝とは、自分への好意や親切をありがたく思う事です。欲しい物を頂き幸せに思った時、過ぎた事と思う時、恩に感じ畏れ多い事を受けた時、お世話になった時、苦労を掛け煩わせた時などに謝意を表す事です。私たちは神を無視し、頑固でしたが神に愛され、十字架の贖い恵みを受け、神の子とされ、永遠の命を与えられ、今も覚えられ祈られている事は感謝です。この詩篇は、「いつくしみはとこしえに絶えることがない」と繰り返しますが、どんな感謝の言葉に付けても良い言葉です。ある拝金者が、どんな俳句にもぴったりの下の句は、「それにつけても金の欲しさよ」ですと言いました。私たちは、どんな下の句で祈るでしょか。

Ⅰ. 主に感謝せよ(1-3)

  1. 私たちは直ぐ主の恵みを忘れる者です。恨み、辛み、ひどい仕打ちはいつまでも忘れないのに、神の祝福はすぐ忘れ、恵み慣れします。この詩篇の作者自身が自分に向かって呼びかけるのは、あるがままの私たちは、神を褒め称えません。かえって自分を褒め称えようとします。自分の名誉、これが罪の根です。作者はイスラエルの民全体にも呼びかけます。
  2. イスラエルの民は、主の恵みが永遠に続く事を受け入れないので、何度も民に呼びかけました。主は恵みを思い出し見出し、感謝するよう薦めます。

Ⅱ. 創造の主に感謝せよ(4-9)

  1. 神は、私たちの想像をはるかに超えた奇跡をもって、天地の全てを創造しましたが、私たちは神の創造に恵み慣れし、主をないがしろにしていませんか(4)。いつも創造主に感謝をしましょう。オウガスチンの言葉。①神は奇跡をなされる。②大きな奇跡をなされる。③神だけがなされる奇跡です。天地万物、神の創造のみ業のすばらしさを称えました。
  2. ある方が、「闇夜を照らす電気代を払う人が、なぜ昼を明るくしてくださる神に感謝しないのだろう。したとしても電気代よりも少ない」と言いました。

Ⅲ. 歴史を支配される主に感謝せよ(10-22)

  1. 人間的に不可能でも、神は私たちに神の力強い御手を差し伸べられます。神はイスラエルの民をエジプトから救出されました。私たちは日々どのような存在でしょう。命に至らせる香りですか。滅びに至らせる香りですか。全てを支配されている主に期待して歩み、キリストの香りを放つ存在とならせていただきましょう(2コリント2:15-16)。
  2. 主に栄光を帰し、支配者の主を深く知る時、悪魔の支配する世に勝った主の勝利が、私たちのものとなります(1ヨハネ5:4-5)。「祈れること、集会を開ける家や、伝道できる友、奉仕できる元気が与えられたことなど」を神に感謝する者とならせていただきましょう。

Ⅳ. 必要を満たされる主に感謝せよ(23-26)

  1. 一切の必要を満たす(ピリピ4:19)と約束された主は、真実に全ての必要を満たしてくださるお方です。また、何度も神を裏切った者でも、聖なる民、宝の民と呼んでくださいます(申命記7:6-8)。神は私たちを愛し、十字架によって罪の奴隷から贖い、全ての必要を与えてくださいます。
  2. 私たちは行く処どこにおいても主を認めましょう。主が私たちの道を真っすぐにされます(箴言3:6、詩篇37:5)。そして、主にあって豊かに成長します(マタイ13:31-32)。主に感謝し、新年を迎えよう。



教会の各活動


CS冬休み書道教室にて
午後は、CS冬休み書道教室が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会は1月12日より再開します



○聖書研究祈祷会は1月6日より再開します



○元旦礼拝 金曜日(1月1日)10:30~12:00


招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:22  詩篇65篇
聖書:コロサイ書1章24-29節
題:栄光の望みである主
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:18、303、363



○新年礼拝 来週日曜日(1月3日)10:30~12:00


招詞:イザヤ書43章1節
交読文:21  詩篇62篇
聖書:エレミヤ書29章1-14節
題:将来と希望を与える神
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、324,363

2015年12月21日月曜日

12/27「教会学校冬休み書道教室」のご案内

※この記事は、12/27の「教会学校冬休み書道教室」のお知らせです。

京都信愛教会では今年も、「教会学校冬休み書道教室」を行います。

幼児~高校生の方を中心に、習字の得意な教会員の方々に教わりながら、それぞれ好きな文字を書きます。

もちろん、学校での宿題にチャレンジしていただいて構いません。

どなたでも入場無料です。保護者の方も是非一緒にお越しください。

詳しくは、下のチラシをご覧ください。




■日時


2015年12月27日(日) 13:00~15:00


■内容

    • 学校からの冬休みの宿題がある人はもってきてね!
    • 書道に興味のある方は、どなたでもご参加を!
    • 必要なものは、すべて教会で用意しています
    • 参加費は無料です

    ■会場・お問い合わせ


    日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
    京都市北区大将軍坂田町21番地12
    TEL(075)461-1938
    牧師: 長谷川和雄
    副牧師: 長谷川ひさい

    ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

    2015年12月20日日曜日

    クリスマス礼拝「ここに愛がある」

    礼拝メッセージ「ここに愛がある」ヨハネの第一の手紙4章7~12節


    長谷川和雄師


    洗礼式の様子
    愛する者へのクリスマス・プレゼントは、愛する者が欲しいと思うものを考えて、プレゼントしたいと考えます。

    Ⅰ. 人は愛を求めている(7-8)


    神は、愛する私たちに永遠の命を与えるために、御子をこの世に与えてくださいました。生きるために必要なものは多くありますが、この世の必要なことに心を奪われていると心が乱れます。この世のものが豊かになればなるほど憎しみが増し、地位が高くなるほど怒りが増し、財が増すほど不安も襲います。そして、愛し愛されるという心を大切にしなくなり(箴言4:23)、本当の幸せを失ってしまいます。愛を受けた子どもは成長しますが、愛を受けない育てられた子どもの多くは死んでしまいます。「愛されないことはこの世の地獄だ、愛することができないのは永遠の地獄だ」(ドイツの詩人)。本当の幸せは愛することができることにあります。しかし、人は愛を求めますが、多くの人は愛を知らずに生まれ、愛することができないのです。人は愛されて初めて、愛することができるのです。愛は生きる上での新しい力です。愛は、罪に打ち勝ち、誘惑に打ち勝ち、人を赦すことができる力であり、全ての力の源です。聖書は「ここに愛がある」(10)と、命まで与えてくださる神の永遠の愛を紹介します。

    Ⅱ. 神の愛(9-12)

    1. 絶対無条件の愛(9)。人は何かを求める時も、与える時も、何かしら条件をつけてしまいます。気前のよい人、良くしてくれる人など、自分の利益になる人とは交わっても、不利益になりそうな人とは交わらず、見向きもしません。人の愛は、何と打算的で裏切りやすいものでしょう。しかし、神が与えてくださる愛は絶対無条件の愛です。神はどんな人をも愛し、受け入れてくださるお方です。欠点が多く、汚れていても、罪深くても、主は真実の限りを尽くして、私たちを愛してくださいます。また、人は大切なことや約束したことを忘れやすく、忘れたらいいことをいつまでも覚えていて、忘れてはいけないことを忘れる者です。しかし、神は、私たちを決して忘れるような方ではありません(イザヤ49:15)。また、主が私たちの身代わりに遂げてくださった十字架のゆえに、私たちの罪を忘れて、愛してくださるとは、なんと幸いなことでしょうか(イザヤ43:25、エレミヤ31:34、ローマ5:8)。
    2. 犠牲を払う愛(10-11)。神の御子が、この世に来てくださっただけでも大きな犠牲であったのに、神であることを固守されず、私たちの全ての罪を背負って、十字架の上で死んでくださり、贖いの業を成し遂げてくださいました。この事実をしっかりと受け止めないで曖昧にし、信仰を律法的にとらえ努力する歩みや、道徳家のようになって心の鍛錬を求めてはいけません。その主の愛にしっかりとつながるならば、主のいのちが私たちに流れ、愛が私たちの内から湧き出てくるのです(ヨハネ15:4-5)。3)共におられる愛(12)。神の愛を豊かに受けて、内から湧き出る愛をもって互いに愛し合うならば、神は私たちの内にいてくださるのです。真実な神は、何時でも、何処までも、死の床までも、私たちと共にいてくださいます。自分で愛そうと努力すると、愛していることを誇るようになり、神の栄光を現すことができません。私たちはいつも共に居られる主にしっかりとつながり、主の愛を受け続け、私たちの内に主の愛を満たしていただき、主にある兄弟姉妹として互いに愛し合い、受け入れ合い、神の栄光を現す者とならせていただきましょう。


    教会の各活動


    クリスマス祝会にて
    午後は、クリスマス祝会、キャロリングが行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会は1月12日より再開します



    ○聖書研究祈祷会は1月6日より再開します



    ○クリスマス燭火礼拝 水曜日(23日)19:00~20:30


    聖書:マタイによる福音書2章1~12節
    題:星に導かれて
    説教者:長谷川和雄師
    賛美:78、75、他



    ○年末感謝礼拝 来週日曜日(27日)10:30~12:00


    招詞:詩篇95篇1-3節
    交読文:15  詩篇40篇
    聖書:詩篇136篇1-26節
    題:主に感謝せよ
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:21、214、171

    2015年12月14日月曜日

    12/23「クリスマスキャンドルライトサービス」のご案内

    ※この記事は、12/23の「クリスマスキャンドルライトサービス」のお知らせです。

    京都信愛教会では今年も、「クリスマスキャンドルライトサービス」を行います。

    ろうそく(安全のため LEDでの模擬的なものです)の灯りの下で、クリスマスの賛美を歌い、聖書の言葉を聞き、クリスマスメッセージを聞きます。


    どなたでも入場無料です(信徒かどうかを問いません)。

    詳しくは、下のチラシをご覧ください。




    ■日時


    2015年12月23日(水) 19:00~20:30


    ■内容

    • クリスマスの賛美
    • 聖書の言葉
    • クリスマスメッセージ
    • 献金(自由です) 

     ■会場・お問い合わせ


    日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
    京都市北区大将軍坂田町21番地12
    TEL(075)461-1938
    牧師: 長谷川和雄
    副牧師: 長谷川ひさい

    ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

    2015年12月13日日曜日

    アドベント歓迎礼拝「マリヤとエリザベツ」

    礼拝メッセージ「マリヤとエリザベツ」ルカによる福音書1章39~45節


    長谷川ひさい師


    今朝は、マリヤとエリサベツの信仰を通して学びましょう。

    Ⅰ. マリヤの悩み…


    1. 御使いガブリエルによる神のみ告げは、マリヤには全く考えられないことでした(31-32)。しかし、マリヤは自分を低くし、全くみ言葉に委ねました(38)。
    2. こんな事を誰に相談できるでしょうか。家族や友人、誰よりも婚約中のヨセフに理解してもらえるか分かりません。聖書にありませんが、マリヤの心中は様々の思いや、ヨセフに言うべきか悩んだことでしょう。
    3. マリヤは御使いが老年のエリサベツも子を宿したことを思い出し(36)、親族のエリサベツなら、自分のことも理解してもらえると考え、マリヤは彼女を訪問を決心しました。神は、神のみ業を分かり合える友を身近に備えてくださるとは、何と言う恵みでしょうか。
    4. 信仰が与えられたら苦しみ、悩み、悲みなどが無くなることはありません。しかし、それらを通して神のみ言葉の成就を見せ、体感させてくださいます。私たちもエレミヤ30:17、32:26のみ言葉の約束を見ることができました。
    5. 私たちは、主の十字架の愛を知って救われ、神の家族に加えられ、京都信愛教会に集い、お互いの悩みを話し合い、天国を目指して歩めるとは、何と感謝でしょうか。

    Ⅱ. マリヤの信仰…

    1. マリヤが御使いの言葉を受け入れたことは、単に頭で「ああ、そうなのだ」と理解しただけでなく、御使いの言葉の中のエリサベツに会うために、ナザレから約100km離れているユダの地を目指して、15歳あまりの少女「マリヤは立って」(39)訪問したのです。
    2. 「信じる事と考える事とは違います」。立って行動した時に、始めて信仰が行動となったのです。「自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか」(ヤコブ2:14)とありますが、行動にならない信仰は、まことの信仰とはいえません。しかし、マリヤは神の言葉を信じて行動をする、まことの信仰を神から与えられたのでした。
    3. マリヤの挨拶を聞いたエリサベツのお腹の6ヶ月の子が踊ったというのです。この聖書の記者ルカは医者であったので胎動を記したのでしょう。

    Ⅲ. 聖霊の器…

    1. ルカの福音書は「聖霊」を多く用い、1-3章では12回も使っています。ルカは聖霊の器であるパウロの影響を受けて、彼も聖霊の器でした。また、歴史家でしたから、彼は使徒行伝、別名、聖霊行伝を書き残すことができたのです。使徒たちは器に過ぎませんが、彼らを動かしたのは聖霊でした。ルカはまことの聖霊の器だったので、聖霊の働きを記すことができたのです。
    2. 「エリサベツは聖霊に満たされ」、マリヤの祝福を喜びました(41-42)。不妊の女エリサベツも、マリヤと同じように神の力によって子どもが与えられ、主の母に会い、ヨハネはお腹の中で踊り、マリヤを祝福したのです。そのようなエリサベツでしたので、マリヤのことを全て理解し、祝福することができたのです。
    3. また、エリサベツはマリヤの訪問を、心から喜びました(42-45)。マリヤがみ言葉を信じて受け入れ、従ったので救い主が誕生できました。そして、誰からも理解されないと思ったのに、エリサベツに全て理解され、マリヤは励まされ、勇気を得、救い主を宿した喜びに満たされ、み言葉への信仰が確かにされ、賛美が生まれました。
    4. 主のみ言葉を信じ受け入れ、従うことに勝る幸いはありません。クリスマス、救い主の誕生に、二人の女性の信仰に教えられます。また、救い主を称え、救い主を与えてくださった神に感謝しましょう。

    教会の各活動


    CSクリスマス会にて
    午後は、CSクリスマス会が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(12月15日)10:30~12:00


    聖書:ローマ書15 章17節
    題:神の栄光のために
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:76、73



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(12月16日)19:30~21:00


    聖書:使徒行伝3章17-26節
    題:神に立ち帰る勧め
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:88、446、465



    ○クリスマス礼拝 来週日曜日(20日)10:30~12:00


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:56 1コリント書13章
    聖書:Ⅰヨハネ書4章7-12節
    題:ここに愛がある
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:76、89、216

    2015年12月7日月曜日

    12/13「教会学校クリスマス会」のご案内

    ※この記事は、12/13の「教会学校クリスマス会」のお知らせです。

    京都信愛教会では今年も、「教会学校クリスマス会」を行います。

    幼児~高校生の方を中心に、みんなでクリスマスの賛美を歌ったり、聖書の話を聞いたり、ゲームをしたりします。

    最後にみんなでケーキを食べる時も有ります。

    どなたでも入場無料です。保護者の方も是非一緒にお越しください。

    詳しくは、下のチラシをご覧ください。




    ■日時


    2015年12月13日(日) 13:15~15:00


    ■内容

    • クリスマスの賛美
    • 聖書のお話し
    • みんなでゲーム
    • 各会の出しもの
    • ケーキタイム

    ■会場・お問い合わせ


    日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
    京都市北区大将軍坂田町21番地12
    TEL(075)461-1938
    牧師: 長谷川和雄
    副牧師: 長谷川ひさい

    ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

    2015年12月6日日曜日

    第2アドベント礼拝「貧しい心に主を迎えよう」

    礼拝メッセージ「貧しい心に主を迎えよう」ルカによる福音書1章26~38節


    長谷川和雄師


    当時や現代でも、マリヤの処女降誕は、倫理的、科学的に受け入れられません。一般常識で聖書を読めませんが、神はみ言葉をもって私たちに語りかけ、神、罪、救い、信仰を教えられます。マリヤは神の言葉を真剣に受け止め、神の全能を信じ、神の祝福と愛に応えて従いました。人は愛され、信頼されて初めて従えます。み言葉に従うことに、まことの喜びがあります。

    Ⅰ. 救い主の必要性…
    なぜ、神の子イエスが世に人として来る必要があったのでしょうか。クリスマスはエバとマリヤによってもたらされました。
    1) エバは、主が十字架にかけられる原因をつくりました。神とアダムに聞き従わず、サタンの誘惑にそそのかされ、アダムから聞いたことに逆らい、善悪を知る木の実を食べてしまいました(創世記3章)。その結果、神と交われなくなり、人類は罪を犯し、殺人、盗み、うそ、憎しみ、そして死が人類に入ってきました。
    2) 最も大きな罪は高ぶりです。エバは神の言葉を誠実に聞かず、忠実に守らなかったので神と交われず、祝福を受けられなくなりました(創世記2:16-17、3:1-6)。彼女は、神の言葉に従っていれば幸いでしたが、自分が神になったかのように言動し、自分の罪を認めず、益々罪が増し加わりました。傲慢になったエバは、アダムにも木の実を勧め、誘惑し、罪を犯させました。「高ぶる者をしりぞけ」る(1ペテロ5:5)とあるように、神はアダムとエバをエデンの園から追放しました。

    Ⅱ. 無条件の服従…
    1) それに対し、マリヤは貧しく、無名で、優れた功績を残した女性でもなく、罪のない女性でもありません。しかし、神は一方的な恵みを彼女に与え、御使いを遣わし、神のひとり子イエスを宿す者とされました。
    2) しかし、夫ヨセフと一緒に暮らす前に、子を宿すということは、破談や裏切り者として家族や友からも誤解され、捨てられ、殺されるおそれがありました。
    3) まして、処女降誕は考えられず(34)、マリヤも初めは御使いの言葉を理解できませんでしたが、人間的な可能性ではなく、聖霊によってなされる神の全能を信じ(37)、主の奴隷として自分を献げました。そして、自分が主の恵みを受けるに相応しい者ではないことを熟知していたので、主のお言葉どおりになるようにと、条件をつけないで、全てを主に委ねたのです(38)。条件なしに明け渡し、全てを受け入れる、全く砕かれ低い心にならなければできませんでした。ただ、神の愛に応え、謙るマリヤの姿がそこにありました。

    Ⅲ. 心貧しい者の幸い…

    1) 心の貧しい者とは、自分の罪汚れを知っていて(マルコ7:21-23)、世の富・名誉・人などにとらわれず、神が全てであると心から告白し、神に期待し、頼りきって、栄光を神に帰する者です(申命記8:17、9:4)。まさに、マリヤは心の貧しい者でした。
    2) 真の信仰は感情に振り回され、恍惚状態になりません。信仰は、目には見えないけれども生きておられる神を信じて拠り頼み、神のみ言葉に従います。私たちは、マリヤのように謙り、神の恵みを受けるに相応しくない罪人であることを認め、主の僕として、「み言葉どおりになりますように」と願い、誠実、忠実にみ言葉に従いましょう。神はそのような者を喜ばれ、恵みを増し加えられます。
    3) マリヤが神の全知、全能、最善、愛、義を信じ、神に任せて従った時、イエスが誕生しました。イエスは神でしたが人となり、貧しくなり、貧しい者を助け、友なき者の友となり、弟子の足を洗い、罪がないのに罪人とされて、強盗の代わりに十字架につけられ、死に至るまで父なる神に従ました。私たちも心の貧しい者とされて、誠実・忠実にみ言葉に従う者とならせていただきましょう。



    教会の各活動


    午後は、青年学生クリスマス会とCS教師会が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(12月8日)10:30~12:00


    聖書:イザヤ書38章17節
    題:苦しみは平安のために
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:248、236



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(12月9日)19:30~21:00


    聖書:使徒行伝3章11-16節
    題:イエスによる信仰
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:42、249、456

     

    ○アドベント歓迎礼拝 来週日曜日(13日)10:30~12:00


    招詞:ヘブル書4章14-16節
    交読文:52  ルカ1章
    聖書:ルカによる福音書1章39-45節
    題:マリヤとエリザベツ
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:9、67、275

    2015年11月29日日曜日

    第1アドベント礼拝「救い主を迎える備え」

    礼拝メッセージ「救い主を迎える備え」ルカによる福音書1章5~25節


    長谷川和雄師


    大切な人が来られるとしたら、どんな準備をしますか。掃除や食事を整えるなど様々な備えをするように、再臨の主をお迎えする準備はどうあるべきかについて、み言葉から学びましょう。

    Ⅰ. ザカリヤの祈り…
    ザカリヤ(「主は覚えておられる」の意)はアビヤの組(歴代志上24章参照)の祭司で、妻エリサベツは祭司アロンの家系でした。当時の民は信仰心が薄かったのに、ザカリヤ夫妻は共に神を畏れる者でした。しかし、子どもが与えられず、主に祈り続けていました。ある日、神殿に入って香をたく務めが、くじによってザカリヤに当りました(箴言16:33)。祭司にとって一生に一度あるかどうかの務めであり、ザカリヤは緊張して神殿に入り香をたいていると、主の使いが現れ、彼の不安と恐怖は大きくなりました。主の使いは彼に対し、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられた」(13)と伝えたのです。ザカリヤはその願いが何だったのか、すぐに分かりました。私たちは、祈った祈祷課題を忘れるような祈りをしないために祈り続け、約束のみ言葉を信仰を持って受け止めましょう。

    Ⅱ. ザカリヤの不信仰…
    主の使いはザカリヤに、妻エリサベツに男の子が産まれることを告げ、名をヨハネ(「主は恵み深い」の意)とするように命じました。ヨハネの誕生はザカリヤの喜びと楽しみだけでなく、多くの人もその誕生を喜ぶ者となるのです。ヨハネは、神に献げられた子ども(ナジル人)であり、「大いなる者」(15・マタイ11:11)となり、イスラエルの民を主に立ち返らせ(16)、神の前に立てるように罪の解決に導き、「整えられた民を主に備える」(17)使命が与えられているのです。しかし、ザカリヤは夫婦の祈りがきかれ、み言葉による約束が与えられたにもかかわらず、不信仰になり、しるしを求めたのです(18)。これは、処女懐胎のマリヤとは全く異なります(ルカ1:26-38)。ザカリヤはみ使いの言うとおり、子どもが誕生するまで、口がきけないまま務めの期間を終えて、自宅に帰りました。

    Ⅲ. 主に会う備えをしよう…
    その後、妻エリサベツはみごもりました。エリサベツの名前が「神は誓い」という意味でもあるように、主は約束された誓いを果たされたことを感謝しました。私たちは祈った課題がすぐにかなえられないと、不信仰におちいりやすい者です。しかし、主はみ言葉に伴うすばらしいことを成してくださる生ける主です。ですから、私たちは主を信じ、み言葉を信じて歩みましょう。ヨハネは主の先に来て、人々に主を畏れる大切さを教え、罪を示し、悔い改めの必要を伝え、神の前に立つ道備えをしました(ヨハネ1章参照)。私たちも人を赦せず、愛することができない罪などをもったままでは、神の前に立てません。また、自分の正しさや、外見を飾る善行や、信仰的な行いでは、神の前に立てません。それらは神が与えてくださった恵みのゆえに出来たのです。しかし、主が全ての人の罪を背負い十字架で死なれ、復活し永遠の命の保障となられた主を信じるだけで、神は罪を赦し、罪をきよめてくださり(1ヨハネ1:9)、永遠の命を与えてくださる主の恵みを覚えるときに、魂が砕かれ(詩篇51:17)、神の前に立つことができる者にしてくださるのです。ヨハネは神の栄光のために主を証しました(ヨハネ1:29)。私たちも神に整えられ、神に喜ばれる者とされ、人々に主の十字架の福音を証ししましょう。罪の解決を神の前にさせていただき、神に会う備えをするアドベントとさせていただきましょう。




    教会の各活動


    午後は、教会役員会(12月分)が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(12月1日)10:30~12:00


    聖書:詩篇119篇149節
    題:あなたが決めておられるように
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:423、384



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(12月2日)19:30~21:00


    聖書:使徒行伝3章1-10節
    題:美しの門での癒し
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:224、42、183



    ○第2アドベント礼拝 来週日曜日(6日)10:30~12:00


    招詞:詩篇29篇1-2節
    交読文:51  マタイ5章
    聖書:ルカによる福音書1章26-38節
    題:貧しい心に主を迎えよう
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:67、88、342

    2015年11月22日日曜日

    主日礼拝「真理の霊と惑わす霊」

    礼拝メッセージ「真理の霊と惑わす霊」ヨハネの第一の手紙4章1~6節


    長谷川和雄師


    間違った信仰は怖いものですが、真の神への信仰は素晴らしいものです。信仰と愛は聖なる霊によって与えられます。しかし、偽りの霊について、面白半分や、素人判断で異端救出などに関わってはならないのです。

    Ⅰ. 真理の霊と惑わしの霊…
    神を見たと主張していたグノーシス主義者に対して(12参照)、霊の問題を取り上げ、神からのものか試し(確かめ)なさいと命じられています。教会が始まって約60年でしたが、教会の礎である主に対する様々な考えが出てきました。グノーシス主義は肉体を悪とするため、極端な厳しさと不道徳になりました。エビオン派は主の神性の否定。マルキオン派は旧約と新約の神は異なると主張し、神が苦しむはずが無いと十字架を否定。モンタヌス派は禁欲生活と主の再臨を主張。アリウス派は主の神性を否定。ネストリウス派は主の神格と人格の分離を主張。ペラギウス主義は性善説であり、自由意志による功徳を積んで救われると主張等々。教会の足らなさを問うているうちに、新しい主張に捕らわれ、人間が理解でき受け入れられることのみを信じ(合理主義)、いつしか異端になり、真の教会でなくなってしまっていたのです。現代も成果主義、積極思考、カウンセリング手法などが信仰に入り込んで私たちを惑わしています。

    Ⅱ. イエスを告白する霊…
    偽りの霊を見分けるには、主をどのように信じ告白しているかが基準となります(2)。仮現説は主の霊と肉を分離して考え、主を分けて考えました。現代においても、主の奇跡などを語っても、十字架の救いを語らない教会が多いので注意しなければなりません。罪を語らないので、十字架は出てきません。表面的なことだけを語っていても、罪の解決にはなりません。主の十字架以外に、私たちの罪の赦しと救いはありません。日々、自らの罪深さを認め、主を救い主として信じて告白し、十字架を仰ぎましょう。

    Ⅲ. 私たちは神から出た者です…
    温情主義的で、癒しや平和に心が向き、主の愛は困っている人の側に立つことや、生きる時の悪を赦してもらうことに置き換えられています。いつしか赦され受け入れられていることを忘れて傲慢になり、愛の業を誇り、主の生き方をまねをするに留まっています。主の贖いやよみがえりを覚える生活とは、全く異なる生活を送っています。しかし、私たちは主を信じ受け入れ、主の十字架によって罪を赦され、きよめられ、聖霊の宮とされ、主の体なる教会に集められ互いに愛し合う者とされました。内におられる方は、「世にある者よりも大いなる者なので」(4)サタン(罪)に打ち勝てるのです。でも、聖霊の宮とされていない者が教会に集まると教会ではなくなり、真の悔い改めがなく、分裂が生まれ、自己中心となり、神の栄光を現せません。神は互いに愛し合うために教会に戒めを与え、教会の交わりを通して愛の無さなどの罪が示されて砕かれ、十字架を仰ぐことができるのです。互いが主に寄り頼むので解決が生まれます。神から出ていない者は、十字架の言葉に生きみ言葉に耳を傾けようともしません。世の者は世を求め、神を求めません。自分の罪深さが分かり、主の十字架による救いが分かるとは何と幸いなことでしょう。私たちは日々、十字架の福音に生かされるならば、偽りの霊に惑わされません。日々、主の憐れみを求め、主の十字架の血潮を仰ぎ、福音に生かされ、よみがえりの希望に生きる生涯を送らせていただきましょう。



    教会の各活動


    礼拝の直後に婚約式が、
    午後には、壮年会(劇練習)と青年会(クリスマス準備)が行われました。


    今週~来週の予定


    婚約式にて

    ○婦人祈祷会 火曜日(11月24日)10:30~12:00


    聖書:詩篇119篇149節
    題:あなたが決めておられるように
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:423、384



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(11月25日)19:30~21:00


    聖書:使徒行伝2章37-47節
    題:祝福された初代教会
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:257、145、146



    ○主日礼拝 来週日曜日(29日)10:30~12:00


    招詞:イザヤ書45章22節
    交読文:49  イザヤ書40章
    聖書:ルカによる福音書1章5-25節
    題:救い主を迎える備え
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:7、68、325

    2015年11月15日日曜日

    主日歓迎礼拝「信じることが神のわざ」

    礼拝メッセージ「信じることが神のわざ」ヨハネによる福音書6章28~29節


    長谷川ひさい師


    日本人は、宗教は何かやることだと考える傾向があります。「ただ信じればよい」より、何か行って受けるといった方が分かりやすいのではないでしょうか。ユダヤ人も同じような考えがあったので、「神のわざを行うために…何をしたらよいでしょうか」(28)と訪ねました。この「神のわざ」は複数形で、罪を赦され、救われ、永遠の命を得るためには、色々な業をしなければならないと考えていたのです。しかし、主の答えは単数形の「神のわざ」でした。「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」(29)と言いました。ヨハネ伝には「信じる」との言葉が約百回出るほど「信じる」大切さを強調しています。「信じる」とは、根も葉もないことをただ信じればよいと言うことではなく、「信じる」ことは、その事実の正しい認識から始まります。その事実とは、「罪、死、主の十字架と復活」です。

    Ⅰ. 罪の事実…
    罪という言葉はいやな響きがあり、いいものではありません。見ても見ぬ振りし、避けたいものです。どんなに罪に蓋をしても罪は罪です。主が宮で教えておられた時、姦淫の現場で捕らえられた女性を、律法学者やパリサイ人が主の前に連れて来て、「モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」(ヨハネ8:5)と、主を告発するための質問をしました。しかし、主は彼らの思いを見抜き、黙って地面に何かを書いていましたが、質問し続けたので主は、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(同8:7)と答えました。すると年寄りから始めて民が去り誰もいなくなりました。このことは、誰でも「私には罪はない」と言えないということです。もし、この罪から自分を救えるなら、救い主を信じる必要はありません。主を信じる信仰は、罪という事実を正しく認識することから始まります。

    Ⅱ. 死の事実…
    「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)とありますが、罪の結果は、肉知的、霊的、永遠的な死です。人は誰も死に対する解決を持っていません。死は観念ではなく、厳然たる事実です。もし、死なないと言う人がいれば、その人は死の解決者である主を信じる必要がありません。救い主を信じる信仰は、死という事実を正しく認識する必要があります。

    Ⅲ. 主の十字架と復活の事実…
    主の十字架と復活の事実は、人間の罪と死の解決に必要なことです。その意味で、主の十字架と復活は事実でなければなりません。このことは何千年も前から預言されていたことが成就した、多くの目撃者によって記録された歴史的な事実です。私たちの信仰は、自分の感情や願望によって立っているのでも、都合よく作り上げたものでもありません。神が主を通して私たちのためにしてくださった、十字架と復活に基づく贖いの事実だということを、しっかりと知ることが大切です。「永遠の命とは…神…と…キリストとを知ること」(ヨハネ17:3)ですが、「知る」は信じると同意であり、正しく事実を知ることは信じることにつながります。また、「信じる」は「委ねる」とも訳され、信仰は頭だけの認識ではなく、主ご自身の人格に自分自身の全てを委ねてゆく姿勢が求められます。また「信じる」は「受け入れた」(ヨハネ1:12)ということです。外食を信じて食べるのに、命まで捨てて愛してくださった救い主を心に受け入れないとはなんと悲しいことでしょうか。主の十字架と復活を信じられないなら、「信仰を与えてください」と祈りましょう。信仰を与えてくださるのが神の業なのです。



    教会の各活動


    会堂掃除の様子
    午後は、壮年会・婦人会・青年会合同での会堂掃除、CS教師会が行われました。


    今週~来週の予定

    ○婦人祈祷会 火曜日(11月17日)10:30~12:00


    聖書:詩篇40篇12節
    題:正直な心
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:190、266


    ○聖書研究祈祷会 水曜日(11月18日)19:30~21:00


    聖書:ルカによる福音書11章13節
    題:求めて来る者に
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:195、208、408


    ○主日礼拝 来週日曜日(22日)10:30~12:00


    招詞:ローマ書12章1-2節
    交読文:19  詩篇51篇
    聖書:Ⅰヨハネ書4章1-6節
    題:真理の霊と惑わす霊
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:21、458、460

    2015年11月8日日曜日

    主日礼拝「神の戒めに生きる」

    礼拝メッセージ「神の戒めに生きる」ヨハネの第一の手紙3章19~24節


    長谷川和雄師


    児童祝福式の様子
    私たちが神の子とされたのは、神の一方的な恵みである神の愛を豊かに受けたからなのです(3:1)。私たちは神の子とされたのだから、「兄弟を愛せよ」との戒めを守れるのです。

    Ⅰ. 心を安らかに…
    1) 「神のみまえに心を安んじていよう」(19)とありますが、神のみ前での確信や平安は、兄弟を愛するとか、その他のどんな業や功績によるのではありません。自分の心を正直に見つめて愛せないことが分かったら、「愛せません、愛したいのです。愛を与えてください」と、全てをご存知であっても愛してくださる神を信じて求めるとき、神の愛と平安を与えられます(ローマ5:1)。
    2) 私たちがみ言葉や、御霊によって罪の指摘を受けても罪の自覚が生じないなら、それは神から離れて歩み、神に対して心を閉ざしているからです。しかし、罪の咎めを感じ、自分の愛の無さを知る時、主の十字架の愛がみえてきます。主の十字架を仰いで神に近付くならば、神は赦してくださり、罪の赦しを与えてくださいます(1ヨハネ1:8-9)。それゆえ、私たちは「神に対して確信を持つことができる」(21)のです。神の愛はなんと偉大なことでしょうか。

    Ⅱ. 大胆に神に近付く…
    1) 自分の心の責めが無くなれば、大胆に神の御前に出て、何でも包み隠さず、心にあるままを神の御前で祈ることができます。また、私たちは神の憐れみを受け、恵みをいただき、はばかることなく、神の恵みの御座に近付けるのです(ヘブル4:16)。
    2) 神の平安があるからこそ、神の前に出て主の名によって何でも祈ることができ、神は私たちの祈りを受け入れてくださり、求めるものを与えてくださるのです。しかし、祈ったことが必ずきかれるというわけでもありません。私たちの祈りが主によって応えていただけるというのは、その祈りが主のみこころと一致する祈りと導かれるからです(ヨハネ15:7)。私たちは心にあるままを神に祈ることができます。しかし、祈っているうちに、神のみこころが示されてくるのです。その示された神のみこころを、受け入れて祈ることが必要です。主も「この杯をわたしから取りのけてください」と、ありのままを祈られました。しかし、主は「わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」と(ルカ22:42)、神の栄光を求め、神の栄光のために、全てを神のみ手に委ね、十字架の死に至るまで従順に従われたのです。

    Ⅲ. 主を信じ、互いに愛し合うこと…
    神の戒めに生きることを、神は喜んでくださいますが、その神の戒めとはどんなことでしょうか。
    1) 御名を信じることです(23)。それは、主の御名、主の人格、主の全ての働きを信じ、主が与えてくださる信仰によって(使徒3:16)、主に自分の身を全て任せ、頼ることです(ヨハネ1:12、1ヨハネ5:13)。
    2) 互いに愛し合うことです(23)。その愛は私たちの内にはありません。私たちが互いに愛し合うことができるのは、神がまず私たちを愛し、赦してくださったという事実があるからです。私たちは、その神の愛を知り、体験する時、神の愛によって愛し合うことができるのです。互いに愛し合うことは、神の親しき交わりがあることの証です(ヨハネ13:34-35)。ですから、主の御名を信じることが、互いに愛し合うことの原動力であり、互いに愛し合うことが主の御名を証しすることになります。主と親しく交わる時、聖霊によって愛の実を豊かに結ぶようになります(24、ガラテヤ5:22-26)。日々、主と親しく交わり、主に全てを委ね、み言葉に生きる者とならせていただきましょう。


    教会の各活動


    教会ファミリーコンサートの様子
    午後は、教会ファミリーコンサートが行われました。


    今週~来週の予定

    ○婦人祈祷会 火曜日(11月10日)10:30~12:00


    聖書:創世記12章1節
    題:アブラハムの信仰
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:38、354



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(11月11日)19:30~21:00


    聖書:使徒行伝2章22-36節
    題:イエスこそ主キリストです
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:237、272、354



    ○主日歓迎礼拝 来週日曜日(15日)10:30~12:00


    招詞:ヘブル書4章14-16節
    交読文:34  詩篇108篇
    聖書:ヨハネによる福音書6章28-29節
    題:信じることが神のわざ
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:264、282、275

    2015年11月2日月曜日

    11/8 「教会ファミリーコンサート」のご案内

    ※この記事は、11/8の「教会ファミリーコンサート」のお知らせです。

    京都信愛教会ではこのたび、初めての試みとして「教会ファミリーコンサート」を行う事になりました。

    教会員やその家族が、おのおの楽器や声楽などで、賛美歌を始め、クラシック曲や映画の主題歌などを奏でます。

    賛美歌や唱歌を参加者みんなで歌うプログラムも有ります。

    どなたでも入場無料です。「教会に一度は足を運びたかった」という方も、ぜひお越しください。

    詳しくは、下のチラシをご覧ください。




    ■日時


    2015年11月8日(日) 13:00~15:00


    ■会場・お問い合わせ


    日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
    京都市北区大将軍坂田町21番地12
    TEL(075)461-1938
    牧師: 長谷川和雄
    副牧師: 長谷川ひさい
    ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

    2015年10月25日日曜日

    主日礼拝「キリストは道、真理、命」

    礼拝メッセージ「キリストは道、真理、命」ルカによる福音書1章39~45節


    小岩裕一師


    神奈川県警察のポスターに「息子はサギ!」と書かれています。息子と勘違いして、サギにだまされないためです。宗教も本物と偽物を見分けることが大切です。自分がどこへ行くのか、わからない時に、不安になり、自分を見失い、偽物にだまされてしまいます。

    この箇所では、ペテロが、命がけで主について行く覚悟ですと言っていますが、主イエスは、「今」は、できないと言われました(13:37-38)。主イエスが〈どこかに行ってしまう〉ことは、「心を騒がせ」(1)ることです。主イエスを見失ってしまいそうになる時、主イエスのお言葉をしっかりと聞く必要があります。

    Ⅰ.「神を信じ、またわたしを信じなさい」(1)

    1. 主イエスは、「神を信じ」、「わたしを信じなさい」と命じられました(1)。主イエスを信じる根拠は「わたしの父の家には、すまいがたくさんある」こと、「あなたがたのために、場所を用意しに行く」ことです。人生の最後に行くべき場所は、父なる神と主イエス・キリストのいらっしゃる永遠の御国です。「あなたがたをわたしのところに迎え」ること、「わたしのおるところにあなたがたもおらせる」こととは、主イエス・キリストの再臨を信じて待ち望むことです(3)。
    2. しかし、トマスも(4)。ピリポも(8-9)、主イエスが「どこへ行くのか」(4)が理解できなかったのです。父なる神への道は、イエス・キリストを通してであることを信じられなかったからです。しかし、彼らも主イエスの十字架と復活の後に、信じることができたのです(3)。わたしたちは幸いなことに、福音書によって、主イエスの十字架と復活の事実を知り、信じることができるのです。

    Ⅱ.「わたしは道であり、真理であり、命である」(6)。

    1. 「道」。父なる神への道です。道を教えるのではなく、主イエスご自身が道そのものであると言われるのです。だから、私たちは、主イエスご自身と一体となって、父なる神に至るのです。主イエスの血潮を信じて、大胆に神に近づくことができるのです(ヘブル10:19-25)。最後の安住の場所があるのです。そして、今、同伴者なる主イエスと共に人生を歩むことができるのです。 「神は唯一であり、神と人との間の中保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」(1テモテ2:5)。
    2. 「真理」。信頼できる、うそではない、本当という意味です。真理を教えるのではなく、主イエスご自身が、真理そのものです。主イエスの言葉と行為によって判断できるのです(10-11)。そして、その道を安心して歩むのです。主イエスの救いによって与えられる真理の御霊は、「罪と義とさばき」を示されます(ヨハネ14:7)。
    3. 「命」。人は、「道」がわかっても、力がなければ、歩むことはできません。また、罪と死に勝つ力はありません。だから、主イエスご自身が「命」となって、神による復活の力を与えてくださるのです(Ⅱコリント1:8-10)。

    キリスト以外には、救いはないのです。他に付け加えてはならないのです。ただ、道、真理、命である主イエス・キリストだけを信じましょう。

    教会の各活動


    異端カルト対策講演会にて
    午後は、異端カルト対策講演会(小岩裕一師)が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(10月27日)10:30~12:00

    聖書:ルカによる福音書24章49節
    題:父の約束
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:356、416



    ○聖書研究祈祷会 木曜日(10月29日)19:30~21:00


    聖書:使徒行伝 1章1-13節
    題:聖霊の降臨
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌: 42、135、414



    ○主日礼拝 来週日曜日(11月1日)10:30~12:00


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:10  詩篇31篇
    聖書:Ⅰヨハネ書3章10-18節
    題:行いと真実をもって愛し合おう
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:22、367、364

    2015年10月18日日曜日

    主日歓迎礼拝「ほんものの愛」

    礼拝メッセージ「ほんものの愛」ヨハネによる福音書3章16節


    長谷川ひさい師


    今日のみ言葉から、神の本当の愛がいかにすばらしいか学びましょう。人間は愛なしでは生きられない存在だと言われていますが、どのような愛を土台として生きてゆけばよいのでしょうか。もし、愛が当てにならないものであるなら、人生そのものが良い人生とは言えなくなります。しかし、確かで、唯一ですばらしい神の愛があります。今日の聖句は、聖書の中で真理が凝縮された、愛の証明を見ることができる聖句です。その愛が本物であるかどうかが、次の4つの点で確かめられます。

    Ⅰ. どれだけ犠牲を払うことができるでしょうか

    1. 「もし、人を愛するというならば、愛するという人のために死ねるということでなければならない」と言った人がいます。また、三浦綾子さんは、「ほんとうの愛は自分の最も大事なものを人にやってしまうことです。まことの愛とは、愛する人のために、どれだけ犠牲を払えるかによって量れます。
    2. 神は、信仰の篤いアブラハムをテストしました。彼は跡継ぎの息子がなかなか与えられませんでしたが、百歳を過ぎて約束通りの息子が与えられ、イサクと名づけ深く愛しました。ところが、神はその子をささげなさいと言われました。彼は神に従い指定された地に行き、イサクを神への生けにえとして祭壇の上に横たえ、ほふろうとした時、主の使いが、「わらべを手にかけてはならない…あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」(創世記22:12)と声をかけました。彼にとって最愛の最も大切なひとり子を、神のために惜しまないでささげようとして、神への愛が本物であったことを示したのです。神もご自分の最も大切なひとり子の、イエス様のいのちを犠牲にされるほどに、私たちを愛してくださったのです。払われた犠牲の大きさから、神の大きな愛を見ることができるのです。

    Ⅱ. 愛の純粋さと高さは、誰のために犠牲を払うのか。その対象によって知ることができます

    1. アブラハムも神もひとり子を犠牲にし、一見似ていますが大きな違いがあります。その違いは、愛の対象が異なっています。アブラハムは、神のみ言葉に従って故郷のウルを出てカナンの地に来ました。そして、「あなたは祝福の基となる」(創世記12:2)との約束を受け、神は財力において特別な祝福を彼に与え、大いなる勢力をもつ一族とされました。それを知っていたので神の言葉に従い、ひとり子をささげました。しかし、神は、神に背いている世の人々の罪の身代わりとして、ご自分のひとり子を提供されたのです。
    2. 人間の愛は、「~だから」や「もし…ならば」の条件付の愛です。もし、神が条件付の愛で愛するなら、愛される資格がある人がいるでしょうか。神の愛は、私たちが罪人であり、愛される資格も価値もない者のために、最大の犠牲を払った本物の愛なのです(ローマ5:7)。

    Ⅲ. 愛の目的は何なのでしょうか

    その目的は、「ひとりも滅びないで、永遠の命を得るため」です。神がひとり子を与え、イエス様が十字架で血を流し、命をささげてくださったのは、神から離れ、神に背を向けて罪を犯し、滅びに向かっている人々を罪から救い、永遠のいのちを与えるためでした。

    Ⅳ. この愛を受け取るには、どうしたら良いのでしょうか

    受け取る条件は、私の罪のためにイエス様が死なれたことを信じ、感謝して受け取ることです。今朝、神の本物の愛を全員受け取っていただきたいと、神は願っています。



    教会の各活動


    会堂の床と扉が改装されました
    午後は、壮年会(学び会)が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(10月20日)10:30~12:00


    聖書:詩篇86篇6節
    題:泉のわく所
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:339、399


    ○聖書研究祈祷会 水曜日(10月21日)19:30~21:00


    聖書:ローマ書10章10-11節
    題:救いの恵み
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:195,262、265


    ○主日礼拝 来週日曜日(10月25日)10:30~12:00


    招詞:ローマ書12章1-2節
    交読文:14 詩篇37篇
    聖書:ヨハネによる福音書14章1-6節
    題:キリストは道、真理、命
    説教者:小岩裕一師
    新聖歌:354、355、395

    2015年10月11日日曜日

    主日礼拝「今や神の子なのだから」

    礼拝メッセージ「今や神の子なのだから」ヨハネの第一の手紙3章1~10節


    長谷川和雄師

    中心聖句
    「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである」
    ヨハネの第一の手紙3章6節


    私たちが家に帰るのは、そこに愛があることと同じ理由で教会に集まるのではないでしょうか。神の愛と恵みを豊かに受けて、天の御国に帰る備えのため、神の子どもに相応しく整えられるのです。一人ひとりがキリストのからだとして生かされているでしょうか。

    Ⅰ. 神の子とされた私たち

    1. 私たちは御父なる神から大きな愛をいただきました。愛することは、決して真似ることができません。愛は内から出てくるものです。また、愛されてはじめて愛することができるのです。教会で、お互いが愛し合うことによって、愛が分かってきます。そして、神の愛の偉大さを知るようになるのです(エペソ2:3-5)。変わろうと思っても変われない私たちですが、愛され愛を知ったとき、愛を体験したとき変わることができます。神の愛を豊かに受けるとき、私たちの内から愛が湧き出てくるのです。
    2. 神の愛によって備えられている贖いの恵みを信じ、その恵みを受け取るだけで、私たちも神の子ども、神の家族とされるのです(ローマ8:14、エペソ2:16、19)。キリストの霊に導かれて歩む者は、神の栄光を見るのです(ヨハネ17:24)。3)主にとどまり、主と共に歩むなら、主にまみえる日には主と同じ姿に変えられるのです(2)。なんと感謝なことでしょう。神の子どもとされたのですから、神の愛に生かされ、キリストを見上げて歩む者とならせていただきましょう。

    Ⅱ. 罪の内を歩まない神の子

    1. 主が聖いお方だと知ったなら、神の子どもとされた私たちは聖く生きたいと願うでしょう。しかし、聖い主にとどまって歩むほど、自らの罪や汚れがあらわにされていきます。外側だけを整えようとしても、決して主の聖さに近づけません。自分の罪が示されたとき、主の十字架を仰ぎ、主に憐れみを求めていくことが大切です。これこそ神の子どもの姿です。そして、世の助けを求めず、無私になって神の御旨に生きること、神に栄光を帰す生活を送ることです。
    2. 世に心が向いている者は罪を犯し続け、神の臨在を覚えず、神のみこころを知ろうともせず、神に背き、自分勝手に生活します。しかし、主は罪を取り除き、主の心を知らせるために現れてくださいました。私たちが義とされるのは、主の血潮以外にありません(1ペテロ1:18)。惑わす者に惑わされないように、神のみ前を歩み、み言葉に生き続けましょう。

    Ⅲ. 神の子の証し

    1. 神の子どもであるのかどうかは、その人の歩み、生活を見れば明確です。人に認められ、褒められたくて生きているのか、それとも神に喜ばれ、神のために生きているのか。積極思考、成果主義などに生きて自分に誉れを帰しているのか、それとも神が成してくださったと感謝し、神に栄光を帰す生活をしているかで分かります。
    2. 私たちはキリストのゆえに、サタンの支配から神に立ち返らせていただけるのです(使徒行伝26:18)。生まれ変わるとは、神のご支配の下に移され、光の子とされることであり、自らの罪深さを認めて、主に憐れみを求め、拠り頼んで生きることです(エペソ4:25-5:8)。
    3. フランス革命の時、革命家たちは王子の品性を破壊しようとしました。しかし、王子は「わたしは王になるために生まれたのだからできない」と言って、悪の誘惑に負けませんでした。神の子どもとされた私たちは、悪の誘惑に負け、神に逆らって生きるのではなく、神に愛されている神の子どもとして、主が歩まれたように悪の仲間に加わらず、神に近づき、み言葉に従い続けて歩みましょう。


    教会の各活動


    午後は、CS教師会が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(10月13日)10:30~12:00


    聖書:詩篇86篇6節
    題:泉のわく所
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:339、399



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(10月14日)19:30~21:00


    聖書:使徒行伝 1章12-26節
    題:聖霊待望と使徒補充
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:2、408、392



    ○主日歓迎礼拝 来週日曜日(18日)10:30~12:00


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:59  Ⅰヨハネ書4章
    聖書:ヨハネによる福音書3章16節
    題:ほんものの愛
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:18、108、89

    2015年10月4日日曜日

    主日礼拝「反キリストに対する態度」

    礼拝メッセージ「反キリストに対する態度」ヨハネの第一の手紙2章18~29節


    長谷川和雄師


    光の中を歩むクリスチャンが、この世にあって警戒すべき第1のことは、「世を愛する」ことでした。そして、第2のことは、「反キリスト」です。

    Ⅰ. 今は終わりの時…

    1. 神のご計画全体の中で、今がどのような時であるのかを知り、今を見失ってはいけません。「今は終りの時」とは、神のご計画の最終段階、主の誕生から再臨までの全期間をさしています。キリストの再臨が間近なのです(ローマ13:11)。世の終りには反キリストや不法の者が現れ、困難な時代となります(ルカ21章、2テサロニケ2:3-4、2テモテ3:1-5)。
    2. 「反キリスト」とは何でしょう。
      1. 教会との関係が崩れている者です。どんなに人間的に親しくなっても、信仰告白においてひとつになれない者は、神の家族とはなれません。教会を支配しようとしたり、教会から出ていって嘲ったり、迫害する者です。
      2. 教えの内容が異なる者です。神のこと、イエス様が救い主であることを否定します。
      3. 生活態度をみると、それは明らかに異なります(2ペテロ2-3章)。彼らは生活の中で、主を証しする生活をしていません。しかし、天国への門は狭いゆえに、神を畏れて生きる者たちは、彼らに攻撃されることがあります。
    3. 反キリストに惑わされないためには、それを見分ける必要があります。また、見分けるためには、本物を知ること、何よりも自分自身が本物のクリスチャンとなっていることが大切です。本物のクリスチャンは救いの確信があり、聖霊に満たされ、み言葉に満たされ、み言葉に生きています。目を覚まして歩みましょう。

    Ⅱ. 正しい信仰告白にとどまる…

    「偽り者」とは、正しい信仰告白から外れた者です。終りの時に反キリストに惑わされないためには、正しい信仰告白にとどまることが必要です。「初めから聞いた」こととは、キリストの十字架と復活の福音です。福音に生きる者とは、主こそ罪からの救い主であると信じ、このお方に賭けている人です。主が完成された方で、賢く、善良で、奇跡の力を持っている人間というだけであるなら、模範として真似をすればよいのです。しかし、真似をすることではなくて、私の唯一の罪からの救い主として信じ、この方により頼んでいることが大切です。また、御子および御父の内にとどまることです。とどまるとは、それを試し、見抜き、勝利を得るということです(黙示録2:2参照)。真理にとどまっているからこそ、光である神との交わりの中にとどまり、主が約束された永遠の命を受け継ぐことが出来るのです。

    Ⅲ. キリストにとどまる…

    反キリストは教会から出て行きますが、惑わす者は教会内に留まっています。もし、スパイが自制心、謙虚、大胆、誠実、冷静な判断と燃える心、清潔な手をもっているとしたら、誰が見分けられるでしょうか。反キリストも、光のみ使いを装っています(2コリント11:12-15)。それゆえ、私たちは主の内にとどまり、正しい信仰を守り通すことが重要なことです(ヨハネ15:4-5)。主にとどまるとは、主と共に歩み(2:6)、主を信頼し(28)、罪のうちを歩まないで(3:6)、神の命令を守り(3:24)、主を神の子と告白すること(4:15)です。また、「義」とは神との関係をあらわしています。行いによらない、主を信じる信仰による義です(創世記15:6)。この世的基準に合わせることではありません。神に対する正しいあり方、つまり、主につながっていることです。私たちは主の内にとどまり、神の愛を豊かに受けて、兄弟愛を実行する者とならせていただきましょう。




    教会の各活動


    午後は、教会役員会が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(10月6日)10:30~12:00


    聖書:イザヤ書49章15節
    題:女たちが忘れても
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:191、205


    ○京都聖会準備祈祷会 水曜日(7日)19:30~21:00


    聖書:ローマ書12章1~5節
    題:きよめのプロセスと目的
    説教者:内田純師
    新聖歌:22、365,400


    ○主日礼拝 来週日曜日(10月11日)10:30~12:00


    招詞:ヘブル書4章14-16節
    交読文:11  詩篇32篇
    聖書:Ⅰヨハネ書3章1-10節
    題:今や神の子なのだから
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:178、266、357

    2015年9月27日日曜日

    主日礼拝「世を愛さず、みこころを歩む」

    礼拝メッセージ「世を愛さず、みこころを歩む」ヨハネの第一の手紙2章12~17節


    長谷川和雄師


    光の中を歩む者が、この世にあって勝利してゆくことを進めるに当たり、

    Ⅰ.クリスチャンが身分と経験を再確認…
    1) 「子たちよ」と、信仰を継承し救われた者に呼びかけ、様々な確認事項を提示しています。罪の赦しはクリスチャンの信仰生活の土台です。主の身代わりの死を信じる信仰のゆえに罪を赦され、神の子とされ、「天の父よ」と親しく祈れるのです。しかし、それを知識として知っているだけでは信仰の土台が崩れます。だから、父なる神と深く交わり、その愛を深く知り、最善をなされる神を体験し、何でも神に祈り、応えられる関係になることを勧めます。罪を赦され、主の恵みを知った者は、着飾らずに神の前にありのままに生きられるのです。心の内を真実に神に告げる時、自らの姿が現され、罪の告白や反省の時が与えられ、神からみ言葉の力をいただけるのです。
    2) 救いの恵みを知った年配の方は、神なるキリストを深く知り、神との親しく交わり、従順と愛と信頼の関係を築きます。若い信仰者は、神のみ言葉が心の内にとどまり、自分の弱さ罪深さを知り、み言葉に賭けて生き、世に勝利した主が共に居られ、悪に打ち勝ちます。子どもたちも父なる神を畏れます。

    Ⅱ.世と世にあるものを愛するな…
    1) 救いの恵みを知っている者は、どのように歩むべきでしょうか。世と世にあるものを愛するのではなく、神を愛しましょう。人はふたつのものを同時に愛することはできません(マタイ6:24)。クリスチャンとして、父なる神の愛、ご自分の命まで投げ出して愛してくださった主を裏切り、他のものを愛することはありえません。そのような者は姦淫を犯す二心の者であり(ヤコブ1:8)、神に忌み嫌われる者です。世を愛することは神に敵することであり、自分を神の敵とします(ヤコブ4:4)。パウロと共にいたデマスも(コロサイ4:14、ピレモン24)、世を愛しパウロを捨てました(2テモテ4:10)。
    2) 世にあるもの、世からでたものは、父なる神が与えてくださったものとは異なるものです。
    肉の欲。この世の価値観から損得勘定や気分次第の行動をとるなど、人間が生まれつきもった心の欲です(エペソ2:3)。
    目の欲。肉の欲の入り口です。エバも木の実を見て、誘惑に負けました(創世記3:6)。視覚、聴覚、嗅覚、食感、触感から来る誘惑です。人間はなんと誘惑に負けやすいものでしょう。
    暮らし向きの自慢。これは持ち物への欲であり、持っている物を自慢することです。世と世の欲は滅び去るゆえに、私たちはこのようなものを愛するべきではありません。永遠の滅びを前にしたら、この世のことに心を動かすべきではありません。この世は過ぎ去るので、世の富(知識、財産、権力、友など)を用いる者は用い過ぎ、深入りしないようにすべきですとも警告しています(1コリント7:21)。永遠でないもの、長続きしないものに心を奪われないように気をつけましょう。それに対し、永遠に続くものは神のみこころです。そして、神のみこころを行う者はいつまでもながらえます。私たちが神のみこころを知るためには、自分のありのままの思いを神に告白し、その思いも、これから起こるであろうことも、全てを神に委ねて祈ることが大切です。みこころを求めて祈り続け、み言葉によってみこころが示されたならば、主の最善を信じて従うことです(マタイ7:21)。もし、世にあるものを愛していたならば、素直に告白し、十字架の血潮を仰ぎ、罪の赦しを受け、神のみこころを祈り求め、行う者へと変えていただきましょう。



    教会の各活動


    CSレクリエーション「沢ガニ捕り」の様子
    午後は、CS秋のレクリエーション「沢ガニ捕り」が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(9月29日)10:30~12:00


    聖書:詩篇143篇8節
    題:朝にあなたの恵みを
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:18、190



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月30日)19:30~21:00


    聖書:ヨハネによる福音書15章6節
    題:必要が与えられる
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:191、258、275



    ○主日礼拝 来週日曜日(10月4日)10:30~12:00


    招詞:申命記6章4-5節
    交読文:14  詩篇37篇
    聖書:Ⅰヨハネ書2章18-29節
    題:反キリストに対する態度
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:21、148、275

    2015年9月20日日曜日

    主日礼拝「主を待ち望む者に」

    礼拝メッセージ「主を待ち望む者に」イザヤ書40章27~31節


    長谷川和雄師


    敬老祝福祈祷の様子
    人生は待つことが多いのですが、待つとは、時が来るまで何もしないで祈ることです。楽なようですが、時には動き回った方が楽です。高齢者が心がける事は身辺整理、健康面・精神面・環境面・経済面の備えです。クリスチャンの高齢者は、自らの信仰生活を振り返り、悔い改めるべきは悔い改め、永遠の備えをし、主を待ち望みたいものです。

    Ⅰ. 希望を失った者(27,30)…
    1) 主を見失う民(27)。イスラエルの民がバビロン捕囚の寸前の厳しさに希望を失った時、神に慰められましたが(40:1-2)、祈りが聞かれないのは、自分の正しさに立ち、自分の力や知恵に頼り、主により頼まないからでした(イザヤ59:1-2)。
    2) 疲れ果てる(30)。そのような時、血気盛んな青年も、少しの困難にも屈しやすく頼りになりません。若者が自分の力に頼るのは当然であり、壮年が若者より人生経験から巧みに生きるのも当然です。しかし、若者も壮年も、善を行うことに疲れています(ガラテヤ6:9)。

    Ⅱ. 待ち望む…
    1) 待ち望むべき方。主を待ち望む者は恥を見ません(イザヤ49:23)。何を待ち望むのですか。聖霊降臨と主の再臨の約束を信じて待ち望みます(使徒1:4-5、9-11)。主は、全き牧者であり、私たちの涙を拭い(黙示録7:17)、主の臨在が常にあります(1テサロニケ4:17)。
    2) 待ち望む者の備え。
    準備の必要。この世を追い求め、神に対して死んでいる者は実を結べません(ローマ6:23)。しかし、生ける主の臨在を覚えて歩む者は、主と同じみ姿に変えられ(2コリント3:18)、主を待ち望む者に義の冠が与えられます(2テモテ4:8)。
    再臨が何時であるか分からないので、主に会う備えのために、目を覚ましている必要があります(使徒1:7、マタイ25:13)。
    どのように準備するのか。主にしっかりと繋がり(1ヨハネ2:28)、神の前に清い歩みをし(1ヨハネ3:3)、御前に恥じ入ることのない歩みをしましょう。
    3) 待ち望む内容。
    キリストに似た者とされます(1ヨハネ3:2)。
    卑しく弱い体を栄光のからだに変えられます(ピリピ3:21)。
    死ぬからだが贖われ、罪を犯さない全き者にされます(ローマ8:23)。
    朽ちない、栄光ある、強い者にされます(1コリント15:42-49)。
    神を愛する者に、全てのことを働かせて益として、御子のかたちに変えられます(ローマ8:28-31)。

    Ⅲ. 待ち望む者に与えられる力(28、29、31)…
    1) この世に期待し望みをおくことではなく、主に期待し望みをおくことです。真の神は疲れず、ふらつきません(28)。
    2) 鳥の王である鷲が、強く高く飛ぶために10年に一度羽が生え変わために古い羽を落とす必要がありますが、羽を強風で飛ばしたり、強風に乗って岩に体をぶっつけ血だらけになり古い羽を落とし、新しい羽が生えるのを待ちます。私たちも、人生に色々な困難が襲います。神は私たちを主のみ姿に変えるための訓練をされます。その時の訓練は神の最善と信じ、耐え忍んで待ち望みましょう。
    3) 私たちは自分の力や知恵や知識に頼りがちですが限界があり、行き詰まるのです。自分や人や世の流れに頼る時、期待が裏切られますが、生ける主を信頼し、主を待ち望む者は、主から新しい力をいただき、困難を乗り越える力を与えられ、主にあって着実な歩みを全うすることができるのです。鷲は断崖絶壁に巣を作り、巣立ちは親が子を巣から押し出すようにしますが、子鷲が思い切って飛び出し羽を広げると飛べるのです。私たちも主に任せて従う時、神の支えと祝福があり、感謝と喜びに満たされるのです。



    教会の各活動


    午後は、CS教師会が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(9月22日)10:30~12:00


    ※祝日のため休会します



    ○聖書研究祈祷会 木曜日(9月24日)19:30~21:00


    聖書:使徒行伝1章6~11節
    題:聖霊降臨と再臨
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:131、465、416

    ※木曜日ですのでご注意ください



    ○主日礼拝 来週日曜日(9月27日)10:30~12:00


    招詞:ローマ書12章1-2節
    交読文:3  詩篇16篇
    聖書:Ⅰヨハネ書2章12-17節
    題:世を愛さず、みこころを歩む
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:101、379、385

    2015年9月13日日曜日

    主日歓迎礼拝「わたしのもとにきなさい」

    礼拝メッセージ「わたしのもとにきなさい」マタイによる福音書11章28節


    長谷川ひさい師


    今日のみ言葉から、生き生きとしっかり生きる生き方を学びましょう。

    Ⅰ.元気を回復する…
    1) 私たちは、「お元気ですか」との挨拶を何気なしに使っています。三浦綾子さんは「元気」は生きることへの意欲だと言っていますが、皆さんは元気ですか。
    2) 昨今、「疲れた」との言葉を残し亡くなる大人や子どもが多く、社会問題になっています。人間として意味や目的のない生活を強いられることは疲れ、耐えられません。主は、疲れている人に、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(新改訳)と言われました。この「休ませて」とは、楽をさせてという程度の言葉ではなく、ある英訳では、「元気を回復してあげます」と積極的な意味を持っています。
    3) 私は、お花や観葉植物が大好きですが、時々水やりを忘れ、後に水をあげますと元気を回復し、生き生きと輝きます。私たちも主の下に行くなら、生き生きと輝けます。なぜなら、主は「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか…その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」と約束されました。

    Ⅱ.主の下で元気を回復する…
    なぜ、主の下に行くと元気が回復されるのでしょうか。
    1) 生きる意味を発見する。人の疲れは、意味がわからずに生きることを強いられているからです。創世記に、ヤコブがラバンの娘ラケルを愛しましたが、そのことを知った父ラバンは、「娘がほしかったら7年間私に仕えなさい」と言われ、彼はその通り仕えましたが、「ヤコブは七年の間ラケルのために働いたが、彼女を愛したので、ただ数日のように思われた」(創世記29:20)のです。しかし、いやな人のためだったら、そのように思えないのは不思議です。私は、神から主の救いを伝える使命が与えられたので、私の両親と長谷川先生の父の遠距離介護を25年間できました。介護を通して救いのみ業がなされ、その介護は大変でしたが喜びとなり、25年間は「あっ」という間でした。そして、それぞれの両親が主を信じ、私の両親と長谷川先生の父は輝いて平安のうちに天国に移されました。家族にとって、天国があること、主の救いを受け入れ、魂に平安が与えられ、死の恐怖に勝利した姿を忘れることができません。
    2) 主が、罪や心配事を負い、取り去られます。人の心を重く暗くしているのが罪です。罪の誘惑は、最初は甘く、また絹糸のように美しく、柔らかく軽いのですが、一度罪のとりこになると、酒や快楽で気を紛らわしても、罪の力は鉄の鎖のように心に重くのしかかります。あるフランスの心理学者は、「人の心から罪意識からくる不安を完全に取り除くことができたら、世界中の精神病院は9割空になるだろう」と言いました。心から罪を認め、主の十字架は私の罪の身代わりであったと信じ受け入れるなら、罪の重荷を背負って苦しまなくてよいのです。
    3) 主は復活し、今も生きていて、永遠の命の交わりが与えられます。生ける神と、祈りを通して親しく交われることは何と感謝なことでしょうか。全てを主にお任せし、主に教えていただきながら、日々を生き生きと生きることができるとは何と感謝で、平安で、安心なことでしょうか。人間関係で疲れきっていた私が23歳の時、このみ言葉に導かれ教会に行き、主にあって罪を赦され、重荷を下ろし問題が解決し、永遠の命をいただき、神と交わり、祈りが聞かれ、いのちの道を歩ませていただきました。皆様も主の下に行きましょう。



    教会の各活動


    卓球大会の様子
    午後は、青年会主催の全体行事「卓球大会」が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(9月15日)10:30~12:00


    聖書:ヨブ記17章12節
    題:やみから光
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:358、428




    ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月16日)19:30~21:00


    聖書:使徒行伝1章1~5節
    題:聖霊降臨を待ち望みなさい
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:258、133、409



    ○主日礼拝 来週日曜日(9月20日)10:30~12:00


    招詞:詩篇103篇1-2節
    交読文:21  詩篇62篇
    聖書:イザヤ書40章27-31節
    題:主を待ち望む者に
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:2,348,315

    2015年9月7日月曜日

    9/13 「卓球大会」のご案内

    ※この記事は、9/13の「卓球大会」のお知らせです。

    京都信愛教会ではこのたび、青年会主催の行事として「卓球大会」を行う事になりました。

    大会と称していますが、実力に応じたダブルス戦を設けますので、どのレベルの方にも楽しく汗をかいていただけます。もちろん、最終的に勝利したチームが優勝となります。

    卓球のプレイが難しい小さなお子様向けの遊び場も設けます(ブロックや汽車遊び、ボードゲームなど)。保護者の方とご一緒にお越しください。

    どなたでも入場無料です。「教会に一度は足を運びたかった」という方も、ぜひお越しください。

    詳しくは、下のチラシをご覧ください。




    ■日時


    2015年9月13日(日) 13:00~15:00


    ■会場・お問い合わせ


    日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
    京都市北区大将軍坂田町21番地12
    TEL(075)461-1938
    牧師: 長谷川和雄
    副牧師: 長谷川ひさい
    ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

    2015年9月6日日曜日

    主日礼拝「光の中の新しい戒め」

    礼拝メッセージ「光の中の新しい戒め」ヨハネの第一の手紙2章7~11節


    長谷川和雄師


    神を交わり、恍惚状態を経験する霊的状態にあることを自慢する者がいますが、それらは信仰生活の真理を証明する証拠にはならないとヨハネは記します。主は、父なる神を離れて、ご自分の業を誇りませんでした。パウロや使徒たちもそうでした。彼らの霊的格調の高さ、癒しの力、偉大な働きなどを思えば誇っても問題がないように思いますが、彼らは決してそれらを誇らず、「自分の弱さ以外には誇ることをすまい」(2コリント12:5)と言ったくらいでした。

    Ⅰ. 古くて新しい戒め(7)…
    1) 「愛する者たちよ」と呼びかけて、主にある愛を示し、人々を戒めました。
    2) グノーシス主義者たちは、神から啓示を受け「新しい教え」を持っていると誇りました。しかし、ヨハネは主から新しい戒めを与えられたと記します(ヨハネ13:34、1ヨハネ3:23・24)。
    3) 「新しい戒め」とは、クリスチャン生活のルール、規範、神のみ旨です。偶像の神々と生けるまことの神と違うように、主が教えた「人を愛する」とは、道徳の愛とは異なります。この世の愛は自分の得になるものや、見返りを求めますが、主の愛は自分を犠牲にして極みまで人を愛する愛、敵をも愛する愛です。それは、ご自分を犠牲にしてまでも死なれた十字架から知ります。主が弟子たちの足を洗ったのは、主が己に死んで仕える愛を表したのです(ヨハネ13章参照)。主によって始まった、この愛に生きることが新しい命令です。

    Ⅱ. 真理にある歩み(8)…
    1) 愛を学び愛そうと努力し人の愛を真似ても、根本的に異なる愛であり、真の愛を得られません。かえって偽善者になり、信仰生活に疲れ、信仰を失いかねません。
    2) 主の愛を知り、主によって新しく造り変えられ、真の自由を得て、神の前に真実に生き心から喜んで奉仕をする者は何と幸いでしょう。愛がないのにあるかのように振舞い、表面的に着飾っても、何か問題が起きた時には崩れ、本来の姿があらわにされます。神は全てをご存知であり、根本的な偽りを全て見抜いておられるので惑わされません。私たちは、着飾り人の真似をやめ、キリストを模範とし、「主よ、私には愛がないのです」と、主に憐れみと愛を求めましょう。主は、私たちに主のまことの愛を与え、キリストの心を自らの心として生きる者とされるとき(ピリピ2:1-11)、内からまことの愛が溢れてくるのです。

    Ⅲ. 兄弟愛に生きる(9-11)…
    1) 今は闇が去り、主の愛の光が輝いているので、いつでも神の愛の中に飛び込めます。しかし、闇の生活をしているのは、主の愛の中に生きていないからではないでしょうか。主の愛と恵みに生きる者は、信仰の交わりをする主にある兄弟を憎めないのです(3:13)。
    2) 人は、つまずくと怒りが出てきます。子どもを怒らせ、つまずかせたら感化を与えられません。主の薫陶(主の薫り)によって育てましょう(エペソ6:4)。主にある兄弟だったら、忠告し、「光の中にいる」ようにと、主は言われました(マタイ18:15-17)。十字架の光の下、血潮を仰ぎ、悔い改め、罪を赦され、救われ受洗に導かれた光に歩み、信仰に生きる者は己に死ねるので、自分も他人もつまずかせないのです。3)兄弟を憎む者は感覚で歩み、闇の中を何処へ行くのか分かりません。自己中心であり、競争し、争い、心の底で憎み、無視するので、信仰は成長しません。クリスチャンの愛は感覚でなく選択です。愛を感じようが感じまいが、その人の幸せに関心を持ちます。その人を愛する事を主にあって選んだのなら、愛せるように主が助けてくださいます。



    教会の各活動


    誕生者の祝福祈祷
    午後は、教会役員会が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(9月8日)10:30~12:00


    聖書:Ⅰコリント書13章4~7節
    題:愛をもって待ちましょう
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:310、216



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月9日)19:30~21:00


    聖書:ヘブル書4章16節
    題:クリスチャンの勝利
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:191、203、458



    ○主日歓迎礼拝 来週日曜日(9月13日)10:30~12:00


    招詞:マタイによる福音書11章28-30節
    交読文:18  詩篇50篇
    聖書:マタイによる福音書11章28節
    題:わたしのもとにきなさい
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:9、232、210

    2015年8月30日日曜日

    主日礼拝「キリストが歩まれたように」

    礼拝メッセージ「キリストが歩まれたように」ヨハネの第一の手紙2章1~6節


    長谷川和雄師


    神との光の中の交わりをすることによって、私たち兄弟姉妹も互いに親しい交わりをもち、喜びに満ち溢れるようになります。しかし、罪は無いとか、神が自分の内にあり、聖霊に満たされ、きよめられたので罪を犯さないという者は、高ぶって自分を神とし、自分を欺き、神を偽り者とし、真理もみ言葉も内にありません。だから、弁解、嘘、責任転嫁、自己憐憫に陥ります。ヨハネは、神の内に留まっているなら、主が歩まれたように歩みなさいと勧めました。

    Ⅰ. もし罪を犯す者があれば(1-2)…
    1) 永遠の滅びから救われ、永遠の命を与えられ、いのちである神との交わりを継続するのです。聖い神との交わりによって罪が明確に示され、罪の恐ろしさを知り、闇の中を歩めません。
    2) 聖い神との交わりを継続するために、御子が遣わされ贖罪のみ業を完成しました。私たちは神に罪を告白し、罪赦され、不義からきよめられ神と交われます。しかし、肉にある私たちは誘惑に負けやすく、誰も罪を犯すことから逃れられません。罪の告白によって簡単に罪の赦しときよめがあたえられ、罪の戦いから開放され義務も免除されたように錯覚し、罪を犯すことはしかたがないと開き直り、罪と戦わないで罪を犯し続けるのです。罪を犯すことへの無関心や罪を犯さないことへの怠慢に陥ってはいけません。ですから、日々主の前に出る必要があるのです。
    3) 罪の赦しは、神の慈悲や憐れみによって与えられると考える人がいますが、神の義が全うされることなしに罪の赦しはありません。神は戒めを曲げ、緩め、妥協して罪を赦したのではなく、罪のない「義」である主ご自身が私たちの律法の呪いと刑罰を引き受け、身代わりとなり十字架で死なれたので、神の義が満足されたのです(ピリピ2:8、1コリント1:30、1ペテロ3:18)。この主にある贖罪の御業を信じる信仰によって、義とされ大胆に神に近づくことができるのです(エペソ3:12、ヘブル7:19、ローマ3:23-28)。日々この恵みに生かされ、主は、義なる神の前に弁護してくださいます(ヘブル7:25)。日々、神の光の中に出させていただき、罪を罪として認め、主の十字架の血潮を仰ぎ、贖いの恵みを感謝しつつ歩みましょう。

    Ⅱ. 「神を知っている」とは(3-6)…
    1) 光である神と交わり、神を知っている人は、神の戒めを知り、光の中を歩みます。しかし、暗闇の中を歩いているなら、神と交わっていることは偽りです。罪深い私たちが神と深く交われば交わるほど、罪深さを知ることができます。そのために、主が贖いの供え物となってくださり、贖罪は「完了した」のです。罪びとの私たちが、光である聖い神と交われるようになるために、交わりを妨げる障害を、十字架の恵みで取り除いてくださったのです。
    2) 私たちが尊敬する人に倣おうとするように、キリストに倣い、神のみ心を求め、み言葉に聴き従いましょう。福音書を通し主の歩みを学ぶうちに、主をいよいよ深く知るようになります。口先だけで、み言葉への不従順は、キリストを現せません(テトス1:16)。
    3) パウロは、自分は完全な者だと言わず、主との再会を期待し、主を捕えようと日々追求しました(ピリピ3:12)。私たちも飾らず、ありのまま真実に神の前に出て、心の内にあるものを隠さず正直な祈りをしましょう(1コリント13:12)。キリストが神と親しく交わって歩まれたように、私たちも神と親しく交わり、神を深く知る時、益々神の前に真実になることが出来るようになり、益々キリストに似る者となるのです。




    教会の各活動


    三浦綾子文学講演会の様子
    午後は、三浦綾子文学講演会(講師:森下辰衛先生)が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(9月1日)10:30~12:00


    聖書:箴言28章1節
    題:やましさ
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:427、272



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月2日)19:30~21:00


    聖書:詩篇21篇1~13節
    題:砕かれた魂の喜び
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:263、343、264



    ○主日礼拝 来週日曜日(9月6日)10:30~12:00


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:37  詩篇119篇
    聖書:Ⅰヨハネ書2章7-11節
    題:光の中の新しい戒め
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:9,215,316

    2015年8月24日月曜日

    8/30 三浦綾子文学講演会(森下辰衛先生)のご案内

    ※この記事は、8/30の「初夏のチャペルコンサート」のお知らせです。

    京都信愛教会ではこの夏、三浦綾子文学講演会を行います。

    今回は三浦綾子読書会より代表の森下辰衛先生をお招きして、三浦綾子の文学についての講演をしていただきます。


    どなたでも入場無料です。「教会に一度は足を運びたかった」という方も、ぜひお越しください。

    詳しくは、下のチラシをご覧ください。




    ■日時


    2015年8月30日(日) 開場12:30 開演13:00

    講演タイトル「三浦綾子の人生で語る愛の軌跡と希望」

    ■講師: 森下辰衛

    1962年岡山県生まれ。1992年から14年間、福岡女学院大学で日本文学やキリスト教文学の授業を担当。
    2006年家族と共に『氷点』の舞台本林のある旭川市神楽に移住し、三浦綾子記念文学館特別研究員となる。
    現在は全国三浦綾子読書会代表として日本中を駆け回りながら、三浦綾子の心を語り伝えている。
    編著に『水野源三精選詩集』、『「氷点」解凍』など。
    NHKラジオ深夜便「明日へのことば」、ライフ・ラインなどに出演。


    ■「三浦綾子」とは…

    1922年北海道旭川市生まれの女性作家。
    結核の闘病中にキリスト教の洗礼を受けた後、創作に専念。
    1963年、朝日新聞社による懸賞小説公募に小説『氷点』を投稿、入選。
    大ベストセラーとなり、以後、『塩狩峠』『道ありき』などを発表。
    1999年に死去するまで、クリスチャンとしての信仰に根ざした著作を次々と発表した。

    ■会場・お問い合わせ


    日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
    京都市北区大将軍坂田町21番地12
    TEL(075)461-1938
    牧師: 長谷川和雄
    副牧師: 長谷川ひさい
    ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

    2015年8月23日日曜日

    主日礼拝「あなたはわたしの神」

    礼拝メッセージ「あなたはわたしの神」詩篇22篇1~22節


    福井文彦師

    詩篇 第22篇 聖歌隊の指揮者によってあけぼののめじかのしらべにあわせてうたわせたダビデの歌
    22:1わが神、わが神、
    なにゆえわたしを捨てられるのですか。
    なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、
    わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
    22:2わが神よ、わたしが昼よばわっても、
    あなたは答えられず、
    夜よばわっても平安を得ません。
    22:3しかしイスラエルのさんびの上に座しておられる
    あなたは聖なるおかたです。
    22:4われらの先祖たちはあなたに信頼しました。
    彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。
    22:5彼らはあなたに呼ばわって救われ、
    あなたに信頼して恥をうけなかったのです。
    22:6しかし、わたしは虫であって、人ではない。
    人にそしられ、民に侮られる。
    22:7すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、
    くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
    22:8「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。
    主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。
    22:9しかし、あなたはわたしを生れさせ、
    母のふところにわたしを安らかに守られた方です。
    22:10わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。
    母の胎を出てからこのかた、
    あなたはわたしの神でいらせられました。
    22:11わたしを遠く離れないでください。
    悩みが近づき、助ける者がないのです。
    22:12多くの雄牛はわたしを取り巻き、
    バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、
    22:13かき裂き、ほえたけるししのように、
    わたしにむかって口を開く。
    22:14わたしは水のように注ぎ出され、
    わたしの骨はことごとくはずれ、
    わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。
    22:15わたしの力は陶器の破片のようにかわき、
    わたしの舌はあごにつく。
    あなたはわたしを死のちりに伏させられる。
    22:16まことに、犬はわたしをめぐり、
    悪を行う者の群れがわたしを囲んで、
    わたしの手と足を刺し貫いた。
    22:17わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。
    彼らは目をとめて、わたしを見る。
    22:18彼らは互にわたしの衣服を分け、
    わたしの着物をくじ引にする。
    22:19しかし主よ、遠く離れないでください。
    わが力よ、速く来てわたしをお助けください。
    22:20わたしの魂をつるぎから、
    わたしのいのちを犬の力から助け出してください。
    22:21わたしをししの口から、
    苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。
    22:22わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、
    会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。
    この詩篇は、メシヤである主の十字架の苦しみを預言した有名な箇所です(1-18)。しかし、この箇所から、神への信頼、愛の摂理の神、答えてくださる神について学びましょう。

    Ⅰ. 神への信頼…
    1) 何の心配も無い家庭に育てられましたが、幼い時に人の死を目の当たりに見て、死に対する不安と恐怖を抱くようになりました。中3の時に教会に導かれ、主を信じ、真の神がいつも共にいてくださるのだから、この神についてゆくなら大丈夫だとの確信を与えられ、今日まで神を信頼して歩み、恐れからも開放されて生かされてきました。
    2) ヨセフは主の使いから、マリヤに与えられる男の子の名が、「神われらと共にいます」(マタイ1:23)であると言われたのに、「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか」(1、マタイ27:46)は矛盾するように受け取れます。しかし、主は民に誤解され侮辱されましたが、救い主として全人類の罪を背負い、私たちの罪の刑罰の身代わりとして十字架の上で死の苦しみを受けたのです(6、8)。何よりも神に見捨てられる苦しみを受けたのです。
    3) 私たちは主を信頼すればするほど困難に遭うことがあります。しかし、神を信頼する者を見捨てず、受け止め、助け、支えてくださいます(4、5、申命記33:27)。

    Ⅱ. あなたは私の神…
    1) 神は目に見えませんがいつも共にいて、全てをご存知であり、今に至るまで守り導いてくださるのです(10)。神は、両親を用いて私たちを創ってくださったのです。親は、与えられた子どもを愛して育てたのです。だから、子どもは親を尊敬すべきです(詩篇139:13-16)。
    2) 私たちが主の十字架を通して、神がどの様なお方であるかが分かる時、過去がどの様な人生であったとしても、神は人生に解決を与えてくださり、新しい人生が始まるのです(2コリント5:17)。これがイエス・キリストによる救いです。

    Ⅲ. 答えてくださる神…
    1) 年を重ねるにしたがって、主の十字架の苦しみがより深く悟ることが出来るようになりました。主は、弟子達にも裏切られ、その十字架の苦しみの最中にローマ兵が着物をくじ引きにしたのです(11)。私たちも人との交わりから阻害されるという、苦しみを受けることがありますが、そんな時、主の苦しみを思うとき慰められ励まされ、生きる力を与えられます。
    2) その苦しみの中から助けてくださいと祈る時、「あなたは私に答えてくださいます」(21、新改訳)と、神は解決を与えてくださるとの確信を与えてくださるのです。主は、十字架の上で完全に死なれましたが、3日目によみがえられたのです。主の復活こそ、苦しみの中で叫ばれた主への、父なる神の答えだったのです(24)。神学校卒業以来今日まで「自分を喜ばせようとするのでなく、神を喜ばせるように」を目標にし、心がけて歩んできました。しかし、時には自己憐憫に陥ったり、被害者意識になったり、絶望したりしますが、その時その時、必要な励ましのみ言葉を与え、助け支え導いてくださいます(ピリピ1:29)。
    3) 私たちが主によって救われたのは、やがて死んで天国において恵みを受けるために救われたのではありません。主にあって救われ、有り余る恵みを受けて歩み、周りの人々に主が生きておられること、主の救いの素晴らしさを、日常の生活を通して証しし、福音を伝えるために生かされているのです。日々の生活の中で困難がある時にも、見捨てることのない主を信頼し、み言葉に生きる者でありましょう。



    教会の各活動


    午後は、CS教師会と青年会(学び会)が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(8月25日)10:30~12:00


    ※8月は休会します



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(8月26日)19:30~21:00


    聖書:詩篇20篇1~9節
    題:王のための執り成しの祈り
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:494、459、196



    ○主日礼拝 来週日曜日(9月6日)10:30~12:00


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:37  詩篇119篇
    聖書:Ⅰヨハネ書2章1-6節
    題:キリストが歩まれたように
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:21、300,316

    2015年7月19日日曜日

    主日礼拝「主にある交わりの喜び」

    礼拝メッセージ「主にある交わりの喜び」ヨハネの第一の手紙1章1~4節


    長谷川和雄師


    「愛の手紙」「交わりの手紙」といわれるヨハネの手紙には、「教会」という語が一度も出ていません。しかし、神は愛ですから教会に愛の交わりがあるのです。教会は建物が問題ではなく、教会に集うクリスチャンの愛の有無が問われます。大きな建物に多くの人が集う教会、聖書知識の満ちた教会、共に力を合わせて奉仕する教会の交わりに愛がないとしたら、なんと空しいことでしょう。

    Ⅰ.いのちの言葉(1)
    1) ヨハネは福音書を「初めに」と書き出し、主が初めから父なる神と共におられ、天地を創造されたことを記しています(ヨハネ1:1-2)。
    2) この手紙は異なる原語の、「初めからあったもの」と書き出され、人類が罪を犯した時から神の救いの計画が備えられていたことを記しています。つまり、初めからあった「いのちの言」とは福音です。ヨハネは、創世記3章から預言され続けてきたメシヤが現れるとの預言を心に留めていました。
    3) ヨハネはそれだけではなく、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)である主に従い、共に親しく生活し、主の愛を深く感じる弟子でした。彼は、神であった主がこの世に人となって来られ(1テモテ1:15)、人間の罪の身代わりに十字架で死んで復活した主と交わりました。それゆえ、主こそ救い主であると信じ、宣べ伝えたのです。

    Ⅱ.告げ知らせること(2-3)
    1) 「永遠のいのち」である主が贖罪のみ業を完成され、この方を救い主と信じるなら永遠のいのちを受けます(ヨハネ3:16)。この永遠のいのちの恵みによって、神との親しい交わりによって神の愛を知り、喜びに満たされるので、人々に伝えずにはおれないのです。永遠のいのちは、人に伝える勇気と力と知恵を与えるのです。
    3) 「永遠のいのち」は、交わりを通して与えられたものです。愛され愛することや赦され赦すことは、神と自分との関係はもちろん、教会における交わりを通して体験することができます。しかし、人間の良心で善悪を判断し、自分の正しさに生きていては、神のみこころを知って罪を赦され、平安に生かされることはできません。自分の罪深さを認め、主の憐れみにすがり、十字架の血潮を仰いで信じ、その恵みに生き、その恵みを証し合うときに信仰の確信が与えられます(ガラテヤ2:19-21)。

    Ⅲ.神との交わり(3-4)。
    1) 私たちは礼拝に集い、主の臨在される礼拝堂で生ける神との交わりの恵を確認しあうのです。
    2) 教会は赦された罪人の集まりなので、様々な考えや判断があって、意見が食い違うこともあります。自分の意見を皆の前で言わないで、陰口を言うと教会に分裂が起きてしまいます。しかし、主の臨在の下で正直に自分の意見を出し、正々堂々と話し合い、理解し合い、受け入れ合うなら、問題は解決します(ローマ15:7)。
    3) 「交わり」は「知らせる」の意味もあり、知識、経験、祝福などを分け合うことです。交わりには言葉が必要であり、同じ恵みの知識を持つことが交わりの基礎です。全ての集まりの交わりの中で、権力や力で自分の思いを遂げようとして一致が薄れてしまっています。
    4) ヨハネが、父なる神と子なる神との交わりに、私たちが親しく交わることが出来ることを伝えたのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです(1ペテロ1:8)。み言葉は真実です。み言葉宣教に励みましょう。
    5) 父なる神と子なる神が一つであったように、主を信じた者が神と人と交わることによって完成された者と変えられるのです。神との交わりがあるところに主は臨在され、神の愛が満ちあふれるのです。



    教会の各活動


    青年会の特別賛美の様子
    午後は、CS教師会と臨時の教会役員会が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(7月21日)10:30~12:00


    聖書:ローマ書7章24節
    題:みじめな人間
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:282、264



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月22日)19:30~21:00


    聖書:ルカによる福音
    書18章39節
    題:神への要求
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:264、428、385



    ○主日歓迎礼拝 来週日曜日(7月26日)10:30~12:00


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:37  詩篇119篇
    聖書:ルカによる福音書10章38-42節
    題:なくてならぬものは一つだけ
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:1、38、324

    2015年7月12日日曜日

    主日礼拝「愛を追い求めましょう」

    礼拝メッセージ「愛を追い求めましょう」コリント人への第一の手紙13章13節~14章1節


    長谷川和雄師


    礼拝での山田律子先生の賛美
    賜物のことでコリント教会では分裂や争いが起こり、12章から霊の賜物を語ってきました。しかし、何を求めるよりまず愛を求めなさいと、最後に愛を目標に生きることを勧めます。愛に満ちた天国のような教会はなんと幸いでしょうか。愛を目標に歩みだしましょう。

    Ⅰ. いつまでも残るもの…
    目に見えるもの(地位・名誉・美しさ・お金・富・知識・命等)はいつまでも残りません。しかし、「信仰と希望と愛」は、いつまでも残るキリスト教の美徳です(ローマ5:1-5、ガラテヤ5:5-6、1テサロニケ1:3、5:8、1ペテロ1:21-22)。
    1) 信仰は神と私たちを結び付け、神と個人的に交わる毎に関係が深まり確信を得ます。
    2) 希望は永遠の救いに対する喜び、確信に満ちた期待であり、信仰によって与えられた約束を信じ疑いません。望みがかなうと希望はなくなると思われがちですが、神の栄光は満ちあふれ輝いています。それを望み続けるので希望はなくなりません。
    3) 愛は神と人に対する真心からの真実の愛です。愛が道徳であるなら、「愛さなければならない」と律法になります。愛そうと努力したり、愛の知識を蓄えても愛せません。愛されていると実感する時、愛を知り自分のものとなります。愛とは恵みです。主の十字架によって神の愛が分かる時、神を愛する愛が溢れ、人を愛する愛が増し加わり、永遠に続きます。
    信仰、希望、愛を木でたとえるなら信仰は支える根であり泉、希望は泉を汲み上げる幹、愛は豊かに受けた泉を注ぎだし、分け与えるのです。弟子たちを苦しめたパウロが、主を宣べ伝える信仰の人に変えられ、主を3度も裏切ったペテロが希望の人へと変えられ、怒りの子のヨハネが愛の人へと変えられました。私たちも愛の人へと変えていただきたいものです。

    Ⅱ. 一番のもの…
    なぜ愛が一番すぐれているのでしょうか。
    1) 神は愛そのものだから(1ヨハネ4:7-12)。
    2) 信仰や希望の源だから(1コリント13:4-8、ガラテヤ5:6)。
    3) 神と人を愛し、主の血によって贖われた神の教会を愛し徳を高めるから。
    「あなたの教会はどんな所ですか」と聞かれたら、教会に主が居られ、主の愛が満ち溢れる所なのですから。「主の愛があふれている所です」と答えたいものです。私たちは主の愛によって選ばれ、集められ、救われ、生かされ、新創造され、自分の愛のなさを認めて、神に愛を求め、教会員同士も互いに愛し合い、「信仰と希望と愛」の3つの中で一番すぐれている愛に生きる者とならせていただきましょう。愛は人を生かすのです。

    Ⅲ. 追い求めるもの…
    「愛を習得することを熱心に追い求めなさい。それをあなたがたの目標、大きな追及事項としなさい」(詳訳聖書)。愛は一人一人を神に導き、神の救いに導きます。愛を豊かに受けたウエスレーは「熱心と力と勇気と忍耐をもって求めなさい。さもないと得られないばかりか、持ち続けることができません」と言いました。パウロは、預言することを熱心に求めよと勧めます。預言とは、聖霊による説教と教えによって、神のご計画を解き明かし、福音を語り伝えることです。愛なる神によって受けた救いや恵み、神の守りや導きを、人々に分かるように証ししましょう。
    「目標、ビジョン、使命なき民は滅びます」とありますが、私たちは世のなにものにも代えられない、神の愛を選び、求めて生きていきましょう。神の愛を求めて生きるとき、私たちは愛の人に変えられ、教会は愛の教会と変えられ、神に喜ばれる教会となるのです。





    教会の各活動


    チャペルコンサートにて
    午後は、初夏のチャペルコンサート(山田律子先生、加藤泉氏)が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(7月14日)10:30~12:00


    聖書:哀歌3章36節
    題:黙って待つ
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:38、238


    ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月15日)19:30~21:00


    聖書:詩篇16篇1~11節
    題:訴えられた者の祈り
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:264、251、276


    ○主日礼拝 来週日曜日(7月19日)10:30~12:00


    招詞:申命記6章4-5節
    交読文:10  詩篇31篇
    聖書:Ⅰヨハネ書1章1-4節
    題:主にある交わりの喜び
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:201、238、316
    新聖歌:89、222、364

    2015年7月5日日曜日

    主日礼拝「愛は決して滅びない」

    礼拝メッセージ「愛は決して滅びない」コリント人への第一の手紙13章8~12節


    長谷川和雄師


    「全世界を愛することは骨折れることではない。私の本当の問題は隣人を愛することです」と言った人がいます。愛は尊いものですが、はかなく頼りにならないものです。そして人は皆愛を求めて生きています。私たちは滅びることのない神の愛を追い求めましょう。

    Ⅰ. 愛は決して絶えない(8)
    聖書は、「愛は決して滅びない」(新共同訳)と断言します。愛に比べ預言、異言、知識は滅びますが愛は絶えず、滅びず、永遠です。
    1) 愛は永遠のものです。人生の様々な問題に振り回されず「永遠のものさし」で物事を見る目こそ、「知恵のある心」です(伝道3:11、詩篇90:12)。
    2) コリント教会では、霊の賜物の一面を重んじ、霊の賜物のことで、高ぶり、さげすみ、ねたみ、ひがみが生じました。「永遠のものさし」で、それらを計ることによって、それらの霊の賜物はすたれることを明確にしました。
    ①預言・未来の事。みこころ、救いなどの預言は一部分であり一時的です。
    ②異言。異言が無秩序に興奮状態の中で語られ混乱しました(1コリント14:32-33)。天国では一つの言葉です。異言は一時的で、不完全で、部分的です。
    ③知識。知識は部分的で、不完全であり、一時的です。
    3) 私たちは絶えることの愛を熱心に追い求め、神と人を愛する愛で満たされましょう。

    Ⅱ. 賜物はすたれます(9-12a)
    この箇所に愛の文字はありませんが、愛は滅びず残ります。人の愛は不完全で、おぼろげです。世の終わりには神が完全に支配し、神の知識や預言は不要です。しかし、神の本質である愛は必要です。神の国、天国では愛が支配しています。童話の、「天国と地獄」では、天国と地獄は同じ環境ですが、地獄には他人のためにという愛がありませんが、天国には愛が充ち満ちているので、そこは天国だということです。今この世に、愛がないとすれば、そこは地獄の世界です。しかし、今の地上の世界では、まだおぼろげにしか行われないというのです。全くないというのではなく、少しはある、一部分はあるというのです(12)。今は不完全な愛ですが、罪から救われ、神の愛を知った者として、小さく未熟な愛に神の御手が働き光りをともせます。ここでの「幼な子」とは幼児性で、自分中心で、わがままな意味で、自分が幼子であった時にはこうであったのです。しかし、「わたしたちは、今は」、福音を知りキリストに会い、神の愛を知った今はもう幼児性を捨てたのです。人の愛に躓き、人は愛に乏しく、貧しいかに気づくと人は神の愛を受けて、人を愛することができるような大人になるのです。そしてその愛が、終末の時に完成するとの希望をもっているのです。

    Ⅲ. 主の再臨のときの愛(12b)
    主が現れる時、私たちは主に似る者となります(1ヨハネ3:2)。その時に私たちも神と顔と顔を合わせられるのです(12)。今は、神を完全に知ることはできませんが、神が私たちを完全に知っておられます。ですから、この地上の私たちの愛の貧しさ、不完全さを知りながら嘆くのではなく、希望をもてるのです。そうであるならば、この世で生きている私たちにとって大切なことは、自分の愛の貧しさ、愛の不完全さを知ることです。そうした自分の愛の幼児性、いつも自分のことばかり考え、相手のことを思うことより自分のことを思ってしまう、自分の愛の幼児性に気付き、その幼児性を捨てて、大人の愛に目覚めることです。少しでも子どもっぽい愛を捨てて、永遠に滅びることのない愛を追い求め、神に会う備えを致しましょう。




    教会の各活動


    礼拝での聖餐式の様子
    午後は、教会役員会が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(7月7日)10:30~12:00


    ※教区婦人部修養会のため休会します



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月8日)19:30~21:00


    聖書:エレミヤ書33章3節
    題:あなたに答える
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:41、481、190



    ○主日礼拝 来週日曜日(7月12日)10:30~12:00


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:57  Ⅰコリント書13章
    聖書:Ⅰコリント書13章13-14章1節
    題:愛を追い求めましょう
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:89、222、364

    2015年6月29日月曜日

    7/12 初夏のチャペルコンサート(山田律子・加藤泉)のご案内

    ※この記事は、7/12の「初夏のチャペルコンサート」のお知らせです。

    京都信愛教会ではこの7月、初夏のチャペルコンサートを行います。

    今回は日本メノナイト・ブレザ レン教団寝屋川キリスト教会より、山田律子先生・加藤泉氏をお招きして、素晴らしい演奏と声楽をしていただきます。

    どなたでも入場無料です。「教会に一度は足を運びたかった」という方も、ぜひお越しください。

    詳しくは、下のチラシをご覧ください。




    ■日時


    2015年7月12日(日) 開場12:30 開演13:00

    ■ソプラノ: 山田 律子


    大阪音楽大学音楽学部声楽科卒業。
    ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院に学ぶ。
    ドイツリート、オラトリオを中心に数多くの演奏会に出演。
    1981年日本教会音楽研究会より教会独唱者A級の認定を受け、賛美奉仕者として教会内外でキリストの愛を伝えている。
    また近年は病院や老人ホームなどで歌のボランティア活動にも力を注いでいる。
    その澄んだ歌声は心の奥底にまで響くとの定評がある。
    CD「ごらんよ空の鳥」「神と共に」をリリース。
    大阪楽友協会音楽研究所所員。
    関西歌曲研究会会員。
    日本メノナイト・ブレザレン教団寝屋川キリスト教会員。

    ■ピアノ: 加藤 泉

    お茶の水女子大学音楽科卒業、同大学院修了。
    アメリカ、ニューイングランド音楽院留学。
    連邦銀行主催リサイタル、FM-WGBHリサイタル番組に出演。
    イギリスインターナショナルサマースクールに伴奏ピアニストとして参加。
    ソロ活動のほか、合唱、声楽、室内楽、舞踏、絵画、朗読とのアンサンブルピアニストとして活躍中。
    絵本と音楽のコラボレーションコンサートを15年間、公の助成を得て企画開催。
    この3年間は文化庁委嘱団体助成事業として継続している。
    東京芸術大学舞台芸術プロジェクト実験講座修了。
    京都音楽家クラブ会員。

    ■曲目(予定)

    第1部

    • 夏の思い出(江間章子作詞、中田喜直作曲)
    • 初恋(石川啄木作詞、越谷達之助作曲)
    • さとうきび畑(寺島尚彦作詞・作曲)
    • アヴェ・マリア(カッチーニ作曲)
    • 幸福(シューベルト作曲)
    • 見上げてごらん夜の星を(永六輔作詞、いずみたく作曲)
    • 歌をください(渡辺達生作詞、中田喜直作曲)

    第2部

    • 愛されている(星野富弘作詞、なかにしあかね作曲)
    • このままの姿で(プレイズソング)
    • 目には見えねども(聖歌)
    • 感謝します(プレイズソング)
    • ああ美しい町(黒人霊歌)
    • You Raise Me Up(ブレンダン・グラハム詩)
    • 主の愛が今(リバイバルソング)



    ■会場・お問い合わせ


    日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
    京都市北区大将軍坂田町21番地12
    TEL(075)461-1938
    牧師: 長谷川和雄
    副牧師: 長谷川ひさい
    ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

    2015年6月28日日曜日

    主日歓迎礼拝「どちらを選びますか」

    礼拝メッセージ「どちらを選びますか」出エジプト記20章3節


    長谷川ひさい師


    この世界には二種類の神が存在します。一つは人間が作った神です。もう一つは人間を造った神です。どちらの神を信じるかによって人の生き方も違ってきます。日本は宗教が盛んな国に見えます。宗教法人が19万も登録されており、神を作る名人で八百万の神々があります。少し偉いと言われると神にしてしまいます。菅原道真の天神、徳川家康の権現、乃木神社。そして、経営の神、打撃の神、魔神。高速道路の安全祈願を神主によるお払いなどをします。クリスチャンでない家では神棚、仏壇、台所にお札、車には神社のお守りが普通あります。しかし、イザヤ書44章を読みますと、これら全ては人間が作った偶像であることが分かります。

    Ⅰ. 人間が作った神
    十戒に、「わたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト20:3)、「自分のために、刻んだ像を造ってはならない」(同4)、とあります。人間が偶像を作ることは、宗教心や信仰のあらわれです。しかし、その宗教心は「自分のために」偶像を作ると指摘されています。人間が宗教を求める時、神仏を「自分のために」偶像を作ることによって、自分の宗教心を満足させるものだとしたら大きな問題です。それは、よりよく、「自分のために」、より多く利益をもたらす神々をたくさん捜し求め、多くの偶像を作っているのです。その偶像は、人間が「自分のために」、自分を主人公として支配するために作ったのですから、人間に対して「否」と言わない、ペットのようなものです。

    Ⅱ. 人間を造った神
    1) 「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1)、とあるように、このまことの神によって造られなかったものは何一つありません。人間や万物の創造者こそ、まことの神です。人間は被造物ですから、人間が神にはなれませんし、被造物である人間が神を利用しようとする考えは間違いです。
    2) 神が燃える柴のうちに現れた時、モーセが、「名はなんというのですか」と尋ねると、神は「有って有る者」と答えました(出エジプト3:13-14)。それは、まことの神は永遠から永遠まで存在し、何ものにも依存されない神です。また、人間が必要としようがしまいが、人間が信じようが信じまいが、それによって在ったり無くなったりしません。永遠に存在し、自立自存の絶対者なる神です。
    3) まことの神は人間との人格的な交わりを求めておられ、人間に知、情、意を与えられました。また、善悪を知る良心もあり、人間が神の被造物であることが示されています。まことの神は「否」と言われ、創造の目的に適わないものを、ご自身の「義」をもって裁かれます。しかし、神は愛なる方ですから、失われた人間との人格的な交わりを回復してくださいました。「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった」(1ヨハネ4:9)、「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわした」(ヨハネ1:18)と、聖書によって救いと、主を深く知ることができるのです。

    Ⅲ. 二つの生き方。
    1) 人間が造った神を信じる者は、自分のために生き、自分の利益や価値基準で判断するので、心の清さ、思いやりがなくなります。
    2) 人間を創造した、まことの神を信じる者は、目的と使命をもった生き方をします。また、神に喜ばれる歩みをし、神の役に立つ生き方を喜び、人を思いやり、愛し合い、仲むつまじく、平安のある人生、天の御国を目指して歩む生き方を見いだします。このまことの神を、迷わず選び信じて歩みましょう。



    教会の各活動


    ブレスの会衆賛美の様子
    午後は、婦人会主催全体行事「手話で歌おう」が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(6月30日)10:30~12:00


    ※教区牧師夫人修養会のため休会

     

    ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月1日)19:30~21:00


    聖書:詩篇16篇1~11節
    題:主のほかに私の幸いはない
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:264、428、385

     

    ○主日礼拝 来週日曜日(7月5日)10:30~12:00


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:57  Ⅰコリント書13章
    聖書:Ⅰコリント書13章8-12節
    題:愛は決して滅びない
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:364、515、396