2014年9月29日月曜日

10/26 「ライフ・ライン in 京都 スペシャル」のご案内

※この記事は、10/26の「ライフ・ライン in 京都 スペシャル」のお知らせです。

京都信愛教会ではこのたび、「ライフ・ライン in 京都 スペシャル」を行います。

福音テレビ番組である「ライフ・ライン」の村上宣道牧師をお迎えして、神様と聖書についてのメッセージをしていただきます。

なお、この集会の模様は後日、「ライフ・ライン」でのテレビ報道される予定です。

どなたでも入場無料です。聖書のことについて知りたい方、神様がどのようなお方かを知りたい方も、ぜひお越しください。

詳しい案内は、以下のチラシをご覧ください(クリックすると、大きく表示されます)。


■日時


2014年10月26日(日) 開場14:00 開演14:30

■ピアノ・メッセージ:村上宣道牧師 (むらかみ・のぶみち)


1933年、牧師の家庭に生まれる。
中学二年生の頃、神の存在に疑いを持ち反抗、虚しい青春時代を過ごす。
高校三年生の夏、神の愛にとらえられて回心、伝道者の道を志す。
現在、埼玉県・坂戸キリスト教会協力牧師。
ラジオ「世の光」、テレビ「ライフ・ライン」メッセンジャー。
著書に、説教集『門は開かれている』『そうすれば幸せがくる』などがある。


■「ライフ・ライン」とは


「ライフ・ライン」は、人生の大切な「ライフ・ライン」(命綱)とは何かを、いろいろな方々のお話や聖書から一緒に考えていくテレビ番組です。

  • KBS京都 毎週土曜日 AM6:30~
  • びわ湖放送 毎週土曜日 AM8:00~
  • サンテレビ 毎週日曜日 AM7:00~

「ライフ・ライン」Webサイト http://tv-lifeline.com/


■会場・問い合わせ先


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい
※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2014年9月28日日曜日

主日礼拝「尊いみ言葉」

礼拝メッセージ 「尊いみ言葉」 ヤコブの手紙2章8~13節

長谷川和雄師

婚約式にて
神が造られた人を差別することは、神の眼差し以外の価値観で見ることであり、自分が神となり、偶像礼拝に等しいことで、教会であってはいけません。クリスチャンが神の戒めに生きるとはどういうことなのでしょうか。

Ⅰ、尊いみ言葉とは・・・
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」(8) との「きわめて尊い、最高の律法」に従っているかを問題にしています。主も、ひとりの律法学者から、律法の中でどの戒めが一番大切かと問われた時、神を全力で愛することと、自分を愛するようにあなたの隣り人を愛することが、最も尊く大切な教えですと応えられました(マタイ22:35-40)。ヤコブ書は神への愛が中核にあるので、人間関係の問題である隣人愛を問うたのです。

Ⅱ、最高の律法を守れない私たち・・・
この手紙を受け取った教会の問題点は、富んでいるものと貧しいものとを分け隔てをすることでした。それは罪ですと9節で断定しています。どのような意味で、人を分け隔てすることは罪なのでしょうか。1)最高の律法のひとつは、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」です。ですから、教会がおきてに従って隣人愛に生きる道は、何よりも隣り人で貧しく助けを必要としている人々に、援助の手を差し伸べて、ともに信仰生活をおくることでした。しかし、彼らは富んでいる人たちに媚び、へつらって、貧しい人々を分け隔てし、彼らを一層みじめな状況に追い込んでいました。これは明らかに最も尊い律法に違反していることになり、神のみ心を痛めていたのです。2)彼らは、もし律法を守っていないとしても、それはひとつのことだけだと考えたかもしれません。しかし、自分の好みや都合とか、自分の勝手な判断で、神の意志が込められている律法の一部を軽く考え律法の一部を破ることは、律法全体に違反することと同じです。たとえ「姦淫」していなくても、人の存在を否定し、差別することは、「殺すな」との戒めを犯しています(マタイ5:22)。律法は、全体が守られてこそ意味があります。律法を守れない自分を知ると同時に、誰でも律法の違反者であると分かり、律法を完全に守れないので、誰も救われないのです。だからといって、律法を守らないで良いということではありません。神は、律法を守れない人間を憐れみ、受け入れ、赦し、律法を守り、神と人を愛する者として歩めるようにして下さるために、十字架の贖いのみ業を完成し、主が約束された聖霊を送って下さったのです。

Ⅲ、神の憐みに満たされて生きる・・・
その贖いのみ業は私の罪のためであったと信じて救われた者は、自由の律法に従って生き、憐みをもって生きるようにと教えます(12-13、ローマ11:30-32)。「最高の律法」を守れないとの恐れや諦め、開き直りではなく、神の新しい取り扱いを受け、神の愛に促され、自発的に神の憐みの中で、他者と共に神のみこころに従うことが、新しい自由の律法に生きる生き方です。その生き方を支えるのは、律法を守ろうとする熱心や情熱や力ではなく、守れない者を赦し、生かして下さる神の憐みに生きることです。憐みに生きるとは、苦しみ悩む者と共に、それを分かち合う生き方です。神の臨在を確信し、主の憐みにすがり、主を証しする生き方です。「私があなたがたを憐れんだのだから、あなたがたも憐みをもって生きよ」と、神は私たちに命じておられます。その戒めに聴き従うことこそ、律法を守れず、赦された者の生きる、新しい生き方です。


教会の各活動


キッズレストランにて
午後は、婚約式とCS秋のレクリエーション「キッズレストラン」が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(9月30日)10:30~


聖書:ヤコブ書1章2節
題:喜びと思いなさい
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:248、396

○聖書研究祈祷会 水曜日(10月1日)19:30~


聖書:箴言16章32節
題:怒りをおそくする
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:21、445、414

○主日礼拝 来週日曜日(10月5日)10:30~


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:56 ローマ書12章
聖書:ヤコブ書2章14-17節
題:生きた信仰
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:9、276、396

中高科特別賛美「ワン・ボイス」「最高の賛美ささげる」



京都信愛教会の教会学校 中高科による特別賛美。

    1. 「ワン・ボイス」 詞・曲:Robert Gay  訳:堀井 栄治
    2. 「最高の賛美ささげる」 詞:Russel Fragar 曲:Darlen Zschech 訳:酒井 知愛

    京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

    また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

    どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

    2014年9月21日日曜日

    主日歓迎礼拝「神に受け入れられる祈り」

    礼拝メッセージ 「神に受け入れられる祈り」 ルカによる福音書18章9~14節 

    長谷川ひさい師

    有志の証
    祈りは霊的成長の力です。祈るクリスチャンは成長し、祈る教会も成長します。祈っているのに成長していないなら、祈りの生活を見直しましょう。主は、自分を義人だと自任し、他人を見下げている者を見て、パリサイ人と取税人の祈りのたとえから、神に受け入れられる祈りについて教えられました。

    Ⅰ. パリサイ人の祈り…
    パリサイ人は律法を厳重に実行する熱心な信仰者であり、ユダヤの指導者でしたが、自分の義を主張しました。彼らが立ったまま、心の中で祈る祈りも、主はご存知でした(11-12)。礼拝堂に臨在される主は、全てをご存知です。なんと厳粛なことでしょう。パリサイ人の祈りは、形が整った感謝の祈りのようですが、内容は他人と比較して自分を正しいとする、高慢な祈りでした。神の御前で、神の光によって自分を点検しないで、自分の道徳生活の正しさ、宗教生活のすばらしさを訴えているのです(11-12)。これは自己宣伝の祈りであり、神には届きません。それは体を祭壇に近づけただけで、心を神に向けてはいないからです。ですから、神の前に出る者として、自分の心がふさわしくないことが分からなかったのです。祈りは神に心を開いて、「神よ、私の本当の姿を教えて下さい」と祈るとき、神は、み言葉を通して、私たちに本当の姿を教えて下さいます。

    Ⅱ. 取税人の祈り…
    取税人はローマ政府の依頼で、ユダヤの税金を取り立てましたが、不正が多く民の怒りと軽蔑の的でした。そのひとりの取税人が遠く離れてたち、目を天に向けようともしないで祈りました。現在、私たちは目を閉じて、頭を下げ、手を組んで祈りますが、当時は目を天に向けて祈る習慣がありました。しかし、この取税人は目を天に向けることもできず、良心の傷みに耐えかねて頭を垂れ、胸をうちながら神の前に祈りました。その心は自分を正しいとしませんでした。体が祭壇から遠く離れていても、心が神にしっかりと向けられていました。それゆえ、自分がどんなに神の憐れみを必要とする人間であるかを悟り、砕かれた心で、真剣な祈りをささげることができたのです。

    Ⅲ. 神に受け入れられる祈り…
    心の中を見抜いておられた主は、「神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった」(14)と言われました。神の目にも、主イエスの目にも不義なる取税人が悔い改める姿が美しく見えました。パリサイ人が自分を誇っている姿は、醜く見えたのです。私たちはどうでしょう。パリサイ人のように、修練や修養によって何かができたこと、過去に行えた実績などを誇り、自分が正しい者であると自分を自分で認め、評価して、人を見下してはいないでしょうか。神は「義人はいない、ひとりもいない」(ローマ3:10)と言っています。私たちはこの取税人のように、神の光の中で自己点検させていただき、自分の醜さ、罪深さ、弱さを心から認めさせていただきましょう。そして、神の御前に心を開き、口と心をひとつにして、「神さま、罪人の私をあわれんで下さい」(13・新改訳)と告白し、祈る者とならせていただき、主に罪を赦していただいて、ここから遣わされて行くなら何と幸いでしょうか。日々、私たちひとりひとりが主の十字架の血潮を崇め、神の憐れみなくしては、主の血潮の恵みがなくては歩めない者であることを覚え、日々の生活の中で、神に喜んで受け入れていただける、心砕かれた祈りをささげてゆきたいと願わされています。


    教会の各活動


    秋のチャペルコンサート(杉山みぎわ先生)
    午後は、秋のチャペルコンサート(杉山みぎわ先生)が行われました。


    今週~来週の予定


    ○婦人祈祷会 火曜日(9月23日)10:30~


    ※祝日のため休会します



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月24日)19:30~


    聖書:マルコによる福音書12章13-17節
    題:神のものは神に
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:42、393、396



    ○主日礼拝 来週日曜日(9月28日)10:30~


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:56  ローマ書12章
    聖書:ヤコブ書2章8-13節
    題:尊いみ言葉
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:88、182、229

    2014年9月15日月曜日

    9/21 秋のチャペルコンサート(杉山みぎわ先生)のご案内

    ※この記事は、9/21の「秋のチャペルコンサート」のお知らせです。

    京都信愛教会では今年も、秋のチャペルコンサートを行います。

    今回は大阪音楽大学ピアノ科を卒業し、現在は向陽聖書教会牧師夫人でもある杉山みぎわ先生をお招きして、素晴らしいピアノ演奏と神様の恵みのメッセージをいただきます。

    どなたでも入場無料です。聖書のことについて知りたい方、神様がどのようなお方かを知りたい方も、ぜひお越しください。。

    詳しい案内は、以下のチラシをご覧ください(クリックすると、大きく表示されます)。


    ■日時


    2014年9月21日(日) 開場12:30 開演13:00

    ■ピアノ・メッセージ:杉山みぎわ(すぎやま・みぎわ)


    大阪音楽大学ピアノ科卒業。
    現在は声楽や合唱の伴奏者として活動中。
    福音交友会・向陽聖書教会牧師夫人。


    ■予定曲目


    カノン(パッヘルベル)
    主よ人の望みの喜びよ(J.S.バッハ)
    キラキラ星変奏曲(モーツアルト)
    レット・イット・ゴー(アナと雪の女王より)
    アメイジンググレイス
    賛美歌など、その他

    ■場所


    日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
    京都市北区大将軍坂田町21番地12
    TEL(075)461-1938
    牧師: 長谷川和雄
    副牧師: 長谷川ひさい
    ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

    2014年9月14日日曜日

    Bless会衆賛美「威光・尊厳・栄誉」「正しくきよくあらまし」など



    京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による会衆賛美リード。

      1. 「威光・尊厳・栄誉」 詞・曲: 阿内源一 (新聖歌166番)
      2. 「正しくきよくあらまし」 詞: Howard A. Walter, 曲: Joseph Y. Peek (新聖歌366番)
      3. 「目には見えねども」 詞: Maud Frazer, 曲: Charles H. Gabriel (新聖歌356番)

      京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

      また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

      どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

      主日礼拝「己が日を数えよ」

      礼拝メッセージ 「己が日を数えよ」 詩篇90篇1~17節

      長谷川和雄師

      高齢化の進む中、高齢者の孤独死や交通事故死が報じられ、また、余命が計算され、発表されています。そのような中にあってどのように生きたらよいか、「朽ちる人によって書かれた、不朽の詩篇」と言われる詩篇から学びましょう。

      Ⅰ. 人の命のはかなさ(1-6)…
      1) 毎日が繰り返されるように、誕生があれば死があります。「会者定離、生者必滅」(出会った人とは必ず別離の時があり、生あるものは必ず滅びる。仏教の言葉)は、淋しく暗い言葉ですが、現実です。神の永遠性に対し、人間の命のもろさを知ります(Ⅱペテロ3:8)。人生は、洪水がすべてを飲み込んで海に流れるようなものです。寝た時間が8時間でも、ひと時のようであるのと同じです。豊臣秀吉は晩年に、「悲しい、悲しい」と言い、「浪速のことは夢のまた夢」と辞世の句を残しました。人生は、朝に咲き、夕方に枯れる朝顔に似ています。
      2) しかし、私たちの神は永遠であり、主を信じる私たちの内におられることを御霊によって知ることができます(Ⅰヨハネ3:24)。3)人の生き方には、①快楽主義、②物質中心主義、③自己中心の三つがあります。しかし、キリストを救い主と信じる者の人生は、神を我が家としてくつろぎ、心を開いて何でも語り、み言葉に生きる幸いを知ることができるのです。

      Ⅱ. 人の罪に対する神の怒り(7-12)…
      1) 民数記はイスラエルの民の不信仰と不従順、呟きなどに対する神のさばきの歴史が記され、私たちもその歴史から学ぶことができます。
      他人に知られる罪と知られない罪がありますが、神はすべてをご存知です。
      命のはかなさを知らされます(Ⅱペテロ3:8)。墓を見て謙りましょう。人は神の御業を初めから終わりまで見きわめられません。友や親しい者との別れがあり、私たちも忘れ去られることは淋しいことです。しかし、神は私たちひとりびとりを覚えておられます(詩編8:4、イザヤ49:15)。
      2) クリスチャンの喜び。たとえ罪を犯しても、御子による血の贖いを信じ、罪なき者とされるので、自分の正しさではなく、主の血潮のゆえに神の前に立てるのです(Ⅰヨハネ1:7)。神の前に立つ時はヒゼキヤ王のように、ただ憐れみを求めるのみです(イザヤ38:1-5、詩編130篇)。
      3) 神は私たちに永遠への思いを与えられました(伝道の書3:11)。多くの人々は神に生かされている日々を、罪に罪を重ね、肉欲の欲するままに生き、空しく生きています。しかし、主にあって罪の世から救われた私たちは、生かされている日々を大切にする知恵の心をいただき、神を畏れ、神に喜んでいただける歩みをさせていただきましょう。

      Ⅲ. 朽ちる人の祈り(13-17)…
      1) 人生の様々な試みに対し、神の大きな喜びを受けるに相応しい者に変えられたことを覚え、神に期待して祈り待ち望み、乗り越えましょう。しかし、人の不信仰と忍耐の足らなさを覚え、悔い改めて神に帰る時、真っ先に祈り求めるのは、神の憐れみです。
      2) ビ・ゴッドフレー・バックストン師は、「私たちの働きの中で最も大切なことは、私たちの生涯がキリストのごとくなることです。ホーリネスということは単に心が清いということだけではありません。私たちの日常生活、品性、性格、行為がホーリネスでなければなりません」と言われました。人間は無力ですが、神を畏れる者は主の祝福に与り、勝利することができます(ローマ8:37)。私たちの業が祝福されて子孫が救われ、神に栄光を帰することができるのです。

      教会の各活動



      9/15 大塚国際美術館見学ツアー
      午後は、CS教師会が行われました。


      今週~来週の予定


      ○婦人祈祷会 火曜日(9月16日)10:30~


      聖書:マルコによる福音書10章45節
      題:仕えるため
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:267、38



      ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月17日)19:30~


      聖書:マルコによる福音書11章27-12章12節
      題:何の権威によって
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:100、206、446



      ○主日歓迎礼拝 来週日曜日(9月21日)10:30~


      招詞:ヘブル書4章14-16節
      交読文:24  詩篇67篇
      聖書:ルカによる福音書18章9-14節
      題:神に受け入れられる祈り
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:18、190、198

      2014年9月7日日曜日

      主日礼拝「貧富と信仰」

      礼拝メッセージ 「貧富と信仰」 ヤコブの手紙2章5~7節

      長谷川和雄師

      台湾伝道旅行の壮行会
      初代教会は、比較的貧しい人が多く、必然的に社会的地位は低く、知的な領域でも貧しい人々で構成されていました(Ⅰコリント1:26-28)。

      Ⅰ. 神の選び…
      教会に貧しい者が多かったのは偶然ではなく、神が貧しい者を選ばれたのです。「この世の貧しい人」(5)とは、この世の規準に従って貧しいと評価される人々です。財が少なく、内面的にも確立していないので、社会的に弱く、小さな存在です。神はなぜ救済の業を貧しい者から始めたのでしょうか。選民イスラエルは、他のどの民よりも少なく、貧弱なのに選ばれました(申命記7:6-7)。選ばれた側に、人間的な誇りや優越感などが入らないために、この世的な価値の高さが、神の選びの尺度となっていません。預言者イザヤが貧しい人々に良い知らせを伝えるために神によって選ばれ、神によって油を注がれました(イザヤ61:1)。他にも旧約聖書に、神が多くの貧しい者たちに関心を持ったことが記されています(詩篇9:18等)。また、主の言葉にも貧しい者への神の愛と関心を見ます(マタイ11:5)。

      Ⅱ. 選びの理由…
      神が貧しい者を選び御国を受け継ぐ者として下さり、神は人類全体が神の前には貧しい者であることを自覚することを求めています。貧しい者は、生きる意味を知り、ただ、神に期待し、神の恵みとして受け取ります。人間にとって最善な富は、この世の測りではなく、神が与えて下さる尺度によるのです。神は人間の弱さや貧しさをなくするのではなく、弱さと貧しさを正しく認識することを求めています。自分の貧しさを悟り、神の招きに応じたからこそ、御国を受け継ぐ者とされたのです。弱さや貧しさこそ神の富が宿る場所です。御前に立ち、信仰の賜物を与えられ、神の国を受け継ぎ、新しい命の約束を受けたのは、自分の強さや能力、良い業が御国建設に必要だからではありません。貧しい者に先ず御手を伸ばされたのは、貧しさに生きることへの神の期待があります。しかし、現実の教会は富める者にへつらい、貧しい者への差別的取り扱いや無礼な振る舞い、屈辱的なことが行われていました。富める者は、神が貧しい者を憐れむように憐れみ、神の恵みに感謝すべきでしたが、神の愛に応えず、貧しい者を軽んじ、神の恵みや愛や憐れみ、神の招きや選びを無にしていました。

      Ⅲ. クリスチャン…
      富める者が、貧しい者に容赦しない取立てなどを行い、「キリストの所有された者」(Ⅰコリント3:23)という尊い名のクリスチャンを冒涜し、苦しめ(6)、クリスチャンという名を汚していました(7、使徒11:26)。そんな中でも貧しい者たちは辱めに耐え、信仰を貫きました。何と尊いことでしょうか。ここで富める者が非難されていますが、その富ゆえに神の選びからもれるとか、富める者を苦しめることを認めていません。神は、神が貧しい者を顧みている事実を知り、神の顧みを必要とする弱さや貧しさを、富める者が認め、神の前に謙ることを願っています。教会は、富める者の言動の過ちを明らかにする勇気を持ちましょう。お互いに神の前には貧しい存在であり、神の恵みがなければ真の富は持てないことを、世に示すことが教会の責任です。クリスチャンとして、人間としての価値をどこに置くのかが問われています。この世ではクリスチャン故に辱しめを受けることもあるでしょう。しかし、この名には終末的な希望があり、真の富が約束されていることを、主にあって確信し、証しするクリスチャンでありましょう。



      教会の各活動



      午後は、教会役員会が行われました。


      今週~来週の予定


      ○婦人祈祷会 火曜日(9月9日)10:30~


      聖書:ピリピ書4章13節
      題:どんなことでもさせて下さる
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:388、448



      ○聖書研究祈祷会 水曜日(9月10日)19:30~


      聖書:詩篇90篇14節
      題:すべての日に
      説教者:長谷川ひさい師
      新聖歌:267、338、340



      ○主日礼拝 来週日曜日(9月14日)10:30~


      招詞:詩篇46篇10節
      交読文:49  イザヤ書40章
      聖書:詩篇90篇1-17節
      題:己が日を数えよ
      説教者:長谷川和雄師
      新聖歌:22、229、365