2014年8月17日日曜日

主日歓迎礼拝「ここに愛がある」

礼拝メッセージ 「ここに愛がある」 ヨハネの第一の手紙4章7~11節

長谷川ひさい師

私たちは見えることに関心を払いやすのですが、見えない心を大切に守りましょう(箴言4:23)。人は愛を求め、愛を必要としています。ドイツの詩人は「愛されないということは、この世の地獄だ。しかし、愛することが出来ないということは、永遠の地獄だ」と言いました。しかし、人は愛を求めますが、愛に裏切られ、愛は憎しみに変わり互いに憎んできました。可愛さ余って憎さ百倍となるのです。愛することが出来ないことは本当に辛いことです。

しかし、罪人を永遠に変わらず愛して下さるばかりか、いのち懸けて愛し、私たちを裏切らず、私たちを生かし、新創造して強くし、永遠の世界に連れて行って下さることの出来る、真実の愛がキリストの中にあるのです(10)。

Ⅰ. 神の愛は、キリストに現された絶対無条件の愛です…
神の愛は、人間の裏切る愛や、条件付の愛ではなく、無条件の愛をもって私たちを愛して下さるのです。私たちが神を愛したのでなく、神が罪深い人間を愛し、神ご自身が罪のために贖い供え物として御子をこの世に遣わし、身代わりとなって死んで下さったことによって、神の愛を示しました(ローマ5:8、Iヨハネ4:10)。私もパウロやヨハネのように、キリストを通して示された神の愛を受け取ることが出来ました。神に捨てられ、愛されていない人はひとりもいないのです。この世の最大の不幸の原因は、神の愛を知らないからではないでしょうか。

Ⅱ. 神の愛は、十字架で示された犠牲を払う愛です…
主は、罪深い私たちひとりひとりを愛するあまり、私ちが受けなければならない罪の刑罰を身代わりに受けて死んで下さいました。そればかりではなく、善い事をしたい、愛し合いたい、悪いことは止めたいと思っても、それらを行うことの出来ない罪の奴隷だった私たちを神は愛し、罪の奴隷から「ご自分のいのち」という代価、身代金を払って罪の奴隷から自由の身となるために買い戻して下さったのです。罪が赦されて、神の前に罪を帳消しにしていただいて、この世で胸を張って生きて行けることは何とすばらしいことでしょうか「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」(Iヨハネ1:7)。そんな主は、私にしっかりつながっていなさい。私もつながっていますと言われました。み言葉によって主にしっかりとつながっていましょう(ヨハネ15:5,7)。

Ⅲ. イエス・キリストの十字架の愛は、新しいいのちを与えるために、本当によみがえった、本物の救い主の愛です…
主は十字架の上で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)と罪人の私たちを、父なる神に執り成して下さって、私たちの身代わりとなられました。また、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と神に見捨てられたことを叫び、私たちの代わりに罪の刑罰と呪いと辱めを引き受けて下さいました。そして、3日目によみがえり、私たちと共にとこしえまでも共にいて下さいます。なんと感謝な事でしょうか。私自身が自分の罪を認めて、主の十字架は私の身代わりであったことを信じ受け入れた時に、新しいいのちが与えられ、生きる使命と力が与えられ、「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ31:3)と変わることのない真実の愛をもって愛し、真実を尽くして共に歩んで下さいました。神の愛を、心に素直に受け入れましょう。



教会の各活動



午後は、壮年会(親睦会)と婦人会(例会)が行われました。


今週~来週の予定


○婦人祈祷会 火曜日(8月19日)10:30~


※8月は休会します



○聖書研究祈祷会 水曜日(8月20日)19:30~


聖書:マルコによる福音書10章46-52節
題:何をしてほしいのか
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、38、282



○主日礼拝 来週日曜日(8月24日)10:30~


招詞:ヨハネによる福音書4章23-24節
交読文:9  詩篇27篇
聖書:ヤコブ書1章26-27節
題:純正な信仰
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、428,429