2014年7月27日日曜日

主日礼拝「いつまでも残るもの」

礼拝メッセージ 「いつまでも残るもの」 コリント人への第一の手紙13章

伊藤初師(湖西教会 / 教区講壇交換)


コリント人への手紙は、色々な問題の指導のために書かれていますが、13章では雰囲気が変わり、美しい詩の世界のような印象を受けます。12章で教会での賜物について記し、コリントの教会の人々には様々な賜物があり、その賜物が教会の益にならず混乱していました。賜物は自分のために用いるものではなく、教会全体のために用いるものであり、色々な賜物の中で最も大切な賜物が「愛」ですと13章で記します。その1-3節では愛がなければ、どんなよい賜物を持っていても生かされず、良い結果を生まないと記しています。この愛こそ、私たちが他のどの賜物にも勝って本当に求めなければならない愛とはどのようなものなのでしょうか。

Ⅰ. 変わることのないもの(4-7)。

「愛」という言葉が氾濫していますが、聖書は、まず「愛は寛容である」と記します。新共同訳では、「愛は忍耐強い」と訳され、その意味は「感情を爆発させるまでに長い時間をかける」「相手に対してすぐに怒らない」です。人に忍耐をもって接することです。「愛」と「好き」の区別が曖昧ですが、「愛する」と言う時、「好き」という意味にもとられますが、聖書が示す愛は好きと同じではありません。それは、私が好き、と「私」が主語ですが、本当の愛は「あなた」が主語です。自分の気持ちを押し殺し、強い意志と忍耐が伴い、持続的で、変わらない心のあり方です。この愛は、神の子イエス様が十字架にかかられ、具体的に示されました。主は私たちの罪の身代わりとなって十字架に架かる使命を知り、父なる神のみこころに従い、救いのために貫く意志の表明です。十字架をとおして神の愛を明確に見ます。神からの賜物である本当の愛を受け取りましょう。私たちは十字架の愛を見続け、その愛によって、練られて整えられ続けて行かなくてはならないものです。

Ⅱ. 廃れることのないもの(8-13)。

聖書は預言や異言、知識という賜物と、愛とは本質的に違うと記します。それは、廃れてゆくものと、廃れず永遠に変わらないものの違いです(8-9)。それらはどのようにして廃れるのでしょうか。古くなって廃れるのではなく、「全きもの」「完全なもの」が来ることによります。主が再び来られ救いの完成の時、今持っている地上で得たものが、少しも役に立たず廃れてしまいます。それは暗闇に必要な懐中電灯のようなものです(10)。私たちは神から色々な賜物をいただいていますが、廃れないものを大事にしましょう(11)。12節の譬えの鏡は金属をよく磨いて作られ、最高級の物でもぼんやりと映せませんでした。今、救いに与り、天国の前味を知る者とされていますが、救いの完成の時が完全に見えていません。神は今も、完全な愛をもって私たちを愛して下さっていますが、私たちは神の愛をまだ完全に知ることはできていません。しかし、顔と顔を合わせて主と出会った時に、本当に神が私を愛していて下さったか知るのです。私たちの力や才能の有無が問題ではなく、大切なことは何のためにその賜物を、愛をもって使うかが大切なことです。あの時もっと、愛してればよかったと後で思っても、その時にはもう遅すぎます。私たちは、本当に価値のあるものに普段なかなか目が向かない者かもしれませんが、部分的なものに目を奪われ、永遠に価値のある物を見失わないようにしましょう。今のこの時を、愛を表す機会として用い、言葉や行いを通して、真の愛を表し、真の愛である主を証しする者でありましょう。


教会の各活動



午後は、青年会(例会)が行われました。


今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(7月29日)10:30~


聖書:エペソ書5章33節
題:偽りの唇
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:231、382



○聖書研究祈祷会 水曜日(7月30日)19:30~


聖書:マルコによる福音書10章32-45節
題:仕えるために
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:388,390,397



○主日礼拝 来週日曜日(8月3日)10:30~


招詞:申命記6章4-5節
交読文:17  詩篇46篇
聖書:ヤコブ書1章19-21節
題:聞くに早く、語るに遅く
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、(賛美歌21)497、316

2014年7月20日日曜日

Bless会衆賛美「威光・尊厳・栄誉」「慕いまつる主なるイエスよ」など


京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による会衆賛美リード。

    1. 「威光・尊厳・栄誉」 詞・曲: 阿内源一 (新聖歌166番)
    2. 「慕いまつる主なるイエスよ」 詞: Thomas A. Dorsey, 曲: George N. Allen (新聖歌191)
    3. 「わが胸に響く歌あり」 詞: W. M. Lighthall, 曲: Charles H. Gabriel (新聖歌260)

    京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

    また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

    どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

    主日礼拝「思い違いをしてはいけない」

    礼拝メッセージ 「思い違いをしてはいけない」 ヤコブの手紙1章16~18節

    長谷川和雄師


    神への思い、期待、疑問などは人によって異なりますが、自分勝手に考えると大きな危険が伴いま す。だからヤコブは「思い違いをしてはいけない」と警告しています。「クリスチャンの成長を阻む12の誤解」に、「自分の必要を満たすことは自己中心である」との誤解に対し、著者はヤコブ1章17節で説明しています。「女性が信じる40の嘘」に「神は私を愛していない。夫に従えば私は惨めになる。私は苦しむ必要がない」など40の思い違いを記しています。この聖書箇所の思い違いは、人が誘惑に陥り罪を犯すことを神の責任にすることです。後の事柄との関係で神が下さるものはすべて良いもので、人を生かし滅びに至らせるものではありません。この点について思い違いをしてはいけません。

    Ⅰ. 思い違い…
    神に帰すべきことと自分自身に帰すべきことを混同し、思い違いをしてはいけません。
    1) 誤った神理解や神認識は、見当違いの失望や高慢を生み出し、永遠の命からもれてしまいます。
    2) 当時のユダヤ人は、天体は命をもった生きものと理解し、造り主なる神を賛美せよ、と呼びかけました(詩編148:3)。天体の変化を、光の源である神ご自身の移り変わりと捉え、人間の暗い部分や悪の部分は、神に責任があると考えました。
    3) 聖書は、人間が誘惑に負ける責任を神に押しつける思い違いをしてはいけないと記します。

    Ⅱ. 神は常に真実です…
    人間が不真実で不誠実であっても、神は常に真実です(Ⅱテモテへ2:13)。
    1) 神の真実は、愛、慈しみ、憐み、救いの意志、人との関係において変わらないものを持っておられる、ということです。ですから、神が私たちに与えて下さるものはすべて良いものです。
    2)
    ①神からの良い贈り物、完全な賜物とは神の独り子です。人を生かし神と交わりを回復し、救いの確信を与える神の恵みです。
    ②私たちは、神の恵みにより神を知るようになったのです(Iコリント4:7)。
    ③人は、神を正しく知らないので、自分をも正しく知ることができず、高ぶったり、絶望してしまいます。思い違いをしてはいけません。父なる神は、私たちがみこころに生きる者となるために必要な永遠の命やものを与え、希望を持って生きることが出来る者となるために必要な良きものを、惜しみなく与えて下さいます(マタイ6:8、7:11)。
    3) 真理の言葉である御子により、私たちは新しい存在に変えられました。真理とは、単なる客観的な事実の正しさ、科学的な事実、不変的事柄という意味ではありません。神と自分を正しく知ることによって、神から信頼されるに足るもの、生かされ希望を抱けるものなのです(ヨハネ14:6)。罪に誘惑されてしまう私たちですが、真理のみ言葉、御子を通して死ではなく命に、新しく生まれ変わるのに必要な賜物は御子において全て与えられているのです。

    Ⅲ. 被造物の初穂…
    人間がキリストにあって新創造されることが、「被造物の初穂」なのです。
    1) この「初穂」という言葉は、旧約では、イスラエルが神の民として選ばれた事が、後の子孫の選びの初穂でした(エレミヤ2:3)。新約では、主の復活が初穂です(Iコリント15:20)。被造物全体をみこころにかなったものにする救いが、主にあって初穂なのです(ローマ8:19-23)。
    2) 最初に創造し、神が良しとされた状態に造り変えることが神の御業です(創世記1:25)。私たちは真理のみ言葉により救われ、新創造された初穂としての責任と光栄を覚えます。主にあって、私たちの存在を通して、神に神の栄光を現していただきましょう。




    教会の各活動



    ブレスの賛美
    午後は、CS教師会、壮年会(例会)が行われました。


    今週~来週の予定

     

    ○婦人祈祷会 火曜日(7月22日)10:30~


    ※休会します



    ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月23日)19:30~


    ※休会します



    ○主日礼拝 来週日曜日(7月27日)10:30~


    招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
    交読文:59
    Ⅰヨハネ書4章
    聖書:Ⅰコリント書13章1-13節
    題:いつまでも残るもの
    説教者:伊藤 初師
    新聖歌:7、216、227

    2014年7月13日日曜日

    特別伝道礼拝「慰めの神がほめたたえられますように」

    伝道礼拝メッセージ 「慰めの神がほめたたえられますように」 コリント第二の手紙1章1~7節

    藤井圭子先生


    藤井圭子先生
    10年振り返る時、娘の結婚、孫の誕生、息子の死、母の介護と死、自分自身の病、と色々ありましたが、神は確かな希望と慰めであり、み言葉に耳を傾け慰めの神をほめたたえます。

    愛する息子を事故で亡くし、ひとりの母として、とてもつらい体験をしました。病気や苦難は、たたりや前世のせいではありません。墓に葬られた主を三日目に甦えなさったことによって、主を信じたものは罪を赦され、神の力によって甦えらされ生きる者になると保証して下さっています。歴史上の事実と実体です。死は甦えりの入り口であり、主の同情は、人間のような一時的感情ではありません。私たちは神からいただく慰めによって、周りの人を慰めることができるようになります(Ⅱコリ1:1-7)。神に涙を拭い取っていただき、神の前に出させていただきましょう(黙示録21:3-4)。

    次に母のことについて、どんな状況の中にも慰めの神はいて下さいます。「お母さん」のひびきに愛、ぬくもり、優しさ、匂い、苦労、悲しみの意味が含まれています。68歳のとき受洗し、その後83歳でアルツハイマー病になり、召されました。母の介護は、人間の努力では出来ませんでした。あるお医者様を通して「患者の世界を壊さないように」という神の愛と知恵をいただいて、介護をさせていただきました。母は、息子の死を理解できない状態でしたが、これも神の最善であると感謝しました。母が体内にいる時から神は白髪になって何も分からなくなっても、持ち運び背負って天国まで連れていって下さいました。主は真の慰め主、救い主であられます(イザヤ46:3-4)。


    伝道集会メッセージ 「確かな希望に生かされて~尼僧からクリスチャンへ~」 ヨハネによる福音書14章1~7節

    藤井圭子先生

    中学生の時、隣のおばあさんが亡くなったことを通して、「なぜ生きているのか」と考え、絶対なるものを求めるようになりました。仏教を学びはじめますが悟れず、学問だけではなく実践や修行が必要だと思い、尼僧になりました。誠心誠意仏門に励みましたが、不安と恐れに襲われるだけで、真理を見出せませんでした。釈迦は悟った偉大なお方でしかなく、仏教には理性に基づいた悟りや哲学であり、観念だけで、何も実体はなく、永遠・絶対・聖なるものはないとの結論に達し、失意のうちに還俗し、医師として故郷に帰ったのです。

    その後、隣りに建った教会の献堂式に招かれ、出席しました。夫との問題を神に祈りましたが、自分の理性で解決しようと思い、祈るのをやめました。しかし、問題は解決せず、病弱な夫に愛のある看病をしたいと思ってもできませんでした。愛がなく、夫を赦していない自分に気付かされても、偽善の罪のどん底に追い込まれていきました。そんな時です。神は二度と教会に行くものかと思っていた私をも見放さず、見捨てず教会の特別集会に導いて下さいました。み言葉や賛美を通して、「主を信じたい」との思いが与えられ、そのことを先生に告白しました。神は求める者に、創造主なる神を示して下さいました(ルカ11:9、創世記1:3)。神の前に罪を告白し、イエス様を救い主と信じた時、み言葉を通して罪の赦しの確信をいただくことができました(マルコ2:5、Ⅱコリント5:17)。次の日の朝、神の平安に満たされ、夫の看病に苦痛を感じなくなりました。幼い頃から求めていたものは、すべて主のうちにあったのです。



    教会の各活動



    ブレスの賛美
    午後は、特別伝道集会(藤井圭子先生)が行われました。


    今週~来週の予定

     

    ○婦人祈祷会 火曜日(7月15日)10:30~


    聖書:マルコによる福音書1章35節
    題:祈り
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:190,195


    ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月16日)19:30~


    聖書:マルコによる福音書10章17-31節
    題:富める者と神の国
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:221、371,391


    ○主日礼拝 来週日曜日(7月20日)10:30~


    招詞:ピリピ書2章10~11節
    交読文:32  詩篇103篇
    聖書:ヤコブ書1章16-18節
    題:思い違いをしてはいけない
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:27、365、343

    2014年7月8日火曜日

    【お知らせ】特別伝道礼拝、特別伝道集会を開催します(藤井恵子先生)

    ※この記事は、7/13 の「特別伝道礼拝・特別伝道集会」のお知らせです。

    京都信愛教会では今年、特別伝道礼拝・特別伝道集会を開催します。

    講師は、小児科医であり、尼僧からクリスチャンとなった経歴をお持ちの藤井圭子先生です。

    どなたでも入場無料です。聖書のことについて知りたい方、神様がどのようなお方かを知りたい方は、ぜひお越しください。。

    詳しい案内は、以下のチラシをご覧ください(クリックすると、大きく表示されます)。


    ■日時


    2014年7月13日(日)

    ■特別伝道礼拝 10:30~12:00


    メッセージテーマ「慰めの神がほめたたえられますように」
    聖書(コリント人への第二の手紙1章1~7節)より
    メッセンジャー: 藤井圭子先生
    ※入場無料(礼拝中に献金の時が有りますが、献金は自由です)

    ■特別伝道集会 13:00~14:30


    メッセージテーマ「確かな希望に生かされて~尼僧からクリスチャンへ~」
    聖書(ヨハネによる福音書14章1~7節)より
    メッセンジャー: 藤井圭子先生
    ※入場無料
    ※午前・午後と続けて参加される方の昼食は教会で用意します

    ■場所


    日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
    京都市北区大将軍坂田町21番地12
    TEL(075)461-1938
    牧師: 長谷川和雄
    副牧師: 長谷川ひさい
    ※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

    ■メッセンジャー


    藤井 圭子(ふじい けいこ)

    1936年 広島県呉市に生まれる。
    1961年 広島大学医学部卒業。小児科医となる。
    1963年 尼僧となり、尼僧校および仏教大学専攻科で勉学修行。のちに尼僧校舎監となるが、やがて還俗(げんぞく)。小児科医に復帰し、結婚。二児出産。
    1982年 洗礼を受けて、キリスト者になる。
    1985年 日本キリスト伝道会・巡回伝道者に任命され、国内、海外の諸教会で奉仕し、今日に至る。呉平安教会会員。小児科医。

    2014年7月6日日曜日

    主日礼拝「いのちの冠を受ける者」

    礼拝メッセージ 「いのちの冠を受ける者」 ヤコブ人への手紙1章12~15節

    長谷川和雄師


    「我らをこころみにあわせず」との主の祈りは、マタイとルカの福音書に記されています。新共同訳では、「誘惑に遭わせず」と訳されています。この試みと誘惑の違いについて考えましょう。

    Ⅰ. 試みと試練…

    1) 原語。
    「試練」や「誘惑」と訳されている原語は同じですが、文章の意味や、前後関係や文脈などを踏まえ、「試み」や「誘惑」と訳します。それは、性格や本質が異なる言葉だからです。
    今日の箇所では、「試練」(12)が、13節以降「誘惑」に変わり、使い分けられています。

    2) 試練とは。
    「試練」は、信仰を鍛練し、成長させるために神が与え、患難や困難、苦悩、また悲惨の形で臨みます。
    しかし、「試練」は人に罪を犯させるように働かず、神に固い信頼を寄せて生きることを教えるため、神が与えるものです。時には、信仰者に物質的、精神的、信仰的に危機的状況を生じさせます。
    「試練」を切り抜けると、霊的に強められ、豊かにされ、神の国の一員に相応しい者へと造り変えられ、神に在って生かされることの喜びが増し加えられます。ですから、2節で試練を喜べと記し、試練と幸いが結び付き、「いのちの冠」(12)の約束が記されているのです。このいのちとは、いのちそのもの、新しいいのちのことで、それが与えられると救いの確信に導かれます。

    Ⅱ. 誘惑に負けるとは…

    1) 試練の意味。試練により信仰がぐらつき、神への疑いや怒りを覚えることもあります。しかし、信仰者は神のみこころと新しいいのちを求める心があるので、時が来ると試練は神のみこころであり、神は私たちを離さず、信仰を練り、鍛え、神に近付く者に導きたいのだと悟り、信仰が強められます。
    2) 誘惑に陥る。人間はその一方で神に逆らう肉的な側面があり、神からの自由を求め、自分が神になり、神を思い通りに支配しようとする欲望を持っています。この欲望が行動を起こし、神から離れることになります。「誘惑に陥る」(14・共同訳)姿は、この肉的側面で支配的な生き方です。
    3) 誘惑に負ける。「誘惑」は、人の内に入り具体的欲望を刺激し、その欲望のままに走らせます。欲望は普段隠れていますが、表に現れ欲望がその人の意志となり、人生全体を支配し、誘惑に陥いるのです。その結果、人を神から離れさせ、み言葉を聞かせなくし、神なしで済ますことに喜びを見出します。それは初めのうちは成功しますが、大きな落とし穴なのです。

    Ⅲ. 信仰者の選びとる道。

    1) 欲望は誘惑に、誘惑は罪に、罪は死に至る鎖となります。誘惑に陥ると人を神から引き離し、いのちから離れ死に到達するのです。
    2) 神は人を誘惑しません(13)。神は、人に試練を与え、人を鍛錬し、忍耐を養っても、人を誘惑し、ご自分から引き離しません。神は、人をご自分に引き寄せても、離れさせて死に至らせる誘惑をしません。
    3) 聖書は、誘惑はサタンと人の内にある欲望が誘惑し、罪と死の原因となりますと記します。誘惑に陥るのは、人に原因と責任があります。試みや誘惑のない人生はなく、欲望を何一つ持たない人もいません。人の心は神の愛と誘惑の力が戦う戦場です。しかし、神の愛を知る者は欲望・誘惑・罪・死の連鎖の鎖を断ち切る事を求め、戦います。戦わずして霊的に生きられません。戦いの武器は祈りです。主の願いは人の滅びではなく、悪から守ることです(ヨハネ17:15)。罪深く弱い者であることを認め、神の助けとみ言葉、相応しい知恵を求めて祈り、戦います。誘惑に勝利する者を喜び(マタイ25:11)、「いのちの冠」を用意しておられます。



    教会の各活動



    聖餐式の様子
    午後は、教会役員会が行われました。

    今週~来週の予定

     

    ○婦人祈祷会 火曜日(7月8日)10:30~


    聖書:ヤコブ書1章22-25節
    題:み言葉に従う
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:19、316

     

    ○聖書研究祈祷会 水曜日(7月9日)19:30~


    聖書:マルコによる福音書10章13-16節
    題:幼子を祝福される主
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:104、474、259

     

    ○特別伝道礼拝 来週日曜日(7月13日)10:30~


    招詞:詩篇103篇1-2節  交読文:7 詩篇23篇
    聖書:コリント第二の手紙1章1-7節
    題:慰めの神がほめたたえられますように
    説教者:藤井圭子先生
    新聖歌:21、201、344

     

    ○特別伝道集会 来週日曜日(7月13日)13:00~


    聖書:ヨハネによる福音書14章1-7節
    題:確かな希望に生かされて~尼僧からクリスチャンへ~
    説教者:藤井圭子先生
    新聖歌:209、233