2014/06/01

主日礼拝「真の豊かさ」

礼拝メッセージ 「真の豊かさ」 ヤコブの手紙1章9~11節

長谷川和雄師


ブレスの会衆賛美
「人は皆死ぬべき存在である」、また、イスラエルの花の命の短さは、命のはかなさをもしみじみ思わされ、また、人として神に生かされていることについて考えさせられます(イザヤ40:7)。クリスチャンが、自分の存在を人々の心に刻むのではなく、神のみ前で受け入れられ、神と共に歩み真の豊かさを教会生活で味わって歩み、与えられている命を全うした後に、死を迎えることができる人生を送ることが出来ることは、なんと感謝なことでしょうか。「軽蔑された貧しい者が自尊心を学び、高慢で富んでいる者が自己卑下を学ぶ」とメイヤーが言いましたが、ヤコブ書を通して、貧富の問題と、真の人間として生きることについて考えましょう。

I.貧しい兄弟は高くされることを喜ぶ(9)。
「高くされたことを喜びなさい」「誇り」(新改訳、新共同訳)と、記されていますが、どのような意味でしょうか。
1) 「低い身分」とは、社会的に身分の低い者、弱い立場にある者の意味です。財産や持ち物の物質的な貧しさ。学識、学歴、技術面などの貧しさ。豊かな心や感受性、想像力に欠ける精神的貧しさ。また、容貌、体格の身体的な貧しさ。仕事の失敗や不成功の多さ。人々から好かれ、愛されることの少ない貧しさなどです。
2) 自分の本当の貧しさ、自分の弱さや愚かさを知ったときに、絶対者である神に自分を委ねることが喜びとなります。それが「高くされ」の意味であり、そのことを喜び、誇りなさいと勧めているのです。
3) 主も人間的な貧しさの中に来られ(Ⅱコリント8:9)、この方によって神に近付くことを許され、神の豊かさに与り、新しい命に移されて高くされるのです(ピリピ2:6-9)。だから、主は心の貧しい人は幸いであると言われたのです(マタイ5:3)。この世において貧しさを克服するためには他人の助けも必要でしょう。しかし、神との関係において自分の貧しさを知るときに、新しい道に目が開かれ、死を復活の主に委ね、復活の希望が湧き上がり、死の貧しさの中で喜ぶことが出来るのです。

Ⅱ.富める者は低くされることを学ぶ(10-11)。
1) 「富んでいる者は、自分が低くされたことを喜びなさい」とありますが、喜び誇れるのでしょうか。富んでいると思う者は、自分の生命や自分の存在の保障を、地上の何かによって得ていると考え、地上の富を求め続け、富が頼りにならないことを知ることは辛く、挫折を味わいます(詩篇49:16-17)。しかし、神の前にあっては喜ぶべき時です。なぜなら、真の富を手にする時がその人に来たからです。地上の富を失い、苦しむことを通して真理に目覚め、真の富を見出すことになるなら、それは神が与えて下さった試練であると受け止められたなら、2節の言葉の意味がよく分かります。
2) 富んでいる者を、地上の草花にたとえています(10-11)。富は一時的で、跡形も無く消え失せる死が控えています(イザヤ40:6-8、詩篇103:15-17、Iペテロ1:24-25)。
3) 一時的なことでなく、永遠のものに目を注ぎましょう(Ⅱコリント4:18)。永遠に続くものは神の言葉、主の慈しみです。「すべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように」(Iテモテ6:17)。草は枯れ、花は散ります。己の無力さを知り、神に望みを置く人は永遠に生きます。主が私たちのために死んで下さったからには、どのような人も無価値では無いのです。神は私たちを愛し、本当の生き甲斐、使命を与え、生きる喜びで溢れさせて下さいます。これこそ本当の豊かさに生きる人の姿ではないでしょうか。






教会の各活動


CSの父の日プレゼント作成

午後は、教会役員会が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(3日)10:30~


※教区婦人部 湖西祈りの家清掃のため、休会します


○聖書研究祈祷会 水曜日(4日)19:30~


聖書:箴言14章29節
題:怒りについて
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:260、209、324


○ペンテコステ礼拝 来週日曜日(8日)10:30~


招詞:ヨハネによる福音書4章23-24節
交読文:22  詩篇65篇
聖書:ヨハネによる福音書16章7-15節
題:主の約束された聖霊
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、412、408