2014/06/29

主日礼拝「わたしにつながっていなさい」

礼拝メッセージ 「わたしにつながっていなさい」 ヨハネによる福音書15章1~7節

長谷川和雄師


特別賛美: 浜岡典子師
主との交わりの関係の意味を強調するために、ぶどうの木の譬えを用いました。このテキストは、私たちクリスチャンが生涯において、豊かな実を結ぶために重要なみ言葉の真理を提示しています。自然のままに育った実は小さかったり、美味しくなかったり、少ししか実らなかったりですが、色々と世話をすることにより良い実を結ぶようになります。

Ⅰ.私たちを育てる神…
1) まことの葡萄の木。聖書で葡萄の木は、選民イスラエルのシンボルです。神が良い葡萄の木を植えたのに野生化し、良い実を結ばなくなったと預言書に何回も出てきます(イザヤ5:1-4)。これはイスラエルだけでなく、神が人間を神に似せて創造されたのに、与えられた自由意志を濫用して罪を犯し、神に背いていることを表わしています。しかし、私たちがまことの葡萄の木である主につながるとき、甘美な実を結ぶことができます。だから農夫は、細やかに作物の様子を見て色々とお世話をします。ここで農夫である父なる神は、豊かな実を結べるように手入れをします。
2) 取り除く。この原語(アイロー)は、「持ち上げる」という意味によく使われます。神は、つるである枝が石の上から落ちて根を張らないように、地面から枝を持ち上げて下さるのです。神は私たちを深く愛しておられるので、この世から分離できるようにして下さり、しっかり主と結ぶ事ができるようにして下さり、新しい命を注いで主の愛で満たし、強く生きるようにして下さいます。
3) 手入れしてきれいにする。この原語(カタイロー)は、「選定」や「きよめる」との意味です。より良き葡萄を、多く結ばせるための刈り込みです。まず主としっかり結ばれ、きよめられ、価値観を変えられ、何が神の御旨かを教えられた後に、悪習慣や人間関係をきよめて下さいます。

Ⅱ.主につながり離れない…
これは主の命令です。父なる神は御子を遣わし、この方を通して、実を結ぶことが出来る、驚くべき恵の道を備えて下さいました。私たちが主にしっかりとつながることも大切なことですが、罪深い私たちを主は見捨てないで愛して下さいます。そして、私たちが主を選んだのではなく、主が私たちを選ばれたのです(16)。ですから、この世に押し流され、世と調子を合わせ、妥協して生きるのではなく、この世で豊かな実を結ぶために、いつまでも、しっかりと主につながり、頼ることです。離れたら滅びです。この世の何にも頼らず、主にしっかりと頼ることです。

Ⅲ.主にとどまる祝福…
1) 多くの実を結ぶ。聖霊は樹液に譬えられます。主と私たちが、生きた命の関係の交わりをもつならば、枝は枯れないばかりか、豊かな聖霊の実を結ぶことが出来ます(ガラテヤ5:22-23)。人生の困難、悩み、苦しみが襲い掛かることが有っても、愛と喜びと感謝に溢れ、揺るぐことのない平安のなかを歩むことが出来るのです。
2) み言葉に生きる。「わたしのことば」を見過ごさないように。人が主と深く交わり、主のみ言葉にとどまり続け、み言葉を信頼して歩み続けることです。日々の生活を通して、この世の言葉や考えではなく、み言葉の真実を体験し、主は生きておられ、主がご真実な方であることを確信することが出来るのです。
3) 主の御名による祈り。父なる神が 送って下さった主にしっかりつながって神と真実で自由な交わりをし、み言葉を心に蓄え、み言葉の約束にしっかり立って、主の御名によって祈るとき、豊かな実を結ぶのです。


教会の各活動



午後は、初夏のチャペルコンサート(浜岡典子師)が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(7月1日)10:30~


※教区婦人部修養会のため、休会します


○聖書研究祈祷会 水曜日(7月2日)19:30~


聖書:詩篇119篇67節
題:苦しみ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:211、316、373


○主日礼拝 来週日曜日(7月6日)10:30~


招詞:マタイによる福音書11章28-30節
交読文:23  詩篇66篇
聖書:ヤコブ書1章12-15節
題:いのちの冠を受ける者
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:154、444、(賛美歌21)411

【お知らせ】初夏のチャペルコンサート 6/29 開催します

※この記事は、6/29 の「初夏のチャペルコンサート」のお知らせです。

京都信愛教会では今年も、初夏のチャペルコンサートを行います。

今回は牧師夫人であり、シンガーソングライターでもある浜岡典子師をお招きして、
素晴らしいゴスペルソングと神様の恵みのメッセージをいただきます。

どなたでも入場無料です。聖書のことについて知りたい方、神様がどのようなお方かを知りたい方も、ぜひお越しください。。

詳しい案内は、以下のチラシをご覧ください(クリックすると、大きく表示されます)。


■日時


2014年6月29日(日) 開場12:30 開演13:00

■賛美・メッセージ:浜岡典子(はまおか・のりこ)


近江福音自由教会 牧師夫人。3男1女の母。
シンガーソングライター。ギター教室講師。

祖母がクリスチャンで、幼い時から教会に行く。
中学1年の時、北海道から関西に引っ越してから
は、友だちに誘われ宇治福音自由教会に行き、
中2の時、信仰を持つ。その後、受験の日に
父親を交通事故で亡くすという経験を通し、
キリストと向き合い、信仰が深められた。
17才で洗礼を受け、その頃から作詞作曲を始める。
現在は、各地の教会、ミッションスクール、地域の
保幼小中・デイケアセンター、病院、駅等で、また、
2011年からは仙台・石巻でも、神様の愛を歌い続ける。

2011年11月にSCA RECORDSより、待望のオリジナル
アルバム「IN HIS LOVE」リリース。テレビ番組
「ライフ・ライン」や、ラジオルーテルアワー「心に光を」、
世の光の「キンポーデン・アワー」等で曲と共に紹介される。

http://iesunon.blogspot.jp

■場所


日本イエス・キリスト教団 京都信愛教会
京都市北区大将軍坂田町21番地12
TEL(075)461-1938
牧師: 長谷川和雄
副牧師: 長谷川ひさい
※当教会は、伝統的なプロテスタントの流れを汲むキリスト教会です。

2014/06/22

主日歓迎礼拝「主を喜ぶこと」

礼拝メッセージ 「主を喜ぶこと」 ネヘミヤ記8章10節

長谷川ひさい師


私たちは喜びと希望と愛に溢れ、罪や多くの試練に打ち勝つ力強い人生を歩むにはどうしたらよいでしょうか。

Ⅰ.人生の困難…
1) 試練。「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と林芙美子は言いましたが、私たちの周りには家族問題、金銭や病の問題など、何処を見ても苦しみや試練で囲まれ逃れられませんが、これらの試練を乗り越える力を得られないでしょうか。
2) 孤独。人生の孤独も大変です。人類は素晴らしいい医学を生み出し寿命が延びましたが、皆死を迎えます。死を目前にした時は、孤独で頼りのない存在です。自分の存在理由や人生の目的を明確に知ることが出来ず、真実の友を見出すまでは、本当に寂しく孤独で力のない存在です。だから、その孤独に打ち勝ち、輝いた人生を送る力が必要です。
3) 罪。罪に打ち勝つ人生を送りたいものです。パウロは、「私はかって罪と咎の中で死んだ者であって、今までの古い社会の習慣に縛られ、私の肉の欲の思うままに引っ張り回され、悪魔のもとにある者でした。ああこの惨めな死のからだからどうしたら救われるだろうか。誰が私を救ってくれるだろうか」(エペソ2:1-3、ローマ7:24参照)と叫びましたが、私の叫びでもありました。試練、孤独、罪に打ち勝つ力はどこにあるのでしょうか。

Ⅱ.愛の神を知る…
主とは神です。人生に勝利を与えるのは、人間の知恵や知識、教養や財産、名誉や権力でもなく神です。神に目を向け、神を見ることです。人間は真の神でない人間が作ったものを拝み、人間をも神として拝んでいます。しかし神は、そんな私たちひとりひとりを、「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ31:3)と言われましたが、歴史的事実として神のひとり子のイエス・キリストご自身を私たちに与えて下さいました。主は、その永遠に栄光に輝く中から、永遠の望みと喜びに溢れる全てを捨てて、私たちの醜い貪欲に溢れ、憎しみと争いの絶えない、この世に遣わされ、汚い所に、人に知られないで生まれて来ました。そして、人間の悩み、悲しみを共にし(イザヤ53:3)、主の知らない涙や苦しみはありません。主はまくらする所も無いばかりか(マタイ8:20)、自ら進んで私たちの罪の呪いを受け、罪の刑罰を十字架の上で受けられ、肉体の苦しみを味わったばかりか、神に捨てられ孤独の死を受けて下さいました。愛の神は、神を知らず、神に敵対する者が、神の前に罪の無い者とされ、神の懐に永遠の望みを与えられて帰ることができるようにして下さいました。

Ⅲ.主を喜ぶ信仰…
主を喜ぶ信仰とは神と仲直りすることです。神に敵対し、神に対して無関心のままでは、神の力に与ることは出来ません。神と仲直りするために、まず、心と口が一つとされて、自分が罪人であり、内から何の良きものが出てこないことを認め、心から主に、「私は罪人です。ごめんなさい」と謝り、神と仲直りすることです。次に、イエス様が罪からの救い主であり、真の神であることを認めて、心の底から罪を悲しみ、主の十字架を見上げ、こんなにまで命を投げ出して愛して下さった、神の大きな愛に心から感謝するときに、心の内から喜びが溢れてきます。これが、主を喜ぶことの第一歩なのです。皆さんは、神と仲直りをされておられますか。まだでしたら直ぐ神と仲直りしましょう。残された人生、「主を喜ぶ」信仰に生きる者とされて人生を全うし、神に栄光を帰する者でありましょう。




教会の各活動



6/15 「花の日訪問」にて
午後は、CS教師会と青年会(例会)が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(24日)10:30~


※教団牧師夫人研修会のため、休会します


○聖書研究祈祷会 水曜日(25日)19:30~


聖書:マルコによる福音書10章1-12節
題:結婚と離婚
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:156、504、216


○主日礼拝 来週日曜日(29日)10:30~


招詞:マタイによる福音書11章28-30節
交読文:55 ヨハネによる福音書15章
聖書:ヨハネによる福音書15章1-7節
題:わたしにつながっていなさい
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、332、316

2014/06/15

主日礼拝「父たる者よ」

礼拝メッセージ 「父たる者よ」 エペソ人への手紙6章4節

長谷川和雄師


CSから父の日の感謝の時
父の権威が失われ、子どもたちの道徳が崩壊したと言われる今日ですが、父に対する聖書の教えを学びましょう。育児は妻、夫は仕事との分業型や、娘は妻、息子は夫との分担型夫婦が多い中、父は子女の育児と教育に責任があり、養育、躾は両親の責任であり、父として子どもの従順と尊敬を引き出す責任があることを、聖書は記しています。

Ⅰ. 子どもを怒らせない訓練。
1、子どもを感情的に刺激し、興奮、ねたみ、怒り、いら立たせないようにと戒め(コロサイ3:21)、感情面や心理面への心配りを求めています。今日では、腫れ物に触るかのような扱い方を求めています。主の時代、父親の絶対的権利が認められ、嬰児遺棄、子女の奴隷や売春婦への売却、相続拒否、鞭打ち、投獄、致死も許されている時代に、父に対し子どもに対する道を教えるのは画期的でした。
2、権威の乱用。
①自分の欲求満足や、自分の性格に支配され、過度に厳格で性急で、思慮が浅く同情もなく、怒ってばかりではいけません。
②真の自由は、他人の自由を尊重します。
③正しい定規を用い、差別、思いつきでなく、み言葉に基づいた教育をします。
④子どもの本当の幸せを願う父でありましょう。

Ⅱ. 主にある教育と訓戒。
1、今日、子どもの素質を伸ばす名目で自由保育が盛んですが、聖書は正しい育て方を教えています。子どもが様々な教えの風に吹きまわされないように、父の愛をもって訓戒や訓練、躾は欠かせません。
2、父親の教育や訓戒の中に、愛の主のみ顔とみ声を、子どもが感じられるようにしましょう(民数記6:24-26)。愛の主は、ひとりびとりに身をかがめ、下から覗き込むようにして真剣に聞き、話しかけて下さいます。主も子どもを抱き、手を置き(マルコ10:16)、少女の手を取って立たせ(マルコ5:41)、子どもの賛美を受け取ります(マタイ21:15-16)。
3、「薫陶」の意味は、教育、実践的な訓練、懲らしめ、訓育、教え、戒め、規律です。心身の発達や良い実を結ぶためになされます。
4、「訓戒」の意味は、教訓、戒め、躾、訓戒・忠告・叱責、言葉による知的な教えです。悪習慣などを矯正するためになされます。主は律法を守り、私たちの罪の刑罰を負い十字架上で死なれました。正しい主にある訓練や懲らしめは、子どもに必要です(箴言13:24)。

Ⅲ. 父親は神から預かった子どもの養育の責任を持つ。
1、「育てる」「養う」、成熟するまで、完全にお乳を与え、食べ物を与えなさいと、母親が赤ん坊を抱きお乳を含ませ、暖めてやる育児の姿を、父親にも求められています。父親がもっと体と時間を用い、面と向かって子どもを育てることが命じられています。
2、主の教育。主は小手先で教えず、愛と信頼をもって相手の人格に接しました。だから、心開き、新生しました。サマリヤの井戸の女(ヨハネ4:6-36)。香油を主の足に塗った罪の女(ルカ7:36-50)。ザアカイ(ルカ19:1-10)。
3、
①養育のための配慮と世話に、多くの時間が必要です。
②聖書を生活の中に習慣的に適用し、優しく教えます(ガラテヤ3:24)。
③伝記等を共に読み、自らの生活が偽善でなく、愛と真実を持って生活しましょう。
④聖書に関する質問には正しく答えます(申命記6:20-25)。
⑤祭壇を築き直す。
4、子どもの健康、知的成長、才気、物的繁栄、社会的地位を求めたり、悲しみや労苦や不幸から免れるようにするよりも、主に忠実に歩めるように育てましょう。神のみこころを知り、神を畏れ、神の臨在を覚え、神を深く知り、神と人に仕える者に育てましょう。



教会の各活動



午後は、壮年・婦人・青年合同の会堂大掃除が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(17日)10:30~


聖書:エペソ書5章33節
題:夫を敬う
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、341


○聖書研究祈祷会 水曜日(18日)19:30~


聖書:マルコによる福音書9章38-50節
題:主の弟子の生き方
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:101、385、429


○歓迎礼拝 来週日曜日(22日)10:30~


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:31  詩篇100篇
聖書:ネヘミヤ記8章10節
題:主を喜ぶこと
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:18、356、382

2014/06/08

ペンテコステ礼拝「主の約束された聖霊」

礼拝メッセージ 「主の約束された聖霊」 ヨハネによる福音書16章7~15節

長谷川和雄師


洗礼式
今日は花の日とペンテコステです。聖霊が降り教会の誕生日です。主の告別説教に聖霊の13の働きが記されています。
①14:18「来る」
②14:19「見る」
③「生きる」
④14:20「わかる」
⑤14:21「あらわす」
⑥14:23「愛し」
⑦「一緒に住む」
⑧14:26「教え」
⑨「思い起させ」
⑩15:26「あかしする」
⑪16:8「目を開く」
⑫16:13「真理に導く」
⑬16:14「栄光を得させる」。
主が去らなければ、聖霊なる助け主は来ません。しかし、いつでも、どこでも、いつまでも共にいて下さる聖霊の臨在は何と幸いでしょう。
今日は、聖霊の働きの3つを見ましょう。

Ⅰ.目を開く聖霊(8-11)…
聖霊は、人の目を開き誤りを認めさせます。
1) 罪。盗み、殺人、不倫は罪と認めますが、自分は罪人だと認めません。不信仰は罪ではなく、賢く、強い人間だと誘惑します。罪に対し麻痺した良心が、自由を自己中心的に考え、社会を暗く惨めにします。それが罪であると、目を開くのが聖霊です。
2) 義。人は自分の正しさ、聖さを人と比べて誇ろうとします。しかし、それは神の前に自信がないからです(イザヤ64:6、エレミヤ17:9-10)。主は、パリサイ人と取税人の祈りの譬えで(ルカ18:10-14)、人の正しさ、聖さはどんなに醜いものであるか、罪を真心から認め、悔い改め十字架を仰いだ者を、神は義と認めて下さる事を教えました。このことを聖霊は悟らせて下さいます。
3) さばき。多くのクリスチャンは、愛の神はさばかない、自分は十字架を信じているから大丈夫と考えつつ罪を重ね、自分の力で良いことを行い、多く献げているから天国に入れると考えます。しかし、深いところでは救いを疑い、他人が自分に行った不義や不正は赦さないで神のさばきが下ることを願います。しかし、聖霊は十字架を通して教えます。
①罪に対してさばきがあること(ローマ6:23)。主は、罪の断末魔の苦しみを味わわれました(マタイ27:46)。
②主は、私たちの罪のために身代わりとなって、罰を受け十字架上で死んで下さったのです。主の十字架の贖いを信じることによって、罪が赦され、その血潮によってきよめられ、罪を犯さないように造り変えられます(Iヨハネ1:7-2:1)。聖霊が心の目を開き、贖いの御業は自分の為であることを悟らせて下さるのです。人間的な教育によって、心の目は決して開かれません。

Ⅱ.真理に導く聖霊(13)…
主が十字架にかかられ、死んで復活し、昇天するまで弟子たちに理解できなかったことを、聖霊が弟子たちに降ったことによって理解できました。
1) 真理。主に関する真理、主による救いと信仰にかかわるあらゆる真理です。
①主の処女降誕・人間として来られ。
②十字架の死と復活・苦しみを受け、復活したこと。
③昇天・聖霊を遣わし、天にて主が全てのものを支配し、とりなしておられるので祈ることができるのです。
④未来のこと・永遠のさばき、御国の栄光と全き支配と豊かさ、希望の復活を、悟ることができます。
2) 世から憎まれる十字架を、誇るクリスチャンたち(Ⅰコリント1:18)を助けるのが聖霊です(ヨハネ14:16)。全てのクリスチャンが、聖霊の導きをいただいて、十字架につけられた主のあらゆる真理を悟ることができるように祈ります。

Ⅲ.主の栄光を現す聖霊(14-15)…
1) キリストを信じ、新しくされた人を通して、神の栄光を現します。聖霊は、主を絶えず教え、主の豊かな命と臨在を示し、主の栄光を現します。この聖霊を豊かに与えて下さるお方を仰ぎつつ、聖霊の満たしを待ち望みましょう。主は聖霊に満たし、神の栄光を現して下さいます。



教会の各活動


CS初夏のレクリエーションにて

午後は、CS初夏のレクリエーション(梅小路公園)が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(10日)10:30~

聖書:コロサイ書3章9節
題:古い人
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:7、427


○聖書研究祈祷会 水曜日(11日)19:30~

聖書:マルコによる福音書9章30-37節
題:真の偉さとは
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:264、111、355


○主日礼拝 - 父の日 来週日曜日(15日)10:30~

招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:32 詩篇103篇
聖書:エペソ書6章4節
題:父たる者よ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:22、317、(賛美歌21)546

2014/06/01

会衆賛美「威光・尊厳・栄誉」「キリストは生きておられる」など



京都信愛教会の賛美デュオ Blessの二人による会衆賛美リード。

    1. 「威光・尊厳・栄誉」 詞・曲: 阿内源一 (新聖歌166番)
    2. 「今はただそれだけ」 詞・曲: 部田典子(浜岡典子)
    3. 「キリストは生きておられる」 詞・曲: William J. Gaither (新聖歌257番)

    京都信愛教会では、毎週第2日曜日の礼拝で Blessが会衆賛美のリードをしています。

    また、毎月第4日曜日の礼拝では青年会、婦人会、教会学校、有志月替わりで特別賛美をしています。

    どなたでも、どうぞ礼拝にお越しください。

    主日礼拝「真の豊かさ」

    礼拝メッセージ 「真の豊かさ」 ヤコブの手紙1章9~11節

    長谷川和雄師


    ブレスの会衆賛美
    「人は皆死ぬべき存在である」、また、イスラエルの花の命の短さは、命のはかなさをもしみじみ思わされ、また、人として神に生かされていることについて考えさせられます(イザヤ40:7)。クリスチャンが、自分の存在を人々の心に刻むのではなく、神のみ前で受け入れられ、神と共に歩み真の豊かさを教会生活で味わって歩み、与えられている命を全うした後に、死を迎えることができる人生を送ることが出来ることは、なんと感謝なことでしょうか。「軽蔑された貧しい者が自尊心を学び、高慢で富んでいる者が自己卑下を学ぶ」とメイヤーが言いましたが、ヤコブ書を通して、貧富の問題と、真の人間として生きることについて考えましょう。

    I.貧しい兄弟は高くされることを喜ぶ(9)。
    「高くされたことを喜びなさい」「誇り」(新改訳、新共同訳)と、記されていますが、どのような意味でしょうか。
    1) 「低い身分」とは、社会的に身分の低い者、弱い立場にある者の意味です。財産や持ち物の物質的な貧しさ。学識、学歴、技術面などの貧しさ。豊かな心や感受性、想像力に欠ける精神的貧しさ。また、容貌、体格の身体的な貧しさ。仕事の失敗や不成功の多さ。人々から好かれ、愛されることの少ない貧しさなどです。
    2) 自分の本当の貧しさ、自分の弱さや愚かさを知ったときに、絶対者である神に自分を委ねることが喜びとなります。それが「高くされ」の意味であり、そのことを喜び、誇りなさいと勧めているのです。
    3) 主も人間的な貧しさの中に来られ(Ⅱコリント8:9)、この方によって神に近付くことを許され、神の豊かさに与り、新しい命に移されて高くされるのです(ピリピ2:6-9)。だから、主は心の貧しい人は幸いであると言われたのです(マタイ5:3)。この世において貧しさを克服するためには他人の助けも必要でしょう。しかし、神との関係において自分の貧しさを知るときに、新しい道に目が開かれ、死を復活の主に委ね、復活の希望が湧き上がり、死の貧しさの中で喜ぶことが出来るのです。

    Ⅱ.富める者は低くされることを学ぶ(10-11)。
    1) 「富んでいる者は、自分が低くされたことを喜びなさい」とありますが、喜び誇れるのでしょうか。富んでいると思う者は、自分の生命や自分の存在の保障を、地上の何かによって得ていると考え、地上の富を求め続け、富が頼りにならないことを知ることは辛く、挫折を味わいます(詩篇49:16-17)。しかし、神の前にあっては喜ぶべき時です。なぜなら、真の富を手にする時がその人に来たからです。地上の富を失い、苦しむことを通して真理に目覚め、真の富を見出すことになるなら、それは神が与えて下さった試練であると受け止められたなら、2節の言葉の意味がよく分かります。
    2) 富んでいる者を、地上の草花にたとえています(10-11)。富は一時的で、跡形も無く消え失せる死が控えています(イザヤ40:6-8、詩篇103:15-17、Iペテロ1:24-25)。
    3) 一時的なことでなく、永遠のものに目を注ぎましょう(Ⅱコリント4:18)。永遠に続くものは神の言葉、主の慈しみです。「すべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように」(Iテモテ6:17)。草は枯れ、花は散ります。己の無力さを知り、神に望みを置く人は永遠に生きます。主が私たちのために死んで下さったからには、どのような人も無価値では無いのです。神は私たちを愛し、本当の生き甲斐、使命を与え、生きる喜びで溢れさせて下さいます。これこそ本当の豊かさに生きる人の姿ではないでしょうか。






    教会の各活動


    CSの父の日プレゼント作成

    午後は、教会役員会が行われました。

    今週~来週の予定

     

    ○婦人祈祷会 火曜日(3日)10:30~


    ※教区婦人部 湖西祈りの家清掃のため、休会します


    ○聖書研究祈祷会 水曜日(4日)19:30~


    聖書:箴言14章29節
    題:怒りについて
    説教者:長谷川ひさい師
    新聖歌:260、209、324


    ○ペンテコステ礼拝 来週日曜日(8日)10:30~


    招詞:ヨハネによる福音書4章23-24節
    交読文:22  詩篇65篇
    聖書:ヨハネによる福音書16章7-15節
    題:主の約束された聖霊
    説教者:長谷川和雄師
    新聖歌:264、412、408