2014年5月18日日曜日

歓迎礼拝「永遠のいのち」

礼拝メッセージ 「永遠のいのち」 ローマ人への手紙6章23節

長谷川ひさい師


スポルジョンが16歳の時救われ、多くの魂を救いに導きましたが、今日のみ言葉を全世界に知らせ、真理を知って救われてほしいと思い、「このみ言葉を青空一杯に書きたい」と言いました。

聖書は、幸福の根源は神の賜物の「永遠のいのち」であり、不幸の根源は貧しさ、病、家庭の不和などで無く、「罪の支払う報酬は死」ですと記します。

Ⅰ.生きながらの死…
1) 肉体的な意味では生きていて元気であり、立派な地位や名誉を持っているのですが、心の中に憎しみや妬み、肉欲や貪欲などで心が占められている時、その人の人生は生きているようですが、実は死んでいるのです(エペソ2:1-2)。
2) パウロは素晴らしいクリスチャンでしたが、「私の心の中には良いことをしたい、聖い生活をしたい、愛に満ちた生活をしたいという気持ちがある。ところが、そういう気持ちがあるにもかかわらず、私の心の中には別のもう一人の者がいて、良いことができないで、自分が憎んでいることを行っている自分がいる」と言いました(ローマ7:15)。また、「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ローマ7:24)と言っています。この姿が生きながらの死の状態です。

Ⅱ.肉体の死…
1) 「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている」(ヘブル9:27)と記されていますが、人間には死ぬことが定められているのです。私たちは、肉体の死について、色々と遭遇しており、私たちの周りには、肉体の死で満ちています。この死の3つの特徴。
①全世界のひとり残らず死ななければならない、とても厳粛なことです。
②今まで頼りにしていたものが、みんな剥ぎ取られてしまうことです。
③神の前にすべてのことがあからさまにされることです。しかし、神に従い、神の愛の中に死ぬ者は幸いです。「今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである」(黙示録14:13)と記されています。神の愛を知る者にとって死とは、永遠の喜びの入り口です。真の神や愛する者との再会があり、涙もなく、苦しみもない、愛と喜びと平和が満ちている神の国への凱旋だからです。しかし、真の神を知らず、永遠の神のさばきにより、神のいない孤独の中、第二の死に入れられることは何と恐ろしいことでしょうか。

Ⅲ.魂の死…
1) 「死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた」(黙示録20:14-15)魂の永遠の死があります。また、「人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである」(黙示録9:6)。人は死を目前にすると罪の呵責を感じ、不安が襲うので神の助けを求めますが、神には聞こえません。「自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取」ります(ガラテヤ6:8)。厳粛なことです。
2) 聖書は、死の原因は罪だと記しています。神を締め出し、自分を良い者にする自己中心が罪です。人は神から与えられた自由を悪用し、神に背いた時に罪が入り、子々孫々まで罪深い者(原罪)になりました。永遠の死とは、神から罪の刑罰として受ける死です。義なる神は人間の罪を見逃せませんが、神のひとり子が私たちの罪の刑罰や神の呪いの身代わりに死んで下さいました。表面だけを飾るのではなく(マタイ23:27)、真の神を愛し、罪を認め、私の罪が主を十字架に着けてしまいましたと信じ告白するなら救われ(詩篇32:1-5)、新しいいのちと使命を与え、喜びと愛に生かさせて下さいます(ヨハネ5:24)。





教会の各活動



午後は、壮年会(祈り会)と婦人会(例会)が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(20日)10:30~


※休会します


○聖書研究祈祷会 水曜日(21日)19:30~


聖書:マルコによる福音書9章2-13節
題:わたしの愛する子
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、207、356


○主日礼拝 来週日曜日(25日)10:30~


招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:27  詩篇90篇
聖書:ヤコブ書1章5-8節
題:信仰をもって知恵を求めよ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:258、363右、384