2014年5月25日日曜日

主日礼拝「信仰をもって知恵を求めよ」

礼拝メッセージ 「信仰をもって知恵を求めよ」 ヤコブの手紙1章5~8節

長谷川和雄師


神は、クリスチャンが試練の中を常に神の御前を歩み、神のみこころを忍耐もって行える、完成された者に育てて下さると約束されましたが、そのために必要なのは、「知恵」です。

Ⅰ.神の知恵を求めよ…
1) 知恵とは。神のみこころを行うために必要な、神の知恵を祈り求めましょう。主はみこころを求めて従い(ルカ22:42)、生きることを「わたしの食物」と言いました(ヨハネ4:34)。ここでの「知恵」とは、人が育てられて身につく、一般的な知的才能や能力、科学的知識、判断力、分別、人生訓、処世術ではありません。これらの知恵が悪に用いられ、悲惨と苦悩を生み出しました。
2) 神の知恵。求めるべきものは、求める者に賜物として与えて下さる神の知恵です。現実をありのまま見つめ、背後にある神のみこころを、正しくとらえて決断し、行動を起こす知恵のことです。その知恵は、生きることを喜び、苦しみや患難の中でも平安と静けさを与えて下さることを信じ、祈り、仕えることを可能にします。
3) 神の知恵を求める。神に祈ることを知っている者が、神のみが与えて下さる賜物の神の知恵を、祈り求めましょう。

Ⅱ.神の知恵を用いよ…
1) 祈りを用いる。神の知恵である祈りを用いて、神の知恵を、神に祈り求めましょう。
2) ソロモン。ソロモンは、神の言葉を正しく聞き、国を正しく裁ける知恵を求め、与えられました(列王上3:9-12)。神の知恵は現実的で、正しく治めることを可能にします。
3) 聖霊を求めよ。主は聖霊を求めなさいと言いましたが(ルカ11・9、13)、聖霊は私たちにみ言葉を理解させ、ものごとを識別させ、信仰を告白させ、クリスチャンとして生きる道を示します。この祈りの教えと、「知恵を願い求めよ」とは、「聖霊の助けを願い求めよ」と内容的に同じです。祈りによって、神の知恵である聖霊が与えられるのです。

Ⅲ.信じるに足る神…
1) 惜しみなく、とがめだてしない神。少しも疑わず神を信頼し祈り求める者には、必要なものを与えて下さいます。神は、誰にでも出し惜しみや、条件や取引をせず、必要な知恵を、気持ちよく、喜んで与えて下さいます(5-6)。
2) 真実の神。信頼を裏切らず、御子をさえ惜しまずに、私たちに渡された神は、厳しい現実の中で真実に生き、知恵を求める者に必要な知恵を与えて下さいます(ローマ8:32)。与えることを喜ばれる神に、私たちはひたすら祈り求めましょう。
3) 信仰をもって。主を信じて祈り求めるものは、何でもその通りになります(マルコ11:24)と、教えておられます。疑いつつ祈ることは見せかけで二心の祈りです。目に見えないものの中に確かさがあると思いながら(Ⅱコリント5:7)、目に見える世的な事や物に頼る者。心の内に響く上からの声に耳を傾けながら、世の声にも従う者が二心の者です。内村鑑三師は、「半ば神を信じ、半ば己を信じ、半ば霊なるものを信じ、半ば肉を信じ、半ば来世を信じ、半ば現世を信ず」と表現しました。このような人は自分の生き方全体に安定を欠き、その時によって変わり、心の分裂が一貫性のない生き方となり、一瞬たりとも平安を得られません。神に全面的に自己を委ねない者は、神の慈しみや、神と親しく交わることができません。心から神を信頼し、祈り求めることを怠らず、真実で正しい「知恵」を求めて祈ることが、クリスチャンの大きな責任です。この知恵による祈りが教会で篤くする時、この世は変わります。人には不可能でも、神の知恵に、その可能性が秘められているのです。





教会の各活動



午後は、京滋地区婦人部例会(天授ヶ岡教会)が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(27日)10:30~


※休会します



○聖書研究祈祷会 水曜日(28日)19:30~


聖書:マルコによる福音書9章14-29節
題:信仰と不信仰
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:34、275、282



○主日礼拝 来週日曜日(6月1日)10:30~


招詞:イザヤ書45章22節
交読文:41  詩篇127篇
聖書:ヤコブ書1章9-11節
題:真の豊かさ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:8、428、368

2014年5月18日日曜日

歓迎礼拝「永遠のいのち」

礼拝メッセージ 「永遠のいのち」 ローマ人への手紙6章23節

長谷川ひさい師


スポルジョンが16歳の時救われ、多くの魂を救いに導きましたが、今日のみ言葉を全世界に知らせ、真理を知って救われてほしいと思い、「このみ言葉を青空一杯に書きたい」と言いました。

聖書は、幸福の根源は神の賜物の「永遠のいのち」であり、不幸の根源は貧しさ、病、家庭の不和などで無く、「罪の支払う報酬は死」ですと記します。

Ⅰ.生きながらの死…
1) 肉体的な意味では生きていて元気であり、立派な地位や名誉を持っているのですが、心の中に憎しみや妬み、肉欲や貪欲などで心が占められている時、その人の人生は生きているようですが、実は死んでいるのです(エペソ2:1-2)。
2) パウロは素晴らしいクリスチャンでしたが、「私の心の中には良いことをしたい、聖い生活をしたい、愛に満ちた生活をしたいという気持ちがある。ところが、そういう気持ちがあるにもかかわらず、私の心の中には別のもう一人の者がいて、良いことができないで、自分が憎んでいることを行っている自分がいる」と言いました(ローマ7:15)。また、「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ローマ7:24)と言っています。この姿が生きながらの死の状態です。

Ⅱ.肉体の死…
1) 「一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている」(ヘブル9:27)と記されていますが、人間には死ぬことが定められているのです。私たちは、肉体の死について、色々と遭遇しており、私たちの周りには、肉体の死で満ちています。この死の3つの特徴。
①全世界のひとり残らず死ななければならない、とても厳粛なことです。
②今まで頼りにしていたものが、みんな剥ぎ取られてしまうことです。
③神の前にすべてのことがあからさまにされることです。しかし、神に従い、神の愛の中に死ぬ者は幸いです。「今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである」(黙示録14:13)と記されています。神の愛を知る者にとって死とは、永遠の喜びの入り口です。真の神や愛する者との再会があり、涙もなく、苦しみもない、愛と喜びと平和が満ちている神の国への凱旋だからです。しかし、真の神を知らず、永遠の神のさばきにより、神のいない孤独の中、第二の死に入れられることは何と恐ろしいことでしょうか。

Ⅲ.魂の死…
1) 「死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた」(黙示録20:14-15)魂の永遠の死があります。また、「人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである」(黙示録9:6)。人は死を目前にすると罪の呵責を感じ、不安が襲うので神の助けを求めますが、神には聞こえません。「自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取」ります(ガラテヤ6:8)。厳粛なことです。
2) 聖書は、死の原因は罪だと記しています。神を締め出し、自分を良い者にする自己中心が罪です。人は神から与えられた自由を悪用し、神に背いた時に罪が入り、子々孫々まで罪深い者(原罪)になりました。永遠の死とは、神から罪の刑罰として受ける死です。義なる神は人間の罪を見逃せませんが、神のひとり子が私たちの罪の刑罰や神の呪いの身代わりに死んで下さいました。表面だけを飾るのではなく(マタイ23:27)、真の神を愛し、罪を認め、私の罪が主を十字架に着けてしまいましたと信じ告白するなら救われ(詩篇32:1-5)、新しいいのちと使命を与え、喜びと愛に生かさせて下さいます(ヨハネ5:24)。





教会の各活動



午後は、壮年会(祈り会)と婦人会(例会)が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(20日)10:30~


※休会します


○聖書研究祈祷会 水曜日(21日)19:30~


聖書:マルコによる福音書9章2-13節
題:わたしの愛する子
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、207、356


○主日礼拝 来週日曜日(25日)10:30~


招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:27  詩篇90篇
聖書:ヤコブ書1章5-8節
題:信仰をもって知恵を求めよ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:258、363右、384

2014年5月11日日曜日

主日礼拝「母の立派な信仰」

礼拝メッセージ 「母の立派な信仰」 マタイによる福音書15章21~28節

長谷川和雄師


CSより母の日の感謝
母の日の意味を知り、母に感謝しましょう。母の日は、1905年5月第2日曜、米国の教会で始まり、国の祝日に制定されました。日本では、森永氏が母の日の催しを普及しました。母の日にひとりの母の信仰のすばらしさを学びましょう。

Ⅰ.ギリシャ人の女…
1) (21、マルコ7:26)この女性の出身地はギリシャ文化が栄え、異教で溢れており、イスラエル人の宿敵カナン人でした。また、偶像礼拝を国に持ち込み、多くの主の預言者を殺したイゼベルの出身地でした(列王上16:29-19:8)。この女性も異邦人であり、神の恵みを受けるにふさわしくない者でした。
2) (22)主の噂を聞いた彼女は、汚れた霊につかれていた幼い自分の娘を救ってほしいと、「主よ、ダビデの子よ」と、ユダヤ人以外には喜ばれない名で主を呼び、主の前にひれ伏し、叫びながら願い出たのです。

Ⅱ.イエスの意外な態度…
1) (23-24)静かに祈るために異邦人の地に来たのに大声で叫ばれ主の存在があらわにされます。いつも優しい主が彼女の叫び声を無視していました。また、弟子たちも、主に彼女を追い払って下さいと願いました。「イスラエル人に与えるべき恵みを、異邦人、しかもカナン人に与えることは良くない」と、冷たい言葉をかけ、彼女のことを汚れた下等動物と取られても仕方がない小犬に譬えました。
2) (25)彼女がメシヤに対する呼称を使ったので、主は信仰を試すような言葉でした。彼女は、他人の問題としてではなく「わたしをお助けください」と、自分の問題として神に訴えたのです。もし、あなたがこの言葉を聞いたらどんな思いをするでしょう。
3) (24、26)主の「イスラエルの家の失われた羊」への愛が、イスラエルの民や弟子たちにまでも、その愛が分かっていませんでした。

Ⅲ.女の信仰…
彼女は自分の立場を素直に認め、「主よ、お言葉どおりです」と言いました(27-28、マルコ7:28-30、Iテモテ1:15)。
1) 機会をとらえた信仰(マルコ7:24-25)。主がこの地方に来たのはこの時だけであり、彼女はこの機会を生かしました。今までの苦労を思い必死に叫び、主の前にひれ伏したのです。私たちも悔い改める機会を逃さないようにしましょう。
2) 謙遜な信仰(22、マルコ7:25)。彼女は恵みをいただく権利がないことを承知の上で、主の憐みを求めました。「憐れみ」は「恵み」と表裏一体の関係です。彼女は、神のご好意にすがるほかない罪深く滅びる人間、救いや祝福を神に要求できる立場になく、神の憐みにすがるほかなかったのです。私たちも恵みを受けるに相応しくない罪人であることを認め、謙り「わたしを憐れんで下さい」と、主に近付きましょう。
3) 恵みの豊かさへの信仰(22、25)。彼女は主の言葉を侮辱と受け取らず、救い主の恵みがイスラエルに満ちるように、主の愛と慈しみに信頼し、異邦人でも神の恵みは満ちると信じました。私たちもすべてを満たされる主に信頼しましょう。
4) 見ないで信じる信仰(マルコ7:29-30)。彼女は主の言葉を、娘を見ずに信じました。私たちも、み言葉が与えられたなら、見ずに主を信じましょう。
5) 間違いのない信仰(22)。大切なことは、主の真実と最善、全知全能に対する謙遜な信仰です。誤った信仰は「私の癒しに対する信仰」と考えます。主へのからし種ほどの信仰があれば良いのです(マタイ17:24-25)。信仰がないのではなく、「信仰が足りない」、「信仰が薄い」(16:8)のです。ですから、自分の信仰やクリスチャンであるとの立場を誇るのではありません。母の日の今日、この女の信仰を思い出し、信仰に生きましょう。子どもは母の信仰を見て育ちます。母の誤った信仰は、子どもも誤った信仰になります。正しい信仰に生きましょう。




教会の各活動

教会決算総会にて


午後は、教会決算総会とCS教師会が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(13日)10:30~


聖書:コロサイ書3章9節
題:古い人
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:7、427



○聖書研究祈祷会 水曜日(14日)19:30~


聖書:マルコによる福音書9章2-13節
題:わたしの愛する子
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:21、207、356



○主日伝道礼拝 来週日曜日(18日)10:30~


招詞:ヨハネによる福音書15章9-11節
交読文:36  詩篇116篇
聖書:ローマ書6章23節
題:永遠のいのち
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:19、175、243

2014年5月4日日曜日

主日礼拝「信仰による忍耐」

礼拝メッセージ 「信仰による忍耐」 ヤコブの手紙1章1~4節

長谷川和雄師


今年度の教会聖句を心にとめ、「健全な信仰に生きる教会」を目指し、ヤコブ書を学びましょう。ルターは、信仰にとって価値のない「藁の書簡」と言いましたが、行いの伴った信仰を目指し(2:17)、このヤコブ書に対座して学びましょう。

Ⅰ.ヤコブ書について(1)…
1) 著者。新約聖書中で著作可能な「ヤコブ」という名の人は、
①使徒であるゼベダイの子ヤコブ。主が大変な時、ペテロと共に、兄弟のヨハネと一緒だった弟子(マタイ4:21)。
②使徒であるアルパヨの子ヤコブ(マタイ10:3)。
③ユダの父、ヤコブ(使徒1:13)。そして、
④主の兄弟ヤコブ(マタイ13:55)。彼は、主の昇天後のエルサレム教会で、ペテロに次いで監督となった人です。この手紙の著者の特定は困難ですが、主の兄弟ヤコブと考えられます。
2) 宛先。「離散している十二部族」の十二部族とは、選民イスラエルの呼び名です。当時、世界各地にクリスチャンが離散し、各地に「新しいイスラエル」と呼ばれる教会を生みました。だから、この手紙は特定の教会への手紙ではなく、世界に散り、苦しんでいるクリスチャン(Iペテロ5:9)への手紙です。
3) 内容の特色。新約聖書の箴言と言われますが、前後関係を無視した形で、具体的な勧告や教訓が命令形で数多く出てきます。十字架と復活への直接的な言及もなく、キリスト信仰に生きていることが前提となっています。信仰が観念的、抽象的でなく、より具体的、実際的なものであることを求めています。

Ⅱ.試み(2-3)…
1) 試練と誘惑。試練とは、信仰を揺さぶる様々な患難や困難や苦しみです。それは、父なる神が愛する子を訓練するように鍛錬し、成長させ神の子に相応しい者とする、神の業なのですから喜びなさいと記しています。しかし、試練は誘惑とも訳せますが、誘惑は神が誘惑するのではありません(13)。誘惑は悪意を持った者が、クリスチャンをまことの神から引き離そうとして、世と罪の道へと近付けさせ、世に於ける成功と快楽に誘うのです。しかし、主のように神の前に真実に誠実に生き、神を畏れ、きよく歩もうとして、その悪の仲間に加わらないでいると、彼らは仲間外れにし、いじめ、困難を来たらせるのです。
2) 試練。試練は、私たちの信仰の有無をテストして振り分けるものではなく、純粋な信仰とするための神による試練です。主の苦難を思い、私たちも神に信頼され、特別に目をかけられていることを知る時、試練を喜べるのです。作家の三浦綾子氏は、自分の病気を神がえこひいきし、特別に目をかけて、神に近付けようとしておられるのですね、と受け止めました。試練は、失敗、不幸、財産を失う、病、愛する者との死別などの様々な形で、私たちに及びますが、それと同時に、神の恵みの多様さを示します(詩篇139:17-18)。

Ⅲ.信仰の成長(4)…
1) 試練と忍耐。信仰が試され忍耐が生じるから(3)、忍耐を完全に働かせなさい(4)と命じています。この忍耐とは、じっと我慢し、辛抱し、何もしないというのではなく、積極的に患難の打開と克服のために、神のみこころを問いながら、事態と取り組むことです(Iコリント10:13)。私たちが今耐えている苦しみ以上に、神は私たちの不信仰や傲慢、罪ゆえに苦しみつつ、私たちの悔い改めを、忍耐をもって待っておられます(Ⅱペテロ3:9)。
2) 完全な成長。試練を神に頼り忍耐もって生き抜き、常に神の御前を歩み、神のみこころを行う者を、終わりの時に神の前に完全な者として、神が喜んで受け入れて下さいます。神の国を目指し(ピリピ3:20)、互いに喜びと悲しみを共有し(ローマ12:15)、共に重荷を負い合い、先を行く主のみ足の跡に誠実に従い、神に喜ばれるものとされましょう。





教会の各活動


聖餐の様子

午後は、教会役員会が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(6日)10:30~


※祝日のため休会します


○聖書研究祈祷会 水曜日(7日)19:30~


聖書:マルコによる福音書8章31-9章1節
題:十字架を負うて我に従え
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:105、445、258


○主日礼拝(母の日) 来週日曜日(11日)10:30~


招詞:ヘブル書4章14-16節
交読文:27  詩篇90篇
聖書:ヤコブ書1章5-8節
題:信仰をもって知恵を求めよ
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:258、363右、384