2014年4月13日日曜日

歓迎礼拝「最善をなして下さる主」

礼拝メッセージ 「最善をなして下さる主」 ローマ人への手紙8章26~30節

長谷川ひさい師

 

歓迎礼拝の証し
ローマ書8章には、キリストにあって御霊を与えられた者がいのちに満ちあふれて、生き生きと生かされている姿が記されています。
自分中心に生きていたパウロは、罪と死とに捕らえられていましたが、主に出会い、救い主と信じ、罪から解放されて神を愛する歩みに導かれました。
御霊をいただき、神を「天のお父様」と呼び、親しく交わることが赦され、祈ることが喜びとなりました。

この信仰に立つ私たちも、この世では悩みがあります。
どう祈って良いのかさえ分からないときがあります。
しかし、御霊は弱い私たちを助けて、言いようもない深いうめきによって、私たちをとりなして下さると約束されています(26-27)。
なんと感謝なことでしょう。

パウロは、クリスチャンとは、「神を愛する者」、「神のご計画に従って召された者」、すなわち、「神のご計画に従って存在をゆるされている者」だというのです。
私たちも、主を信じていなかった時、人生の目的や何のために生きているのかさえ分からず、悩んだことがあると思います。
しかし、主にお出会いし、救い主と信じてクリスチャンとされた私たちは、神のご計画によって生かされている者であることを知り、神を愛する者とされました。
「知った」といのは、難行苦行で神を愛することを知ったというのではなく、主を通して、体験として知ったということです。

あなたが罪に悩み、神に逆らって永遠の滅びに向かっていたとき、神はあなたを救うために、御子をこの地上に遣わし、十字架の血潮によって、贖って下さいました。
これは歴史的事実です。
キリストの十字架は、神の愛が真実であることを証明しています。
パウロはその愛を受け取りました(ローマ5:5、8)。

「神を愛する人々」と共に働いて下さるとは、クリスチャンはひとりで頑張るのではないということです。
パウロは、ひとりで頑張ることは肉だと教えています。
それは大変疲れ、出来れば高ぶります。
もし、クリスチャンだと言いながら、ひとりで頑張り、自分がやっているように思っているとしたら、それはもうクリスチャンではありません。
賢くそろばんをはじいて、成功したと思っても、実は足をさらわれているということがあります。
それが、神を計算にいれないで、自分がやっているということです。

神と共に働かせていただく、これがクリスチャンです。
まず自分で計画を立てるのではなく、「やろうとしていることが、神の栄光にどうつながっていくか」と考え、祈りましょう。
そうするとき、神は全てのことを働かせて益として下さるのです。
「益」とは、私たちの都合の良いようにいくというのではなく、神からご覧になっても、人間の側から見ても、混じりけのない納得のゆくことです。
「神と共に働くとは、神が導いて下さることを、いつも祈りの中で自覚しながら、神のみこころを確信して生きていくこと」(小林和夫師)。

人生を振り返り、神ではなく自分を愛する者であり、自分を第一に生活し、自分がよく思われるためには、神も自分も欺き、何でもするという罪の奴隷になっていなかったでしょうか。
最善をなしたもう主は今も生きておられ、私たちひとりひとりを愛し、ご計画を持っておられ、最善をなして下さいます。
主の前に静まり、人生を点検させていただき、素直に自分の罪を認めて主の十字架を仰ぎ、新しくしていただきましょう。
そして、神が共に働いて下さる生活をさせていただき、神の栄光を現す残りの人生とならせていただきましょう。



教会の各活動



午後は、婦人会(健康わいわい講座)、青年会(歓迎会)が行われました。

今週~来週の予定

 

○婦人祈祷会 火曜日(15日)10:30~


聖書:士師記10章16節
題:神の苦しみ
説教者:長谷川ひさい師
新聖歌:111、108



○聖書研究祈祷会 水曜日(16日)19:30~


※休会します



○受難週祈祷会 金曜日(18日)19:30~


聖書:マタイによる福音書26章36-46節
題:主の苦悩
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、114、396



○イースター礼拝 来週日曜日(20日)10:30~


招詞:詩篇95篇1-3節
交読文:3 詩篇16篇
聖書:マタイの福音書28章1-20節
題:主は今も生きておられます
説教者:長谷川和雄師
新聖歌:2、123、127